書誌情報・目次のページへ 書評再録のページへ 読者の声のページへ
四万十川・歩いて下る

【内容紹介】本書「あとがき」より


 「最後の清流」四万十川は、東京で生まれ育った私にとって、長い間憧れ続けてきた桃源郷でありました。ところが、初めてその姿に直接出会っての徒歩旅行は、それなりに楽しかったものの、「何かおかしい、どうも変だ」という思いが湧き上がってくるものでした。そこで取材を行ってみたら、日本という国が持つ構造的な病巣がそれこそ次々と姿を現わし、何だかとてつもない妖怪にこの国が支配されているような思いにならざるを得ませんでした。
 本当は豊かな自然と、そこに暮らす人々の幸福な生活との出会いを楽しみにしていたのですが、結果はこの本に書いたとおりの、あまりにも無惨な日本の山河と苦悩する地方社会の姿をクローズアップすることになってしまい、ある意味では「申しわけない」思いです。
 本文の終わり近くで「国畜牧場」という、いわば“過激な”表現で、この国の構造を示しました。これは何も地方社会だけを示す言葉ではありません。日本の山河を破壊する「公共事業」の財源である税金の多くは、都会に暮らす人びとから徴収されています。小さいながらもマイホームを建てて、ささやかな幸福を育むべく働くサラリーマンこそが、この「システム」の中で最も重要な位置を占めています。かくいう私も、サラリーマンでもないし住宅ローンも抱えてこそいませんが、税金を収める都市生活者です。郵便貯金も利用していますので、財政投融資による公共事業に一役かっているわけです。好むと好まざるとにかかわらず、この国のシステムに取り込まれようとしている気がします。
 けれども、その「システム」に負けてすねるわけにも泣き寝入りするわけにもいきません。四万十川に申し訳ないではないか。中央官僚の悪政に抵抗しつつ、理想郷を目指す十和村の人びとに対して恥ずかしいではないか。たかが「無能な官僚」に負けられるものか。私腹を肥やすことしか興味のない財界の思いどおりにさせるものか。そんな思いでこの仕事をしてきました。
 本文全般を通じて「人と自然のあり方」をテーマにしてきたつもりですが、結果として帰納的に判断すると、このテーマは「地方行政のあり方」と同時に「国家行政のあり方」という巨大なテーマと密接に結びついているものと考えざるを得ません。「地方分権」が掛け声ばかりに終わっている昨今の情勢ですが、これを本当に断行するのであれば、それは明治政府によって破壊されたかつての首長国連邦制である幕藩体制が、「道州制」さらには「連邦共和制」という形で復活する歴史的大改革を意味することと認識するぐらいの覚悟と勇気が必要でしょう。そもそも明治以来の政府の中央集権体制は、当時の対列強緊急事態を迎えるためには有効であったものの、あくまでも非常事態における臨時体制としての性質の限界を越えて、現在に至るまで100年あまりも続いていることの方が異常なのです。平和時の国内繁栄には徹底した地方分権、つまり連邦制こそが適したものといえるでしょう。逆説的にいえば、徳川300年の時代が、明治という国際乱世を乗り切るための充実した地力を日本に養わせたと見るべきではないでしょうか。
 「地方分権」とはつきつめれば「地方主権」のことであり、それは「地方の自意識」によって“お上”である中央政府から「人生の主導権」を奪還する革命的行為といえるでしょう。それにはまず、「自ら動かねば何も変わらぬ」という自意識を持った“雄藩”たる地方の出現が期待されます。四国などは、そのさきがけたり得る気風を持ち備えているのではないでしょうか。
 この単行本を出すための整理作業をしている私のもとに、四万十川から一通の速達郵便が届きました。第3章で紹介した大野見村の村議会議長・西村善徳氏です。高幡国営農地開発が平成八年度を最後に中止されることになった、との報せでした。四万十川支流島ノ川の美しい流れはダム開発から救われたのです。「闘えば、勝てる」。これが本当の意味での「現実」です。「大切なものを守るために闘う」この気持ちを決して忘れてはならないと思います。四万十川に象徴される美しい山河は、多くの日本人にとって何にもかえがたい「大切なもの」であったはずです。重要なことは、知らず知らずのうちに多くの人々が「何が大切であったのか」を忘れてきてしまったことにあるのではないでしょうか。
トップページへ