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熱帯雨林で私がみたこと 【書評再録】 | |||
●日本経済新聞評(1990年9月2日)=乱伐が進む現状をリポートすると同時に、森林の破壊により生命を脅かされる先住民の生きざまを記録している。何のための開発か、考えさせられる本である。 著者は米国のフリーの女性ジャーナリスト。アマゾンからボルネオまで3年間にわたって熱帯林の奥地を取材、豊富な科学技術の知識を生かしてその生態をまとめている。足で歩いた体験から熱帯雨林を見つめている。 ●読売新聞評(1990年8月13日)=限りなく豊かといわれる熱帯雨林の知られざる生態、森に生きる人々、そして開発という名の破壊。米国女性ジャーナリストが、アマゾン、東南アジアなどの体験取材を経て届ける森からの報告。マレーシア・サラワク州の伐採の多くが日本向け輸出であるという事実の中で、われわれはまず熱帯雨林の本当の姿を知らねばなるまい。 ●東京新聞評(1990年9月9日)=アメリカの女性ジャーナリストで環境問題に詳しい著者が、アマゾン、ボルネオの熱帯林奥地を3年にわたって取材したリポート。 日本は世界一の熱帯木材輸入国だが、その森の中でどんなことが起こっているか。 乱伐による資源の枯渇はもちろんのこと、支配権や利益をめぐる争いも激化し殺害事件なども続発している。そしてだれよりもそこに暮らす人びとが大きな打撃を受けていると訴える。 ●北海道新聞評(1990年7月30日)=著者はアメリカの著名な女性ジャーナリストで、世界各地の熱帯雨林を足しげく訪れている。こうした豊富な経験に基づいて、熱帯雨林の乱伐とそれに依拠する人々の生活の破壊の状況を克明に描き出している。また、熱帯雨林の複雑なメカニズムをわかりやすく解き明かしてくれてもいる。 世界最大の熱帯木材の輸入国である日本に対しても厳しい目が向けられている。その記述のしかたは、直裁的な批判ではなく、具体的な事実でもって語らしめている。それだけに、かえって重みがある。日本企業による熱帯雨林の乱伐、植林協力の名において行なわれるユーカリなどの早成樹種の植栽などとともに、浪費的な日本社会のあり方についても考えさせられる。 ●農林水産図書資料月報評(1990年12月号)=三年間の取材をもとにして描かれた熱帯雨林とそこに住む人びとは、実体感のあるものとして読者に迫ってくる。 もともと内容がしっかりしているうえ、訳者の文章が分かり易いことも手伝って、最初から最後まで読者を飽きさせない。 本書は、熱帯林に興味を持つ多くの人びとにとって格好の入門書であると同時に、熱帯林研究者(特に社会科学者)にとっても自らの社会的役割および存在意義を再考させられる刺激的な報告である。 ●朝日ジャーナル評(1990年8月31日号)=熱帯雨林を狩猟、漁労、移動耕作などによってだましだまし活用し、森と共生する世界観を培ってきた森の民と、白い砂浜と青い海が見えるとすぐリゾート開発をしたくなると同様、森をみると木を切り倒し、むやみに平地を作りたがる開発担当者と一体どちらが地球にとって犯罪的なのか。 この病的とまでいえる森林破壊の動機を、女性ジャーナリストの筆者は、単に森を開拓して儲けるという経済的要因だけでなく、自然に対する征服欲、ジャングルという未知のものに対する恐れといった心理的要因まで立ち入って説明しようとしている。用語の選択もしっかりしていて、読みやすい。 ●婦人展望評(1990年10月号)=著者は生態学、植物学、薬学、経済学などの広く高度な知識をもつ女性ジャーナリスト。3年にわたって東南アジア、アマゾン、アフリカの現地を調査し、熱帯雨林の憂うべき現状を報告、環境保全を強く訴える。 ●新婦人しんぶん評(1990年8月31日)=アメリカの女性ジャーナリストが3年にわたって、熱帯雨林の状況を取材し、住民の声をリアルに伝えています。 「開発」が、誰のため、何のためにおこなわれているのか、するどく問うています。 ●婦人民主新聞評(1990年8月31日)=著者は3年間、熱帯雨林に住み、知られざる奥深い熱帯を経験した。その透徹した目を通して訴えられた事例は説得性を有し、我々に迫ってくる。 ●リゾートマインド評(1990年No.6)=3年間にわたって熱帯雨林の奥地を取材したコーフィールドの筆致は、ジャーナリストが陥りがちなセンセーショナリズムや性急さとは無縁のところにある。あくまでも淡々と、事実をして自ずと語らしめる彼女の筆が描き出す森の素晴らしさ。短いセンテンスの迫力と、行間ににじみ出る哀歓。心臓、すなわち命の鼓動そのものである「ビート」がロックの魂だとしたら、本書には豊かなスピードが、すなわちロック・スピリットが息づいているといえよう。 本書は、環境図書の新しい古典としてロングセラーを続ける。 | |||
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