| |||
迷える父と子への19章 【内容紹介】本書「あとがき」より | |||
昨今は何もかもが新しくなくてはいけないといった風潮があって、無節操なまでにこれまで積み上げてきたものをぶち壊してしまっています。ところがそうした破壊の行なわれている中で、それをどう組み立て直せばいいのか判らなくなってしまっている人が、どれだけいるかしれません。理由もなく、古いものはすべて放棄すべきものといった短絡した考え方から、親子の間にも会話は失われ、先輩後輩という関係にも亀裂が走ってしまったりしています。その流れが激しければ激しいほど、とても一人や二人の力では、抵抗することもできはしませんが、それだからといってその流れに流されたまま、自分を見失ってしまっていいはずはありません。 そのために大変不安になり、おろおろしてしまうのも愚かなことだと思います。まして時代が進むにつれて、大人も子どもも孤独を強いられるような生活が広がっているのです。ただ情報に遅れまいとして友人を持つので、心の内をさらけ出して語り合える親友はいないという傾向が広がってきています。 孤独感というものは、何も今に始まったことではありませんが、今はそれを和らげ、生きる活力を取り戻していくための緩衝材ともなるようなものが、すべて失われていっているようにも思えるのです。 ライフスタイルが完全に違ってしまったのだからだと、早々と割り切ってしまっている人がいます。 何をぶち壊し、何を守るべきなのか、そんなことも一向に見極められないまま、無頓着に、ただ流れのままに流されてしまっている人もたくさん見かけます。 時の風潮に流されて、これからどう新しいものが創造されるのかといったことには無関心のまま、破壊の楽しさ、気楽さに浮かれているだけの人もいます。破壊には創造が伴っているのだということに気づいていないのかもしれません。しかしそんな風潮の中で、真剣に自分を見つめようとしている人もいるのです。ただ彼らがそれを真剣に話をする環境がないのが現状です。かつてのあの漫才ブームの頃とちょっと共通点があって、そういったことを口に出す者を笑い者にしてしまうような風潮があるからです。 何か真剣に答えを求めているのに、親、先輩、友人などに、それを打ち明ける相手が見つからなくて、一人で苦しんでいる人がどれだけいるかしれません。まだ器用に生きる術を持たない若い人が、ひたむきに生きようとすればするほど、真正面からそれを押しつぶしてしまうような風波が押し寄せているようにも思えます。 なぜこうなのか。 そんな自問に答えることもできずに、家庭で、学校で、そして職場で、彼らは孤独を噛みしめながら苦闘しているようにも思えます。もちろんわたしは、彼らの生き方をそのまま認めよと叫ぶつもりはありません。先輩たちだけを正しいと叫ぶつもりもありません。 わたしはそういうことで迷っている人びとに、こんな考え方もありますと、ちょっとしたヒントを差し上げたいのです。 何が起こっても、めげてしまったり、自暴自棄になってしまっては何にもなりません。少しでも気持ちが楽になって、もう一度鼻唄まじりで一生懸命になれるようなお話をしたいと思いました。窮屈に考えて、今以上に自分を追いこんでいってしまうということも起こりますが、どうかプラス思考で進んでいってください。後ろ向きになってしまうと、すべてが悲劇的になってしまいますし、前進していく意欲を失ってしまいます。 わたしも常に前へ進んでいこうとはしていますが、基本だけきちんとしたら、あとはあまり窮屈にはしないつもりでいるのです。 今回のエッセイは、あくまでもその基本のお話です。真剣に考えるだけ考えたら、気持ちを楽にして自分流で頑張ってみましょう。やたらに窮屈になってしまう必要はないのです。それではかえって身動きできなくなってしまいます。あまり激しく流れが変わったりするので、戸惑ってしまった結果、ただ流されるがままになってしまっていることは、とても危険です。一度立ち止まってみて、その足跡を確かめてみませんか。それからもう一度歩いても決して遅くはありません。 じっくりと足元を点検した後は、あまり窮屈な気持ちにはならないようにして、一歩一歩その目標に近づくように努力しましょう。 しっかりと気持ちの整理さえできていれば、その途中でどう苦労してもいいのです。多いに夢を見て努力していきましょう。きっとその夢はいつまでも輝いて、あなたを支え続けてくれると思います。 | |||
トップページへ |