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「百姓仕事」が自然をつくる
2400年めの赤トンボ

【書評再録】


●西日本新聞評・山下惣一氏・農民作家(2001年5月20日)=赤トンボの八割は田んぼで生まれる、なぜメダカは消えたか? 田植がはじまると蛙が合唱するのはどうしてか?……などなどについて宇根豊が登場するまで誰も知らなかったという事実は、考えてみれば不思議な話だ。
農業の長い歴史にはあまたの研究者、技術者、指導者、知恵者がいただろうに誰ひとりとして目を向けなかった世界、カネにはならないが大切なものを見つめ世に問う。これが彼のすごさであり新しさであり時代の要請でもある。
近代化が切り捨ててきたものの危機は実は人間の危機なのである。破局を予感させる時代を超えるためにぜひ多くの人に読んでほしい。

●朝日新聞評(2001年6月17日)=福岡で「減農薬」を実践する著者は、農業が食料だけでなく、小さな生き物や安らぎの風景、人間の生きがいを生んできたと主張し、農薬を投入し増産を競う「近代化」を批判。「百姓仕事」を通して自然と人間の「共生」を訴える。

●信濃毎日新聞評(2001年6月24日)=最近の農と自然環境をめぐるさまざまな問題が、田んぼの生き物に加えて、「多面的機能」「デ・カップリング」「棚田」「ビオトープ」「田んぼの学校」などのキーワードを交えて論じられている。そのよりどころは、痛烈な近代化批判の精神と水田で働くものの力強い「実感」である。それは当然、この国の農学に対する手厳しい批判の書ともなっている。

●日本農業新聞評(2001年6月9日)=田んぼや里山、赤トンボ、美しい日本の風景は、農業が生み出してきたと、福岡県の百姓・宇根豊は言う。本書の中で、農業をカネで推し量ろうという「近代化」を徹底して批判。これまでの農政や農学が考えもしなかったまったく新しい田んぼの価値を、本書はわかりやすく解説する。“農家”が胸をはって自分の口から語れる農の哲学となるだろう。

●日本農業新聞・著者インタビュー(2001年7月2日)=【新しい農学を提案】
農産物以外にも農業が、米以外にも田んぼが「生産」するものがある。それが「自然」。そして、当たり前すぎて語られなかった「百姓仕事」が「自然」をつくり守っていく。これが新しい「生産」と「自然」の思想だ。「赤トンボやメダカで飯が食えるか」と言われ続けた。五年くらい前までは「趣味の世界の話なんじゃないだろうか……」と、不安がつきまとっていた。だが今、「農」へ明らかに新しい風が吹き始めている。

●農業共済新聞「自著を語る」(2001年6月13日)=秋に、草を刈らなかった畦には、春になっても、花が咲きません。野の花も百姓仕事によって、毎年変わらぬ花を咲かせてきたのです。風景とは、手入れされるから美しいのです。こうした百姓仕事の、カネにならない世界を、この国の国民は忘れています。だから、食べ物が自然とつながっていることがわからず、平気で外国の農産物と比較します……(中略)……百姓は「メダカやトンボじゃメシは食えない」と声を荒げます。「そうですね」と同情するだけの農政に決別するために、この本を書きました。同じ百姓が「もう一度あのホタルとメダカの川を孫に見せてやりたい」とつぶやくことを知るべきです。……(中略)……この本は、農へのまなざしを大転換するための思想を、提案します。そうしないと、「経済」至上主義にもめげずに生き延びてきた、赤トンボに代表される身近な自然と、赤トンボを育ててきた百姓仕事が、滅びるからです。

●全国農業新聞評(2001年8月31日)=ねじれてしまった「百姓」と「自然」の関係を、赤トンボの視線から解きほぐす。百姓仕事が、赤トンボに代表される日本の自然を支えてきた。そのことを今、農業の側が確認し、表現していかなくてはならないのだと主張する。 公の立場を去り、NPO「農と自然の研究所」を設立した著者の「残りの人生」をかけた意気込みが伝わる。
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