![]() | 湧口善之[著] 2,400円+税 四六判並製 280頁 2025年3月刊行 ISBN978-4-8067-1679-2 山奥で行うイメージのある林業ですが、 実は都市にも街路樹や公園木、庭木など木々がたくさん存在しており、 これらの樹木を使って、緑を社会に役立つものにしようという 「都市林業」の取り組みが始まっています。 これまで都市にとっての樹木は「景観」という側面が強く、 近隣の問題などから伐採された木々は木工で扱える質ではなく ほとんど活用されてきませんでした。 そんな都市の木々をゴミではなく活かす方法とは。 都市林業の可能性と、 都市の木々を循環させ街の暮らしを豊かにするヒントがわかる1冊です。 |
湧口善之(ゆぐち・よしゆき)
都市森林株式会社 代表取締役/一般社団法人街の木ものづくりネットワーク 代表理事
東京都生まれ。大学では西洋美術史専攻。卒業後、建築設計事務所勤務。
実務と並行して世界各地を訪れ、建築および都市についての研究活動。
独立後は木造建築を中心にヒノキやスギなどの国産木材活用に取り組む。
その後、木工産業が盛んな岐阜県高山市に移住して木工修行。
東京に戻り、街の木に着目し都市林業を構想。
街の工事現場から100を超える樹種を集めて自ら製材や加工を行うことにより、
通常木材として活用されていなかった多種多様な樹種についてのノウハウを蓄積。
街で育ったさまざまな木々が木材となって集合する、
都市の緑の縮図のような空間づくりに取り組む一方、
そうした空間を生み出す過程に地域住民や関係者が参加できる仕掛けづくりや、
住民参加での苗木の育成や植樹など、街の木々の新たな循環づくりに取り組んでいる。
序 いまここにあるものでつくる
第1章 街の木はなぜ木材にされなかったのか
木材にされてこなかった街の木々
腐れが多い
異物が出る
樹形が悪い―「薪でもいらない」と言われた理由
製作に時間がかかり、たくさんの端材(ゴミ)が出る
クレームの発生率が高くなる
樹種が多い
山林の広葉樹でも木材になるものはごくわずか
時代に合わないことをするのは無理がある
2つの課題
<コラム>街の木(クセが強い材)の活かし方@
反りや歪み、割れにつながる材のクセ
曲がった材は曲がったなりに
生来の形を組み合わせて活かす
虫食い穴を抽象化
第2章 都市林業は成立できるか?
グリーンウォッシュで成立している?
街の木を活かす事業は玉石混淆
「成立」の形について考える
ブランディングで成立させる?
実際、どうやって成立させたのか
効率化とワンストップ化、芸域・職域を拡げて成立させる
投資になることを考え抜いたから機会を得られた
街の木の循環、お金の循環、愛情の循環
<コラム>都市林業のはじめ方
自分でできることからはじめる
第3章 緑でいっぱいの素敵な街、の舞台裏
都市林業を成立させる手がかりは、街の課題のなかにある
維持管理という深刻な課題
こんなにあったか危険木
庭の保存樹木が向かいの車を潰してしまった
ソメイヨシノの寿命は短い、は本当か
伐採への反対運動
街の木のあり方を問い直す
<コラム>街の木を食に活かす収穫祭
第4章 事例紹介 都市林業で変わる街づくり
事例紹介@ さくら花見堂の物語
サクラがシンボルの小学校
時短樹木診断と事業価値を担保する提案
伐ったサクラでつくるのは、「モノ」じゃない
住民参加ではなく住民が主体
伐採・造材ワークショップ
樹木染めワークショップ
家具づくりワークショップ
最低のマナーを基準にしない花見堂
物語の結び目として生まれる街の居場所
<コラム>街の木(クセが強い材)の活かし方A
クセが強い材の代表、ソメイヨシノ
割り矧ぎ
大きな木取で使う
事例紹介A 南町田グランベリーパークの物語
商業施設と公園を一体的に整備する再開発
「前例がない」から「やってみよう」へ
製材ワークショップ―街のこれからにつながる木材を地域住民の力でつくる
都市森林の縮図のような空間を
苗木づくり大作戦
一巡できた後の難しさ
<コラム>街の木(クセが強い材)の活かし方B
ネタでくくって組み合わせる
多様な材を多様な人の手で活かす
最後の最後まで活かし切る
事例紹介B 湘南リトルツリー&ともしびショップの物語
障がい者支援に取り組む福祉法人が運営するお店
投資成立の糸口を探す
個性を集めて調和をつくる
いまここにあるものでつくる、からこそできること
困難があってこそ物語ができる
つくり手と使い手の共犯関係が、木のものづくりの明日を拓く(かもしれない)
多様な個性を調和させる具体的手法
私たちは何者なのか
<コラム>街の木(クセが強い材)の活かし方C
なんとかおっつける
コナラの合理的な活用法
伐採したコナラを活かしたワークショップ
第5章 3つの提案
困難さをもたらす前提条件を大きく変える
提案@ 「都市林業」を街路樹で
街路樹の管理に林業のコンセプトを取り入れる
明日の世界遺産にぐっと近づく
提案A 清掃工場をハブにしよう
伐採木を遠くまで持っていかずに、近くで処理する
小さな製材機能を付加しよう
わずかな予算でいますぐ試せる
提案B 都市緑地を小中学校の演習林に
体験活動が無限に生まれる
体験の機会を平等に
まずは小さい規模から実証実験
教師と生徒は共闘者かつ共犯者
物語の欠如がもたらすのは―名建築が次々と取り壊される理由
<コラム>街の緑の変化といまだからこそできること
ウメ、カキ、ビワが消えていく
大木いっぱいの団地植栽から、株立いっぱいのマンション植栽へ
団地の庭は遺伝子プール
80年に一度の投資のチャンス、伐採した巨木を散逸させるのは勿体無い
あとがき
参考文献
参考動画
私たちの社会では、長い間、そこに木があれば木で、石があれば石で、草があれば草で、水と氷しかなければ水と氷を工夫して、住まいをはじめとした建築物をつくってきました。いまここにあるもの、目の前にある素材をどう活かせば便利に機能を果たし、かつ美しいものがつくれるか。身近な素材と親密な対話を繰り返し、無理を強いることなく個性を活かし、気候風土や自然が求めることにも逆らわない。
そのようにしてつくられてきた建築物や街並みは、本当に無駄がなく美しい。なぜその素材を選んだのか、なぜその形になったのか、細部から全体に至るまで説得力に満ちている。その土地ならではの個性が自ずから備わって、つくられた当時はもちろん後世に至るまで、そこに暮らす人々のアイデンティティの一部となって、誇りと勇気を与えてくれている。
そして私たちの時代、いまや昔とは違い、素材を身近には求めなくなりました。物流と素材生産の仕組みの変化で、身近な素材にこだわることは、かえって不合理なことにすらなっている。建物のデザインも、垣根のない世界に流布された言説や、写真を参照して行うのが普通のことになっている。素材は自由。なんでも選べる。形も自由。土地の歴史や文化、伝統にも縛られない。その土地ならではの素材でつくられた、その土地ならではの建物や街並みという、昔は当たり前にあったものが姿を消し、世界中で同じようなものがつくられるようになっています。
そんな時代にありながら、なにか少しでも、私たちならではということを取り戻すことができないか。いまここにあるものでつくる、という古来の実績ある原則に頼らずに、では、どうすれば私たちは、誇りや勇気を感じられるような建築物や街並みをつくることができるのか。50年経っても、100年経っても、これは私たちにとって大切なものだから壊さずに使っていこうと、人々が自然に思える建築や街並みは、どうすればつくることができるのか。
ずっと考え続けてきたなかで行き着いたのが、街の木でした。街にも木があって、それは素材として活かせるかもしれない。庭木、街路樹、公園の木や学校の木、これはもう森だ。都市の森、都市森林、都市森林資源。そんな言葉が浮かんできて、言いようもなくワクワクしたのが、後に「都市林業」と称することになる取り組みのはじまりでした。
木は山にあるもの、木材は山から出るもの、という先入観がなくなると、街は可能性に満ちたフロンティアだと感じられました。街にはたくさんの木があった。驚くほど多様な樹種があり、山でも珍しいような大木だってある。そしてそれらの木々は、街のそこここで、毎日のように伐採されてもいた。そして伐採された木は、どんな大きな木も、どんな珍しい樹種も、伐られた後はゴミ同然の扱いをされていた。
私は伐採された木を、木材として活かす試みをはじめました。工事現場に転がる丸太を回収し、製材し、乾かし、なにかしら木工品をつくってみるということを繰り返しました。伐採現場で丸太をくださいと声をかけると、なるべくたくさん持っていってほしいと言われました。捨てるのに費用がかかるし、木材市場に持っていっても売れはしない。仮に売れたとしても輸送費にもならないと。
私もその端くれでしたが、木を仕事として扱う人の間に、街の木は木材としてはダメという常識があることは知っていました。街の木は木材用の原木として見ると悪いものばかりです。稀に良いものがあったとしても、製材所に運ぶ費用だけでも高くつく。そこから製材して乾燥させて、できた材をまた運ばなければならないくらいなら、はじめから電話一本で木材を買ったほうがいい。はるかに効率よく、大規模にやっている山の林業だって採算をとるのが大変なのに、街の木なんてなにをかいわんや。その通りだと思います。
それはわかっていましたが、ダメならダメで、自分自身でとことんまでやって絶望したい。工事現場で大きな丸太がゴミ同然に転がっている光景には、そのくらいのなにか、力がありました。
そのうちに取り組みを知る人が増え、ちらほらと私のもとに伐採情報が入るようになりました。次から次へと丸太が出てきます。こんなにもたくさんの木が、こんなにも大きな木が、毎日のように伐られていたのか。次から次へと知らない樹種が出てきます。街にはこんなにもたくさんの樹種があったのか。木材にしてみるとどれも魅力的で個性があって、発見と学びの連続でした。
そんな楽しさを共有しようと、街の木で暮らしの道具、たとえば木のスプーンなどをつくるイベントも開催するようになりました。ランチができる出張カフェを併設し、街の木の果実やドングリ、木のハーブや木材チップでの燻製など、街の木の恵みを活かしたメニューも提案しました。
次第に、木の持ち主から相談されることが増えていきました。大きな木やたくさんの木を育ててきた方の想いや困りごと、木を伐らなければならない事情を聴いて、その方々にどうすれば喜んでもらえるかと考えながら、伐採や製材や、その木でのものづくり、伐採した後の敷地の造園などに取り組みました。
地域の方からの相談をきっかけに、大きな団地や公共の広場など、再開発に伴う伐採への反対運動が起こっている現場に関わることもありました。こじれた状況が少しでも良くならないかと、意見の異なる人たちが一緒に取り組めるさまざまなプログラムを考えて、実施しました。新たな試みとして、街の木の木材としての可能性を模索するなかで、街の木をとりまく従来からあった課題とも向き合うことになったのです。
緑が増える現場ではなく、減る現場でこそ、偽らざる街の木の実情が見えてきます。
木は植えれば植えるほど、育てれば育てるほど、維持する負担も増大していきます。個人でも自治体でも企業でも、そのコストは深刻な問題で、保存樹木でさえ十分なケアがされているとは言い難い状況にありました。放っておくと木はどんどん大きくなって、倒木など事故のリスクも増えていく。伐られた木々を製材することで、普段は見えない木の内側を見てきましたが、街の木のほとんどはなんらかの傷みを抱えていて、いつ倒れてもおかしくない状態のものが多くありました。
そして意外なことに、街で木を伐ることを決めるのは、木を大切にしない人ではありませんでした。木を伐ることを決めるのは大抵の場合、木の持ち主です。コストとリスクを負担しながら、その木に最も手をかけ、愛してきた人です。そういう人が、木を維持することに限界を感じ、ついに伐採を決断するのです。そして最後に、高額な伐採処分費用を負担して、ゴミ同然に運び出される木を見送ることになる。
たくさんの木を所有して街に緑を提供していると、いざ伐採となった時、反対運動の受け手側になってしまうこともある。 これまで緑を提供してくれてありがとうと言われるどころか、意識の低い守銭奴かなにかのように責められたりもする。こうした場合の木の持ち主は、自治体であったり企業であったり、個人ではないことも多いのですが、立派な木を育てれば育てるほど、それらの木々が対立の起点になるというのは理不尽な話です。
現状の街の木には、植えれば植えるほど、大きくすればするほど、持ち主の負担やリスクが増す「負債」のような性格がありました。街の木々、私はそれらを総称して「都市森林」と呼んでいますが、この森にあったのは、木と深く関わった人たちが、もう木はこりごり……となってしまう悪循環だったのです。
都市森林に、もっと好ましい循環をつくらなければなりません。「負債」から、持てば持つほど私たちを豊かにしてくれる「資産」へと、変えていかなければなりません。木材にするしない以前に、それは必要なことと思われました。街の木の「資産」的価値を伸ばす可能性のあることを、木があって良かったと思えることを、なんでも良いので増やしていこう。
都市森林は、毎年、毎季節、さまざまな恵みを与えてくれている。木材はそのなかでも大きなものですが、ほかにも活かせるものや活かし方はいろいろとあるだろう。眺めるだけの緑から活かす緑へ。街の木に触れて、恵みをいただいて楽しむことをしてみよう。多くの人と発見や体験を共にできる機会をつくろう。木材としての活用にも、地域の人たちが参加できるプロセスを設けてみよう。子どもたちにとってはもちろん、誰にとっても、大きな木に触れて一緒に取り組む体験は、きっと特別なものになるに違いない。
街の木を負債から資産へ。眺めるだけの緑から活かす緑へ。街の木は木材としてはダメ、が従来の常識であったように、合理性がないと思われていた街の木の木材としての活用も、そうした街の木を取り巻く文化や仕組み全体を変えていくことで、無理のない形で成立させる道が見えてくるかもしれません。
そしてもし、本当に無理のない形で街の木を木材にできたなら、これはものすごく面白いことになる。なにか特別な思い入れのある木や、伐採反対の声が大きい場合や、SDGsがどうだとか二酸化炭素がどうだとか、そういう話をテコにして木材にするのではなく、素材をグローバルに調達することが当たり前の時代にありながら、自分たちの街で育てた木々を木材にすることを、経済的にも合理的な当たり前の選択肢に、もしできたならどうでしょう。
自然で無理のない仕組みと文化をつくって、そうして得られる私たちならではの素材で、街の建物が一つ、また一つとつくられて増えていく街は、世界のどこにもない特別なものになるでしょう。
本書では、ここ十数年、都市林業と称して行ってきた、試行錯誤の?末を共有していきます。それらすべては、実際にやってみる、を繰り返した現場からの一次情報です。街の木の活かし方と活かした結果起こること、見えた課題や、得られた成果や効果について。そしてこれからの課題、皆様と一緒に実現したいアイデアについても共有していきます。都市の森は、発見と驚きに満ちています。私は私なりにこの森を開拓してきましたが、まだまだこれからの未開拓の森なのです。そんな可能性の塊を前にした高揚感を、ぜひ多くの皆様と共有できればと思います。