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新・古事記伝

【内容紹介】神代の巻「まえがき」より


 一目見れば誰でもそれなりに理解できる土器などと違って、コトバと文字の壁の奥深くにある「古事記」は、現代人からあまりにも遠い。私自身「古事記」を知りたいと思ってから、私なりに「読んだ」という気がするまで、五年ほどかかった。
 むろん私が読んだのは、古写本ではない。現在「真福寺本」と呼ばれる最古のものを初めとして、いくつかの古写本が残っているそうだけれど、その写真を見ると、最古のものはただずらずらと達筆な漢字が句読点もなく並び、マシなものでもちょっとした振り仮名と読み方のマークがあるだけだ。
 これらの古写本を集め、校閲して注釈をつけ、当時の「現代人」が読めるものにしたのは、本居宣長だった。有名な「古事記伝」がそれだ。私が取り組んだのはこれですらない。1948年生まれの一市井人に過ぎない私にとって、「古事記伝」は古写本とさして違いのないものだ。私が取り組んだのは、いわば現代の学者が現代人のために編んだ「古事記伝」の一つであった。右のページには漢字ばかりの原文があり、左のページには振り仮名つき、平仮名まじりのいわゆる「読み下し文」があり、解釈の難しい部分には注釈がついている、という親切なものだ。だが、私にとっては、その「読み下し文」なるものも、異国の言葉にも等しい古文であった。また、その注釈を本当に理解するためには、さらに他の知識を要することがしばしばだった。だから、それでさえ「読んだ」気になるのに5年ほどかかったわけなのだ。
 さて「読んだ」気になった時、こんな面白いものが、こんなに市井人から遠いのはもったいないことだと思った。「古事記」には物語がある、歌がある、古代人の姿が見える、そしてたくさんの謎がある。素晴らしい古代人からの贈り物だ。それがこんなに遠いなんて、大袈裟に言えば、我々の文化の損失だ。誰でもすぐ「読んだ」気になれる「古事記」があればいいな、と思った。つまりは、面白いものを知ると、どうしても人に知らせたくなる私の性格がうずうずしたのだ。それに、男性の読者や校閲者は考えなかっただろうような、また専門家は触れないような感想や考え方がいろいろと浮かんだ。「古事記」に夢中になっていた私が、雑談にそんなことを話していたら、友人の、博識な作家の草森紳一さんが、「現代語訳、やってみたら? 注釈をいっぱいつけてさ、面白いよ、きっと」と言った。やりたい気持ちはありながら、私が古典に手を出すなんて、大それたことだ、と遠慮していたのが、この一言で吹きとび、図々しくもいそいそと私はこの本を作り始めた。
 この本がいくらかでも古代日本列島についての読者のイメージを広げるきっかけになれたら、たいへん幸せです。
【内容紹介】人代の巻「まえがき」より

 「古事記」はもともと三巻に分けて編集されている。本書もそれに従ったが、内容からすると第一巻と第二・第三巻とに分けることもできる。第一巻は「神代」の物語、つまりは神話である。第二巻からは「人代」の物語、つまりはヤマト朝廷の王統記だ。そして神話は、ヤマト朝廷の王がどのような神々の子孫であるかを説明するものなのだが、第一巻で何度も触れたとおり、実はその神々はヤマト朝廷とはほとんど関係がない。その神々は、九州博多湾岸にあった倭国、中国史書に1世紀から7世紀末までの国交が記されている倭国の神々だ。8世紀初頭になって、ようやく倭人の代表国として中国にも認められるにいたった新興の「日本国」ヤマト朝廷は、古くからの大国だった倭国の神話を拝借して自家のものにした。だから、神代記を読んでいなければ人代記が理解できない、という部分は、ほとんどない。
 以上のような考え---「魏志」「倭人伝」など中国史書に記されている倭国とは九州博多湾岸の国であり、7世紀末まではその倭国が倭人の代表国であった、という考えは古田武彦氏によって提唱され、少なからぬ人びとに支持されてきた。私もその1人だ。「古事記」や「日本書紀」を解釈するのにも、古代遺跡や遺物を解釈するのにも、この説によるのが一番、自然で納得できるからだ。けれどもこの説は、いわゆる学界が無視し続けている説である。そのせいか、二、三ある「古事記」現代語訳のなかに、この説によって翻訳し解説したものは私が知るかぎりではない。「古事記」の主役であるヤマト朝廷を、この説によって捉えた翻訳・解説書があったっていいのになあ、と私は思った。ないならば、いっそ自分で作ってしまおう、というわけで、この本ができた。
 私が「古事記」現代語訳などという大それた仕事を始めたもう一つの理由は、「古事記」について「御飯くらい」の読み物が欲しかった、というものだ。第二次世界大戦前、ご存知のとおり「古事記」は「日本書紀」ともども非常に悪用されて、日本人を侵略戦争へと駆り立てる道具になった。敗戦後はその反動で、「古事記」「日本書紀」は学校から追放され、名前だけは教えられるけれども、そこに何がどう書いてあるのか、我々一般人は知る機会を失った。読んでみると両書とも、そのものが悪かったわけではなくて、使い方が悪かったのだとよくわかる。「記」「紀」そのものに当たってみれば、ヤマト王たちは少しも神々しくはなく、欲望に満ちた人間そのものであるのがよく見えるし、一朝廷の主張する歴史というものが、いかに胡散臭いものであるかもよく見える。結局、戦前の日本人の間違い、というより不幸は、「記」「紀」に直接当たらず、悪質な学者に歪められたものを事実として教え込まれた、ということだったのだ。我々一般人が「記」「紀」を知らない現代は、その危機から少しも逃れていないということではないだろうか。「記」「紀」が描く朝廷と、中国史書の「倭国」との間にある大きな矛盾については全く教えられず、あたかも倭国とはヤマト朝廷のことであるように学校で教えられた自分の体験からして、私はそう思う。
 それにまた、知ってみると、ことに「古事記」は実に面白い古代人からの贈り物だった。「日本書紀」は煩雑、膨大な記録文書でとっつきにくいが、「古事記」は長さも適当、物語風につづられ、歌もありたくさんの謎もある。こんなに面白いものを学者だけの宝にしておくのはもったいない、私たちも日本で最も古い書物「古事記」を味わい推理し楽しみ、「古事記」でおおいに遊んでもいいではないか、とそう思った。
 ところが「古事記」の現状たるや、そうやすやすと我々一般人のオモチャになってくれるようなものではない。近づくのさえ大変だ。私がテキストにした岩波古典文学体系「古事記 祝詞」の読み下しでさえ、古典の教養のない私には最初のうちはゴリゴリの生米みたいなものだった。逆に、シロウト向けを意識した書物となると、あまりにも親切に噛み砕かれているために、「古事記」本来の謎や矛盾も見えなくなって、いわばお粥といった感じ。生米は噛めないが、お粥じゃつまらない、ちょうど御飯くらいの本があればいいのになあ、と私は思った。そんなのはないようだから、いっそ自分で作ってしまおう、というわけで、この仕事を始めたわけである。
 最後に、私が男だったら、この仕事をしたかどうかわからない。私が知るかぎりでは、今日まで「古事記」の校閲や解説や翻訳を大々的にやってきたのは、みんな男性だ。もちろん研究者には女性が少なくないだろうが、我々一般人の目に触れる範囲では、女性による「古事記」翻訳・解説はない。男性の解説や読み方を見ると、女として首をひねりたく部分もあるし、もっとこだわりたい、と思うような部分もある。私はどんなこともどんなものも、男だけに任せておかないで、女が見て考えて解釈することを尊しとしている。それで「古事記」についても、それをやろうと思ったわけだった。
 さて、以上のような次第で私はこの本を作った。その意図がうまく実現できたかどうか---不足が多いこととは思うが、読者が「古事記」を味わい推理し楽しむ一助になれば、こんなに嬉しいことはない。古代史には、自然科学と違って目に見える事実や実験に支えられた確定説というものがない。どう逆立ちしても、古代を見るわけにはいかないからだ。ましてや日本の場合、史書は8世紀以降に成立したものしかない。それで古代史の世界は、他の世界にも増して、議論百出、百花繚乱の様相を呈する。難儀なことだが、我々一般人にとっては、だからこそ楽しいともいえる。シロウトも謎を探し出し、頭をひねって推理する余地がここにはあるのだ。私も「古事記」を材料に勝手に頭をひねっていろいろと推理を楽しんだ。読者にも独自の推理を楽しんでもらいたい。そのために、大幅な意訳は極力控え、できるだけ原文の書き方を反映するように努力したつもりだ。
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