| リンジー・ブルゴン[著] 門脇仁[訳] 2,700円+税 四六判上製 320頁 2023年5月刊行 ISBN978-4-8067-1651-8 ロビンフッドの時代から、木を盗むことは根の深い抗議行動である。 北米の原生林を守るための自然公園の拡張によって立ち退かされ、 追いやられる地域社会の奥深くに暮らす樹盗に寄り添って 口述史家として取材することで生まれた深掘りノンフィクション。 深く調べつくした取材、異彩放つ人物たち、森林伐採史、政策分析、最新の樹木科学。 陰謀、犯罪、そして森林の内部に隠された信じがたい複雑性へのスリリングな旅へ読者を誘う。 |
リンジー・ブルゴン(Lyndsie Bourgon)
カナダのブリティッシュ・コロンビア州を拠点とするライター、口述史家。
2018年にはナショナル・ジオグラフィック 特派員に選ばれる。
環境と、歴史、文化、地域社会に根差した地域住民のアイデンティティとの絡み合いについての執筆が多い。
彼女の記事は、アトランティック、スミソニアン、ガーディアン、オックスフォードアメリカンなどで掲載されている。
本書が初の著書である。
門脇 仁(かどわき・ひとし)
森林生態系と林業システムの研究でパリ第8大学大学院上級研究課程修了。
現在、著述・翻訳家。法政大学・東京理科大学非常勤講師。
著書『エコカルチャーから見た世界―思考・伝統・アートで読み解く』(ミネルヴァ書房)他。
訳書『エコロジーの歴史』(緑風出版)、『環境の歴史』(みすず書房、共訳)他。
主な登場人物
プロローグ―メイクリークの闇の中で
第1部 根(ルーツ)
第1章 乱伐
原生林で盗伐事件に出会う
10億ドルの違法伐採取締りがむずかしい理由
森の圧倒的な美しさに囲まれて暮らす人びとがなぜ盗伐を?
第2章 密猟者と狩猟管理者
17世紀、イングランドの樹盗たち
共有地の利用を地域住民に保障したフォレスト憲章
第3章 沿岸から内陸へ
広大な森を滅ぼし、先住民を排した建国事業
自然保護活動のはじまり
カリフォルニアのゴールドラッシュと赤い金塊レッドウッドの森
太平洋岸北西部の大森林が木材資源の「安定供給」を可能に
富裕層のサポートで発展した保護活動
第4章 荒涼たる景観
林産業労働者と環境保護主義者が連帯して過伐採に対抗
建築ブームと過剰伐採による荒廃
レッドウッド国立公園の誕生
カウンターカルチャー、「大地へ帰れ運動」の理想と現実
大型トレーラーでコンボイを組み、首都へ
第5章 闘争地域
「森林闘争」と「木材紛争」
カナダの歴史上、.最大の民衆抵抗
「母なる地球の敵に妥協せず」――アースファースト!の活動家たち
経済的困窮と盗伐者たち
第2部 幹(トランク)
第6章 レッドウッドの森への入り口
樹齢2200年の切り株
バール密採の本当の意味
盗伐現場を偶然見つける
第7章 樹難
国立公園の拡張と伐採業の衰退
オリンピック半島での盗伐
第8章 音楽の樹
盗伐現場からの移動経路を再現
ギターやチェロの製作に盗木が
第9章 ミステリーの樹
住民が盗伐に手を染める
盗伐集団とアウトローズ公園局レンジャーたち
盗品のチェーンソーと圧搾機を押収
第10章 ターニング
木地師
海岸での木材採集禁止がもたらす住民と公園局のあいだの緊迫
第11章 劣悪労働
高レベルの貧困率とインフラの不備
「気力喪失労働者」と呼ばれて
地域じゅうにひろがる薬物使用
違法伐採と薬物禍
大麻栽培にうってつけのレッドウッドの森
第12章 アウトローを捕まえる
ヨセミテ国立公園から来た男
オリックの町での聴き込み調査
第13章 ブロックス居住区
深夜の盗伐指南
どしゃ降りのけもの道に足跡を追う
任務中、襲撃リスクと背中合わせのパークレンジャー
レンジャーたちとの押し問答をSNSにアップしたヒューズの疑念
第14章 パズルのピース
動体検知カメラに映る人影
ネッツ家の家宅捜索でヒューズに銃口が
盗伐者の通報に報奨金5000ドル
更生施設での会話記録で捜査が進展
盗伐材の市場価値を算定
第15章 新たな激流
バンクーバー島での盗伐
ナナイモ市―カナダ最大のテント集積地
コミュニティ・フォレスト―木材収穫と保護・レクリエーションを両立
コロナ禍で木材高騰、盗伐ニーズも
第16章 火種の樹
森林大火災の発端となった思いもよらぬ行動
第3部 林冠(キャノピー)
第17章 木材を追跡する
遺伝学による盗伐材の同定
目標は切り株との照合なしに生育場所を知ること
第18章 「それはヴィジョンの探究なんだ」
盗伐木材のデータベース
サケに扮装してイール川を下る熱血漢グロス
レイシー法の改正以来、急激に高まった木材科学調査ニーズ
法医学研究所で木片を集める
化合物の同定で900種の樹木の化学データベースづくり
第19章 ペルーからヒューストンへ
北米と密接につながる南米アマゾンの盗伐材
ペルー・アマゾンの違法伐採現場
線路の枕木に使われる硬材も標的に
コンセッションに定着する不法占拠者
違法採掘やドラッグ栽培にも道をひらいた大規模伐採
地区長アギーレの願い―先住民の土地活用を現代流で
第20章 「木々を信じてるから」
政府から伐採企業へ引き渡されたウカヤリの林地
「皆伐→焼き畑」でむきだしの大地をドローンがとらえる
第21章 カーボンシンク
アマゾンの炭素貯蔵量を排出量がうわまわる
木材同定の新技術―蛍光染色法、年輪音声法
樹盗とのたたかいは重武装化よりも地域社会の理解
第22章 忘却の彼方で
長すぎる裁きを待ちながら
レッドウッドのかたわらで聴いた判決
あとがき
謝辞
訳者あとがき
用語解説 (巻末より)
原注
訳注
参考文献
索引
著者紹介、訳者紹介
私がこの本を書き終える頃、ブリティッシュ・コロンビア州では、森林闘争が発生から30年後になってもまだ尾を引いていた。2021年の7、8月、環境保護活動家たちがバンクーバー島のフェアリークリークという地域に集まった。州政府がティール・ジョーンズという伐採企業に多くの原生林立木地の一区画を譲渡した地域である。雨林の奥深くで、抗議者たちは枝に腰かけ、林冠から演台を吊るし、木の梢に横断幕を広げ、伐採用の機材に寝そべった。彼らはほどなく1993年のクラークワット・サウンドの記録を超えた。5カ月にわたる期間で、1000人以上が逮捕されたのである。
フェアリークリーク封鎖のニュースを、私は州内の自宅でかじりつくように観ていた。私が住んでいるのはこの林業国カナダ。しかも2019年にわが街の近くで製材所が閉鎖され、それをきっかけに約200人が解雇された地域だ。この自治体はつい最近まで安定し勢いもあった経済に、いまや新たな変化をつける役目を担っている。
玄関の外には一本の細い道があり、もっと細く舗装されていない道へと続いているのだが、その先にはベイマツ、ベイツガ、ベイスギの小さな森が、北トンプソン川の岸に沿ってたたずんでいる。その森はウェルズグレイ・コミュニティ・フォレスト社によって管理されており、同社は以前この地域の林業が低迷中だった2004年、管理に着手した。コミュニティ・フォレストはいま、クリアウォーターの街を囲み、林業を含む数々の用途のために管理されている。わが家を取り囲むその森で伐採された木の収益は通常、地元の慈善事業や団体に還元されている。この事業は地域雇用の牽引力であり、同時に地域文化でもある。
ブリティッシュ・コロンビア州には、このウェルズグレイのようなコミュニティ・フォレストが徐々にひろがってきている。木立ちの持続可能な利用法に向けた、ささやかな誓約である。事実、州で最初のコミュニティ・フォレストは、森林闘争さなかの1998年に立ち上げられた。2021年発表の報告書にブリティッシュ・コロンビア州コミュニティ・フォレスト協会が記したところでは、民間企業が運営する森の二倍もの雇用をコミュニティ・フォレストが生み出しており、同州のコミュニティ・フォレストの半分は先住民の地域社会やパートナーシップで管理されている。
いまブリティッシュ・コロンビア州には、59のコミュニティ・フォレストが散在している。そのほとんどは、人口3000人未満の市町村が州政府から長期に借り受け、森で採れた木材や林産物を管理しながら運営しているものである。2021年には州内の1500人以上の人々がコミュニティ・フォレストから何らかの収入を得た。木材業のほか、消防、トレイル建設、科学研究によってだ。
森林管理の実践は、森林地域そのものをどれほど雄弁に物語るか。コミュニティ・フォレストはその問いにひとつの答えを与えてくれる。かつてセイブ・ザ・レッドウッズ・リーグが、「ライジング・レッドウッド・プロジェクト」という公園修復ベンチャー事業の一環として限定伐採を認めるというレッドウッド国立・州立公園との合意にサインをしたとき、オリックには反発感情が高まった。コミュニティ・フォレストはどんなに少なく見積もっても、こうした憤りを避ける手立てにはなる。公園の土地で重機が雑木林を皆伐したり、チェーンソーが何本もの木を倒したり刻んだりするのを見たことで、オリックの多くの住民は混乱し、激昂した。「なのに奴らは、むしろ俺たちを悪者呼ばわりだ。枯れた木を
拾っていっただけのことで」とデリック・ヒューズはいう。「俺にいわせれば、枯れ木拾いは何よりレッドウッドを救ってるのに」。
「奴らがルールを作っておいて守ってない」と彼は付け足す。「そんなんで他のみんなに何がいえるのか」。
自分たちのコミュニティ・フォレストを管理するという習慣は、もちろんブリティッシュ・コロンビア州の外でもひろがっている。私がペルーで訪れたコンセッションや、メキシコのコミュニティ・フォレストのいくつかはとてもうまくいっていて、専門家たちはそれらをグローバルモデルとして提案してきたほどだ。とくにコミュニティ・フォレストは、森林地域に無数にある貧困を減らしてきた。
サンシャインコーストでのコミュニティ・フォレストの例で見て来たように、盗伐はコミュニティ・フォレストでも起こっている。しかし盗伐者たちが、自分たちが盗んでいるのは見も知らぬ公園管理当局からではなく、近隣住民からなのだということを知れば、盗伐を助長する要因は少なくなるかも知れない。インフィエルノの森林にいるようなコミュニティ・ガーディアンと足並みをそろえれば、盗伐の危険が高まりすぎないようにすることもできる。ある場合には、それによってコミュニティの絆を強めることさえ可能だ。ヒューズがいうように、もし違法行為から手を引かせる人物を彼が知っていたら、町での生活は緊張がほぐれ、和気あいあいとしたものとなるかも知れない。
このことは保全に向けた新たなアプローチを必要とし、レンジャーたちに銃をもたないよう求めることになる。世界的に見て森林統治の専門家たちが支持し始めているのは、地域社会を取り巻く森林の管理権を地域社会みずからが担うという保全政策である。たとえそれが森林伐採を意味する場合であってもだ。そして人間による森林利用を考慮に入れない保全プロジェクトを提案する人々は、手厳しい反発を浴びる。2020年、100人のエコノミストと科学者からなるチームが、世界の土地と水の30パーセントを2030年までに保全するよう政府に嘆願する報告書を発表した。しかしそれは厳格な保全モデルで、人間を欠いており、またその計画は資源不使用による穴を観光で埋めるよう示唆したものだった。これに対し、世界の保全研究者や社会科学者はこぞって批判した。「この報告書は植民地主義のニューモデルのように私たちには読める」と。
人間による利用を自然から切り離すことは、安定し続けたためしがない。フォレスト憲章はこうした知恵を考慮に入れて、数百年を経たいまも起こっているこうした問題に対処していた。だがむしろ、時代のトラウマという遺産が残った。「私は一度もそのトラウマから回復したことのない夫をもった」とダディン・ベイリーはいう。1994年にクリントン大統領のポートランドサミットで声明文を読んだ人物だ。「彼はいろんな仕事をしようとして、実際やってもみたんだけど、彼が彼自身だったことは一度もない。魂の一部をもっていかれてしまったの。地元の人びとに対して果たせなかった約束があると、人は望みを失うものよね」。
究極をいえば、木を守るとは帰属の問題なのである。あなたはどこから来たのだろうか。こうした木々について、何をわかっているだろうか。「ぶっちゃけてやろうか? 真実を」とデリック・ヒューズはいう。「この土地はみんなユロク族のもんだ」。
原生林を開拓してきた生き物は人間しかいない。原生林を聖域のように保護してきたのも人間だけだ。
森の恵みをていねいに引き出してきた先住民からの略奪以来、北米大陸の大地にはこの両極端の歴史が刻まれている。
かつてそこにあった仕事が消え、生存の場を失った人々もいる。彼らに残された最後の選択が「樹盗」だった。
本書には、盗伐とのさまざまな関わりをもった人々が登場する。巨木を伐る者、守る者─。あらわれ方はまったく違うが、森の仕事へのこだわりを生き抜いている点では変わらない。
著者は「あとがき」で、こうした森への執着は最終的に帰属の問題なのだと書いている。帰属とは一見つかみどころのない言葉だが、「所有」と比べるとわかりやすい。
大規模開発や、持続不0 可能な自然保護を推進する人々にとって、森林は国家や資本家の所有物であるかも知れない。しかしそこに貼りついて生活する者にとっては、つねに物心両面の支えであり、拠り所となっている。こうした存立基盤や精神風土への思いが、とりもなおさず「帰属」の意味である。
本書は森と人と仕事の根源的な結びつきをとらえ、盗伐の問題に深く斬り込んでいる。
まず第1部「根(ルーツ)」では、禁猟や自然保護で土地利用を禁じられた者たちの抵抗が盗伐の始まりだったと述べている。第2部「幹(トランク)」では、失業から薬物依存へ、地域崩壊へと、ネガティブ・フィードバックを絵に描いたような社会構造が展開する。さらに第3部「林冠(キャノピー)」では、アマゾンの熱帯雨林と米国、そして世界をむすぶ木材闇市場の実態が暴き出される。
重苦しい描写ばかりではない。町ぐるみで金策に励み、「ピーナッツ・コンボイ」へと立ち上がった素晴らしきトラック野郎のロガーたち。全身サーモンに扮して北カリフォルニアの川を下り、密漁者たちに奇襲を仕掛けるレンジャー。天然殺虫成分に卒倒してまで違法木材を追い詰める化学者─。彼らの命がけの攻防を物語るエピソードは、原生林の呼び声をそのままに抱き取った躍動感がある。
口承史家でもある著者リンジー・ブルゴンは、こうした人物群像へのインタビューと現場取材を積み重ね、盗伐の真実を明らかにしていく。その長い旅へと著者を駆り立てたものは、地元ブリティッシュ・コロンビア州で盗伐を目撃した原体験から来る、素朴で生々しい問いだった。
レッドウッドの森の圧倒的な美しさに囲まれて暮らす人が、なぜその森を愛しながら同時に殺すこともできるのか。
「帰属」というキーワードは、こうした疑問への答えでもある。そしてこの答えに行き着くまでの検証は、西海岸原生林の95パーセント喪失という、法外な代償を支払って人類が手にした教訓への旅でもあった。
本書が一面的な社会批判や、単なる犯罪ルポではないしるしに、著者はオルタナティブな林業のあり方として「コミュニティ・フォレスト」にも注目している。これは地域住民が担い手となり、自らの森林を守り育てていく活動であり、新しい森づくりによる雇用創出の提案といえる。
さらにこうした全体構成を私たちが知ることによって、扉辞に引用されたレイモンド・ウィリアムズの「われわれは人と大地の働きを分かつことができない」という意味の一行は、本書のテーマをこの先も長きにわたって見照らす灯台のような存在感を放つこととなる。
北米の原生林は、いまも皆伐され、盗伐され続けている。森林認証のための書類が捏造され、市場に出回る膨大な木材についても、本書では具体的な数字をあげて指摘している。また日本では、北米から輸入される木質ペレットが非効率なバイオマス発電の燃料となっている。FIT制度を通じて、これには一人ひとりの電気料金が使われている。近年ではペレット需要に供給が追いつかず、端材ではなく丸太をペレットにしている現状もあり、森林伐採サイクルを加速させることによって、CO2を余分に排出している。そもそもバイオマス発電とは、生態学が本来定義するバイオマスの意味を偏狭に転用した行政用語だ。「バイオ」や「カーボンニュートラル」といった響きが、まるでどんな場合にも生態系と調和するかのような誤解すら助長しかねない。
こうした一例を見ても、自然破壊の少なからぬ部分は、皮肉にも自然に対する私たち一人ひとりのオブセッションが呼び水となっている。誰もが原生自然に、生物多様性に、地球生命圏に、もはや完全には満たしようのないこだわりを押しとどめながら生きている。再生に向けて、この意識を正しくセットし直すことが将来世代に対する現代人の務めである。
樹木を愛することは、木材と林業の置かれた厳しい状況への責任をともなうことも忘れてはならないだろう。ただでさえグローバル・サプライチェーンを通じていつでも木材製品を取り寄せ、木への愛着を満たせる私たちにとって、「樹盗」は限りなく身近な行為なのだから。
(後略)
本書は、木材の10億ドル闇市場と環境保護・地域社会・文化の絡み合いを取材した異色ノンフィクションです。
異彩を放つ人物たち、ヨーロッパ近世にまでさかのぼる森林法制史、政策分析、最新の樹木科学――。
陰謀、犯罪、そして森林の内部に隠された信じがたいほどの複雑性へのスリリングな旅に読者をいざないます。
3つの盗伐事件を追跡するなかで、著者が取り上げるのは
盗伐者、法執行官、木材研究のスペシャリスト、旧伐採地域の謎めいた住民、環境活動家、国際木材カルテル、そして先住民社会です。
人間にとっても野生生物にとっても、樹齢数千年の樹木の原生林は限りなく有用でかけがえのない宝物といえます。
しかし、盗伐を行う者たちの考えはわれわれが思うほどなまやさしいものではありません。
樹盗の首領だったロビンフッドの時代から、木を盗むことは支配者への根の深い抗議行動でした。
また、口述史家である著者が、地域住民へのていねいな取材で明らかにしたように、
北アメリカで横行する盗伐を正当化する感情は、森林保全・自然公園の拡張によって、
伐採を生業としてきた地域社会の衰退に目を向けようとしない環境保護運動と、深い分断が進む北米社会の副産物でもあるようです。
北米で出版されるや、大きな反響を呼び、テレビ番組化も進むようです。
この問題がはらむ驚くべき複雑性を本書で味わってください。