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21世紀のサムライ 新・武士道が日本の未来を切り拓く 【内容紹介】●本書「著者からのメッセージ」より | |||
21世紀、日本人と西洋人との自由な交流はますます盛んになる。言葉の壁はなくなり、査証の問題も消え、経済が持ち直せば、ニューサムライの活躍する機会は大きく広がるだろう。国内で、そして海外で、個人や団体が外国人との共同事業に乗り出し、その際ニューサムライは従うより、指導する立場に立つことができる。本書は来たるべき21世紀、こうした役割を担いたいと考える人のために書かれた。歴史という鏡を通して、われわれは自分自身を客観的に見、必要な適応を行なっていくことができる。 読者はここで尋ねられるかもしれない。どこにいったい、そのニューサムライがいるんだ、と。彼らは、その振る舞いによってきっと読者の注意を引くことだろう。学校教師、大学教授、研究者、銀行家、建築家、ケーキ職人、原子力技師、言語学者、芸術家、ファミリー、カウンセラー、牧師、環境問題専門家、設計士、大使館員、公務員、対外援助スタッフ、企業家などなど……。彼らは日本各所に散らばって働いている。私はその彼らの何人かを実際、知っている。 ニューサムライは社会に奉仕するため、「自己」への束縛から解き放たれている。評判にも対立の構図にも、個人的に損得勘定にも影響を受けない。逆に、与えられた仕事に自らの身体を、知力を、そして精神を惜しみなく捧げることができる。その生活は他人の生活と分かちがたく結びついている。そう、他人と悩みや喜びを共有することに、意味を置いているわけだ。こうして自己が達成されていく。まず世界の創造者にして道徳的支配者たる存在に対して、ついで周囲の同胞に対して、自己は達成される。こうした生き方が、ニューサムライの究極の目的や方向を示している。彼らの生活はだから高い意義をもち、真の美に取り囲まれ、普遍的な交わりがつくられて、尽きることのない深い喜びと生きがいが、この世で実現していくのである。 | |||
【内容紹介】●本書「訳者あとがき」より | |||
本書を日本人の目でとらえるとき、最大のテーマとして浮かび上がるのは日本人の「心」の問題である。宣教師であるコーウィン氏には、それを研究、分析するにとどまらず、一人ひとりの「心」と渡り合ってしかるべき方向へと導いていく必要があった。 日本人の精神の核をなすとされるのは、「武士道」と呼ばれるサムライの道徳である。意識する、しないはともかくとして、われわれ日本人の「心」のあり方に武士道が重大な役割を果たしていることは確かである。 質実剛健で忍耐強く、自己鍛練を怠らない。他人や組織、また主義のために身を捧げることのできる忠誠心と協調性、高い理想……などは、しばしば武士道の徳目として指摘されてきた。一方で、武士道の限界として氏が指弾するのは、そこに時間や空間を超えた「普遍なるもの」が見出せない点である。民族性がもっともわかりやすい形で現れる外交政策、とくに明治後半以降、日本が何度も選択した「戦争」という一外交手段には、そのジレンマと限界が凝縮していた。本書にはロシア革命直後のシベリア出兵をはじめ、日本が関わった20世紀の戦争や紛争の顛末と、その中で翻弄され、「何を基準にして生きるべきか」を問われつづけた個人の姿が、興味深いタッチで描かれている。 「戦争とイデオロギーの時代」と言われる20世紀、人類は多大な損害と引き替えに、協調と共存こそが次世紀のたどるべき、唯一の途であることを悟りつつある。もはや日本だけが民族の大義を振りかざし、この世界の流れに逆らうことは道義的にも、また現実的にもありえない。氏は説く。いまこそ、日本人がその称揚すべき武士道的特質の大部分にプラスして、動じることのない信念と、明日をより真摯に見据えるビジョンと、こだわりや限定のないグローバルな人類愛とを併せ持つべき時ではないかと。 著者は来たるべき21世紀、日本人が世界の表舞台で指導的な役割を果たすことができる、と強調する。《伝統+α》が、日本人のためにかつてない可能性を生み出していく。「未来へのよきガイドブック」と著者自ら銘打っているように、本書は誰よりも日本人を励まし、指南する、「新・武士道」ともいうべき最新の日本人論なのである。 | |||
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