書誌情報・目次のページへ 書評再録のページへ 読者の声のページへ
移入・外来・侵入種 生物多様性を脅かすもの

【内容紹介】本書「まえがき」より


なぜ今移入種か
 自然という言葉の反語は人為・人工である。
 自然に生きてきた生物たちは、30数億年の進化の結果として、それぞれの地域に固有の生物相を育ててきた。そこへ、人の営為の結果として、地域外からさまざまな生物が移入されてきた。固有の生物相は、人為・人工の影響を受ける結果として、自然の姿から変貌させられる。
 もちろん、移りゆく地球環境に適応して、これまでも常に生物はそれぞれの種の分布領域を変えてきた。自然に移ろう地球環境の変遷にともなう生物相の変動は、まさに生物の進化そのものである。しかし、人為・人工を自然の反語と定義するなら、地域に固有の生物相に人が他地域の生物種を導入することは自然に反する行為である。
 もっとも、一言で移入種といっても、人の歴史に記録されるより前に導入され、今ではその地域の構成員であるかのように生きているいわゆる史前帰化生物から、何かの都合でまぎれこんではきたもののやがて消えてしまう運命にある一過性の移入種まで、さまざまな姿があるし、固有の生物相に対する影響の与え方もまさに多様である。
 自然環境の劣化が問題視されるようになって久しいが、移入種に関するかぎり、早くからさまざまな問題が指摘されていたわりには、実際の対策に遅れをとっている。環境に与える負荷が小さいというのではない、あまりにも広い範囲に問題が及ぶものだから、どこから手をつけてよいものやら、いまだに解決の緒さえ見出されていないというのが現状である。
 一方、交通手段の発達によって、地球が小さくなったといわれるように、旅行の機会はますます大きくなっている。今では旅行は特定の人に恵まれた特権というのではなく、誰でもどこへでも行ける時代である。ということは、誰かがどこかから、それまでその地域に生息していなかった生物を運びこむ機会が甚だしく大きくなっているということである。事実、無意識のうちに人びとが移動させる生物種が多いことに注意が喚起されている。もちろん、意識して自生しない種を持ちこんで、それが災いのもとになっている事例も数多い。人の移動だけではない、今では物品も世界中を飛び交う。毎日の私たちの生活も、身の回りの生物種に依存するのは限られた範囲で、遠く離れた場所や、さらには地球の反対側から届けられる生物を食べ、その生物の産物を着、その生物で作った建物に住む。どんなに注意されているようでも、物品の移動にともなって運びこまれる生物種もまた少なくはない。
 かつて帰化生物などといわれていたころには、取り上げられる生物は目に見える動植物だった。しかし、実際には、すぐには気がつかない微生物なども、人や物の移動にともなって運びこまれることになる。運びこまれるもののうちには、生活必需品だけではなくて、遊びの材料も少なくない。遊びに飽きると面倒を見きれない生物は放り出されるということがある。そして、捨てられた生物は彼らなりに必死に生きていこうとするので、そこに生きている自生の生物種と激しい軋轢を生じることになる。

問題の展望
 すでに触れたように、一言で移入種といっても、すでに地域に溶けこんでいる史前帰化生物と、昨日今日到来して、地域に定着するかどうかわからないものとを同列に論じることはできない。自然の姿を尊重するといっても、たとえば日本の里山からヒガンバナやシロツメグサ(クローバー)を追い出して、もともと日本列島に生きていた生物種だけの姿を取り戻そうといっても、すでに廻ってしまった歴史の歯車を元へ戻すことは不可能である。すでに地域に溶けこんで定着している生物種については、それがよほど害悪をもたらさないかぎり、当面は黙視しておいてよいという考えもある。それに引き換え、新来の移入種のうちには、現に害悪を垂れ流しているものもあれば、これから何をするか予測もつかないものもある。そのような移入種については、何らかの対応が必要である。
 移入種の排除のためには、物理的な抹殺を行なうか、生物的制御などの方法も試みられる。このような排除には、対象とする生物種によって特異な方法が求められるし、特定の種に対する行為は必ず周辺の他種に多少の影響を及ぼす。事前に方策を立てるだけの生物的知見の揃っている移入種は限られているし、何らかの行為を及ぼしたとき、それがもたらす影響を正確にモニターすることも難しい。すでに運びこまれた生物のもたらす問題が大きいだけに、新たな生物種が他地域から運びこまれないようにする手だても必要である。しかし、さまざまな種がどのように移動させられているか、完全にわかっているわけでもないし、移動しつつある種の全貌が把握されているわけでもない。移動を抑制するためにはさまざまな法規制が行なわれているところであるが、すべてが法規制で制御されるとは期待できない。
 移入種の問題は地球規模のものではあるが、基礎的な生物相が解明されているのは、限られた地域、限られた生物群についてである。移入種の実感さえ、わかっているのはごく限られた範囲であり、それぞれの移入種の特性についてわかっていることも限られている。それだけ情報が限られているなかで、現にさまざまな影響が問題視されている移入種の扱いを論じようとするのである。基礎的な情報を解明しながら、全体についての指導原理を見出そうとするのである。自然を対象とする人間の行為のなかで、問題点がもっとも典型的なかたちで表われるのが移入種であるともいえる。

この本が編まれた経緯
 移入種の問題はこれまで全く放棄されてきたというわけではなく、国では環境省で突っ込んだ論議がされているし、研究者はさまざまなグループで問題意識をもっている。しかし、それらが有効な施策に結びつくところまで進んでいないというのが実態である。それなら、具体的に有効な方策に進めるためには今何が必要なのか。
 人間環境に対する問題がすべてそうであるように、移入種の問題も、最終的にはすべての人が関心をもち、行動しなければ完全な解決は期待できないものである。しかし、実際には、移入種に関する人びとの関心は薄いし、関心をもっていても、その限られた人たちが実態を正しく把握しているとは思われない。この状態で、有効な施策に結びつける行動を起こすことは絶望的に難しい。いろんな機会に、特定の話題性のある事例が紹介されることはあるものの、移入種のもたらす根深い問題が詳細に論じられ、一般の人びとにわかる言葉で紹介される機会は乏しい。メディアに取り上げられる例も散見はされるが、問題の正鵠を射る報道が多数されているとは、残念ながらいえない。
 本書によって何かが解決されるというような、甘い問題を扱っているものではないことはよくわきまえたうえでの出版である。意図するのは、地域の生物多様性にとって危機存亡といえる面さえあるこの問題について、現実はどうなっているかを紹介し、この問題についての検討が、より広範囲の人びとを巻きこむものに育つように、問題提起をすることである。広範囲の人びとが強い関心を抱いてくださることを強く期待するところである。ここで取り上げることができた問題も、移入種問題が抱える広い範囲から見れば、まだまだ限られた範囲にとどまっている。また、いろいろな反論も考えられる記述になっているところもある。しかし、ここで期待するのは、投じられた一石が波紋を広げ、ついにはすべての面に波を立てるようになることで、この本を契機として、移入種問題について多くの人びとの関心が引きつけられることを念じる次第である。

トップページへ