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詩画集 日本が見える

【書評再録】


●朝日新聞「社説」(1994年10月30日)=ノーベル文学賞に決まった大江健三郎さんが十数年前、こう語るのを聞いた。
「沖縄を知ってから、二つが変わった。私の文学と、私の生き方そのものだ」
その大江さんが、沖縄を考える際に畏怖の思いをおこさせる男がいる、と著作「沖縄ノート」に書いている。詩人であり、沖縄タイムス現会長の新川明さんのことだ。
日本が米国と軍事・政治面での関係の強化を決めた「60年安保」の年に、大阪で小さな詩画集が出た。
表題は『おきなわ』。版画を彫ったのは、沖縄戦を描き続ける儀間比呂志さんである。詩は異民族支配を受ける苦悩で満ちていた。300部を自費出版した。売れたのは29部だった。
詩画集は、1972年の本土復帰を挟んで23年後に、東京の出版社から再び世に出た。しかし「祖国の街角に立って」は「異郷の街角に立って」となり、表題も『日本が見える』と変わっていた。
「祖国」を「異郷」としたのは「日本を国家として相対視したかったのだ」と新川さんはいう。独自文化を持つ沖縄を日本に対置させ、本土を突き放して見る目へと変わったのだ。そこにあるのは、本土への深い隔絶感といってもよい。
大江さんは、当時の新川さんについてこう書いている。「僕が会った詩人は、日本を、日本人を拒絶しなければならないのだといった。……したたかな打撃としてのメッセージとして受け止めた」
詩画集が再版されたとき、復帰からすでに10年が経過していた。本土は基地の重圧を沖縄に負わせたままだった。もう「祖国」とは呼べなかった。本土の身勝手さがますますはっきりと見えた。
「本土人よ、基地に代表される沖縄問題は、実はあなたたちの問題ではないか」と新川さんはいう。基地問題とは、平和の追求の問題であろう。本土でも差別の問題をさまざまな形で抱えている。そうした自らの問題に真剣に取り組むことが「沖縄」と根っこでつながるというのだ。沖縄からの問いかけは続く。

●週刊朝日評=本を開くものの心を打ち、力強い美しさとやさしさが交叉する本である。
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