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斎藤茂男取材ノート4
われの言葉は火と狂い

【内容紹介】本書「まえがき」より


 徳島ラジオ商殺し事件---といっても、地元の徳島県下ならともかく、ほかのところではそろそろ記憶から消えてしまったか、消えかかっている事件ではないだろうか。
 ああ、あの再審でやっと無罪になった女の人の……と、思い出す人はどのくらいいるものだろうか。まして、冨士茂子という名前がピンとくる人は、それほど多くはないだろう。なにしろいまの世の中、まるで毎日模様替えするショーウインドーさながら、きのう新しいとされたものがきょうはもう色褪せて古いものとされ、頭のなかを雑多な情報が駆けぬけていくあわただしいばかりの毎日なのだから。
 「取材ノート」第四部でこれからお読みいただくのは、そんな、すでに薄すらとほこりをかぶっている冤罪事件の取材記録である。
 私は共同通信社会部の記者になって6年目に、本文にあるようないきさつでこの事件と出会った。それからかれこれ四半世紀という長い間、この事件に私はこだわりつづけた。
 「わたしは、絶対にやっとりませんツ」
という冨士茂子さんのきっぱり言い切る声が、耳元を離れないように思われ、気がかりでならなかった。彼女の悲痛な訴えを知ってしまったことが、彼女から多額の借金でもしたように思われ、いつかその借りを返したいと念じつづけた。それだけに無罪判決は私自身の長い記者生活にひとつの決着をつける朗報であり、ようやく肩の荷を降ろした気分だった。
 そして同時に、取材を通して見たこと、感じたこと、考えさせられたことを一冊に集約して、この冤罪が私たちに告げているものを多くの人に報告しなくては……とまたしても借金を背負った気分になったのだった。これからその決算をしようというわけなのである。
 戦後の冤罪事件のなかでも、徳島ラジオ商殺し事件は、こんなにわかりやすい学習教材はないのではないかと思うくらいの、冤罪の典型のひとつである。しかも、すべて結論が出たいまになってみると、権力をもつ側の「つい判断を誤ってしまって……」といった程度の過失が原因だったのではなく、明白な証拠がないことを重々承知しながら、暴力的にという表現が当てはまる強引さで、まったく非力の女を犯人に仕立て上げた形跡が濃いという点で、特異なケースである。
 国家権力というものの恐ろしさ、それがいったん誤った方向に回転したときに、どんな悲劇が現出するか。それがまざまざと立体像として表現されているのがこの事件なのだ。
 ではなぜ冨士茂子さんは犯人にされてしまったのだろう。そのことはこの事件のもうひとつの意味を考えるうえで大切な視点である。
 彼女は二度の離婚歴があり、カフェーの女将だったことがあり、法律上の婚姻関係がないのに、いまふうに言えば事実婚で愛人の子どもを生み育てながら、男性と互角に働いている---そういう女だった。
 そんな彼女の生き方が、戦後まだ十年もたっていない時代の地方都市で、周囲からどんな視線で見られていたか。男性が圧倒的優位にあった時代状況のなかで、検察官・裁判官として「国家」の安定秩序を第一義とする立場の男性たちが、そういう女性をどんな目で評価していただろうか。男の庇護のもとで言いなりになる可愛い女ではなく、したたかで、気性のしっかりした、嫌な女……そういう女性差別意識の根強い構造から発する偏見が、この冤罪の背景にはある。
 冨士茂子という女性はそういう時代の意識が生んだ女の受難を小さな体に引き受け、しかし痛めつけられても踏まれても、ついに屈することなく抵抗しつづけたという点で、この事件は戦後の女の歴史をも浮かび上がらせている。
 そして名もなく、政党や労働組合や大企業など、大きな組織のバックアップのないただの市民が、この闘う女を軸に力を結集し、ついに国家権力にその非を認めさせたという事実は、戦後の民主主義が生んだ貴重な価値であり、大きな遺産だったと言っていいと私は思う。
 これから私の取材の足どりをたどりながら、その遺産が生まれるにいたった道筋をご案内していくことにしよう。
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