緑のダム森林・河川・水循環・防災 蔵治光一郎+保屋野初子[編] 執筆者一覧 2600円+税 四六判 280頁 2004年11月発行 ISBN4-8067-1300-7 台風のあいつぐ来襲で、ますます注目される森林の保水力。 これまで情緒的に語られてきた「緑のダム」について、 第一線の研究者、ジャーナリスト、行政担当者、住民などが、 あらゆる角度から森林(緑)のダム機能を論じた日本で初めての本。 意見が対立する研究者たちの論考も同時に収載している。
【はじめに】
本書は、「緑のダム」にかかわる専門家、行政、住民、ジャーナリストが手を組み、総力をあげて「緑のダム」に関する最新の情報をすべて盛りこんだ本である。 「緑のダム」という言葉が使われはじめたのは、一九七〇年代である(巻末年表参照)。当時、首都圏で水不足が問題となり、しきりに空になったダムが報道されたりしていたころに、森林の保水力も大事だということを伝えるために、林野庁で考え出された言葉のようである。その後、ダムや可動堰が次々と完成する一方で、一人当たり水使用量の減少、雨水利用の促進、水利用の効率化、農業の衰退などが進み、今後の人口減少予測もあり、結果として水需要増加の頭打ち傾向がはっきり見えてきたので、渇水の問題に関連して「緑のダム」が喧伝されることはほとんどなくなった。 最近は、コンクリートのダムや可動堰をこれ以上造る必要があるのか、コンクリートダムの代わりに、もっと自然にやさしい方法はないのか、という運動のなかで、「緑のダム」への関心が高まっている。しかし、「緑のダム」はスローガンとしてはわかりやすくても、その実態については、ほとんど知られていなかったのではないだろうか。本書の構想は、そのような問題意識から生まれた。 本書は、「緑のダム」について、これまでの研究で何がどこまでわかっているのか、「緑のダム」をめぐる問題ではどのような科学的知見が論点となっているのかを整理し(第一章)、そのうえで、「緑のダム」に関して住民や行政からどのような期待があり、現在起こっているようなダムや可動堰建設の是非をめぐる問題の解決に向けて、どのような議論がなされているのか(第二章)を示す構成になっている。 第一章では、これまでの「緑のダム」研究の到達点を示したうえで、「緑のダム」機能にかなり期待できるとしている研究者の主張と、「緑のダム」機能には限界があり多くを期待することはできないとする研究者の主張を並べた。一見、説明の必要もなく明らかなことのように思われる森林の「緑のダム」機能を科学的に誰にでもわかるように説明することは、意外と難しいことなのだということが理解していただけると思う。 第二章では、「緑のダム」をめぐる社会的問題として徳島、熊本、高知、長野などの事例を取り上げ、「緑のダム」に対する現場の期待や議論について整理した。徳島では、可動堰建設に反対する住民が自ら資金を集め、研究者に「緑のダム」機能の調査を依頼し、熊本では、川辺川ダム建設の是非を議論する住民討論集会の結果、熊本県の仲介で、「緑のダム」機能について国とダム反対側が共同で検証を行おうとしている。長野では、行政が自ら「緑のダム」機能の評価を目的の一つとしたプロジェクトを開始している。このような事例を横断的に俯瞰することで、「緑のダム」問題の社会的解決へ向けての道筋や科学者の果たすべき役割が明らかになっていくのではないかと考えた。 (中略) 本書は、二〇〇四年一月三一日に東京大学愛知演習林が主催し、愛知県瀬戸市で行われた「愛知演習林シンポジウム 緑のダム研究の現状と将来展望」がベースとなっている。このシンポジウムでは、多岐にわたる専門分野の枠を超えた専門家をはじめ、行政や市民団体の方にも来ていただいて講演をお願いした。「緑のダム」研究の歴史のなかで、このような試みははじめてのことであったが、シンポジウムは予想以上の盛り上がりを見せ、二〇〇名を超える参加者から高い評価をいただいた。本書の執筆者は、このシンポジウムの登壇者から編者が選んだ方々と、編者が必要と考えた方々によって構成されている。分野や立場を考慮して、できるだけ公平になるように構成したつもりであるが、もし偏りがあるようであれば、それはすべて編者の責任である。 各執筆者には、各自の責任で自説を主張していただいているが、なかには相反する主張もあり、どちらが正しいかを本書全体として判断することは意図していない。また、特定のダムや可動堰について、建設賛成・反対のどちらかに偏った意見を示したり、特定の省庁や住民団体を支援することも意図していない。あくまで学術的な立場から、中立・公平な情報を整理・提供しようと努力したものであることを、最初にお断りしておきたい。 蔵治光一郎
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