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砂と雷鳴 【内容紹介】本書「後記」より | |||
56歳という短命でこの世を駆け抜けた父、村崎義正の生涯は、暗雲がたちこめる中に鮮烈な光芒を放ち低い唸りを轟かせる雷鳴そのものであった。 父の目付きの鋭さは人も社会もその本質を見抜いてしまう深い洞察力の表われであった。またそのつつみ隠さぬ裸の生き方は誠実さを印象づけ、父の勝負強さの秘訣ともなった。初対面の人には近よりがたい凄みを感じさせていたようであるが、付き合ってみればものわかりの良さと率直さで、ついつい話に引き込まれてしまうほど、人なつっこい人間であった。私は幸いにして、父が四面楚歌、進むも戻るもできぬ苦境に立たされる場面に居合わせることができたが、父はそのたびに周囲があっと驚く手を打って逆境をはねかえし、心が沸き立つような道を指し示すのだった。まるで、出エジプトのモーゼのように……。本書を読んでくださった皆様には、およそ現代には生まれえない強烈な個性をもった父が、いかにして誕生し成長したかを、ご理解いただけたことと思う。 本書は1977年4月より1980年10月まで、部落問題研究所発行の月刊誌「部落」に「子育て繁昌記」というタイトルで連載されたものをまとめたものである。子育てという観点からすると連載された内容は未完であり、晩年、父はその後の兄弟や息子たちをはじめ、多くの若者たちの成長の軌跡を書き加えて完結させたいという欲望を抱いていた。その志を遂げる余裕もなく急逝したことが残念でならない。しかし、村崎義正という強烈な個性が確立するまでの半生記とみなすならば、本書は充分その意を尽くしているのではないかと思われる。また、書名もそれにそって改めた。 「花いっぱい国体」後、父の活躍はとどまるところを知らず、そのエネルギーは故郷高州を足場に、山口県から全国へと広がっていった。政府も重い腰を上げ、同和対策事業特別措置法の制定を契機に本格的な施策を実施するに至った。高州は生まれ変わった。本文中に、「太郎が恋をする頃までには」と誓い合うシーンがあるが、ここ光市では、部落差別が象徴的に現われる結婚や就職の面でも、今では充分な成果が上がってきており、父のように夢見ることや恋することを奪われるという悲劇は、過去のものとなりつつある。父がよく話していたことであるが、「部落の人は差別で痛めつけられちょるけえ差別には強いけど、本当に不幸なのは部落外の人たちじゃ」。差別する人、される人という分け方は父の中にはなく、差別で苦しむのはまさに日本国民すべてであり、この問題は部落の人たちだけの問題ではなく、皆の問題であり国民的課題だと考えていたのである。 本書の最大の山場である高森事件のその後を報告しておこう。父を含め4人が職務強要、脅迫、暴力行為など12の罪名で起訴され、1964年3月に初公判が行なわれた。以後、68年4月の判決まで延べ33回の公判が続き、その結果、判決は12の罪名のうち11が無罪となった。完全無罪とはならなかったものの、山口県における解放運動の芽を双葉のうちに摘み取ろうとした為政者の企ては失敗した。地元の高州をはじめ、広範な応援があったことはもちろんのこと、立場の異なる故松岡市長までも公判で弁護の証言に立ってくれたのである。判決言い渡しの後、裁判長は「君たちは部落解放運動にとって大切な人材だ。つまらないことで道草を食ったのでは、部落の人たちに申し訳が立たないと思う。自重し勉強し、立派な功績を残されるよう、そして宿題を達成されるよう心から希望してやまない」と結んだということである。 私を含め5人の兄弟は、父が部落問題の真実を掴み取り、解放運動に邁進する時期に生まれ育った。父が人間的に成長する姿を垣間見て育った私たちは幸せであったと思う。父の活動の場はほとんど家庭を離れたところにあったが、その忙しい渦中でも私たちの子育てには並々ならぬ関心を寄せていたことが、今になって理解できる。父は晩年、解放運動の第一線から退き、その情熱を周防猿まわしの復活と発展に注いだ。とかく浮草稼業の芸能から脱皮するために熊本県阿蘇山麓に建設した猿まわし劇場は、父の遺作であり、日本の子供たちへのまたとない贈り物ともなった。現在、私たち兄弟全員が猿まわしの調教師であり、父の遺志を受け継ぎ、力を合わせて猿まわしの新たな展開を模索しているところである。昨年は初の芸術祭参加で芸術祭賞を受賞し、今年は父の念願でもあった海外公演をアメリカで実現した。父の人生もダイナミックであったが、息子たちも負けてはいない。父にすれば子育て繁昌記、面目躍如というところかもしれない。 本書を刊行することは残された母、節子と息子たち全員の切なる願いであった。しかし、さまざまな事情から、出版にこぎつけるまでには紆余曲折があった。それはともあれ、この物語には時代を超えて人々に伝え得るさまざまなメッセージに溢れているのではないだろうか。父の強烈な生き方の中に未来を生きる私たちが再確認すべき普遍性があるのではないか。それは読者の判断にお任せするしかないが、まずは本書をなるべくたくさんの方に読んでいただけたらと願ってやまない。 | |||
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