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沖縄の祖神アマミク 【内容紹介】本書「本文」より | |||
『おもろさうし』に学び、島々の神歌を追って沖縄の各地をめぐるうちに、沖縄の祖先神といわれるこのアマミクが、私の脳裏を去らなくなった。ところが、長い間こだわり続けてきたアマミク神にかかわるフィールドワークだったのに、ここ数年前から、若い頃には視野に入らなかったある一つの景観に気づくようになってきた。
高からぬ丘陵を背にした集落、全面の海に広がるサンゴ礁に囲まれた海幸豊かなイノー(礁湖)、流れ入る小流に沿って拓かれた小規模な耕地(迫田)、そしてそのもっとも奥まったところには神田と聖地があり、小高い丘に囲った住居地をアマグシク、あるいはアマングシクなどと呼んでいる。かんたんにいうと、これが神祭りと神歌を育んだ村々の景観であり、これを私は「アマミクの里」と呼ぶことにした。 沖縄各地で見られる景観であるが、これが「アマミクの里」の構造としてはっきり私に迫ってきたのは、沖縄本島北端の辺戸、西海岸に出ばった本部半島の突端備瀬と半島の付け根の屋我地島周辺、国頭村の奥間・比地を訪ねた時であった。 奥間ターブックワ(田圃)は、北部西海岸の大きな稲作地帯であった。辺戸岬から本島西海岸を南下していくとき、最初に突き当たるのが奥間の西方に出ばったアカマル(赤丸)崎の突起である。西海岸沿いにここに辿り着き上陸した往古の人々は、鏡水の浜にかけてのイノーを海の畑、すなわち生活空間として活用しながら、比地川を辿って流域に稲作地を拓いていったと思われる。比地川を遡った突き当たりの小高い杜をアマングシクという。アマミクの造ったグシク(生活跡地)の意であろう。 さらに、奥間・比地では、稲作を伝えた神の名をアマミクと伝承している。アマングシクの南側には神が天降りをする小玉杜という御嶽があり、海とかかわりの深い神祭りのウンジャミ(海神祭)が営まれる。小玉杜のすぐ脇にはアマミクの宮(通称山口神社)があり、その南斜面を降りていくと、ミルク田と呼ばれる神田がある。集落の伝承は、そこでアマミク神が集落の長老に稲作を伝授したと伝えている。比地の村芝居で語られるユングトゥ(誦み言)は、耕地を拓いて行なう稲作の手順を季節を追って述べ、神酒をかもして神祭りをするという内容で、豊穰予祝の神歌の典型である。奥間・比地集落には、祖神アマミクの記憶がきわめて鮮やかに焼きつけられているのである。 | |||
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