書誌情報・目次のページへ 書評再録のページへ 読者の声のページへ
安全に食べるための基礎知識

【内容紹介】本書「新装版へのあとがき」より


 連日マスコミは病原性大腸菌(O-157)による食中毒事件を伝えている。この菌が他の食中毒と異なって恐れられる理由、特徴は次の四つである。
1、毒性が強い。現に死者が出ている。
2、少ない菌数でも発病する。
3、二次感染する。伝染病といってもよい。
4、潜伏期間が長い(約1週間)。
 これらの理由のため原因が何かが非常にわかりにくく、パニックになる恐れさえある。特に子供たちに何を食べさせればよいか、家族や給食関係者は戦々兢々であろう。
 しかしいくら騒いでもよい結果は期待できない。原因追求は専門家に任せ、この菌がすぐ身近にいてもそれを子供たちの口の中に入らないようにしよう。食中毒・食中毒菌とは、を知っていれば決してむずかしくはない。相手はたかが大腸菌なのだ。
 私たちの食事は、この本に書いてあるように楽しくあるべきで、それを大腸菌などに壊されてしまうのは馬鹿げている。油断したのだ。どのように油断したのか。日本を含む先進国が、この本の考え方の基本にある「グローバル・カフェ」……世界は巨大なレストラン……に変わりつつあることに油断したのだ。簡単で便利な食べものがどこにでも出回っている。アメリカで95%、日本で92%にまで普及した電子レンジなど象徴的な一例である。その使い方や注意点など食事を作る人は最低限知っておいて欲しいことがこの本にちりばめられている。食中毒を防ぐための本を書店で見つけるのはむずかしい。今こそ必読の本と心からおすすめする。
【内容紹介】本書「解説・訳者あとがき」より

 食べものに対する日本人の考えかたが、量から質へと変わって久しい。飽食やグルメという言葉の洪水が端的にそれを表現している。程度の差こそあれ、先進国といわれる諸外国でも同じような傾向のようである。しかしながら質への転換がなされつつある中で、もっとも本質的ともいえる「安全性」がないがしろにされているようにみえるのは、何という皮肉なことであろう。もっとも、“ないがしろ”にされたままではない証拠もいくつか見受けられる。いわく、ポストハーベスト、食品添加物、無農薬、減農薬、有機栽培、自然食品などなどをテーマとした出版物の数々である。これにダイエット、成人病に関するものを加えれば書店の1コーナーをたっぷりと形成する。しかしそのコーナーに食中毒をテーマとした本がどれだけ見つけられるであろう。
 そんな疑問をおぼろげに抱いているとき、日本のNHKに相当するというイギリスのBBC放送局が、食品衛生に関するシリーズを放送し、本にまとめたという。食べものを供給する側とそれを消費する側の両方が、ここから何かを汲みとり、“質”への転換が本物である証拠を示していただきたいと思う。

訳しながら感じたこと
 日本における日本人の食生活はどうであろう。日本の伝統食を輸出し、かわりに諸外国の諸形態を取り入れてきている。あるいは、食生活およびそれをとりまく環境を変化させてきていると言った方がよいかもしれない。たとえば鶏肉をふくむ肉食の増加である。それが悪いというのではなく、また伝統食を守れというのでもないが、今までもっていた知恵が意味をもたなくなったり、知恵そのものが失われつつあることは認めたほうがよさそうである。食生活の変化に対しては、知恵のほうも変化させなくてはいけないのが道理ではないだろうか?
 冷蔵庫のない家庭はほとんどなく、電子レンジも半数以上の家庭にある現在、この本の中で述べている冷蔵庫や電子レンジに関する知識は誰もがもっているといえるのだろうか? 庖丁もまな板ももたない家庭がこの日本にどれだけ増えているか、その家庭の食生活はどのようになっているのか、そこで育った子どもたちはこれからどういう食生活をしていくのか、想像を超えた社会がすぐ近くまで忍び寄ってきている。
 カンピロバクターは知っていても、あるいはセレウスは聞いたことがあっても、リステリアなんて日本ではまず耳にすることはない。しかしこのままいけば近いうちにテレビや新聞で大きく取り上げられる日がかならず来るであろう。
 もう一つ、食事方法の大きな変化がある。外食産業、スーパーやコンビニエンスストアの惣菜売場、弁当・仕出し専門店が増加し、拡大していることである。目に見えないところでの学校・産業給食も増えてきている。家庭にまな板や庖丁がなくてもすむのである。
 これを端的に言うなら、今までは食事を作る人とそれを食べる人が同じかあるいは密着していたのに、精神的に、時間的に、距離的に離れてきたのである。知らない人が作ったものを食べる、あるいは誰が食べるか知らないで作る、というように変化しているのだ。
 この変化の中でちょっとした無知や不注意からくる思いがけない被害という、当事者にとって重い、暗い部分からこの本は目を離してはいない。被害を受けることによってのみ改善が行われ、進歩するというのであれば、犬や猿に芸を仕込むのとどれだけの差があると言えるだろう。その間どれだけの犠牲者が必要だというのだろう。地球の支配者である人類は、まだその程度なのだろうか。作る側も、それを食べる側ももう少しの努力が必要なようである。
 日本でも過去において死亡事故をともなう数々の食中毒事件があった。そのつど対策がとられてきたが食中毒はなくなってはいない。むしろ一件あたりの患者数が多くなる傾向さえある。
 その意味でも本書に述べられている「グローバル・カフェ」という見方は興味ある考えかたであり、とくに食べものを供給する側は心しなければならないであろう。残念ながら食中毒が多発するのは気温が高い夏であることは統計的に事実であり、それを人が克服しきれていない証拠にもなっている。地球の温暖化が進めば海面の水位が上がるだけではなく、食中毒も増える可能性は十分にあるといえよう。
 この本の目的は、あくまでも楽しい食生活をするためにもう少しの知識をもつよう努力しよう、ということで前向きの姿勢を保ちつづけている。この「あとがき」で述べたようないくつかの変化の流れはけっしてこれで終わりではなく、これからもますます続くことは明らかである。
 食べものを提供する側からいえば、たとえば、この本にも述べられているクックチル食品、真空調理食品、さらに加圧食品や、いわゆる機能性食品などすでに一部出まわりはじめている。殺菌方法としてのオゾン利用も実用化されてきている。より楽しい食生活、より豊かな食文化の創造に期待しよう。そしてその改善のための犠牲者になることは念のためだが、お断りしておこう。

トップページへ