新渡戸稲造(にとべ いなぞう)略歴
1862年、南部藩城下町盛岡にて生まれる。
1877年8月末、西南戦争の最中、開拓使御用船玄武丸で品川を出航、札幌農学校2期生として入学。学友宮部金吾と内村鑑三との友情は終生変わらなかった。
1884年、横浜からアメリカに渡航。やがてボルチモア市のジョンズ・ホプキンズ大学に学ぶ。その頃クエーカー派(フレンド派)キリスト教に接した。
1886年、フレンド派の名門エルキントン家の令嬢メリー(後の新渡戸夫人)と出会う。
1887年、札幌農学校助教授の身分でドイツに向かい、ボン大学に学ぶ。
1890年、帰国の途につき、ドイツ東部、アメリカ、カナダの各地を経てフィラデルフィアに立ち寄り、翌年メリー嬢と結婚。帰国後札幌農学校に着任。
1899年、日本で初の農学博士となる。
1901年、台湾総督府に招かれ、糖業により統治の経済的基礎を確立。
1903年、京都帝国大学教授。
1906年、第一高等学校校長を経て東京帝国大学教授。
1918年、東京女子大学初代学長。
1920年〜1926年、国際連盟事務局長、帝国学士院会員、貴族院議員などになる。
1928年、女子経済専門学校(現・東京文化短期大学)の初代校長となる。
1933年、カナダのバンフで開催されたIPR(太平洋問題調査会)の大会に日本代表団団長として出席講演、大会終了後、心臓発作などで9月入院、10月15日死去。
主な著書
武士道 日本人の魂」(築地書館)のほか、「農業本論」「人生読本」「内観外望」「東西相触れて」「修養」などが、主に実業之日本社から昭和6年頃相次いで刊行され、多くの版を重ねた。

武士道の表紙画像
トップページへ