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きのこの自然誌

【内容紹介】本書「新装版によせて」より


 この本を書いた頃は「きのこって、何とおもしろい生き物か」と思っていた。しばらくして「いったい、きのこって何だろう」と考えはじめた。ようやく「きのこはどうやら森林に生まれた新しい生物で、腐生からスタートし、第三紀になって繁栄しだした特定の樹木のグループと共生する方向へ進化したらしい」と、一応納得できる答を見つけたつもりでいた。ところが、ここ数年「きのこは何を語ろうとしているのか」と、とまどうことが多く、またぞろ悩み始めた。
 先日、「ショウロの取材をしたいので」といわれて、あちこち尋ねてみたが、今はもうとれる所も料理を出している所もない。マツタケはご存知の通り輸入品にかわり、ハツタケやアミタケすら見なくなった。西日本のマツ林は枯れてシラカバ林のようになり、岩山や砂丘でも枯死しつづけている。東北、北陸、山陰の雪が多い山地ではブナやナラが枯れ、九州や紀伊半島ではシイやカシが、高い山ではモミやツガが枯れている。いずれもきのこと菌根をつくる種類で、木か、きのこのどちらかが死ねば共倒れになる仲である。弱り始めた林からはきのこが姿を消し、明らかに細い根は腐っている。
 きのこのように試練をうけた回数の少ない新しい生物ほど、自然の変化には敏感なはず。きのこは今、その姿を消すことによって私たちに何かを告げようとしているのでは……。もし、きのこが地球温暖化や環境汚染の預言者だったとしたら……。と考えると、きのこの姿がまた変わってみえてきた。かれんなきのこが黙示録の天使に変身しないことを願うのみ。
 ほんの数十年の間にも正しいと信じていたことが、あてにならなくなり、つぎつぎと不可解なことが現れる。きのこに限らず、生物とはやはり「未知の科学」に属するものかもしれない。
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