| パトリック・E・マクガヴァン[著] きはらちあき[訳] 3,000円+税 四六判並製 368頁 2024年5月刊行 ISBN978-4-8067-1663-1 古来、人類が発酵を利用して醸造を始め、堪能してきたアルコール飲料。 一体いつ頃から、どんな方法や材料を使って造られてきたのか? 世界各地の遺跡に残る器に付着した残渣の化学解析結果を手がかりに、 探究心に溢れる考古生化学者と型破りなクラフトビール醸造家がタッグを組んで、 かつて飲まれていた様々な地の超絶発酵アルコール飲料の再現に挑戦していく。 |
パトリック・E・マクガヴァン(Patrick E. McGovern)
ペンシルベニア大学考古学人類学博物館の
「料理・発酵飲料・健康に関する考古生化学プロジェクト」の科学ディレクターで、
人類学部の非常勤教授。
本書では、ドッグフィッシュ・ヘッド醸造所の創設者であるサム・カラジョーネとともに、
古代ビールやスピリッツの再現に乗り出す。
著書にAncient Wine: The Search for the Origins of Vinicultureや
Uncorking the Past: The Quest for Wine, Beer, and Other Alcoholic Beverages
(邦訳書『酒の起源』、白揚社)などがある。
きはらちあき(きはら・ちあき)
オーストラリアの大学に交換留学、アメリカの大学で日本語を教えながら外国語教育学修士号取得。
帰国後エンジニアリング系の社内通訳翻訳者として働いたのち、
ヨガ・鉄道系の通訳・翻訳を中心にフリーランスとして幅広く活動。
訳書に『天然発酵の世界』(築地書館)がある。
もともと日本酒・ワイン好きで、本書翻訳によりクラフトビールも守備範囲となる。
いろんな国を訪れて地元の人と語り、歴史や文化、そして美味しい食べ物や飲み物を知るのが趣味。
はしがき サム・カラジョーネ
序章
古代発酵アルコール飲料を発見する──まずは発掘現場で
お次は化学──研究室にて
さらに視野を広げて──様々な角度からデータを分析する
本格的な古代発酵アルコール飲料を造る
1章 超絶発酵アルコール飲料の聖杯
アルコール溢れる宇宙から地球へ
賽は投げられた──革命的白亜紀と酔っ払いの土台作り
動物たちに乾杯!
酒豪の霊長類、ツパイ
酔いどれの猿、登場。
古代人類も参入
ヒトはなぜ酒を飲むのか?
超絶発酵アルコール飲料とは何か?
超絶発酵アルコール飲料を作ろう
超絶発酵アルコール飲料の聖杯を探して
2章 ミダス・タッチ 中東の王にふさわしきエリクサー(神秘の妙薬)
墓は開かれた
超絶発酵アルコール飲料を徹底分析する
実験考古学の出番だ
ビール天国で過ごした若かりし日々
マイケル・ジャクソンとミダスに乾杯
現代に蘇る、「ミダス王」告別の宴
完璧な相性
世に躍り出るミダス・タッチ
ミダスは二度死ぬ──ミダス・タッチの復活
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ミダス・タッチの自家醸造用アレンジレシピ
ミダス・タッチとのペアリング料理 焦がしラム肉とレンズ豆のスパイスシチュー
3章 シャトー・ジアフー(賈湖城) 中国でずっと酔いしれていたい新石器時代ビール
冒険に満ちた新しい世界、アジアへ
賈湖紹介前に期待を高めるこぼれ話──西安
新しい世界への扉が開く
単なる酒飲み社会ではなかった賈湖
分析開始
ブドウかサンザシ、はたまた両方使ったのかもしれないワインの再現
最古の米ビールを解き明かす
表舞台に躍り出た世界最古のミード
賈湖の超絶発酵飲料を蘇らせる
一番お気に入りの再現飲料
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シャトー・ジアフーの自家醸造用アレンジレシピ
シャトー・ジアフーとのペアリング料理 スパイシー豆腐・発酵黒豆ソース・発酵黒豆・大根の漬物
4章 タ・ヘンケット 陽気なアフリカの祖先にぴったりなハーブ炸裂ビール
証拠を揃える
悠久の旅へのワインとビール
副原料は樹脂とハーブと果物
いつまでも変わらぬワイン
歴史に残る酵母
考古学的な腫瘍学と医学──発掘で秘薬発見
死者の世界に降り立って
カイロのスーク(市場)でぶら歩き
ショウジョウバエの出番だ
ナイル川セーリング
デラウェア州帰還
ひと癖あるビール
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タ・ヘンケットの自家醸造用アレンジレシピ
タ・ヘンケットとのペアリング料理 丸ごと一羽分のガチョウのロースト
5章 エトルスカ ワイン来襲前のヨーロッパに「グロッグ」ありき
陸にあってはワイン醸造家、海にあっては商人のカナン人
ワイン文化の船出
波の下面で
地中海を跳び越えて
次なる目的地ギリシアへ
エトルリア人、登場。
エトルリアのグロッグ
我らがエトルスカのレシピ考案
真打ち酵母
イタリアを味わう
もうひとつのエトルスカ
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エトルスカの自家醸造用アレンジレシピ
エトルスカとのペアリング料理レシピ 豚肩肉のグリル&ブレイズ(蒸し煮)
6章 クヴァシル 凍える夜に沁(し)みる熱き北欧グロッグ
まずは西方のガリアとカタロニアへ──フランス・スペイン編
今度は進路を北に──ドイツ編
ウルティマ・トゥーレ(世界の果て)を目指す──スコットランド編
スカンジナビア狂走曲──スウェーデン編
デンマークで見た白昼夢──デンマーク編
エクトヴィズの巫女は酒呑舞姫
北欧とワイン──わずかな滴りから、やがて洪水に
別格の酒、ミード
我らの北欧グロッグを蘇らせる
さらに酸味が強いクヴァシルへの道のり
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クヴァシルの自家醸造用アレンジレシピ
クヴァシルとのペアリング料理 24時間で完成のグラブラックス
7章 テオブロマ ロマンスをかきたてる甘いブレンド
氷河期の冒険家
またもや僥倖に恵まれる
甘美な発見
一躍脚光を浴びるプエルト・エスコンディド
最古のカカオ飲料には、別の材料も入っていたのか?
真正のチョコレート愛好家向け飲料
やられた
我々の解釈に基づく古代チョコレート飲料を創り出す
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テオブロマの自家醸造用アレンジレシピ
テオブロマとのペアリング料理 ダック・モーレ(鴨のチョコレートソースがけ)
8章 チチャ ひたすら噛んで手に入れる栄光のコーン・ビール
噛みかすだらけの洞窟
我々の原始的本能が生んだ革命的結果
マチュピチュに登って……
クスコへ戻り……
……そしてアマゾンのジャングル奥深くへ
インカ帝国には不可欠だった発酵アルコール飲料、コーン・チチャ
我々の生物的・文化的・歯的根(ルーツ)に立ち返る
recipe
チチャの自家醸造用アレンジレシピ
「チチャ」とのペアリング料理 ペルー式セビーチェ
9章 お次は? 新世界のカクテルなどいかが?
異なる知識と専門性の融合
現在進行中のプロジェクトは?
新世界での冒険ふたたび
実験考古学もまた少し
アステカのエリクサー(妙薬)「トゥー・ラビット・プルケ」
いざ作業開始
我らが再現酒への命名、そしてお披露目
未来は過去である
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トゥー・ラビット・プルケの自家醸造用アレンジレシピ
トゥー・ラビット・プルケとのペアリング料理 ウサギのシチュー
訳者あとがき
酒にまつわる年表
図版リスト
参考文献
索引
パット〔「パトリック」の愛称〕・マクガヴァン博士に初めて会ったのは1999年、博士の拠点であるペンシルベニア大学の博物館で催されたビール祭りだった。イギリス出身の評論家で現代ビアジャーナリズムの重鎮マイケル・ジャクソンから紹介されて、一緒にビールを何杯か飲んだのである。
その後「ミダス・タッチ」醸造で初めて協働することになり、その一回目の仕込みに向けて、博士は朝早く我がブリュー・パブ〔パブを併設する醸造所〕へやってきた。共にコーヒーを飲みつつ雑談するうち、今回のバッチ〔一回分の仕込み量〕に使うハチミツはどこ産のものにすべきか、という話になった。トルコ産か、それともイタリア産か? すると博士は、なんの断りもなくつかつかとバーカウンターの内側に回り、持っていたコーヒーカップへ、まだ朝の9時だというのに我が醸造所のビール「チコリ・スタウト」をなみなみと注いだのである。
そして歴史上どちらのハチミツが使われたはずかについて熱弁を振るったかと思えば、今度はどちらが一番美味しそうな香りをほんのりとビールにつけられるかを自分で反論している。そんな博士の話を聞きながら、「専門的な知識が半端ないだけじゃなく、朝から堂々とビールを飲めるこの男との付き合いはきっと面白くなるぞ」と直感した。
以来ずっと、パット博士とは馬が合う。それは恐らく我々の視点や個性が重なるのではなく、足りない部分を補い合うからだろう。博士の関心事は過去で、自分のは現代、と評した博士の言葉は実に言い得て妙だ。
ドッグフィッシュ・ヘッド醸造所で行なう日々の作業は現代、さらに言えば未来に向けたクラフトビール造りではありつつも、パット博士と一緒に過去を見つめる作業では、公私ともに得るものが多いのはもう間違いない。ドッグフィッシュ・ヘッドの醸造チーム・リーダーであるマーク・サファリク、シェフのケビン・ダウニングといった独創的でかけがえのない我が同僚たちのみならず、自家醸造用品店「エクストリーム・ブリューイング」経営者のダグ・グリフィスなど、パット博士と仕事をした経験のある者は皆同じ意見ではなかろうか。
それに自家醸造家も商業的醸造従事者も、あるいは単なるビール好きも、我々の祖先が発酵飲料をどう造りどう消費していたのかを知るべく過去を振り返ってみると、未来を向いて自分ひとりの想像力のみに頼るのと同じくらい、あるいはもっと多くの新たな発想のひらめきが得られるはずだと確信している。
自分は大学卒業後一カ月で自家醸造(ホームブリューイング)を始め、その数カ月後にはもう醸造所開設を目指して事業計画書を書き始めた。まだ24歳の若造としては極めて小規模の醸造所から始めるのは織り込み済みで、更に英文科専攻とあっては、それまでの経験といってもバーテンダーかウェイターが関の山だ。
そのため1980年代にアメリカ各地で創設され、当時既にある程度名が通っていた第一世代クラフトビール醸造所(当時はマイクロブリュワーと呼ばれた)の数々に対抗して一目置かれるには、明確な差別化を図って独自性の高いビジネスモデルを作らねばならないのはわかっていた。
これは1990年代の始め頃の話で、インターネット時代の黎明(れいめい)期だったにもかわらず、自分は古臭くニューヨーク市立公共図書館に足を運んでいろいろリサーチした。そしてアメリカで地産地消運動が始まった頃に焦点を定め、西海岸の有名レストラン「シェ・パニース」のアリス・ウォーターズから、東海岸の偉大なローカルフード提唱者のジェームズ・ビアードまで、あらゆる人物を調べ上げたのである。
現代アメリカの地産地消運動を調べるうち、ドイツのビール純粋令「ラインハイツゲボット」という概念に出くわした。これはビール醸造の原料を水とオオムギとホップに限定すると宣言した法律(のちに酵母の役割がより深く理解され、酵母も含めると改定された)で、皮肉にもこの「はしがき」執筆中の今はちょうどめでたく当該法令の制定500周年となる。この法令の話を読んだ時、これは戦いへの呼び声だ、これをドッグフィッシュ・ヘッドの大きな差別化要因にしよう、と心に決めた。
つまり我がブリュワリーは、この純粋令の枠を超えた世界中の食材を、我々の作るビールのほとんどに使っていく初の醸造所になるのだ。そして1995年、最初に作ったビールのひとつは「チコリ・スタウト」、もうひとつはレーズン(干しブドウ)とてんさい糖を使った「レーゾン・デートル」〔フランス語の「存在意義(レゾン・デートル)」に干しブドウのレーズンをかけている〕であった。
その後ハチミツと木の葉を使ったエチオピアの「タッジ」や、ハチミツとオオムギを一緒に発酵させた中世イギリスの「ブラゴット」など、自分としては「歴史シリーズ」と分類したいビールにも幅を広げた。
しかし当初は、酵母とホップとオオムギ以外の普通の食材でビールを作るなんてビール造りの伝統を冒涜している、と思われていた。だからこそ、パット博士に出会えて本当に良かったと思う。なぜなら本書を読めばわかる通り、あの500年前の法律の裏にある考え方は、実は割と現代的な制約だったと判明したからだ。
パット博士と協働作業を開始し、「液状タイムカプセル」とふたりで呼んでいる一連の飲み物を醸造して、眠っていた伝統を現代に蘇らせ始めてからやっと、自分のやり方を誇れるようになった。ビール純粋令は、ビール造りを取り締まろうとする比較的最近の試みに過ぎないのだと、歴史と科学が証明し味方してくれる。
世界のあちこちに散らばる数多くの多様な文明社会でずっと実践されてきたビール造りを制約したのは、単に作り手の発想力と、その人たちの住む地に育つ自然産物の種類だけだった、とパット博士との作業を通じて学んだ。博士と知り合う前に我流で造った歴史シリーズ・ビールや、歴史的要素は皆無の単なる思いつきから普通の食材を使って造ったビールなどで自分が既に実践し始めていたやり方を、博士は科学と実際の古代酒の残渣(ざんさ)を再現レシピ作りの裏づけにして、かなり本格的なレベルに引き上げてくれたのである。
とはいえ、古代レシピの再現に創作的要素がまったく必要ないわけではない。パット博士の研究からは多すぎるほどの材料候補がリストアップされてくるので、それを現代版に解釈してまとめ上げるのは我々ドッグフィッシュ・ヘッドの仕事になる。現代の醸造家としては、パット博士の発見に忠実でありつつも、現代ビール愛飲家の期待を裏切ってはならない。そして本書に出てくるほとんどの自家醸造用レシピで、現代ビール愛飲家のためにあえて通させてもらった主張が少なくともひとつある。
それはほぼ全てのレシピで、ビールを煮沸して無菌状態を作り、純粋培養された単一酵母のみを使ったことだ。本書に載っているどのレシピも、それがもともと実際に作られて飲まれていた時代では、自然に存在する天然の細菌や酵母で発酵していた可能性がかなり高い。ほぼ間違いなく、現在でも天然の酵母や細菌を使って醸造して意図的に酸味を強くしているベルギービールのランビックによく似た味だっただろう。我を通させてもらったその一点を除き、あとはできるだけ本物に近づけるよう尽力した。
試験的に造ったバッチをパット博士と一緒に飲んでみる時間の大切さと、そこで得られる情報の多さは、全工程のどの段階にも引けを取らない。博士は優秀な科学者であると同時に、ビールの飲み手としても卓越しているのだ。味覚が非常に鋭く、ドッグフィッシュ・ヘッドのメンバーで行なう再現レシピ開発にも積極的に関わってくる。
だがやはり仕事のやり方は、博士と自分とでは根本的に違う。自分は起業家なだけに、危機に直面したり、危ない橋を渡ったりする場面で俄然やる気が出る。また、とにかく何もかもまず壁に投げつけてみて、何がくっつくのか、どの組み合わせが一番うまくいくのかを試すようなやり方が好きだ。
一方、パット博士は科学的手法を使う。考えられる要素をひとつずつ順番に入れ変えて、得られたデータの細かい部分をつぶさに研究していくのを好む。ありがたいことに、こんなにも違うふたりのやり方は、協働の精神で実践するとなぜか見事にうまくいく。レシピの詳細を決める中で意見が食い違う場合も、常に互いの言い分に耳を傾けた。
事業を一から起こした身としては、自分とは少し違う分野での造詣がここまで深い人物とともに過ごせる時間はとてつもなく貴重だ。そして本書の一番いいところは、こんなふたりの知識がひとつにまとまっているため、歴史学者にも科学者にも自家醸造マニアにも、等しく何かを提供できることだ。
それに、博士と自分が互いの意見を聞いて、相手の専門分野に鑑みてから決断するやり方のおかげで、最終的なレシピの完成度もより高くなっている。本書に載っているどのレシピを取っても、その裏には我々がパイントグラス〔米国のパイントは473ミリリットル〕で何杯もビールを飲みつつ交わした何百通ものメールや度重なる議論があるのだと、本書を読んでいる自家醸造家(あるいはドッグフィッシュ・ヘッドのミダス・タッチを酒屋まで買いに行こうとしている読者)諸君には知っておいていただきたい。我々の異なる視点が織り込まれたこうしたレシピの数々は、歴史と現代のどちらの観点からしても、かなりしっかりしたものになっている。
パット博士と仕事をするまで、人の唾液にはデンプンを糖に変える酵素が含まれているなど想像だにしなかった。世界の様々な地域で作られているその土地発祥のビールの多くは、デンプン質たっぷりの穀類や植物を噛んで、デンプンの糖化を促してから醸造されていたという。博士と一緒にそんなビールを初めて造った時、ブリューハウスのあちこちでひっくり返したバケツに座って、午後から半日かけて皆でトウモロコシを噛んでは唾液とともに吐き出し続けた。その途中、ぼんやりと自分の世界に入り込み、こう思ったのを覚えている。
「これ本気(マジ)ですごすぎるぞ。おまけにあまりにも普通じゃない。皆でここに座ってビールを作っていて、その材料がトウモロコシってだけじゃなく、唾まで使うなんて」。しかし唾液をビール造りに使うのは別に斬新でも酔狂でもない。歴史が蘇っただけの話だ。
自分という存在について深く考えさせられたのは、古代エジプト王朝の貴族だったティの墳墓にパット博士といた時だ。その考古遺跡の壁には、現在知られている限り最古の、アルコール醸造工程を芸術的に描いた図がある(4章)。自分にとってビール造りは生計を立てる手段だ。そんな自分の存在意義(レゾン・デートル)が壁に刻み込まれた
あの図を目前にして、何かとても感慨深いものがあった。あの壁と、あの図と、アルコール醸造技術が今も存在している(加えて自分が最古の醸造者たちを理解できる)のは、物語を語り伝える力と、その揺るぎなさのたまものだ。研究論文で自分の発見を発表しようとする科学者であれ、同業者のせめぎ合う市場で新製品をうち出そうとする起業家であれ、その試みが成功するか否かは、自分の物語をどれだけ上手く語り伝えられるかにかかっている。
例えば本書を読む自家醸造家たちは、この惑星に動物が現れる前にもう宇宙の銀河に存在していたガス状星雲のアルコールから、我々が今日作っては消費するアルコールまで、アルコールがいかに我々人間の営みとは切り離せないものなのかを知って、まず大きな驚きを覚えるだろう。パット博士は巧みな語り口で、このふたつを繋ぐ線を描き出していく。
だから自家醸造家諸君には、ぜひ語り部のひとりになって、同じように語り伝えてほしい。ビールとは、世界の大規模ブリュワリーの多くが消費者に信じ込ませようとしているものよりずっと幅広くもっと面白く、遥かに奥深いものと認識されてしかるべきだと、人々に広めていく伝道師になってくれるよう願っている。
現在、世界中の飲酒体験を画一化し、商品化しようとする強烈な圧力がある。よって、あの暗い部屋の壁に描かれた古代エジプトの醸造家から現代のパット博士と自分までずっと続いてきたこの系譜を永続させられるかどうかは、本書のレシピを再現する自家醸造家諸君にかかっている。
そこでまずは、本書掲載レシピをその通りに再現して、腕を磨くようお勧めしたい。そこから始めて、やがて将来的には自己流で思いつくまま好きに造ってみてほしい。この本は、各レシピをできるだけ本格的に再現するための定石集でありつつも、組み合わせをくるくる変えられる、ある意味醸造家のルービックキューブとしても使えるのだ。
例えば本書掲載のペアリング料理レシピにある食材を、ビールレシピに加えてみてはどうだろう? もしくはアメリカ大陸系のレシピ材料を北欧ビールのレシピに盛り込んでみるとか? 我々現代の醸造家は、最高の材料を世界中からすぐ簡単に入手できる。思いっきり古代に遡って、複数地域の自家醸造レシピをひとつのレシピにまとめ合わせ、古代の超大陸パンゲアを象徴的に復元することだってできるのだ。
本書に掲載されている様々な材料を恐れずどんどん使って、自分だけのまったく新しい飲み物や料理を作ってみよう。ありとあらゆる食材を試してみてほしい。
あの事業計画書を初めて書いた22年以上前と変わらずに、今も日々ワクワクしながら創意溢れるクラフトビール造りを続けられているのは本当にありがたいと思う。ビール醸造家(自家醸造としても商業醸造としても)でいること、もしくはビールの愛飲家でいることがこんなにも面白い時代は未だかつてなかった。
世界中のビールのスタイルも伝統も、これまでにないほど多様化している。そして自分と博士が行なってきた共同作業に触発されて、いろんな人がそれぞれの解釈で古代飲料を実際に作っているのを見ると嬉しくなる。
たとえそれが、他の商業的なビール醸造所も独自の古代酒や歴史的なアルコール飲料を醸造するようになって、この分野の競争をさらに激化させているのだとしても、結局古(いにしえ)の発酵飲料の再現を先駆けたパット博士の草分けとしての功績をより際立たせるだけだ。
そうした流れとともに、比較的小規模ながらも最高に独創的なクラフトビール醸造所の数々に奪われた消費者を取り戻そうと、世界最大級のビール会社たちは躍起になっている。そこで世界中の創造性豊かな商業的ビール醸造所を代表し、本書の読者諸君にはぜひこの本に掲載されているレシピを自分で作ってみて、それを家族や友人との食事や語らいの場で分かち合っていただくようお願いしたい。
そうすればパット博士が果敢に学者人生を捧げて現代に存続させようとしている遠い昔の伝統を、皆で繋いでいけるのだ。本書は世界の科学・歴史・考古学・社会学など、驚くほど幅広い情報を面白く且つわかりやすくまとめている。この本が醸造家たちへの刺激となって、パット博士と自分の灯した独創的なビール醸造のともし火を、過ぎ去った遠い過去に敬意を払いつつ、さらに未来へと運んでいってくれれば幸いである。
「人類は遥か昔からずっと発酵飲料を作って飲んできた」という持論のもと、我々の祖先たちが堪能していたと思しき発酵飲料の痕跡を辿って世界各地の古代飲料を研究する著者「パット博士」は、「古代発酵飲料のインディ・ジョーンズ」とも呼ばれている。
博士は米国ペンシルベニア大学考古学人類学博物館の考古生化学者であり、様々な地で発見された古代飲料の残渣を化学分析し、その結果と多岐にわたる分野からの裏付け証拠をもとに材料と作り方を推定して、古代飲料を現代で現実の飲料として蘇らせてきたのである。
本書では、博士が再現に関わった飲料8つを各章でひとつずつ取り上げ、それぞれの飲料にまつわる歴史や文化などのいろんな背景情報をたっぷりと交えながら、再現の過程とお披露目に至るまでのドラマをパット博士の視点で紹介している。
本書は、2017年にAmerican Society of Overseas Research(米国国際研究学会)より、学者のみならず広く一般の人々にも考古学的事実を伝える総合的学術図書に贈られるナンシー・ラップ大衆図書賞を受賞した。まさに、一般の人が読んで思わず誰かに語りたくなる興味深い話でいっぱいの本なのだ。
本書で取り上げる8つの再現飲料を実現化したのは、「型破りな人のための型破りなビール」作りを理念に掲げて米国で独創的なクラフトビールを生み出し続けるドッグフィシュ・ヘッド醸造所だ。現在はドッグフィッシュ・ヘッドのように変わった材料でビールを作る醸造所も少なくないが、1995年の創業当初はまだ珍しい存在で批判も多く受け、当時の醸造日の平均的な醸造量は約90リットル程度だったという。
それが2章のミダス・タッチを機に一気に認知度を上げ、2010年には4章にも登場するテレビ番組『ブリュー・マスターズ』シリーズが放映されるなど、今や米国では名の知れた醸造所となり、2021年には最大約227キロリットル醸造する日もあったと同醸造所のウェブサイトに載っている。本書でパット博士の相棒として登場する創業者のサム・カラジョーネは、2017年に米国料理界のアカデミー賞と称されるジェームズ・ビアード賞の優秀ワイン・スピリッツ・ビール・プロフェッショナル賞を受賞している。
物語は、各章で取り上げる古代飲料に関連する時代と地球上の様々な地域を旅する形で進んでいく。そのため、舞台となる時間も場所も目まぐるしく移動する。私は翻訳しながら年表と地図を作成して情報を整理していた。
そんな中、編集者より本書に地図を入れないかと打診され、それなら年表も、と原書にはないオリジナルの地図と年表を特別に作成して本書に組んでいただいた。特に地図は、物語に登場する主要な場所に絞り、本書を読みながらパット博士と一緒に旅していけるものに仕上げてもらった。何度も細かな修正に対応くださったデザイナー氏に感謝申し上げたい。祖先とパット博士の旅路、そして時空を越えて存在する発酵飲料を視覚的に感じていただければと思う。
言語好きだという本人の言葉通り、この著者は舞台となる国や地域の言葉を物語の端々で紹介していく。3章の中国においても同様で、もともと英語表記がほぼ中国語の発音通りの地名・人名はともかく、書物などの様々なものの名称も披露してくれる。そんな著者の言語愛と旅の雰囲気を味わうため、著者が中国名を示しているものはカタカナでルビを振り、日本語で通常使われる読み方をひらがなで表記した。著者による中国名記載のないものは、必要に応じてひらがなで日本語読みのみを示している。
また、本書で使用している外国語のカタカナ表記は、いろんな書き方や考え方があるのを理解し、様々な要素を考慮した上で選んでいった。例えばトウモロコシの前身teoshinte は、発音通りにあえてテオシンテとしている。
一方で、ドッグフィッシュ・ヘッド創設者サムの名字は発音通りならカラジオーニだが、ビア検定にカラジョーネの名で記載されていると知ってカラジョーネに揃えた。そして醸造関連のbrew は色のblue と区別するためブリューで統一している。
言語に関しては著者の熱意にすぐさま共感できたものの、考古生化学者である著者の説明する化学や考古学の話は私にとって非常に難解なものが多く、全体的にかなりのリサーチが必要であった。
そしてインターネットでそんな概念や用語を検索すると、かなりの頻度で中学・高校生向け受験対策サイトに当たり、これは中学・高校で学ぶレベルの内容なのかと何度も驚かされた。
2章以降、再現ビールの自家醸造レシピとペアリング料理レシピが掲載されている。ビール醸造や料理に関してパット博士はもっぱら飲む・食べる専門のようで、本書掲載のビール・料理レシピはどれもパット博士と交流のある別の人物によるものだ。
自家醸造ビールレシピは、ドッグフィッシュ・ヘッドが再現した商業レベルの本格的レシピではなく、あくまで趣味範囲で自家醸造する人に向けてアレンジされている。2章のミダス・タッチは入門編なのか、かなり簡略化されており、そこからだんだんと難度が上がっていくようだ。
だが世界の多くの国では自家醸造をそんなふうに趣味として気軽に行なえる一方、日本ではあいにく酒税法により、酒造免許を持たない一般人が度数1%以上のアルコールを作ることは禁じられている。
ではこんなレシピがあっても日本では無駄かというと、そうとも言えない。酒造免許を持たない者が、免許を所持するブリュワーの設備と指導のもとで合法的に醸造体験できるBOP(Brewing On Premise)という仕組みが日本でも使えるらしい。また、既に免許を取得して本格的な醸造を実践している人々には、何かのヒントになるやり方や材料もあるかもしれない。
料理レシピは、各再現ビールとのペアリング案として掲載されている。しかし現在ドッグフィッシュ・ヘッドは本書掲載ビールのいずれも醸造しておらず、おまけに日本では自家醸造もできないとあっては、「この飲み物に合う料理」と言われても試しようがない、と不満の声が上がりそうだ。それにそもそも入手困難な材料も多く、ただ作るだけでも難しい。
しかし掲載レシピの多くは再現ビールの元になった地域の代表的料理で、レシピ内容を見るだけでも旅行気分が味わえる。また3章のペアリング料理レシピに含まれている大根の漬物レシピなどは、日本では単に塩漬けにするところで、いかにもビール醸造に携わる人らしいレシピ材料や作り方が面白い。
さらに、とりあえず入手可能な食材のみでスパイシー豆腐を作ってみたところ、シナモンの量が半端なく、日本や中国の麻婆豆腐ともまた違う不思議な味がした。どんな素材を使ったどんな料理があるのか覗いてみて、物語の一部として楽しんでいただきたい。
本書を翻訳するまで私が好んで飲んだのはワインと日本酒で、ビールはほとんど飲まなかった。ビールはどれもただ苦いだけの飲み物だと思っていたのだ。しかしこの翻訳を機に「リサーチ」と称して、風変わりな食材を使った世界各地のクラフトビールを見つけるたびに片っ端から試飲してみた。
そして、わりとよく見かける柑橘系などの一般的な果実を使ったもののほか、山椒や栗、桜の葉などを副原料に使ったり、アップル・クランブルやクッキーなどの菓子風味に仕上げたりといった数々の個性的なビールとの出会いを経て、ワインや日本酒と同様に、いろんな味わいが存在するクラフトビールも俄然面白くなってきた。
実はミダス・タッチもアメリカ在住の友人を通じて入手して飲んでみた。本書を初めて読んだとき、ビールとミードとワインを混ぜたような飲み物なんて想像もつかなかったが、ミダス・タッチはこれまでに飲んだどのビールとも違う美味しさで、こんなビールがあるのかと驚愕した(現在ドッグフィッシュ・ヘッドではもう醸造していないのがとても残念だ)。
3章で著者は日本酒が「精米、単一酵母、そしてきめ細かくコントロールされた醸造工程に従って造られる」と述べている。だが日本酒も画一化された飲み物では決してなく、使う米(素材)・酵母・水・温度・醸造法の違いによって様々な味わいの異なりを楽しめる。そしてそれはきっとどんなアルコール飲料でも同じ話なのだ、と今は思う。
世界には実に様々なアルコール飲料があり、それでいて国や文化を越えて楽しまれる。音楽と同じく、まるで世界共通言語だ。様々な物語が詰まったこの本も、アルコール飲料を作る人・飲む人・飲まない人のいずれにも楽しんでもらえれば幸いである。(後略)
さまざまな特徴を持つクラフトビール醸造所が登場し、世界中で大勢の人が楽しむ現代。
そんなビールの始まりはどこにあったのか。
人類はいつから、どんなビールを飲んでいたのか。
本書では研究者と醸造家がタッグを組んで、
ビールの原料を定めた「ビール純粋令」の意外な真実を解き明かし、
FDAやTTBによる現代の材料規制をくぐり抜け、
古代飲まれていたビールとアルコール飲料を再現します。
とはいえ語り口はただの解説書にはあらず。
深い知識と醸造の経験をもとにつむがれる文章は軽快で、
著者らを突き動かす好奇心と古代ビールへの欲求は読者を笑わせることもしばしば。
米やチョコレート、トウモロコシなど、
今でも馴染みのある食材を使ったビールとはどんな味なのか、
酵母は何を使っていたのか、想像しながら読むのもきっと楽しいでしょう。