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マツタケの話

【内容紹介】本書「はじめに」より


 マツタケにつきあって25年、きわめつきの馬鹿である。何度も「ああ、もうやめた、やめた」と、まわりの人に当たり散らし、嫌みをいって困らせたりはするが、やはり関西人、秋になると落ち着かなくなるのだから困ったものである。つい受話器をとりあげて「涼しくなりましたか。雨はどれぐらい」と聞いてみたり、テレビの天気予報にかじりついたり、朝鮮半島の雲の流れを気にしたりと、一向に足が洗えない。
 毎年、飽きもせずに聞いてくる人も人なら、「マツタケ、マツタケ」と性懲りもなくしがみついている人も人。どうしてこれほど惹かれるのだろう。マツタケというきのこはほんとに変なきのこではある。
 マツタケの研究を始めてから今日まで、「なぜ好きなのか」「何のために研究するのか」という問いが心から離れない。マツタケがイネやムギのようなものなら、誰しも世のため、人のために働いていると思うだろう。マツタケを食べれば癌がなおるというのなら、栽培も大いに結構ということになるだろう。逆にマツタケが暮らしに無関係なものなら、生物学の研究に励んでいるといって通用するかもしれない。ところが、マツタケはどっちつかず、大して腹の足しにもならず、かといって暮らしに無関係というのでもない。
 山村に暮らす人びとは「栽培できればありがたい」とはいうが、これだけで生計を立てている人はいない。買う側の人には「なぜこんなに高いのか」と嫌われるのがオチ。生物としてのおもしろさを説いてみてもきのこはしょせん生物学のおそえもの、動植物学の比ではない。「はあ、かわったものをご研究で」という程度で止ってしまう。時になぜこんなものに熱をあげてきたのだろうと不思議に思うこともある。
 こんなことを感じながら、折にふれて集めていた材料をつづってみた。専門外のことも多く、考え方も未熟なために出すことを躊躇したが、これを書けば、マツタケが持っている人間臭さの側面が幾分かでも理解していただけるのではないかと思って、無理をしてみた。誤りも多いことと思われるので、ご叱正賜れば幸いである。
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