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530億匹の闘い ウリミバエ根絶の歴史 【書評再録】 | |||
●琉球新報評(1994年9月16日)=沖縄農業の発展を阻んできたウリミバエという害虫を根絶するため、20年余にわたった関係者の壮絶な闘いの記録である。 沖縄県のように広い地域で、科学的なデータをとりながらウリミバエ根絶が達成されたことにより、不妊虫放飼法は農薬をほとんど使わず、地球環境に悪い影響を与えない害虫防除法として世界的にも注目されるようになった。 ここ沖縄で展開された世紀の大事業ともいわれるウリミバエ根絶がどのように達成されたかを理解するのに格好の書であり、根絶を成し遂げた県民としての誇りもわいてくる。中・高校生にも薦めるゆえんである。 ●沖縄タイムス評(1994年9月27日)=復帰の年から本格的に開始されたウリミバエ根絶は世界の農業史上、特筆される一大事業だった。 この世界に誇るべき偉業を、やさしい文体と地図、写真を用い、わかりやすく、興味深く読ませてくれる。 この本は過去のことを扱いながら、現在の視点を加えて“旬”に昇華し、未来にとっても大切なものを多く示唆している。多くの人々に読んでもらいたい一冊である。 ●産経新聞評(1994年11月29日)=これは沖縄の島々を占領した害虫ウリミバエの防除に立ち上がり、20年もの歳月をかけて根絶した人々の努力と苦闘を描いた感動的なドキュメントである。 時には分析的に、実証的に、またある時はスリリングにと、この話の展開は非常に面白く、恐らく読者は加速度的にこのドキュメントの世界に引き込まれることだろう。そして、ウリミバエ根絶の20年がいかに苦闘の歴史だったかを痛感するはずだ。と同時に、殺虫剤や農薬散布に頼らず環境の保全と両立し得る害虫の防除が、どんなに実現し難いものかを考えさせられるに違いない。 ウリミバエ根絶計画と不妊虫放飼法は国内初の試みだったが、その成功は安易な害虫防除法への警鐘となり、今後の害虫防除事業に貴重なデータを提供することになった。著者と多くの沖縄の人々が成し遂げた農業史や昆虫生態学分野での偉業に大きな敬意を表したい。 ●秋田さきがけ評(1994年11月1日)=本のタイトルの「530億匹」は工場でつくり、野に放った不妊虫の総数。204億円をつぎ込んだ大事業だった。「わが国では初の試みだけに、放射性物質を扱う工場施設、放ち方、効果確認など一歩進むたびに壁にぶつかった」と小山さん。本にはその苦闘の模様が描かれており、生態系を破壊しはしないかとの疑問にも論理的に説明している。 ●東京新聞ほか評(1994年11月6日)=「530億匹」というとてつもなく大きい数字にまず驚き、いぶかるのではないだろうか。害虫ウリミバエ根絶に人知を傾けた、壮大なストーリーのことである。そこに、日本で初めての生物系総合技術体系の確率と成功があった。 スケールアップのズレや予期しない事故を、技術者たちの創意と情熱が乗り越えていくさまが淡々とつづられ、感動を誘う。 日本農業技術史(植物防疫史)上の画期的な金字塔樹立の記録が、ここに当事者の筆によってなった。 ●週刊朝日評(1994年11月11日)=虫の生態や世界の農業史に輝く金字塔を立てた関係者の話も面白いが、「この根絶事業は原子力の平和的利用の好例」の視点が印象的。被爆国ゆえの説得力か。 ●日本農業新聞評(1994年10月21日)=気が遠くなりそうな事業を成し遂げた全容をドラマチックにまとめたもの。根絶までは同じ日本でありながら、ウリ類を販売することができなかったのだ。農業関係者が待ちに待ったウリミバエ根絶は、農家だけでなく、日本の農業研究史に残る事業だった。22年間の取り組みは、環境時代のなかの農業とバイオ防除問題に確固とした姿勢が必要であることを教えてくれる。 ●日本農業新聞「四季」欄(2000年4月19日)=沖縄県では早くも夏の観光シーズン。若者らが訪れ、マンゴーやニガウリを何気なく、本土に持ち帰る。こうできるようになったのは最近のこと。野菜や果実の大敵ウリミバエが1993年に根絶されたから▼同害虫は、19年に八重山群島に侵入後、72年に本島で見つかり、75年にはトカラ列島中之島まで北上。本土に侵入すれば園芸農業は壊滅する危機にあった▼それを20年もの歳月をかけて、根絶した。不妊虫を放ち、野生虫の子孫を絶やす壮大、そう絶な闘いだった。この経緯は元農水省蚕糸・昆虫農業技術研究所長、小山重郎氏の「530億匹の闘い」(築地書館)に詳しい。 ●日本応用動物昆虫学会誌評(1995年2月号)=不妊虫放飼法によって南西諸島全域でウリミバエが根絶されてから一年経った。本書は、この害虫防除史上特筆すべき事業が、どのように始まり、いかに周到に計画され、なおかつ、多くの難問に遭遇しつつそれらを解決して、結局は“計画どおり”達成されたかを記している。 今後の害虫管理の方向を考える上でも多くの示唆が与えられる。特に若手研究者に専門領域を超えて一読を勧めたい。 ●農林経済評(1994年11月17日)=研究者、技術者、行政マンたちがお互いの立場を乗り越えて協力しながら、成功を勝ち取るまでのプロセスが生き生きと描かれている。ウリミバエのおかげで本土出荷が難しかった青果物の販売が解禁され、沖縄県の農家は園芸分野の可能性が大きく広がった。最新の農業技術が実際の営農に役立った典型的な事例の1つだろう。農家や農業関係者はもちろん、虫や生物に関心のある子どもたちにも勧められる一冊である。 ●農林水産技術研究ジャーナル評(1994年11月号)=国と県、研究と行政が一体となって推進された、まさに害虫防除史上画期的な成功であった。 エピソードをまじえた淡々とした文章は読みやすく、著者の思いが紙背から伝わるような感銘を受ける。この世界に注目された害虫防除史上の金字塔を知るためにも、また後世に記録として残すためにも著者に人をえた格好の好著といえる。 ●農林水産図書資料月報評(1995年1月号)=壮大な試みの最初から最後までのドラマを、技術開発を担当する第一線の研究者の目から克明につづった記録であり、読む人の心にいろいろな想いと感銘を与えずにはおかない。不妊虫放飼という方法は、害虫防除の方法としては極めて特異なものであり、この方法を適用できる害虫は少ない。しかし、どのような方法をとるにせよ、1つの技術を実用のレベルにもっていくには、本書にあるようないろいろな技術の統合と多くの人の連携が必要である。本書は、このことも我々に教えてくれている。 ●学鐙評(1994年11月号)=本書は、日本植物防疫史、いや日本農業技術史上に特記すべき新しい1ページを加えただけでなく、農業技術者の側面までをよく記録した点を見逃せない。 ●地団研そくほう評(1994年11月号)=ウリミバエという蝿は、もともとは東南アジアなどの亜熱帯地方の原産で、今世紀初めに南西諸島に侵入し沖縄の農業に重大な被害を与えてきた。日本本土にはいないため「植物防疫法」という法律によって、沖縄産ウリ類野菜の本土への自由出荷が禁じられ、沖縄にとって大きな問題となっていた。 この害虫を南西諸島の島じまから一匹も残さず根絶するという夢のような大事業が達成された。本書は、その闘いの汗と努力の物語である。 これはいわば原子力平和利用の知られざる一例である。 | |||
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