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森と人間の歴史

【内容紹介】本書「訳者あとがき」より


 著者のジャック・ウェストビーは、本書を書き上げた直後の1988年11月に世を去った。かなり前から難病におかされ晩年には体の自由がほとんど利かなくなっていたらしい。それでも、車椅子に寄り掛かって口述をつづけ、夫人と二人の子息の助力を得ながら完成にまでこぎつけた。彼の親しい友人の話によると、不治の病との闘いはまことにすさまじいものであったという。何としても書き残さねばという思いが、そうさせたのであろう。本書を読んでいると彼の執念のようなものがひしひしと伝わってくる。
 たしかに、世界広しといえども、森林と人間との歴史的なかかわりを踏まえて、われわれが当面する今日の森林・林業問題をグローバルな視野で論議できる人物はごく少ない。やはりウェストビーに書いてもらわねばならなかったのである。彼は、イギリス生まれのエコノミストで、林学教育を受けた「フォレスター」ではないが、国際的な森林・林業問題への造詣が深く、英連邦林学会およびアメリカ林学会の終身名誉会員に推されている。
 ウェストビーの何よりの強みは、長年の国際的な活躍を通して世界各国の実状を知り尽くしていたことであろう。それに加えて人間社会と森林がかかわってきた歴史的な流れのなかで問題をとらえるだけの確かな史観をもっていた。現代の森林破壊の問題を歴史的な文脈でとらえていることが本書の最大の特色である。地球上の森林破壊そのものは、もちろん今に始まったことではない。古代文明のいくつかは森林の消失とともに滅んだと言われ、ヨーロッパ諸国でも中世から近代にかけて激しい森林荒廃に見舞われた。さらに一部の熱帯では列強の植民地支配で何世紀も前から森林破壊が生じていたのである。レイモンド・ダスマンが指摘したように、人類が森林を扱ってきた歴史はまさに「過ちの落胆すべき繰り返し」であった。適切に利用すれば森林は物質的にも精神的にも人間生活を豊かにしてくれる。反面いったん誤ると地域全体の環境を破壊する原因にもなりかねない。このことが歴史上何度も立証されてきたにもかかわらず、何世紀にもわたって同じ過ちが繰り返されてきた。人類は「歴史の教訓を学ぶことにおいて驚くほどの文盲ぶりを発揮してきた」のである。
 この十数年来、熱帯林を中心に森林の縮小が加速され、多くの人びとの生存基盤が脅かされるとともに、地球環境への影響も心配されるようになった。森林破壊はなぜ起こるのか。それを止めるにはどうしたらよいか。今こそ「歴史の教訓」をしっかりと学び直す必要があろう。ところが、グローバルなスケールでその教訓を跡づけられる手ごろな書物がこれまで出版されていなかった。少なくとも、温帯と熱帯の双方を視野に収めて森林破壊の歴史を通覧した書物は皆無に近い。この空白を埋めてくれたのが本書であると思う。
 ウェストビーが歴史的な事実のなかでとくに強い関心を示しているのは、一般の民衆と森林との関係である。事実、彼ほど第三世界の貧しい人びとに対して温かい心情を抱きつづけた人物もめずらしい。今ではすっかり定着した「社会林業」の提唱者として、外貨の獲得や工業原料の確保に奉仕する森林の利用ではなく、農村の貧困大衆の利益に直接結びつく森林の使い方を早くから主張していた。この虐げられた人たちが持続可能な森林利用に向けて本気で取り組むような状況が作りだされないかぎり、熱帯林の破壊は止められないというのが、彼の基本的な立場である。そのような見方からすると、これまでの国際的な援助機関や各国政府の対応には問題点がすこぶる多く、深い失望感を隠していない。同時に伝統的な林学とフォレスターの役割についてもきびしい注文が寄せられている。
 最近わが国でも熱帯林の問題があちこちで取り上げられるようになった。世界最大の熱帯材輸入国として当然のことであろう。ただ、いささか心配なのは、「森林がなくなっているのなら、お金を出して植林に協力すればいいのではないか」といった安易な議論が今なおまかり通っていることである。森林が壊れていくというのは、あくまで表向きの現象であって、植林で解決のつくような単純な問題ではない。森林の利用をめぐる人間の組織つまり社会的システムに根本的な原因があると見るべきであろう。この欠陥が是正されないかぎり、森林の消失はつづくであろうし、いくら木を植えても立派な森に育っていく保証はひとつもないのである。こうした問題を掘り下げていくうえで、本書はまたとない案内役をつとめてくれると思う。
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