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三〇代が読んだ『わだつみ』 【内容紹介】本書「あとがき」より | |||
この仕事を引き受けた時、はじめ、これはとてもつらい作業になるのだろうな、と思いました。何しろ、ただ読んで解釈してみせればいいというわけじゃないのだから。50年の時空をこえて、異なった魂の出会う意味を、見つけださなければならないのだからな。そう考えていました。
「これは真剣に向かい合わなければな。『わだつみ』に」そう勢い込んでいました。でも、書いているあいだ、ずっと真剣でいることなんてできるのだろうか?「Don't trust over-thirty」と言いますが、酒も呑めば人間関係でインチキもすれば痴話喧嘩もする実にナマナマしく現在を生きている三十男が。それに、相手は21歳や22歳といった年齢の、新しくしかも死生の悩みを越えようとした魂たちです。途中でぼくは自分が恥ずかしくなって、またもや文庫本を打ち捨ててしまうのではないかしら。 ところが、ぜんぜんそうは行かなかったのです。1行1行を辿ることが、探せばどんどんつながってくる参考文献の橋を渡ることが、新しい発見の連続で、「俺は今までどういう情報環境に生きていたのか」と頭を抱えました。戦後史の中で忘れられ片隅に押しやられていた豊かな水脈が、そこにはあったのです。ぼくははっきりと、それに惹きつけられました。 しかし、いかに新鮮な感銘を受けても、それを文章にすることは容易ではありません。僕の技量のせいもありますが、どうしても文章の中に入りきれないのです。彼らの精神の水脈が。やっぱりつらい作業ではありました。 そうした日々のある時、ふしぎなことが起こりました。 夕暮れ近い舗道、暮れなずんでしかしまだ青い空を見上げた時、不意に、ある解放感が、至福の感じが降りて来たのです。僕は〈彼ら〉に支援されている。そう確かに感じたのです。〈彼ら〉が読み、考え、書いたこと、その清新の気に、全身が洗われる思いがしたのです。 まえがきに「まだ心は新しい」と書いた30代たる僕も、実は心を古びさせ始めていたのかもしれない。そのことに気づかされました。 今では、親しい〈彼ら〉がともにあり、考えつづけることに向かって、僕を支えてくれる感じがします。 彼らはいつでも現われます。電柱の陰、あの屋根の上に。ぼんやり曇った窓硝子の向こう、雲の峰に、眺める海に、すれ違う電車に、ほら、そこに、ここに……
あの戦争についての認識も、ずいぶんと変わりました。
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