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「30代後半」という病気 【内容紹介】●本書「本文」より抜粋 | |||
なんだかきゅうに身辺があわただしくなってきた。世界中が僕に質問しているような気がする。 ・このままこの仕事を続けていくのか? ・このアパートにいつまで住んでいるの? ・お子さんはまだですか? ・お前は自分の「後半生」について少しでも考えたことがあるのか? ・親も老いてゆくぞ。どうするんだ? ・世の中不景気で先行き不安だ。おまえは大丈夫か? ・定期検診には行ったか? ・いいかげん親知らず抜けよ。 ・休みの日には寝てないでジョギングぐらいしたらどう? 体力落ちてるよ。 ・頭も悪くなっているみたいだ。今のうち英会話教室にでも通ってみたら? ・性格も悪くなっている。最近心がせまいよ。「貧すれば鈍す」だね。 ・人生考え直すなら今のうちだぜ。いや、もう遅いかもしれんが。 ・こうパーッと、風向きが変わるようなことないの? ・ほら、そうやってふて寝してないでさ。 ・大丈夫、未来は君のものだ。今起ちあがりさえすればな。 こういうのが一日中頭のなかをぐるぐるしていて、気がつくと日が暮れている、どころか午前3時だ。そうして今日もそれからワインなんか飲みにかかり、何とか眠りをおびき寄せようとする。しらじらと夜が明けてゆくのを感じる布団の中、朝刊が届くストンという音を聞く。 このごろ、人生あんまり快調じゃないというか、エンジンでいえば吹け上がりがよくない。つらつら思い出してみるに、30代前半まではものすごく快調だった。そのあともやもやしてうまく思い出せない30代半ばのころがあり、ふと気がつくと30代も終わりに近づき、夜明けに新聞が配られる音を聞いている。 虫歯以外どこも悪くない体で。 想いだけをわずらわせて。 僕はこう感じている。人にもよるが、30代後半って、いろいろな現実がいよいよ現実的に、もういいかげん猶予も終わりなのさという感じで、どさどさと押し寄せてくる年代ではないのか。青年の頃の疾風怒涛の毎日とはまた違った意味で、「怒濤だなあ」と思うのである。 30代前半までは、こうではなかった。未来は不定形の期待に満ちており、まだまだ、人生どうなるかわからない/決めることもない、という意識だった。それがいつの間にか、まるで何かの罠にかかったように不意に、「決定」を迫られている。少なくともそういう気がする。 こういうのって、決して僕だけじゃないのじゃないか? | |||
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