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斎藤茂男取材ノート3
娘たちは根腐れて

【内容紹介】本書「まえがき」より


 子どもたちは救われないなあ……と考え込まされる場面に、近ごろよくぶつかる。
 先夜、民放テレビで放映していた市立中学受験戦線の舞台裏もそのひとつだった。“公立中学ばなれ”は年々いちだんと進んで、東京・山手の小学校などには6年生の7、8割が私立中学を受験するところが少なくないようだ。近ごろは早くも小学校2年生から進学塾へかよって受験勉強に明け暮れる子どもが多くなっているという。
 そんな勝ち抜きレースの過熱状態につけ込む受験産業屋も当然出てくるわけだが、そのテレビ番組に登場した塾の場合は、一カ月の特訓で必ず希望の私立名門校に合格させるという約束で、300万円の特訓料を取っていた。いったいどんな特殊技術があるのか、それほどの大金を要求する業者のしたたかさにもあきれるが、買えるものなら受験用学力を現ナマで買ってしまおうという親も親だ。
 ところが、この番組を見た親たちから、その特訓塾の連絡先を教えてほしいという電話がテレビ局に相次ぎ、中には「うちは1000万円出してでも合格させてやりたいから、ぜひ教えて」とねばる母親もいたそうである。
 欲しいものはなんでもカネで買うのだ、自分にはそのカネがある、なにが悪いのかという傍若無人の暴力的エゴイズムを感じさせるところは、いま世界のあちこちで怨嗟と顰蹙のタネをまき散らしている“カネ持ち日本”の姿そっくりだ。
 札束と引き換えにどんな“学力”が子どもの身につくのか。親の欲と見栄を背に、栄光レースを勝ち進んでいったあげくに、どんな「人間」ができ上がるのか。寒々しい想像が広がる昨今の教育状況だが、これは1960年代に、日本が経済成長の急坂を昇りはじめたころ、「教育」が「経済」の下僕に位置づけられ、カネもうけの手段にさせられたときに胚胎していた矛盾の、必然的な結果である。
 そしてそれは、高度成長路線の最前線にあった労働現場に、経済効率最優先の大合理化の波が襲い、「人間」をカネもうけの道具にしていった足どりとぴったり重なり合う。
 この「取材ノート」第三巻には、高度成長を軸に、「労働」と「教育」の現場を、あちこち取材して歩いていたころの記録を収めることにした。
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