| |||
| 日本人の「戦争」 古典と死生の間で 【書評再録】 | |||
| ●共同通信全国配信記事(1995年5月8日・北日本新聞)=敗戦の結果、日本人は、命を懸けて守るべきものを自主的に見つけ、命を懸けても戦わないという決意の意味を本当に突き詰めたか、という問い掛けも鋭い。一つの深みに碇を下ろし、そこから発せられる声なればこその、不思議な迫力を備えた本である。
●静岡新聞評(1998年2月7日)=人々はどうして国のため、天皇のために死ぬことができたのか。その重大な意味を持つ国家とは、天皇とは何かを問い掛けていく。それが現代日本を生きる私たちにつながっていくことを知る。 過去の戦争責任をないがしろにして将来をどのように論じても意味はない。 ●歴史と旅評(1995年7月号)=今から50年前の「あの戦争」が、日本人にとっては単に20世紀の近代戦というにとどまらず、古代以来の歴史と古典と伝統のすべてを注ぎ込んで、すべてを失った戦いであるとみる。戦後50年、いっさいの「抽象」を排し、「あの戦争」を死生の実感をもって後代に伝える。 ●図書新聞評(1995年10月28日)=1928年生まれの著者が、「“情理”の両面」つまり「歴史がさし示す非可逆的な定理と、生きる者の悲しさを映した情の二面」から、明治以降の日本人の戦争、特に昭和時代の戦争の歴史的・文化的構造をえぐる。それは鋭くも痛々しい否定と肯定の錯綜である。 言霊から革命・天皇・アジア主義、カネ、玉砕まで、多様なテーマのもと感受性みなぎる鋭角的な論を構える。ページのすみずみまでおもしろい本である。 ●出版ニュース評=人びとはどのような心情から戦争に突入していったのか考える。なかなか気になる内容である。 | |||
| トップページへ |