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富士山の噴火 万葉集から現代まで

【書評再録】


●朝日新聞「らいたあ登場」欄(1992年5月25日)=「富士山が噴煙をあげたとしたら、首都圏に、長期間、重大な影響をもたらすようなことが起きるのではないか」
つじさんは「警戒すべきものを警戒していないのではないか」と、疑問をいだき、この本を書いた。
データを年表にして整理してみると、今まで空白とされてきた中世の富士の噴煙が見つかり、各時代の東海、南海の大地震の直後や直前に噴煙が始まることが明らかになった。「東海・南海の地震と富士の火山活動は密接に関連しているといえますよ。むしろ、噴煙のない状態が長く続いているいまの富士が異常なのです」

●朝日新聞評(1992年4月2日)=富士山の火山活動を「竹取物語」や「万葉集」などをはじめとする古文書から探り、今の静かな富士山がむしろまれな状態であることを浮かび上がらせている。

●産経新聞評(1992年6月4日)=万葉集所載の柿本人麻呂の歌や竹取物語の末尾の一説から始まって平安・鎌倉・江戸時代までの和歌・紀行文などを資料に噴煙を上げていた富士の歴史をたどる。
宝永の大噴火後、遠くから噴煙が見えない時期が約300年続いているが、これはむしろ異常なこと、富士の火山活動は東海また南海地震と密接に関連していることなども鋭く指摘する。

●東京新聞評(1992年6月21日)=第一線の科学者が古文献を詳細に検討し、富士山の活動の跡をたどった。例えば「竹取物語」で、月に戻るかぐや姫からもらった不老不死の薬を、帝が日本で一番高い山の頂上で焼き、その煙は今も絶えないというくだりは、9世紀後半に富士山が噴煙を上げていたことを物語る。

●京都新聞評(1992年5月14日)=「その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ、言ひ伝へたる」で結んだ『竹取物語』、「夕暮れは火のもえたつも見ゆ」と記された『更級日記』、恋する思いを噴煙に例えた『万葉集』の歌など、80種を超す文献や15000余首の和歌から富士山の噴火活動を分析。

●科学評(1992年7月号)=歴史地震の専門家がその手法をそのままに、対象を地震から火山へとかえて適用した稀有な試みである。本書は産経新聞の地方版に連載された解説記事に修正加筆した全54話からなり、一般読者を強く意識し、ときには関西弁もまじえたソフトで平易な語り口を備えたものである。1話の長さも平均3〜4ページと短く、1話1話が異なるトピックスをもつもので、どこからでも好きなときに読みはじめることができる。
歴史時代における富士山の噴煙活動の消長の様子がみごとに明らかとなった。

●地理評(1993年3月号)=富士山は286年もの長期にわたって静穏である。ただし、富士山の有史における活動史のなかでは、この長期の活動休止が異常であることを本書は説いている。
著者は古地震や津波を研究している科学者である。科学者の眼で古くは万葉集、古今和歌集などの和歌、あるいは竹取物語、更級日記など近代、現代の文学作品などを資料として、富士山噴火の歴史をたどっている。
新聞連載そのままに54話に分けて、自由奔放に論を展開している。

●日本歴史評(1992年10月号)=万葉集や平安時代の物語文学、鎌倉時代の紀行文、さらには江戸時代の地誌などから幅広く富士山噴火活動の記録を採訪し、噴火の歴史的様相を54話構成で描いたもの。歴史事象の自然科学による解析によって、富士山の火山活動が極めて詳細に提示されている。また各話完結方式で門外漢にも読みやすい。

●学燈評(1992年5月号)=富士の火山活動が、日記・説話・和歌・紀行文ではどのように書かれているかを、地震学者の著者が、万葉集から現代までの資料を渉猟してまとめた。

●地団研そくほう評=「富士火山活動文献年代図」は700年以降の富士山の火山活動と巨大地震とを古文献から検証した著者の労作であり、富士山頂に噴煙のあった時代を知るための貴重な図でもある。
本書は富士山の火山活動に興味をもつ人ばかりでなく、富士山を訪れる人びとに富士山の地学案内書として一読を薦めたい一冊である。

●赤旗評(1992年5月25日)=昔、富士山はどういう火山活動をしていたのか。時の権力者が残した公式の歴史書には、大きな被害があった噴火のことはともかく、静かに煙が出ているだけの時期の記録はありません。その空白は、古典や民衆が残した各地の古文書によって埋められました。
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