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ネイティブ・アメリカン=叡智の守りびと

【内容紹介】本書「訳者まえがき」より


 1492年、クリストファー・コロンブスが「新大陸」に足をつけた時、そこにはすでに数千万人の先住民が暮らしていた。彼らは太古の昔から、厳しい自然環境のもとで、万物との調和の中に生きる精神的、物質的な術を養い、独自の文化を築いてきた人びとである。大陸の植民地化が進み、土地を奪われ、居留地という小さな枠の中に追いやられた今も、何千年にもわたって受け継がれてきた先住民の叡智を今の世に伝える人びとがいる。著者はこの人びとをウィズダム・キーパー--叡智の守りびと--と名付けた。
 1992年のコロンブスの大陸到達500周年以来、アメリカではコロンブスの訪れをめぐりさまざまな催しや議論が交わされてきた。コロンブスの「発見」を祝う行事が次々と行われる傍ら、コロンブスによってもたらされた「侵略」の始まりを追悼し、正しい歴史を知るための動きが、ネイティブ・アメリカンや、教育者やメディアの呼びかけによって各地で始まったのである。多くのアメリカ人にとってこの500周年はコロンブスの到来によって失われたアメリカ先住民たちの真の歴史、生活、世界観、自然とのかかわり方を発見する機会でもあった。本書「ウィズダム・キーパー」は、そのような背景のもとに出版された本である。
 ライターであり、写真家であるスティーブ・ウォールの写真と、ライターのハービー・アーデンの文章は、108年の歴史を持ち、世界180カ国で920万人の購読者を持つ「ナショナル・ジオグラフィック」誌の誌面を飾ってきた。その長いキャリアの中で、彼らは10年以上の歳月を費やして全米各地のインディアン居留地を訪ね、ウィズダム・キーパーたちの言葉を記録してきた。本書はその長老たちからのメッセージである。
 長老たちは時には淡々と、またある時は激しく語る。その言葉は決して派手ではないが、深き余韻を残す。彼らはそれぞれ異なる部族に属し、異なる土地に育ち、異なる歴史と文化を受け継ぎ、異なる言葉を話し、また、部族特有の起源説や、宗教観、そして一人ひとりの個性を持っている。が、人間が大地を所有するのではなく、大地が人間を所有している、という明確な哲学は彼らすべてに一貫している。大地は母であり、人間は生きとし生けるもの全てと調和する偉大な聖なる輪の中に在り、輪の中の存在を傷つけることは、それがどんなに小さなことでも、生命のバランスを崩すことになり、人間自身の破滅につながるというのだ。
 この世界観は本来、自然の恵みを日々感じて暮らしていた地上全ての人間が持ち合わせていたものではないだろうか。近代化によってそのような世界観が置き去りにされていく一方で、ネイティブ・アメリカンを始めとする各国の先住民たちはこの伝統的な思想を命がけで守ってきた。オノンダガ国の首長、オレン・ライオンズは言う。
「言っておくが、インディアンの秘密なんてものはないんだ。もちろん謎なんかもない。ここにあるのは常識だけだ」と。
 彼の言う常識、それは母なる地球の上に生あるものとしての常識ではないだろうか。

 長老たちのメッセージに加え、彼らの人間としての存在感が写真や描写を通じて伝わってくるのも本書の一つの魅力だ。長老たちがどのような服を着て、どのような家に住み、どのような物を壁に飾り、どのような物を食卓に置いて、毎日を過ごしているのか。しだいに、まだ会ったこともない彼らの部屋や日常が目に浮かび、子どもたちの声が聞こえ、薪の芳しい香が漂い、気がついたら昔からその人を知っていたような親近感さえ生まれるかもしれない。
 本書に登場する長老の中でも印象的な人物の一人に、ポーニー族の長老、アンクル・フランク・デイビスがいる。映画「ダンス・ウィズ・ウルブス」を鑑賞された方なら記憶にあると思うが、ポーニー族は髪をモヒカンに刈り上げ、顔を黒く塗り、容赦なく白人や「よいインディアン」であるラコタ族たちを襲う残忍な部族として描かれていた。
 が、アンクル・フランクの食卓にはクッキーが「みんなの分までたっぷり」あったのだった。インディアンの世界の「みんな」と、日本でいう「みんな」とは少し違う。居留地の人びとはみなお互いに何らかの親縁関係がある人ばかりだ。一族が集まるとなると、数百人を超えることも珍しくはない。またアンクル・フランクのような精神的なリーダーの家には常に来客があり、突然一家がワゴン車一杯で現れ、数日間泊まっていくことさえある。アンクル・フランクの言う「みんなの分までたっぷりあるよ」というのは、それらの人びとがいつ訪れてもちゃんともてなせる、もてなしたいという心遣いの表われなのだろう。ラコタ族に伝わる四つの徳の一つにウォワチタンカ(寛大)というのがあるが、このウォワチタンカの精神は、この本に紹介される長老たちの生き方そのものであり、アンクル・フランクのクッキーはそれを象徴しているかのように私には思える。

 21世紀を目前にした今、ウィズダム・キーパーたちの言葉が海の向こうの長老たちから、全ての人びとに共通する、普遍的なメッセージとして響いてくるように感じてならない。

【内容紹介】本書「訳者あとがき」より

 私がネイティブ・アメリカンの人々を通じて学んだこと、それは人間と自然との関わりを頭だけでなく、体と心全体で知り、この大地に生きとし生けるものとの聖なる輪の中で調和して生きていくこと。タドダホ・レオン・シェナンドア氏が言うように、創造主が創られた全てのもののために生き、その破壊に力を貸さないこと。そして、自分のルーツを知り、歴史を知り、地域社会や家族を大切にするということであった。これらの教えは私が生きていくうえで大きな指針となった。また、これらを教えてくれた人々が直面する問題に目を背けず、外部の者として何ができるかを考え、行動に移してゆくことも忘れてはならないことだと思っている。
 私のもう一つの祖国日本は、経済優先のために神聖な原生林を伐採し、野山を削り、命の源である水を絶え間なく汚染し、挙句の果てに、エネルギー需要を満たすとの名目で、命の存続とは共存できない手段を選び続けている。また、自国の歴史に直面せず、国際社会、特にアジア地域での将来のあり方を見出せないでいる。国内におけるさまざまな弱者への差別が改められないまま、うわべだけの「人権尊重」や「国際交流」がうたわれているのも事実だ。民の精神が荒廃し、それを反映するかのように子供たちが互いを苦しめあい、ともに歩むすべを見失いつつある。この混沌とした状況を変えるにはどうすればよいのだろうか。ウィズダム・キーパーたちの言葉は、その鍵は実はもっと地に近いところにあるのではないかと暗示しているようだ。母なる大地の子としての意識に目覚め、大地の声に耳を傾け行動していくこと。そしてそれに必要なのは、粘り強い精神力と「信じる」ことだと長老たちが語りかけてくるように思えてならない。
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