| ロビン・ウォール・キマラー[著]モニーク・グレイ・スミス[翻案]ニコル・ナイトハルト[絵]三木直子[訳] 2.400円+税 A5判並製 304頁 2024年5月刊行 ISBN:978-4-8067-1666-2 【パブリッシャーズ・ウィークリー ベストブック2022ヤングアダルト部門受賞!】 豊かな言語、文化、そして家族や土地との強い結びつきをもつ 先住民の子孫であり科学者でもある著者が、 あらゆる「つながり」が破綻し欲望が暴走する社会に警鐘を鳴らしつつ、 科学的世界と伝承的世界を行き来しながら 地球からの贈り物にどうお返しすべきかを詩的に語りかける。 ジョン・バロウズ賞を受賞した著者による 『植物と叡智の守り人』を若い読者のために再編した、 用語解説や熟考のための質問によって 私たちを地球と自分に対するより深い理解へ導いてくれるガイドブック。 |
三木直子(みき・なおこ)
東京生まれ。国際基督教大学教養学部語学科卒業。
外資系広告代理店のテレビコマーシャル・プロデューサーを経て、1997年に独立。
海外のアーティストと日本の企業を結ぶコーディネーターとして活躍するかたわら、
テレビ番組の企画、クリエイターのためのワークショップやスピリチュアル・ワークショップなどを手がける。
訳書に『マザーツリー』(ダイヤモンド社)、
『CBD のすべて』『不安神経症・パニック障害が昨日より少し良くなる本』(ともに晶文社)、
『コケの自然誌』『錆と人間』『植物と叡智の守り人』(ともに築地書館)、ほか多数。
スイートグラスと出逢う
思い出してごらん
落ちてきたスカイウーマン
ウィンガシュク
スイートグラスを植える
ピーカンの忠告
イチゴの贈り物
捧げものをする
アスターとセイタカアワダチソウ
スイートグラスを育てる
メープルシュガーの月
ウィッチヘーゼルと隣人
すべてのものに先立つ言葉
スイートグラスの収穫
愛すること
3人姉妹
ブラックアッシュの籠
スイートグラスについての考察
メープルの国の市民権を得るには
良識ある収穫
スイートグラスを編む
「最初の人」ナナブジョを追って
大地に抱かれて
岬を燃やす
スイートグラスを取り戻す
原生林の子どもたち
スイートグラスを燃やす
ウィンディゴの足跡
トウモロコシの人びと、光の人びと
7番目の火の人びと
ウィンディゴに打ち勝つ
著者あとがき
訳者あとがき
原注
参考文献
索引
私がこの本を書きはじめたとき、世界はまだ無邪気だったような気がします。それは、世界中でCOVID-19 が流行し、大混乱を巻き起こす前のことでした。気候変動についても、土地やすべての生き物が公正に扱われることについても、誰かがリーダーシップを発揮してくれるだろうと人びとは楽観的でした。
私がこの本を書いたのは、自分たちの価値観や日々の営みが、私たちが正しい生き方に立ち戻るための手引として認められることを切望する先住民族の人びとの思いに応えるためでした。そこにはまた、さまざまな不公平に囲まれながら盗み取った土地に暮らす植民者たちの、どこかに自分の居場所を見つけ、責任を分かち合いたいという熱望があり、踏みにじられた大地そのものの、再び愛され、尊敬されたいという思いがあり、そしてカナダヅルやモリツグミやアヤメの、生きたい、という切なる思いがありました。
私はこの本を、アニシナアベの人びとや植物から教わったことに対するお返しのつもりで書きました。私たちの祖先がこうした教えをこれほど大切に守ってきたのは、植民者たちが抹殺しようとした私たちの世界観が、すべての生き物にとって必要なものになるときがいつかやってくるからだ、と言われています。7 番目の火の時代──気候が混乱し、人びとが分断されて節操を失っている今こそ、そのときなのだと私は思います。
共有したい、という衝動とともにまた、守りたい、という思いもあります。先住民族のもつ知識はこれまで、あまりにもしばしば盗用され、勝手に自分のものとされてきたので、知識を誰かに与えるときには、その知識に対する責任がしっかりと伴っていなければなりません。先住民族の叡智が、壊れてしまった地球との関係を癒やす薬になれるのならば、その癒やしの力を分かち合うという道徳的義務には、同時にその乱用を防ぐための処方箋がついてこなくてはならないのです。誰か他の人のやり方を借りてくるのではなく、自分の根っこを見つけ、自分で育てる方法を思い出すことで、人と自然との関係が真に回復するためにこの本が役立つことを私は願っています。
シャイアン族のエルダーだったビル・トール・ブルの言葉を思い出します。私が若かったころ、私は彼に向かって暗い気持ちで、植物や私が愛する土地に話しかけることのできるネイティブの言語を私は知らない、と嘆いたことがあります。「たしかに彼らは、古い言葉を聴くのが大好きだ。でも……」唇に指を当てながら彼は言いました。「ここで話さなくたっていいんだ。ここ」──胸を手の平で軽く叩きながら──「ここで話せば、彼らには聞こえるよ」。
この本で私が書いたことや紹介した物語は、スイートグラスに似ています。そのそれぞれに固有の歴史があり、それらは贈り物であり、薬でもあります。まったく同じスイートグラスがふたつとないように、先住民族ひとりひとりの経験、真実、教え、やり方もまたそれぞれに異なっているのです。
ロビン・ウォール・キマラー
私は小学校5年生のときに、本の翻訳家になろうと決めました。まだ英語のアルファベットさえ知らないのに、なぜ翻訳家になりたいと思ったのかと言えば、子どものころの私は本の虫で、学校の図書室の本を貪るように読んでおり、その中に、海外の児童文学の翻訳版がたくさんあったからです。テレビや映画では見るけれど行ったことのない遠い世界で起こる出来事の物語に私は夢中になり、大人になったら私も、世界を旅しながら面白い本を見つけて日本に紹介できたらどんなに素敵だろう、と思ったのでした。
英語教育の質の高さで知られた私立の中学を選んで受験し、中高一貫教育の私立女子校に入学した私は、幸いにも英語の授業が楽しく、翻訳家になるという思いをますます強くしていきました。
そして、高校生のときにはじめて出会ったのがネイティブアメリカンの文化でした。『アメリカ・インディアン悲史』という朝日選書の本を読んで彼らの悲しい歴史を知ったとき、中でも「ウンデッド・ニー」(1890年に大虐殺があったところ)という言葉を読んだときに、胸がズキンと痛んだのを今でもはっきり覚えています。
大学を卒業し、広告代理店で働きはじめましたが、ネイティブアメリカンの歴史や文化についての本を読んだり映画を観たりするうちに、関心はますます高まっていきました。その会社を辞め、映像をつくる仕事を始めてしばらくたったころには、かつて現在のモンタナ州の辺りに暮らしていたクロウ族の友人ができ、全米から何千人ものネイティブアメリカンが集まるパウワウを取材したり、ネイティブアメリカンのミュージシャンを日本に紹介するテレビ番組の制作に携わったりもしました。
そんな中で実際に話を聞いたネイティブアメリカンの人びとの多くは、お年寄りから若者、子どもまで、本当に見事なまでに「自然を敬い、自然から学ぶ」という考え方が身についていました。
その後、子どものときに決めた通りに翻訳家にはなったものの、児童文学を訳す機会にはまだ巡り合っていない私ですが、この本を通して、私が多大な影響を受けたネイティブアメリカンの人びとの考え方をこうして若い方にお伝えできることは、翻訳家としてこの上ない喜びです。
この本は、2018年に出版された『植物と叡智の守り人』を、若い人向けに編集し直したものです。もとになった本は、小さな出版社から出版され、何年もかかって口コミでじわじわと評判が広がり、ベストセラーになりました。今では多くの言語に翻訳され、環境や地球の未来を心配する人たちに広く読まれ、大切にされています。
この本を読んでいるあなたはおそらく、物心ついたときから、インターネットをはじめとする新しいテクノロジーを使いこなし、私が育った時代よりも格段に豊富な情報量の中で生きているはずです。海外の情報は指先のクリックひとつで手に入り、お目当ての物を探してあちらこちらの店を見てまわらなくてもオンラインショップで買ったものが玄関まで届く生活は、便利で快適です。
でもその一方で、私が子どもだったころにはまだ周りにいくらでもあった原っぱは姿を消し、屋外で自然に接する機会は少なくなり、自然と人間の距離はずいぶん大きくなってしまったように感じます。
あふれるほどの情報の中には互いに矛盾するものも多く、大人たちの言うことは食い違い、混乱することもあるでしょう。いったい誰が、何のためにその情報を発しているのか──情報の背景にある事情まで考慮しながら情報の信憑性を確かめる、「メディア・リテラシー」が必要な時代です。誰の言うことを信じたらいいのかわからない、と思うこともあるはずです。みなさんの何倍もの年月を生きてきた私ですらそうなのですから、若いみなさんがそう感じても不思議はありません。
でも、混乱することだらけのこの世の中で、ひとつ確実なことがあるとしたらそれは、私たち人間が、この地球という惑星の自然の中で生かされているのだということ、自然が私たちに与えてくれる豊かな恵みがなければ私たちは生きていけない、ということです。ネイティブアメリカンの人びとが引き継いできた豊かな精神性には、そのことがしっかりと刻み込まれています。
ネイティブアメリカンなんて、遠いところに住む、自分とは関係のない人たちだと思うかもしれません。でも、私たち日本人だって、近代資本主義とグローバリズムに呑み込まれるまでは、豊かな里山で、自然と調和して暮らしていました。
「八やおよろず百万の神々」という言葉には、自然の万物のすべてに神様が宿っていると考えた昔の人たちの考え方が表れています。そのような考え方は、ネイティブアメリカンに限らず、自然とのつながりの中で生きていた世界中の人びとが共通してもっていたものなのだと私は思います。
私たち大人は、あなたたちが引き継ぐこの星を傷つけることばかりしてきました。地球の資源を無節操に使って枯渇させ、その結果引き起こされた気候変動、森林破壊、貧富の差の拡大。そのツケを押しつけられるみなさんに、私は一人の大人として申し訳なく思います。
壊れかかっているこの地球を救い、あなたたちが大人になったときに、今よりも美しい、少なくとも今のままの地球があるかどうかは、この星の上に生きるすべての人間がかつての精神性を取り戻し、自然とのしっかりしたつながりを再び築けるかどうかにかかっています。
そしてこの本には、そのために何をしたらいいのか、何ができるのか、そのヒントが詰まっています。まだ心がしなやかで、大きな可能性を抱えて生きているあなたたちだからこそ、今、ネイティブアメリカンの叡智に耳を傾け、この本を、未来を生きていく上での羅針盤としてくれればと願います。
本書は、2013年に米国で出版された『Braiding Sweetgrass』(『植物と叡智の守り人』築地書館、2018年)を
若い読者向けに再編した『Braiding Sweetgrass for Young Adults』の日本語版です。
あらゆる娯楽を享受し、食べたい時に食べたいものを食べ、
絶え間なく更新される情報を最小限の時間で流し見て生きる現代の若者たち。
彼らは真の意味で豊かな人生を送っていると言えるでしょうか?
いくら資源に恵まれていても、それを当たり前と思って消費してばかりいれば、
あっという間に手元から消えていきます。
中には二度と戻ってこないものもあるかもしれません。
歩みを支えてくれる大地、空気や水を清めてくれる植物、肉や毛皮で生かしてくれる動物たち、
自分のために時間を割いてくれる家族や友人。
そのすべてに対する感謝の念を思い出させてくれるきっかけが、
これからの地球を生きていく人間社会には必要なのです。
著者は、無力感に苛まれ厭世的ですらある現代の若者を豊かな言葉で励まし、
地球温暖化をはじめとする数多の問題に立ち向かう勇気をくれます。
そして、若者だけでなく地球に生きるすべての人びとに、
これからの生き方をどう選択していくべきか気づかせてくれます。
ただ読んで終わりにならぬよう、
読者に「あなたはどうですか?」と問いかける熟考のための質問が各所にちりばめられており、
学校でのグループワークや自己学習にもお使いいただけます。
また、キーワードの横には用語解説がつき、読者を置き去りにしないよう工夫されています。
10代からシニアまで、表面的ではない深い理解が得られる環境教育の入門書として最適な1冊です。