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| 日本人の「戦争」 古典と死生の間で 【内容紹介】本書「まえがき」より | |||
| 「見るべき程の事は見つ」---これは「平家物語」の終わり近くに現れる平知盛の言葉である。時代の曲がり角で歴史は、否応なく人びとに“見るべき”もの、“見なければならない”ものを提示する。かつての「戦争」は、今なお「見るべき」ものとしてわれわれの前にある。 私たちは今、この高度情報化社会のただなかに生きて、それこそさまざまな事件を見、多様な風評を聞いて日々を過ごしている。マスコミは各種の情報に、時に華麗な衣装を着せ、時には耳をそばだたせる響きを交えて送り込む。だが、それらは余りにも過多であり、余りにも流れ去ること早く、われわれの身にも心にも留まるものは少ない。これは他人事としていっているのではない。私自身、この情報の洪水の中で一喜一憂の毎日を送っていれば、それこそ酔生夢死を絵に描いたような人生を過ごすことになるのではないかという焦りにも似た気分に駆られる。 戦後半世紀、今、われわれは明らかに一つの時代の曲がり角に立っている。これまで追い求めた“繁栄”は、果たして今後も確実なものとしてわれわれの掌中に残るのだろうか。戦後花開いた“自由”は、主義や制度としてではなく、瑞々しい人の形をとって自由な人間を世の中に送り出しただろうか。“平和”もまた、必ずしも戦争によらずとも、一朝の地震によって崩れ去ることをあの阪神大震災が実感させたのではないか。 この見通しのきかない現代の曲がり角に佇んで、われわれの前にはもう一つの「見るべき」ものがある。「戦争」である。それは半世紀前に終わった過去の遺物ではなく、われわれの身の回りにも、私たちの内にもあって、心をこめて見るべきもの、見なければならないものとなっている。 だから私は本書で「あの戦争」を生きた“実感”として取り上げようとした。世に、あの戦争をひたすら過去の出来事とみなし、もっぱら資料収集に当たる研究者は多いだろう。個々の部分を慎重に解読しようとする調査もある。また、現代の高みから過去の愚かさを論断する評論も少なくないだろうと思う。勿論それらは、それぞれに意義ある仕事であろう。だが“実感”としてというのは、今に生きる者の歓びと悲しみをありのままに見つめて、という意味である。もし今、この社会でそれができるなら、人が生きる上での哀歓は何時でも何処でも変わりないように思う。そうして、おそらくは多くの日本人の内に今なお生き続ける戦争への実感も、自分の感性、感懐、感慨をありのままに保つ限り、今に生き続ける。逆に現代への誠実な実感は、歴史に生かし、歴史を見えるものにすることができる。 ……(中略)…… 戦争責任とは、今や戦後責任なのである。現代の日本人が、日々の生活にかまけてこの種の問題を放置すれば、やがてわれわれも歴史の復習に怯えるときがくるだろう。今、“自由”と“繁栄”と“平和”を謳歌して日々を送っているかのような現代人も、後代の人びとから“一体、あなたたちの平和とは、繁栄とは何だったのか”という問いを投げ掛けられないという保証はないだろう。それは、歴史の中ではこれまでの---どうしてあなたたちは、あんな戦争に加担するのを拒否しなかったのか---という戦争告発の言葉と同種のものとなる。 かくてあの戦争を考えることは、歴史と現代そのものの考察となる。 あの戦争を“情理”の両面から、つまり歴史が指し示す非可逆的な定理と、生きる者の悲しさを映した情の二面から考え直すことは、まさに生者にとっての課題となる。 人と人が実感を共有しないところに文化はない。過去と現在、自然と人間、死者と生者、父祖と子孫、異世代間が共感しあえぬところに歴史はない。歴史と文化のみが、人に人生の意味と人間の未来を指示することができる。戦後半世紀という時間が経過した現在は、あの戦争について、この種実感と共感の交流を期待しつつ語りうる最後の機会となるだろう。 現代もまた、歴史の中の一コマにすぎない。そうだとすれば、あの戦争について考えること、考えないことは、そのまま現代日本の実態について考えること、考えないこととつながっている。 ここに提示した成果がいかに貧しいものであれ、私としては自分のもてるあらましを注ぎ込んだという自己満足だけは残った。本書が、戦後半世紀という歴史の道標に添えたさやかな一石にでもなればと思う。 | |||
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