| ティム・バークヘッド[著] 黒沢令子[訳] 3,200円+税 四六判上製 カラー口絵8頁+404頁 2023年3月刊行 ISBN978-4-8067-1647-1 人類の歴史が始まって以来、 私たちの信仰、科学、芸術、資源の源として存在し続けている鳥類。 精神と生命を支えてきたその生物を、 人はどのように捉え、利用し、そして保護しようとしているのか。 新石器時代の壁画に描かれた208羽の鳥から紀元前の哲学者が「予言者」として扱った鳥、 鷹狩りの歴史、ダ・ヴィンチが興味を引かれたキツツキの舌、 鳥が部位ごとに持つとされた薬効、一夫一妻制の真相、 海鳥の利用と個体数減少、長距離を移動する渡り鳥の研究など、 1万年以上にわたる人間と鳥の関わりを、イギリスを代表する鳥類学者が語り尽くす。 [書評] ティム・バークヘッドは著名な鳥類学者で、優れた科学コミュニケーターでもある。 本書は、1万2000年にわたる鳥類との関わりを、鳥と私たちの視点から描いている。 鳥や鳥好きな人との個人的な出会いを、 巧妙な科学的厳密さを交えて意欲的な歴史研究を通じて、楽しげに語ってくれる。 ――ティム・ディー(作家・ナチュラリスト・BBCラジオプロデューサー) 鳥と人との密接で時として驚くべき関係について一流の鳥類学者がしたためた魅力的な物語である。 ――スティーブン・モス(作家・ナチュラリスト) 古代の時代からの鳥と人の関係を探るこの本は、衝撃的で、刺激と不思議に満ちている。 鳥と暮らす今日の私たちに痛烈な挑戦を投げかけてくれる。 ――イザベラ・トゥリー(『英国貴族、領地を野生に戻す』の著者) 複雑な科学を魅力的で生き生きとしたスタイルで説明する著者の才能は高い評価を得ている。 ――BBC Wildlife |
ティム・バークヘッド(Tim Birkhead)
世界的に著名な英国の鳥類学者。数々の受賞歴がある。
ロイヤル・ソサエティのメンバーで、シェフィールド大学の動物学名誉教授。
著書に『鳥の卵』(白揚社)、『鳥たちの驚異的な感覚世界』(河出書房新社)などがある。
黒沢令子(くろさわ・れいこ)
専門は英語と鳥類生態学。地球環境学博士(北海道大学)。
バードリサーチ研究員の傍ら、翻訳に携わる。
訳書に『フィンチの嘴』(共訳、早川書房)、『鳥の卵』『美の進化』(以上、白揚社)、
『日本人はどのように自然と関わってきたのか』(築地書館)、
『時間軸で探る日本の鳥』(共編著、築地書館)などがある。
序文
第1章 新石器時代の鳥
鳥類学のゆりかご
動物壁画の考察
第2章 古代エジプトの鳥
大量のトキのミイラの意味
墓壁に描かれた鳥
古代エジプトで見られた鳥
鳥のミイラの役割
第3章 古代ギリシャ・ローマにおける科学の黎明
生まれる子どもは誰の子か?
アリストテレスの方法
自然誌家プリニウス
古代ローマ人の珍味好き
鳥を通して見る世界
第4章 男らしさの追求──鷹狩り
バイユー・タペストリー
鷹狩りとステータス
装飾写本と鳥
フリードリヒの『鷹狩りの書』
アリストテレスの復活
鷹狩りに対する逆風
動物に対する敬意
第5章 ルネサンスの思想
キツツキの驚異の舌
解剖学的研究の発展
オオハシの真実を求めて
「有害鳥獣」の指定と駆除
鳥の薬効
第6章 科学の新世界
ターナーの鳥の絵
新しい科学の手法──観察と分類
ドードーの真の姿
魅惑の新大陸
ケツァールの輝き
先住民の鳥利用
ステータスとしての羽
植民地化による知識の搾取
自然科学と宗教のはざまで
第7章 海鳥を食べる暮らし
海鳥の楽園フェロー諸島
フェロー島民による鳥猟
ウミガラスの卵の味
銃がもたらした悲劇
フルマカモメを食べる
人語を真似るワタリガラス
セント・キルダ群島の場合
生きるための殺生
第8章 ダーウィンと鳥類学
セルボーンの博物誌とダーウィン
博物誌の読者たち
鳥を飼う利点──鳥の生態と人の思惑
神と自然選択
反ダーウィン論
カッコウという存在の矛盾
ラファエル前派と進化論
ジョン・グールドのハチドリ愛
第9章 殺戮の時代
裕福な青年鳥類コレクター
剥製ブームの到来
世界の大物コレクター
殺生とその正当化
収集活動と絶滅
コレクターの悲哀
収集欲と問われるモラル
博物館の存在意義
収集欲の果てに
第10章 バードウォッチング──生きた鳥を見る
観察して推論する
バードウォッチングの発展と標識調査
アマチュア鳥類学者の誕生
鳥好きの分類
鳥類学に向く人とは
鳥を記録する喜び
鳥を追跡する技術
第11章 鳥類研究ブーム──行動、進化と生態学
ある鳥好き夫婦の功績
ドイツの鳥類研究
ティンバーゲンによる動物研究の4つの指標
自然選択が働くのは個か種か
行動生態学の躍進
鳥類学と「利己的な遺伝子」
カササギの配偶者防衛
鳥類理解の深まり
第12章 人類による大量絶滅
消費の末の絶滅
海鳥保護のいきさつ
ファッションと羽
鳥類保護の第一歩
ウミガラスと私
ウミガラス研究の魅力
気候変動から受ける影響
長期研究の意義
エピローグ
新時代への転換点
自然への共感
心のときめきと科学
謝辞
訳者あとがき
図版クレジット
参考文献
原註
索引
世界は野生の内にこそ保たれている
──ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1862年)
『ウォーキング』大西直樹訳
新時代への転換点
2021年に、新型コロナウイルス感染症のCOVID─19が流行する中でこの章を書いていて、20年ほど前に出版されたマルコム・グラッドウェルの『急に売れ始めるにはワケがある』を思い出した。この本は、アイデアの広がりをウイルスに例えている。タイムラグがあった後、突然にウイルスが「ティッピング・ポイント〔転機〕を迎え」、急増しはじめることがある。グラッドウェルの本の批評家の中には、この本を「ひどくあたりまえのこと」の研究だと考える人もいたが、それでもベストセラーになった。2020?22年にかけて、COVID─19という感染症のパンデミック、気候変動による大規模な森林火災や洪水、そして未曽有の人類移住や世界中の社会不安など、さまざまな恐ろしい出来事が起こったが、こうした事象が私たちの地球への接し方を変える転機になるだろうかとも思う。
2003年に起きたSARS、2009年の豚インフルエンザ、2014年のエボラ出血熱と、相次いで難を逃れたのは幸いだったが、世界的に感染症が大流行するのはほぼ必然だった。そして、何十年にもわたって否定されつづけてきた気候変動が、突然、現実のものとなり、重大な脅威になるのが明白になった。また、パンデミック期は、科学に対する考え方の転換点となる可能性がある。科学がなければ、COVID─19のウイルスは解明されず、さらに大事なことには、私たちを守るワクチンも開発できなかっただろう。
私はこの大流行を契機に、自然に対する私たちの態度が根本的に変化するとよいと望んでいるが、他にもそう思う人は多いだろう。つまり、私たちは地球に依存しているということと、地球が適切に機能するためには慎重に管理する必要があるという点を理解することだ。現在わかってきたように、このことは、なりふり構わずに欲を追求するショートターミスト〔短期志向主義者〕と、将来を見据えてより共感をもつ人々との間でくり広げられる戦いの結果にかかっているのだろう。
何よりも、パンデミックの最中にはロックダウンが相次いだことで、クリスマスや冠婚葬祭などのような社会的な集まりや儀式が、私たちの帰属意識や幸福感にとってきわめて重要だということが強調された。未曽有の規模で社会的機能を剥奪するという望まない実験が引き起こされたわけだが、その結果、人間の生活において儀式が果たす役割と、それが祖先にとってもいかに重要だったかをより理解できるようになった。エル・タホ洞の壁に描かれた絵は、私たちの祝祭の飾りつけに相当するもので、ハンダ湿地のよく肥えたノガンを一緒に食べるなど絆の儀式の一部と考えることもできるかもしれない。
古代のギリシャやローマでは、エジプト人の鳥崇拝が否定されていた。このようなエリート意識は、植民地に侵略した者が他国の先住民に向ける態度に典型的にみられるが、富裕層が貧困層に向けたり、宗教的信条が異なる国民集団の間でもみられる態度である。新旧の石器時代の人々がなぜ洞窟や岩窟に動物の絵を描いたのか、エジプト人がなぜトキやハヤブサをミイラにしたのか、今日の考古学者はまだ理解できていない。スペイン人の征服者たちは、アステカやインカの民によるケツァールなどの鳥崇拝を理解しようとはしなかったし、私はイヌイットが語る鳥にまつわる物語を残念ながら理解できなかった。
現在、異なる信念体系を受け入れて、科学に基づいた私たちの生命観と同等の重みを与えようという動きがある。私たちに理解できない文化であっても、もっと共感をもって接することは、人類史でくり返された残忍な植民地主義を解毒するのになくてはならない薬になる。一方で、自然界の仕組みについて、すべての解釈が等しく妥当なのかどうかということも問われるべきだろう。特定の文化圏では多くの人々に受け入れられていることでも、他の文化圏ではそうでないものもある。たとえば、COVID─19感染症の予防法は科学によって成し遂げられたが、先住民の知識で開発できたとは到底思えないからだ。
私たちは、信念体系は国が異なれば違いがあると思いがちだが、実は同じ文化圏内でも差異があるし、富や教育機会の違いで格差が生じることもよくある。たとえば、卑近な例だが、アマチュアとプロの鳥類学者とで
は、鳥類研究の論文に対する理解度に差がある。テレビで有名な鳥類学者に、私と同僚が書いた「ウミガラスはなぜ洋ナシ形の卵を産むのか」という長年の疑問を解決する科学論文のコピーを送った時、私はこのことを思い知らされて、みぞおちにパンチを食らったような気がした。相手は「何のことかさっぱりわからない」と言ったのだ。相手が科学的訓練を積んでいると思い込んでいたのが間違いだった。そして、あたりまえだと思い込んでいたことがいかに多いかを、自分で認識していなかったことに、科学者として愕然とした。私はさっそく、もっとわかりやすい解説文を書こうと思い立った。
実際、野鳥愛好家の間では、科学的研究の書き方や発表の仕方についての不平がよく聞かれる。このことは、科学者もいわゆる一般向けに解説を書くことを求められる立派な理由になる。イギリスの科学研究協議会は、ふつう、研究費を申請する人に「非専門家に適した」平易な説明を申請書に含めるよう求めている。こうした応募書類を審査する際に、私はいつもこの部分を最初に読む。研究の目的を理解するためだけでなく、申請者の心の中が驚くほど透けて見えるからだ。申請者が自分の考えを単純明快に表現できなくて、がっかりすることもけっこう多い。ここには不思議なパラドックスがある。学部生だった頃は、科学の方法についてほとんど知らないで、大学院で前期(修士)や、時には後期(博士)という訓練を受けて初めて、科学的アプローチの特徴である言葉や表現方法を習得する。しかし、その技術は一度獲得したが最後、二度と解除できないようにもみえる。科学的トレーニングの儀式は、表現を一方向にしか流さないようにする心の弁のようなものだ。
本書を書くにあたって、一番興味深かった発見は、中世の黙示録のイメージについてだった。私は世俗の育ちなので、漠然とこうしたイメージは地獄を表わすという程度で、まったく理解していなかった。2020年、2021年とCOVID─19感染症の死者数が増えつづける中で、ペストの時代に生きていた人々と同じように、私たちも「審判の日」に向かって突き進んでいるのだろうかと考えた。1980年代に放映されたバリー・ハインズ監督のテレビ映画「SF 核戦争後の未来・スレッズ」は、核戦争の惨状を私たちの居間と意識の中にもたらした。シェフィールドを舞台にした作品だったので、私にとっては特に印象が深かったこともある。ハインズが力強く描いた社会秩序の崩壊、無政府状態、そして人々が必死で食料を求める姿は、それ以来、わたしの心を捉えつづけている。この感覚は、バリー・ロペスも同じように感じている。自分自身をもっとよく知りたい、特に恐怖の根源と本質を理解したいという願望は、今、薄暗がりの世界で妖怪のように我々の前に迫ってきている。呼吸できない空気、住処を追われた人類、第六の絶滅、統治不能の政治的暴徒といった殺戮の光景の上に不気味な夜明けがやってくる。
このようなことから、私はフェロー諸島の島民が鳥の捕獲を擁護して継続したいと言っていたのを思い出した。もし彼らの経済を支える漁業やサケの養殖が失敗したら、1800年代にアイルランド人がジャガイモ疫病で飢饉に見舞われたのと同様に、貧困に陥ってしまうだろう。海鳥(とゴンドウクジラ)の捕獲に関する伝統的な知識と慣習を維持することは、フェロー諸島の未来に対する保険なのだ。狩猟そのものには反対でも、彼らの言い分は理解できる。
もしも、あるいは、黙示録のような状況に直面することになれば、100年余りの間に苦労して得た鳥に対する共感も、一瞬にして海の藻屑と消えるだろう。共感は、少なくともある方面にとっては、十分な資源があってこそ生まれる贅沢である。豊かならば自動的に共感が生まれるわけではない。むしろ、鶏小屋やカモメのコロニーに入り込んだキツネが、当面の必要を満たした後も余剰な殺生を続けるのと同じように、豊かさがさらなる欲望を引き起こす場合もあるのだ。キツネは好機は逃さず、余った分は後で食べるように進化してきたからだ。
私自身、ある夏、カナダのラブラドール州でこの現象を目撃した。冬の終わりに氷が後退し、ホッキョクギツネが数頭ばかり海鳥の島に取り残された。ホッキョクギツネはおもにツノメドリを殺して回り、繁殖期が終わって残った数少ない鳥が島を去るまで、延々と殺戮を続けた。また、ラブラドールでは、地球温暖化の影響で冬の海氷が減少し、タテゴトアザラシが海氷の上ではなく本土の海岸で出産するようになった。このため、地元の人々は海氷が張る年よりも多くのアザラシの子を殺して毛皮を得ることができ、まさに天からの授かりものとなった。この前代未聞の収穫を聞いた時、私はその残虐さにぞっとした。後年、カナダ政府から事実上見捨てられてしまい、その後は数十年も困窮を強いられたという現地民の話を聞いて、初めてそうだろうと納得がいった。
自然への共感
人と鳥との関係を形成するのに、科学が果たした役割について、私は長いこと興味を抱いてきた。『人間と自然界』を著したキース・トマスは、1600年代に科学が発展したことで、自然を搾取する態度から、自然界をより共感的に見るようになったと論じている。これに対して、小説家ジョン・ファウルズは『The Tree〔樹〕』の中で、リンネやダーウィンのような科学者は、命名したり記述することに執着した結果、私たちを自然から遠ざけてしまったと、反対の主張をしている。自然との関係における最悪の時期は、ヴィクトリア朝時代だとファウルズは述べているが、私もそう思う。鳥類学者は、科学と植民地主義の名の下に、鳥やその他の動物を殺して収集し、博物館に収蔵することに力を注いだのだ。ヴィクトリア朝では、鳥を単に食物、羽、糞(肥料)という実用性の観点から、あるいは生命の木における位置を探る知的パズルとして見ていたのだという。「今や私たちの生活のあらゆる側面に、理由や機能、収穫量などを求める依存性が浸透したので、それは事実上、快楽と同義語になっている……現代において地獄とは、無目的である」
一見、トマスとファウルズの見解の相違は大きく見えるが、実はそれほどでもない。また、両者の見解は排他的でもない。ここで紹介したように、私たちと鳥の関係は歴史を通じておもに搾取の関係だったが、古代エジプトのトキ、アステカのケツァール、フェロー諸島のシロカツオドリ、エドマンド・セルースが観察したヨーロッパヨタカなどのように、もっと精神性の高い糸も織り交ぜられてきた。それ以前より崇高で共感に基づいたこの鳥類観は、20世紀初頭になって始まったものだが、実用性優先をじわりと追いやっていることに、私は非常に心強さを感じている。
Fowles〔ファウルズ〕という姓は文字通り"fowl"〔野鳥〕を意味する。ファウルズは反科学、反ダーウィンの立場だが、私の感覚では、科学、特にダーウィンに始まる動物行動学、生態学、進化論の分野は、私たちをより鳥に近づけてくれたと思っている。ファウルズの見解には大いに同感できるところもあるが、見方が近視眼的であり、ヴィクトリア朝以前の数千年にわたる鳥類の搾取と、1900年前後からの態度の変化の両方を見落としている。ヴィクトリア朝時代だけに焦点を絞ったことで、根拠の弱い主張になってしまった。
科学とは不思議なもので、一般大衆が科学者にもつイメージは、冷静で無感動な獣のような人間というものがよくある。科学のプロセスでは、客観的かつ批判的に証拠を評価することが強いられるわけだが、鳥を研究する科学者はバードウォッチングから出発した人も多く、鳥の間に身を置いてその習性を研究することで心に響くような体験を味わうことがよくあり、鳥に対する共感をもちつづけるし、それを発展させていくということもあまり知られていない。また、いわゆる「ニュー・ネイチャー・ライティング」の中には、自然に対する客観的な反応と主観的な反応をうまく融合させ、チャールズ・パーシー・スノーの言う「二つの文化」の橋渡しをするものがある。
心のときめきと科学
1900年代初頭、アメリカでフローレンス・メリアム・ベイリーやイギリスでエドマンド・セルースが、鳥に共感する態度を提唱していたまさにその頃に「エンパシー〔共感〕」という言葉が英語に入ってきたのは驚くべき偶然だと思える。心理学では、冷静な「認知的共感」から感涙にむせぶような「情動的共感」まで連続しており、その間に「同情的共感」(論理と感情の間のつり合い)があると認めている。共感は生まれと育ちの両方によって決定されるが、それは他の多くの性格特性と同様だ。思いやりのある同情的共感は学習できること、また、人は信念や価値観の似た人に対してはより共感的に行動しやすいことが研究で示されている。それを考えると、ベルナルディーノ・デ・サアグンやフランシスコ・エルナンデスがメキシコ先住民との間に築いた関係(第6章)は特に注目に値する。
鳥や自然界への共感がかつてないほど高まっている時代だが、COVID─19感染症の大流行が地球への関心に転機をもたらすとすれば、こうした共感がさらに必要だろう。それは簡単なことではなさそうだ。そして、人間と自然は相互作用すれば心理的な恩恵を得られることがわかってきた一方で、自然界に接する機会が激減しているのは、さらに皮肉なことである。この問題を解決する方法はいくつかあるが、一つは知識を深めることだ。アートギャラリーや遺跡を訪れる際に、その展示物を生み出した人々について何か知識を得ていた方が、より充実した時間を過ごせることはよく知られている。同様に、鳥の行動、生態、構造や進化について知識を得ることで、鳥に対する価値観を一変させる効果がある。私は幼い頃から鳥に対してある種の共感を抱いていたが、20代前半、スコーマー島での博士課程の研究中に起きたある出来事で、その共感は新たなレベルへと高められた。
ある日、目の前の岩棚で観察していたウミガラスが、数百メートル先の海上にいる自分のパートナーを認識していることに気づいたのだ。その相手は、私の目には茶色の点としか見えない距離だった。その鳥が飛んできてパートナーのそばに着いた時、私はこれまでの経験にもかかわらず、彼らの能力を過小評価していたことを実感した。この一件で、私は鳥であるとはどういうことなのかと、想像しないではいられなかった。誰もがこのような経験をできるわけではないが、その話を伝えたり、文章に書いたり、学生に教えることで、他の人に気づいてもらえるだろう。
最近、若い環境保護活動家が台頭しているのは頼もしい限りで、地球に対する懸念の転換点をもたらす可能性があるのは彼らの存在だ。その動機は、何もしなければどうなるかという「恐れ」と、自然界の仕組みに対する「wonder〔驚き〕」が混在しているが、一番重要なのは、自然界というスペクタクルを高く評価していることだ。wonder〔不思議に思うこと〕は、科学と共感という別々の糸を一つの織物にすることができる方法でもある。
私と鳥との関係で最もやりがいを感じたことの一つは、2018年に、学部生のグループに初めて鳥を紹介した時だった。私は奨学金つきの指導賞を受賞したので、何かしらの指導に費やせる費用を手にした。ロンドンで授賞式が行なわれ、受賞者は一人ひとりが賞金の使い道を発表するよう求められた。受賞者たちは次々と、授業を改良したり、活性化させる方法を述べていった。私は、一年生のクラス全員を連れてベンプトンの海鳥のコロニーを観察するという計画をしていたが、それが反対されるのではないかとヒヤヒヤしていた。しかし、そんなことはなかった。
その日がやってきた。大学の図書館の前にずらりとバスが並んだ。学部生にとっては朝八時という集合時間は早いが、全員そろっていた。
2時間後、私たちはコロニーに到着し、紺碧の空の下で輝く白亜の崖の上を歩いた。崖は高さが120メートル以上あり、鳥たちでごった返していた。ミツユビカモメ、ウミガラス、ニシツノメドリ、フルマカモメにシロカツオドリ……。あたりには鳥の姿と匂いと鳴き声が満ちて、私には学生たちの興奮が伝わってきた。事前に、海鳥の珍しい生態や生活史、そしてこの50年間で世界的にその数が半減していることは説明しておいた。また、同僚のキース・クラークソンにも参加してもらうことにしていた。キースは1970年代に学部生
で、地元のハヤブサの居場所を明かさなかった人物だ(第10章)。彼は現在、ヨークシャーの海岸にあるベンプトン保護区でサイトマネージャーを務めている。キースはカリスマ性のある情熱家なので、学生たちの心に火をつけている様子を見ながら、私は誇りと興奮で胸がいっぱいになった。
さらにバスでブリドリントン港まで行き、そこで遊覧船ヨークシャー・ベルに乗り込み、海鳥を海から眺めることにした。船長の計らいで、崖の下にそっと入り込み、鳥の群れのすぐそばまで接近したが、鳥たちは意外なほど気にする様子を見せなかった。
コロニーは不協和音を奏で、匂いを放ち、並外れた生命力で脈打つ活気に満ちた超巨大組織のようで、私たちもまるで海鳥のコロニーの一員になったかのような気がした。くちばしにニシンを一匹ずつ縦にくわえたウミガラスが群れになって通り過ぎ、船首の下にはニシツノメドリとオオハシウミガラスの一団が泳いでいる、上空ではシロカツオドリが翼竜のように舞っている。100人の学部生の表情を見ていると、私の40年間の教員生活でも最もうれしい経験の一つになった。そのうちの一人でも二人でも鳥への共感を深めてくれたのなら、これ以上の喜びはないと思った。
著者ティム・バークヘッドはオックスフォード大学でウミガラスの繁殖生態と生存率などの研究を行ない博士号を取得した後に、シェフィールド大学の動物学教室で長く教鞭をとった鳥類学者だ。また、1970年代にジェフリー・パーカーが提唱した「精子競争」という仮説を検証して、『乱交の生物学』(2003年)を著し、性選択の過程に交尾後に生じる精子間の競争が及ぼす影響を考察して、一夫一妻制が一般的と考えられていた鳥類の配偶システムを見直すきっかけをつくった著名な行動生態学者でもある。
著者も述べているが、自然の驚異や不思議を一般の人々に知ってもらう大事さを認識して、一般向け著書もたくさん書いている。近年では『鳥たちの驚異的な感覚世界』(2013年)や『鳥の卵』(2018年)などがある。
著書の中でも、『Ten Thousand Birds: Ornithology Since Darwin〔一万種の鳥──ダーウィン以後の鳥類学〕』(2014年)は、ダーウィン以後の鳥類学の歴史をまとめた力作だ。鳥類学者にとっては興味深い内容だが、500ページを超える大作なので、敷居が高い感は否めない。そこで、一般向けの"Birds and Us"が出版されたのは喜ばしい限りだ。本書は、先史時代の岩絵や古代エジプトの墓壁画などを含めて、人間と鳥の関わりを幅広く扱っているので、鳥類学や考古学に興味をもつ人はもとより、アートに関心のある読者も人と鳥が織りなす歴史の旅を楽しめるだろう。
著者の息子が学校の先生に父親の職業を尋ねられて、「乱交の教授です」と答えたというエピソードを披露するあたり、ユーモアのある人となりが見えてくる。バークヘッドは研究や著作・教育にとどまらず、"New Networks for Nature"という組織を仲間とともに2009年に立ち上げた(https://www.newnetworksfornature.org.uk/)。これは自然を愛する多様なクリエイターたちが連携をとり、これまでの経済や政治を中心とした狭い見方ではなく、幅広い見地から自然の恩恵や保全について見直しをしようとする組織である。会員は、バークヘッドのような研究者はもとより、著作家や詩人、音楽家など、多様な分野にわたっている。会員に共通していることは、イギリスの野生生物や自然環境から、日々の暮らしや仕事上のインスピレーションを受けている点である。
日本では、平安貴族が季節を知る一つのしるしとして鳥の渡来に注目していたことは和歌などからもよく知られている。また、江戸期には本草学などの発達によって、鳥に対する知識そのものも著しく増えていたことが文書や絵画からわかっている。近年では、『万葉の鳥』(2021年)や『日本書紀の鳥』(2022年)などのように古代の資料における鳥の研究も増加してきた。さらに、『時間軸で探る日本の鳥』(2021年)のように、日本の鳥類を通時的に捉える研究も試みられるようになった。
バードウォッチングは欧米で生まれたが、日本では、日本野鳥の会の創始者である中西悟堂が1934年に富士山の裾野で行なった鳥巣見学の会が最初だそうだ。同好の士とともに広々とした野外に赴いて、きれいな野鳥を見つけるのは実に楽しい活動である。その後、こうした活動は活発になり、やがては観察だけではなく、『時間軸で探る日本の鳥』で詳述されているように、一般人も調査や研究活動に参加するようになった。1970年代に当時の環境庁による第一回全国鳥類繁殖分布調査は、日本野鳥の会が全国の会員の協力を得て行なった活動である(https://www.bird-atlas.jp/)。その後、この分布調査は20年ごとに行なわれて、2010年代に第3回を迎えた。このように3回行なったことで初めて、日本においても、全国の鳥の分布パターンや個体数の変動が科学的に見えてきたのだ。こうした調査や研究ができたのは、鳥好きなだけでなく、野鳥のために手を貸したいという保全意識の高い人が多数いたからである。ニコルソン流の「役に立つ鳥類学」が日本にも定着した証と言えるだろう。
翻訳にあたって、外国の鳥類の和名はIOCの世界の鳥リストに従った。また、決まった訳語がない種には仮の和名を提案した。たとえば、"Blue-throated Hillstar"という南米の新種(2018年)には、「アオノドヤマハチドリ」という仮和名を付した。
また、訳語はできるだけ統一するようにしたが、日本語と英語で概念の範囲が異なる場合は統一が難しい場合があった。加えて、本書は一般向けに書かれているので、用語の使用が学問的に厳密ではない場合もある。たとえば、"natural history"という英語には、一般に博物誌、博物学、自然史などの訳語が当てられるが、時代の変化とともに用語の守備範囲も変わったので、歴史的経緯と文脈に応じて訳し分けた。また、"Codex"は「冊子型をした写本などの文書」を意味するが、「フィレンツェ写本」や「メンドーサ絵文書」などのように異なる訳が定着しているものもある。そこで、コデックスというカタカナ語と和訳を並記しておいた。さらに、団体名として、イギリス最古の自然科学者の学術団体である"The Royal Society(of London)"(ロイヤル・ソサエティ)は、「王立協会」という訳が定着しているが、この"Royal" は王室による認可を受けたという意味であり、科学的学会なので、「王認学会」という訳語を使った。
種名が特定できる生物は学名を示して索引に取り入れたが、英語の一般名しかわからない生物の名は総合的に判断した場合もあった。たとえば、小文字の"partridge" は、キジ科の小型狩猟鳥を指す広義の用語で、イワシャコ類やヤマウズラ類、コジュケイなども含む。イギリスでは自然分布するのはヨーロッパヤマウズラだが、後年になってヨーロッパ大陸に広く分布するイワシャコ属のアカアシイワシャコが移入され、南部に定着している。そこで、本書ではイギリス国内については、自然分布のヨーロッパヤマウズラを、古代ギリシャを含むヨーロッパ南部については、イワシャコを当てた。
(中略)
本書は2019年に始まった新型コロナウイルスの世界的流行の最中に執筆されたが、2022年の現在でもまだ収まるにはいたらない。一方、鳥インフルエンザに感染する野鳥や家禽が後を絶たない。こうした状況を目の当たりにして、人間も野鳥も自然という共通の土台の上で暮らしていることをいやが上にも思い知らされる。しかも、人間が近視眼的な活動を追求した結果、気候や生態系がかつてないほどの急激な変動にさらされている。これまでに人間が培ってきた鳥や自然との関係は今後、どのようになっていくのだろうか? その鍵は、私たちが過去の関係性の歴史を振り返ることと、そこから得られる知恵を長期的展望に立って利用できるかどうかにかかってくるだろう。
新石器時代の壁画に描かれた鳥、古代エジプトの孵化技術、中世におけるタカと鷹匠の奇妙な関係、ダーウィンの自然選択とカッコウの托卵をめぐる一悶着、1500 年代の「害鳥」駆除法、?製ブーム、栄養源としての海鳥と保護運動など、1万年に及ぶ人類と鳥の関係史を世界的に著名な鳥類学者がまとめ上げたBirds and Us(2022)の翻訳版です。
鳥は栄養源、信仰・芸術・科学の対象として、人類の歴史に深く関わってきました。
その味や神秘的な姿はいつの時代も人類を夢中にさせ、収集・乱獲によって多くの種が絶滅に追い込まれてきたことは言うまでもありません。
バードウォッチングの誕生や渡り鳥追跡技術の発展などにより、いまでは鳥を殺さずに観察・研究することがふつうになっています。しかし、鳥を単なるモノではなく「生きている」存在として捉え、敬意を払うようになるまでには、長い年月が必要でした。
本書では、娯楽としての狩猟や美しい羽を使用したファッションがステータスとしてもてはやされた鳥と人にとっての暗黒時代から、鳥類保護意識が芽生えはじめた共存の時代への流れをたどります。ニワトリの交尾を観察したアリストテレス、キツツキの長い舌に興味をもったレオナルド・ダ・ヴィンチ、自然選択説で科学界を混乱させたチャールズ・ダーウィンなど、かの有名な偉人たちも登場。その他、鳥にまつわる事件や筆者自身の研究成果も語られます。
約50年にわたり鳥を研究してきた著者が語る、鳥と私たちの切っても切れない関係。感染症や気候変動などの問題が山積するいまこそ、私たちを魅了してやまない鳥類との関わり方を見つめ直してみませんか。愛鳥家にはたまらない、鳥愛をいっそう深めてくれる一冊です。