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日本海の成立 生物地理学からのアプローチ 【内容紹介】本書「あとがき」より | |||
1953年、学窓をでるとすぐに、私は、新潟市にある水産庁の日本海区水産研究所に勤めた。山ぐにに育った私は子供のころから海にあこがれていた。海とそこにすむ生物たちのことを勉強したいというのは、学生時代からの熱い夢だった。その夢がかなえられるのだから、私は期待と希望に胸をふくらませて赴任した。
はじめての調査船に乗り、海---日本海の自然にふれたときの感激は忘れることができない。今から考えると、なんともお粗末な調査船であったが、当時の私にはそんなことはどうでもよかった。じかに日本海のふところに抱かれ、その優しさ、ときには荒々しさをからだで感じとれれば、それで十分だったのである。早春、みぞれの降る日本海上で、体をガクガクふるわせながら、プランクトンの採集をしたこともあった。しけの時には、船酔いでフラフラする頭に歯をくいしばりながら、水温の読みとりをおこなった。夏の炎天下でも、300mの深さから汲みあげた水は氷のように冷たかった。分析用に採取して残った水を私は飲んでみた。冷たさがキュッと腹にしみた。はるかシベリアの沿岸で冬季対流をおこなって形成された日本海固有の水だ。私は、日本海と一体になりたかったのである。 海上にでて体験したさまざまなこと---もちろん、その大部分は、その道のベテランにとっては、とるに足りぬ、ささいな、くだらないことであったにちがいないが---を、私は克明にノートにメモした。それらのノートは今でも私の引きだしに大事にしまってあるが、ひもとくと、当時のことがまざまざと思いだされて、胸があつくなる。 そのうち、私はおぼろげながら、日本海の生物相が、太平洋側のそれとはどうもかなりちがうのではないかということに気がつきはじめた。このことを、たとえば、書物などを通して頭で知ったのであったら、おそらく私は日本海の研究なんぞを自分のテーマに選びはしなかったであろう。からだを通して、実感として、それを感じとったからこそ、その疑問は私にまといついてはなれず、私を駆り立ててその解明に向かわせた。そして、いろいろ調べているうちに、はしなくも、これは、日本海の現在の海洋構造のみならず、日本海がこれまで経過した歴史=日本海の発達史とも深い関係をもっているのではあるまいかという考えに導かれたのである。私が日本海の生物地理学的研究をこころざすようになったきっかけは、じつに、このような体験であった。以来、私は当時までに知られていた生物の分布資料を可能なかぎり蒐集し、また、私自身の発見をも含めて、日本海の生物群集の分布像を明らかにすることに熱中した。それと同時に、日本海とその生物相の歴史的発展過程について、自分なりの理解をうちたてるべく努力した。 本書をひもとかれた読者のなかには、これはいったい科学書なのかそれともSFなのかと、いぶかしく思われる方があるかもしれない。私としては、どちらに受けとられてもいっこうにかまわないと思っている。私たちの考えに共感される方は前者として、反対の立場の方は後者として読まれるだろう。本書のいたるところで、想像の翼をはばたかせた---淡水湖だった日本海、生物群集の大死滅、古アムール河の流れ、日本海の無酸素海盆化、北極海循環の逆転等々、そのいずれをとってもまことに刺激的な問題ばかりだ。これらの問題のあいだをぬってスペキュレーションを網のようにはりめぐらした。 想像力にうったえる研究は、学問としてはまっとうなものではないであろう。しかし、学問の発展段階によっては、そういうことも必要な場合がありうる。細部の点にばかりとらわれ、実証主義一点ばりにこりかたまった研究には私は興味がない。読者はどうか批判的な眼でよみすすんでいただきたい。学問というものは永遠に未完成なものである以上、なにごとについても批判的な態度で接し、考え、そして、そのなかから、自分自身の自然観・世界観をきずきあげ、完結させて、みずから満足するよりほかに、しかたがない。本書でのべられていることは、著者自身がこのようにしてきずきあげた自然観の粗いスケッチにほかならない。自由な推理、想像の翼を大きくひろげたが、根もないホラはひとつも書かなかったつもりである。 | |||
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