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わたしの愛したインド

【内容紹介】●本書「訳者あとがき」より


 本書はナルマダ川のダム建設と核兵器開発という、インドが抱える二つの病弊を暴いたエッセイである。これらの問題、特にナルマダ問題をこれほど簡潔にかつ生々しく描いた著作はこれまでなかった。
 著者アルンダティ・ロイは、1997年に英連邦最高の文学賞、ブッカー賞を受賞した。受賞作『小さきものたちの神』は、一部で物議を醸しはしたものの、インド国籍を持つインド人として、またインド女性としては初の受賞であったため、ロイは一躍国民的英雄となった。
 その彼女が翌年、祖国の核実験を激しく非難するエッセイを発表した。本書に収められている「想像力の終わり」だ。反核を表明すれば、即「非国民」のレッテルを貼られ、物理的な攻撃さえ受けかねない環境の中でそれは書かれた。1998年8月10日付「朝日新聞」夕刊は、インド・パキスタン両国でナガサキデーに行われた反核集会に絡めて、ロイのこの行動を大きく取りあげている。
 核問題だけではない。ナルマダ川流域事業に関する発言に対し、インド最高裁判所は法廷侮辱罪により収監すると脅しをかけている。ダム推進派は本書の「焚書」を行っている。現在インドでもっとも名声を得ている作家が、なぜ自らを危うくするようなエッセイを書いたのか。
 ダム建設と核開発という、何も関連のなさそうな出来事は、実はあるシステムによって通底している。前者は少数民族・下層カーストを消去し、後者はヒンドゥー教ナショナリズムを高らかに謳い上げる。小さく多様なものの抹殺によって成り立つ、巨大で一元的なものの支配。これこそが『小さきものたちの神』の著者がもっとも怖れ、憎むものだ。ロイにとって、インドとは多様性である。多様な見方がインドを形作っている。それを失った時、ヒンドゥー国家主義者が何と言おうと、インドは死ぬ。その危機感がロイを駆り立てたのだ。
 「公益の名のもとに」では学術論文のように数多くの参考文献が並び、さまざまなデータが援用されている。『小さきものたちの神』でロイを知った読者は、あるいは違和感を覚えるかもしれない。無味乾燥なデータは、しかし、熱情と醒めたユーモアを織りまぜたロイの多彩な語り口で命を吹き込まれる。巨大なものと戦う流域のおんぼろ軍団が、読者の目の前で生き生きと動き出す。人であることをやめた「PAP」に再び血が通い、自らを語り始める。サルマン・ラシュディが本書を「すばらしいルポルタージュと情熱的で激しい批評の融合」と評したのもうなずける。
 ロイがナルマダ流域事業反対闘争に加わったことで、この問題への関心が高まり、寄付も集まっているという。それはただロイが著名人であるからというだけでなく、その言葉が、物語が人々を動かしたからだろう。この物語はアルンダティ・ロイによって書かれなければならなかったのだ。
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