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銃を持たされた農民たち 千振開拓団、満州そして那須の62年

【書評再録】


●朝日新聞評=老人、病人、女性、子どもだけで敗戦の日を迎え、逃避行の果て帰国し得たのはその3割弱。身を寄せ、再び荒れ野を開墾しつつ、今日に至った団の軌跡を伝える写真・文集。記憶をたどる証言者の表情、大切に保管された写真群に、人々を翻弄したこの国の現代史を見る。

●朝日新聞・栃木版評(1996年3月6日)=第二次大戦前、治安維持や営農のため「武装移民」として旧満州に渡り、戦後、那須町に入植した「千振開拓団」の元団員たちを3年間かけて追った写真と証言集。農民たちのアップの写真は顔に刻まれた深いしわや節くれ立った指を鮮明にとらえ、体験をつづった文とともに、彼らが激動の戦中・戦後をどう生きてきたかを語りかけている。国策に翻弄されながらも自分を信じて生き続けた彼らのたくましさを、身にしみて感じた。

●読売新聞評=戦時中から半世紀以上にわたり、開拓に生きてきた人々を追ったグラフィック・リポート。一人一人の顔に深く刻まれたものを凝視していると、全員違ってみえ、全員同じにみえる。同じにみえるときにその底にあるのは、開拓は国策だったが満州では全員が捨てられたという史実である。光と影の生かされた静かな強さと質実な味わいのある作品だ。

●下野新聞評=満州開拓の募集に応じ、小銃などで武装・移民した「千振開拓団」。この開拓一筋の人生を描いた証言写真集。国策に翻弄されつづけた人々の62年間におよぶ厳しい人生が浮かび上がる。

●日本農業新聞「時評」(1996年1月17日)=苦労して今日を築いてきたが開拓団の人はまさに、国策に翻弄されっぱなしの中で自分を見失わないできた。武装移民として満州に渡った人たちはもう80代の後半になる。その人たちの話を語りつないでいかないと、また、同じことが繰り返されないとは言い切れない。
戦争はなんの罪もない庶民を巻き添えにする。巻き添えにされた庶民がここにもいるんだ、ということを著書でいいたかった。
戦後50年。戦争が風化されようとしている。今からでも戦争の悲惨さを、新たに未来に語り継ぐ必要がある。

●全国農業新聞評(1996年1月1日)=「千振の人たちの話を聞いてみると、ロクな開拓政策もないのに義勇軍万歳万歳で満州に送りこまれた。満州事変が昭和6年、私の生まれが昭和5年、その翌年から15年戦争が始まった。あのころ20代の青年が国策に翻弄されながら、どう生き抜いてきたのか。その内奥に迫り、記録したいと思いました。その中には保守系の町会議員もいますが、戦争はコリゴリ、あれは地獄だというんです。平和に勝るものはないというんです。政党政派、思想信条をこえてこれは共通の感情です。」

●養牛の友評(1995年12月号)=本書は、著者の写真集を基調に、満州移民初期に渡満した武装移民・千振開拓団の方々の、移民から戦中戦後へかけての貴重な体験と、戦争に対する思いのたけを記録したものです。最初に感じたことは、「優れた語り部の隠された昭和史」ということでした。順風満帆の時は束の間、敗戦により突如として襲った地獄図、自らの不遇に嘆き、関東軍を恨み、国を呪った長く辛い日々。帰国後も体を休める暇もなく荒野に挑み、80歳を半ば越してもなお現役の方がおられるということです。敗戦寸前に男子が招集を受けたために、ご婦人方のお話には心打たれるものがあります。
農業関係者に限らず、特に若い方々に読んでいただきたい良書です。

●酪農事情「私の新刊書」(1996年1月号)=「千振」開拓に取材に行きました。その時は、満州から引き揚げてきた人々を記念に撮してみようという軽い気持ちだったのですが、取材を始めてみて、彼らが生きてきた歴史とその内容の重さに圧倒され、これは「千振開拓」に焦点を絞り込み、本気で取りくんでみようと心に決めました。
希望に胸を膨らませて渡満してから62年が過ぎ、多くの仲間が他界した中で、今を元気に生きる彼らに接し、国策に翻弄されながらも自己を信じて生き続けてきた彼らに、心からご苦労様と申し上げたい気持ちとともに、無限の愛情を感じたのです。その感情が底辺にあって、そしてこのようなことが二度と起きないためには、自由と平和を守ることがいかに大切かを訴えたい、この気持ちが今回の出版につながったのです。多くの方々に、この本をぜひ見て・読んでいただきたいと思っています。

●新婦人しんぶん評(1996年1月18日)=43人の写真と証言が一人ひとりの過去と現在を浮かび上がらせる。深いしわをきざんだ、その穏やかな表情は、国策に翻弄されながらも自己を失わずに生きた人びとの誇りを伝える。那須で獣医を営み、埋もれさせてはならない歴史として世に送った著者の思いがひしひしと伝わる。

●赤旗「潮流」(1995年12月1日)=日本リアリズム写真集団の大洞東平さんが、ある開拓団の生存者の「いま」を追い、写真集にしました。武装移民として満州で開拓にあたり、命からがら逃げ帰って、戦後は栃木県那須でふたたび開拓に挑んだ人たちです▼42人を写し、話を聞いています。身の上に多少の違いはあれ、たどった道はほとんど同じ。男性は農家の二、三男で銃を持たされ、最後は召集令状もなしに「根こそぎ動員」。奇跡的に「米寿」「卒寿」まで生きてきました▼女性は「集団花嫁」で渡満、「根こそぎ動員」で男をとられたあと敗戦、逃げる途中2人、3人の子どもを亡くし、電気も道もない那須の荒野へと分け入りました▼写真の顔がいい。きざまれたシワが喜怒哀楽を語ります。

●赤旗評(1995年12月4日)=“武装移民”として15年戦争期の「満州」に移住した農民たちの証言をまとめた写真集。
ソ連参戦にともなう逃避行のなかで子どもを失った女性、軍隊に動員され捕虜となり、シベリア抑留で背骨をいためた男性……。一人ひとりに密着した写真の数々から、農民たちの半世紀以上にわたる歴史の年輪が伝わります。
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