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斎藤茂男取材ノート1
夢追い人よ

【書評再録】


●朝日新聞評(1989年12月3日)=共同通信は「暑い夏・闘いの夏」「草の根をわけても真実を」など連載記事の配信を開始して「松川事件」の真相解明に執念を燃やし、前後して「下山事件」に精力を投入するようになる。知られざる幾多の事実が解明され、これらの事件をすべて一本の糸で操作したかにみえる「謀略」の存在が、強い根拠をもって提示されていった。
中心になった記者が斎藤茂男であり、いうまでもなく本書の著者である。当時の連載記事と膨大な取材ノートを素材として生かしながら、本書に「1949年夏の謀略」として再び真相に肉薄した。著者がいまなお1949年という年にこだわるのは「ちょうど転轍機の切り替えによって列車の進行方向が大きく切り替わっていくように、戦後の歴史はこれらの事件が発生した時代をターニングポイントにして、大きくカーブを切っていった」と考えるからであり、事件の背景となった歴史的事情を明らかにすることが「戦後の昭和」を裸にする道につながると信じるからである。

●産経新聞評(1989年12月26日)=中心に扱われているテーマは“謀略”で、戦後まもない時期に起こった下山事件、松川事件を大きくとりあげ、1949年夏の謀略は実は1本の糸に操作されていたのではないかという視点から、占領下の日本を覆っていた黒い影の実体に迫っている。松川事件“真犯人”たちからの告白の手紙など、資料も豊富。今日の日本の繁栄の陰にひそむ暗い歴史を思い出させてくれる。
ほかに60年安保の回想、ジャーナリストとは何かを問うたエッセーも読みごたえがある。

●西日本新聞評(1990年1月21日)=戦後の出発点ともなった下山・松川事件から安保闘争まで。
警察の謀略事件として知られる菅生事件取材の報告では「歴史的な現実」として物事をとらえる「縦軸」と、現象を現在の社会的な関係の中で位置づける「横軸」の交差を取材の課題ととき、感銘深いものにしている。

●日刊スポーツ「ぶっちゃけジャーナル・黒田清氏」(1989年11月12日)=著者の名前は、ジャーナリズム志望の人でなくても知っている人は多いと思う。
1952年に共同通信記者となり、さまざまな分野で記者として、デスクとして活躍、昨年退職してフリーになったジャーナリストである。「妻たちの思秋期」「燃えて尽きたし」などの著書は、すべて斎藤氏が中心になって書かれた記事を本にしたもので、現代の日本の家庭、夫婦が持っている問題点を見事に浮かび上がらせて大きい話題になった。
その斎藤さんが、36年間の取材ノートを公開してくれた。その1冊目がこれである。
私は、枕元にたくさんの本と雑誌を積んで、眠る前に、手当たり次第に読んでいるが、この本を手にした夜は、朝がた近くまで眠れなかった。
斎藤記者が、若いころに追跡した事件の取材ノートは、その事件そのものよりも多くのことを、私に語りかけた。
入社以前の大きな事件である「下山事件」「松川事件」を追跡した記事、そして、そのあと九州で起きた権力者のデッチ上げである「菅生事件」を追った記録。さらには60年安保の取材ノート。一人の記者が、どんなことを考えながら、取材をつづけたか、記事以上の力で訴えてくるものがある。
心の底にいつも正義を愛する火を燃やしつづける人、単純素朴で、古風な夢を追いかける若い人、君よ、ジャーナリストになれと、斎藤さんは言う。若い夢追い人よ。この本を読んで、ジャーナリズムの門を叩いてくれ。

●みすず「1989年読書アンケート・家永三郎氏の一冊」(1990年1月号)=敗戦後まもない頃に起こった奇怪な謀略事件である下山事件と菅生事件との部分が圧巻である。警察権とちがって何の捜査権ももたない新聞記者が、真相を追及して想像を絶する努力を続ける執念の回想に心打たれた。歴史学者では不可能の現代史の暗黒面へのアプローチとしても、考えさせられることが多い。

●窓評(1990年2月号)=ある職業について語ろうとするとき、その職業に実際に携わる人の固有名詞をあげることが最も有効かつ真実を語りうるものである。とかく論として語られ、書かれた職業論ほど役立たずであてにならないものはない。その意味で、ジャーナリストあるいは新聞記者とは何かと問われれば、私はその一人として斎藤茂男の名をあげたい。そして、その彼の仕事集を読むことを奨めたい。
第一巻は、下山事件、松川事件、菅生事件、安保、ベトナム戦争など昭和の歴史的事件の取材記事が収録されているが、それらはいまなお事件の真相、歴史的含意の究明を要求しているかのように鮮烈である。同時に、取材の方法、着眼、思想などが実に豊富に問わず語りに語られていて、取材学の生きたテキストとしても大いに参考になる。
〈事実によって鍛えられる〉〈取材という行為によって自分を鍛えていく〉という著者の思想、記者魂が全編にほとばしる。信じるにたる記事というものは、疑うこと、そして信じさせようとするものとの格闘のなかから書かれうるものであることをあらためて確信させられる一書でもある。

●朝日ジャーナル「メディア時評・黒田清氏」(1989年12月1日号)=入社以前に起きた「下山事件」や「松川事件」の追跡にはじまり、九州の菅生事件、60年安保の取材記録の断片を読んでいると、事件そのものよりも多くのことを語りかけてくれる。

●日刊ゲンダイ評(1989年11月28日)=本書で扱われているのは、長い記者生活の中でも、もっとも印象深い2つの事件、下山事件と松川事件を中心に構成されている。戦後最大の謀略事件といわれているこの2つの事件を文字通り、寝食も忘れて追いかけていく著者の姿は、まさにジャーナリストとしての真骨頂である事実へのあくなき探究をわれわれに教えてくれる。そして、数々の特ダネを世に送り出したこの人が「謙虚な人柄こそジャーナリストの望ましい資質というべきだろう」といえるのは、そうした事実の重みをだれよりも身にしみて感じてきたからだろう。

●新聞展望評(1990年2月16日)=戦後の自由や民主主義は、まやかしの幻影だったのか。そんな不信感をぬぐいきれない著者の思いが伝わってくる。
本書のテーマは、謀略・冤罪であるが、読者にできるだけおもしろく読んでもらえるように工夫がこらされている。読み始めると、推理小説のナゾ解きをしているような錯覚に陥ってしまう。
圧巻は、「1949年夏の謀略」である。著者は、下山事件の核心に迫るべく、冷徹な眼でペンを進め、真相の解明に全力を注ぐ。1949年の夏こそ、日本の民主主義への希求をねじ曲げた政治的ターニング・ポイントであると指摘し、その仕掛け人を執ように追及している。

●太陽評(1990年1月号)=昭和27年に入社して以来のノートはそのまま戦後史を記録するものであり、「下山事件」「松川事件」「60年安保」と、ノートから紡ぎ出される時代の骨格は、日々流されていく私たちの日常の中で何を記憶していなければならないかを提示するものになっている。
さらに、一級の社会部記者が自ら鍛え上げた視線と、事実に肉迫し構造的に事件を解読する思索は、足元からきずきあげた思想の記録ともなっているものだ。
この膨大な取材ノートの公開は、時代の記録者としての氏の全貌を示すものとなるだろう。

●窓評(1989年12月10日発行)=第1巻は、下山事件、松川事件、菅生事件、安保、ベトナム戦争など昭和の歴史的事件の取材記事が収録されているが、それらは今なお事件の真相、歴史的含意の究明を要求しているかのように鮮烈である。同時に、取材の方法、着眼、思想などが実に豊富に問わず語りに語られていて、取材学の生きたテキストとしても大いに参考になる。
信じるにたる記事というものは、疑うこと、そして信じさせようとするものとの格闘のなかから書かれうるものであることをあらためて確信させられる一書である。

●子どもと教育評(1990年3月号)=本書に描かれる昭和20年代の「下山事件」「松川事件」などについては、私はほとんど知らないのだが、読みすすめていくうちに、強くひきつけられていく。
この感動は、時代とそこに生きる人びとへ限りなく近づこうとする、筆者の情熱から生み出されるものだ。この姿勢から生み出される方法と意識が、私を強く揺り動かす。優れたルポルタージュはまた、優れた哲学書でもある。

●婦民新聞評(1990年2月20日)=ち密な取材がなまなましく実に面白い。そして怖い。これが実際に起こされた事件なのだから。怒りが湧きあがる。
飽食・弛緩の状態を拒否して巨悪に立ち向かう熱い正義の記者魂を“夢追い”というのだろうか。職業を問わず、人間はこうありたいものだ。

●赤旗評(1989年12月25日)=本書の圧巻は、下山・松川両事件の真実と犯人を追い求める「1949年夏の謀略」である。斎藤さんは、自分のことを〈下山病〉の患者というが、この謀略事件ほど奥深く、複雑な事件は珍しい。事件後何年も自他殺論争が盛んであったが、今は有力な自殺説を言うものはない。本書も他殺の根拠をいくつかあげているが、たとえば「靴は物語る」ひとつとっても、自殺「説」では絶対に説明できない。松川事件の方は、犯人と思われる者から来た告白の手紙を受けた松本善明宅に、かつて奇怪な事件が起こっていた問題から、真実の追及がはじまる。日本の進路を変えたといわれる下山・松川事件も、安保大闘争もいま知る人は少ない。数多くの、特に若い人に読んでほしい本である。
斎藤茂男取材ノート【書評再録】

●朝日新聞評(1989年12月3日)=ジャーナリストとして生きた著者の深いエートスが、詩的に、しかし剛直に表現されていて、心を打たれる。

●信濃毎日新聞評(1990年5月6日)=つらいこと、悲しいこと、困ったこと、たくさんの荷を背負って一生懸命生きようとしている人間の味方になってほしい。心の底に正義を愛する火を燃やしつづけている人がいい---と著者はジャーナリスト志望者に語る。これは一般人にもあてはまることだ。このマトモな姿勢、飽食金満大国人が急速に失っている心と勇気を「斎藤茂男取材ノート」全集によって骨のずいに叩き込まれる思いがした。

●出版ダイジェスト評(1990年4月21日)=このシリーズはまさに、時代のうねりの最前線につねに身を置いてきたジャーナリストが検証した臨場感あふれる「戦後昭和史」となっている。

●読書人評(1990年1月8日)=「卓越した取材力と人間に注ぐ暖かい視点」を持つ斎藤氏の、ジャーナリストとしての原点がくっきりと刻み込まれている。
斎藤氏自身の表現を借りれば、この「取材ノート」に収録される文章は、記者生活の中で、右から左へと軽く受け渡してしまう気になれず、記者の業務としてというよりもむしろ、個人のこだわりで追い続けけたテーマ---謀略、冤罪、天皇、高度成長、労働、子ども、女性、家族、性、生命そのほか---についての、取材体験エピソードを交えての報告である。

●三田評論(内海愛子氏)評(1991年1月号)=斎藤茂男の仕事の中から、私は事実にこだわり、歩き、考えていくことの大切さを教えられた。当たり前のようなことだができにくいこの生き方は、ジャーナリストだけではなく、市民運動でも研究でも欠かせない姿勢であるからだ。事実にこだわり歩く、執拗に歩く斎藤氏の姿が、いつの間にかアジアを歩くときの私の意識のどこかにこびりついてきた。
今回の「取材ノート」は、氏のこれまで書きためてきた記事と取材ノートで構成されており、取材の裏側を見せてくれて興味深い。それだけでなく、テーマごとに記事がまとめられているので筆者の事実へ切り込む視角がよくわかる。克明に取られた取材ノート、短い記事の裏につぎ込まれた情熱、社会的弱者への温かい眼差し、権力犯罪への怒り--時に応じて見せるジャーナリストのこころの動きが読みやすい文章の中から浮かび上がり、多くの時間を経過した今も読む者の心を打つ。
「取材ノート」全巻、どれをとっても氏の生きてきた戦後日本社会の血のにじむような姿が見えてくる。すぐれたジャーナリストが、たぎるおもいで書き綴ったこれらの書を読み終えて、深いため息とともに自分の過去を振り返る人も多いだろう。だが、大事なのはこの現実に立ち向かってどう生きていくのか、考えることだ。斎藤氏が取材のかたわら多くの時間をさいて市民運動にかかわる、そのこだわりも読み落としてはならない。

●学生新聞評(1990年3月17日)=数々のすぐれたノンフィクションを生み出している斎藤茂男さんはいま、「斎藤茂男取材ノート」を刊行中です。
いままでに書いてきた新聞記事、雑誌原稿で単行本に未収録のものを素材に、取材エピソードなど書き下ろしも交えて編集したもの。30余年にわたって記者生活を送った共同通信社を一昨年、退職。その仕事の総括というだけでなく、戦後日本の検証ともいうべきこの「取材ノート」を通して、「これからの生き方というか、これからの日本というものを考える手がかりみたいなものを提供できればいい」と、斎藤さんは語ります。
「自分で現実にふれてみて、自分自身に新しい発見があった、驚いたという深い取材をしないで、“そういうのは、この間どっかで読んだな”というような記事を何万回書いても、読者に響いてこない」という斎藤さんの、現実から学ぶ姿勢と、真実に迫る探求心。それはジャーナリストだけでなく、学生にとっても重い意味をもつ大切なことではないでしょうか。

●エル・ナイン評(1990年5月号)=日常を矢継ぎ早に流れていく出来事や現象に、一時心を動かし、憤ることはあっても、何かがおかしい、歪められていると感じていても、私たちは多くの場合、それらの奥に潜む事の本質に気づかぬまま、あるいは、知ろうとせず、考える時間を持たぬまま、いとも簡単に諦め、都合よく忘れ去るということを繰り返し、ここまで来てしまった。その結果が、戦後45年、効率至上主義、モノ・カネ溢れる金満飽食大国日本と日本人の姿だろう。
この斎藤茂男取材ノートは、30年という長い記者生活を通して彼がこだわり、追い続けけてきたテーマ、謀略・冤罪・天皇・高度成長・労働・子ども・女性・家族・性・生命---について、取材体験エピソードを交えながら、読みやすくまとめたものである。
歴史的な流れと背景を縦糸に、そして目の前の現象を横糸に、表から裏から執拗にくいさがり、物事の核心に迫っていこうとする彼の姿勢は圧巻。また、その目は一貫して弱い者、抑圧される側に立ち、どろどろとしたその構造を睨みながらも、私たちもまた、いつのまにか抑圧する側に立たされているという事実を、さながら推理小説を読んでいるかのような面白さと明快さで、くっきりと浮かび上がらせていく。

●聖教新聞評(1990年5月9日)=時代の取材記者として、時代を熱くした事件の現場へ、あるいは闇に葬られた問題の密室へ、政治の谷間で息をひそめる人びとの心の中へ、と誠実に飛び込んでいった結果が、この広範なテーマとの格闘なのだろう。すぐれた取材技術もさることながら、時代の現場に真正面から立ち向かう行動こそ学ぶべき作法といえよう。
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