杉山経昌(すぎやま・つねまさ) 1938年(昭和13年)、東京に生まれる。 5歳のときに疎開して千葉県で成長し、千葉大学文理学部化学科を卒業。 通信機器メーカーと半導体メーカーを経験したのち、50歳で宮崎県綾町で農業を始める。 サラリーマン時代は左手にコンピューター、右手に経営書を常に携えた経験を十分に生かし、 観光果樹園経営ののち78歳で終農、悠々自適生活に入り現在に至る。 ●趣味 土いじり、果樹栽培・家庭菜園。コントラクト・ブリッジ、音符遊び。 ●家族 妻と猫(イプシロン、イータ、ファイ、ゼータ、タウ、ミュー、キー)の9人家族。 ●自慢 通年で自給できるフルーツランドを持っていること。
初めの初め 1 農終いしても植物との付き合いは終わらず 就農と家建て 地下室と遊び場(コムシャック)を作ろう 広々収納で快適生活 菜園で多品種を作るわけ 果樹園で目指す年中果物生活 無駄なく通年供給を叶える食材保存法 薪ストーブで暮らしと畑に活力を 共生と平衡 2 脱サラお百姓さんの、引退と引き継ぎ 夫婦二人の小規模農園経営から得たもの 事業を終う──引き継ぎとお金の話 さまざまな離農 3 エンジョイ・リタイアメントライフ! 趣味をとことんエンジョイしよう 発酵プロセスにこだわるワイン作り ワイン作りの挑戦は続く 断捨離──暮らしの大整理 電子書籍化のすすめ 九人家族の家計 病と徹底的に戦い追い払おう Network ──人の輪 あとがき
1988年末、アメリカのアリゾナで「World Marketing Leadership」と銘打った研修を受けていた。ホテルのプールサイドで夕食をとっているとき、何もかもを飲み込んで沈んでゆく真っ赤な夕日を眺めていてふと、その荘厳さとは裏腹に私は自分の任地、日本でこのような「素晴らしい景色」「時間」「ゆとり」をもって食事をしたことなどないことに気づいた。 自分の人生の選択はどこか間違っているのではないか?と思った。このときの私の日本での肩書きは「Director of Marketing Japan」、日本語表記では「営業統括本部長」だった。 日本では朝6時に起きて、電話の音響カップラーを通じて会社の専用衛星回線でアメリカのIBMホストコンピューターにアクセスし、自分宛ての1日分のメールをダウンロードする。朝食をとり、満員電車に押しつぶされながらメールに目を通す。地下鉄の階段を上って会社に着くと秘書にどのメールにはどのように答えてほしい、どのメールは自分で返事を書く、今日一日のスケジュールはと打ち合わせ。部下の経費決済にサインをし、自分宛ての決裁文書を未決から決裁済みトレーへ移動し、会議に出、顧客訪問をし、夕方定時後はたくさんの部下たちがあちこちでしている会食のうち重要顧客だからどうしても顔を出してほしいと言われたレストラン複数箇所に顔を出してから終電に乗り、相乗りタクシーで家に帰り、泥のように眠る。 寝ている最中に海外から電話がかかることもあるし、顧客訪問の道中で、弁当箱サイズの携帯に香港のマネージャーから長い電話がかかったりもする。これが私の日本における「ルーティーン」だった。 人間が生きるとは? 意味は? どのような生き方が死を前にして納得できるか? 高い給与か? 飛行機でファーストクラスに乗れることに価値があるのか? このライフスタイルを継続すれば定年まで自分では生きられないのではないか? それは確信だった。なーんだ! 自分は自分の人生を会社という組織に単にお金で売り渡しているだけなんだ! 自分に残るものは何もない。それでよいのか?? そのとき、子どもの頃に土と戯れた記憶がふとよみがえった。そうだ! 農業だ! 自然の中で日の出と共に生き、日没と共に眠る、それが理想のはずだ!と思い至った。以降、脱サラして就農した人たちが書いた本を読み漁った。そしてアリゾナのサンセットの翌1989年9月、会社へ行く気が起きず、家でテレワークをしているとき、上司から電話があった。T社との間で立ち上げる合弁会社の社長にあなたになってもらうことになっているが、まだ先方に返事をしていない、了解してほしいと。 会社を辞めるにはタイミングというものがあり、後継者の育成と選任という責任ある仕事もある。が、これはまさに、会社はすでにそれ、後継者の選任を進めているというメッセージであった。今しか辞められない!! 電話に「会社を辞める予定ですので、お受けできません!」。長い沈黙。まだ行き先も当てもない決断だった。しかしそれから天国にたどり着くのには一本道を歩むだけだった。2021年初め、私は自著『農で起業する!』の重版にあたり次の加筆をした。 ──────────────── 29版増刷に寄せて COVID-19で世界中が恐慌をきたしているさなかの12月末、数日早いクリスマスプレゼントが届いた。 主題増刷のお知らせである。COVID-19は資本主義経済至上主義を信奉する人々に従来の生き方を反省する機会を与えている。世界の中で一握りの人が地上の富の過半を抱え込むことができる、加えてその他大勢のマジョリティーが、生活の糧を求めて都市に集中し、その過密な人口のゆえにコロナバイラスの拡散を防げないという自己矛盾に陥った。アフター・コロナを模索する今こそ、資本主義経済に比重を置き過ぎない、ライフスタイルを模索する時だ。2005年11月毎日新聞に投稿したエッセイを引用する。 きれい比較優位 昔学校の教科書は日本には電話が何台、国民一人当たり車は何台、国民総生産は世界第何位と言う比較情報であふれていた。結果として私達はエネルギーや物質の消費総量が多いほど立派な人、社会、国だと信じた。しかしどう頑張っても一度に100杯のご飯は食べられず、同時に100着の服は着られない。車も一度に5台運転することはできない。必然的に不要なものを大量に取得し、無駄に捨てることでその目標を目指している。それが大量生産・大量消費・大量廃棄社会である。個人でもお金をたくさん持っている人が偉くて、貧乏人は惨めだと決めつけて終わりのない競争社会をたどった。その教育の手法が日本を公害列島にし、温暖化を促し、地球を異常気象災害惑星に変えつつある。 現在の「物・金・崇拝」、別の表現を借りれば「物量比較優位崇拝」の社会的枠組みは誤りだと大方の人々は心では知っているが、いまだテレビも新聞も教科書もその価値観からぬけだせないでいる。報道は常に何パーセント成長、昨年実績を上回る、景気上昇インフレ誘導など古典的、地球破壊的価値観を押し付ける。 では我々はそこからいったい何処へ向かって動き出さなければならないのだろうか? 私は宮崎県綾町で百姓をしている。目を見開いてそこにあるものを見回してみた。 そこは、 1.空気がきれい、 2.水がきれい、 3.青空がきれい、 4.星空がきれい、 5.景色がきれい、 6.(人の)生き方がきれい、 7.(人の)心がきれい、 であふれていた。全国の首長は20世紀の誤った「経済比較優位信仰」で皆が皆ミニ東京を目指した。気が付いてみると宮崎県は周回遅れのビリに居た。が、もし我々が21世紀の新しい価値、「きれい比較優位」に目標を定めなおして運営の舵を切れば、東京は周回遅れのビリで、我々はダントツのトップに躍り出る。皆で21世紀の目標「きれい比較優位」を目指そうではないか。 葡萄園スギヤマ 百姓 杉山経昌 宮崎県綾町在住 1990年50歳で就農し、定年を75歳と決めた。が仕舞うのは結構大変だった。3年遅れて78歳で仕舞うことが出来た。以来リタイアメント・ライフは天国の上を行く極楽に居住している。サラリーマン→専業農家→リタイアメント・ライフと収入は三段跳びで下がったが幸福度は三段跳びで上がった。 今では自給的超零細農業と趣味で人生を謳歌している。現在の目標は健康寿命をいかに維持しつつ、サステイナブル(地球の)な生活を楽しむかに目標が収束している。朝食前は通常ウオーキングで5qほど歩く。次いで朝食は「フルモニ」と呼ばれる果物と野菜(ザワークラウト)だけである。 家で採れる果物を旬のもの主体で食卓にあげ、食べきれない分は冷凍貯蔵して、旬を外れた時期に食卓をにぎわす。さらに余れば周りにおすそわけし、それがいずれ野菜やコメになって帰ってくる。物々交換と自給的生活は消費税何%でも驚かない。今は冬だから薪ストーブに毎日火が入る。その上には朝野菜やイモなどを満載した土鍋が乗り、昼はそのシチューが楽しみだ。朝昼の食事は自給率ほぼ100%。COVID-19? 矢でも鉄砲でも持ってこいだ。こんな生活が田舎に移住して2-3反歩の土地を持って周りと仲良くすれば、だれでもが叶うライフスタイルなのである。この『農で起業する!』は私が週休四日で、儲かる農業を目指した企業人感覚で書き、実現した軌跡である。それは子どもが居て高等教育まで考えたら必要だろう。が、その先には今の私のような週休6日で、極楽に住む健康生活が可能なことを皆さんにもお知らせしたい。昨日も下の部落の友人から電話があった。「あなたも何か作っているだろうが、無いものが有ったら届ける、何が良い?」で、里芋とトロロ芋を所望した。こんな友人が周りに何人もいる。あなたも田舎に移住すれば実現する世界です。 2020年15月19日 杉山経昌 ──────────────── 農業で暮らす決断をしてから右の文章を書くまでには30年が経過したことになるが、実際には無知な私が試行錯誤を繰り返し、天国の入り口に達するには10年ほどかかったと思う。この本はその10年を短縮する助言を目的としている。 作物の選択、果樹の選択、圃場(ほじょう)の選択、隣人との付き合い方、農具や機械の選択、施設の建設、健康の維持の仕方、病との戦い方などなど無駄な選択をせず最短で自分流天国にたどり着くことが望ましい。どこに住むか?は気象、よって立つ作物、樹種などにも大きく影響する。私は現在地を選択する前に降水量や日照時間などこの地の条件を調べたが、無知な私が何を調べようとも大して意味はなかった。後から、あーそーなんだと納得するだけで、「人間到(いた)る処(ところ)青山(せいざん)有り」でよいと思う。 問題解決能力と対処法に普遍性があれば、ここでなければということはない。私自身「厚着をして震えているよりも、植木等ばりにステテコに腹巻」が好きだという理由で南国を選んだ。それで十分でしょう。 そして、本書は終農・終活本だ。プロの小規模家族農家、家庭菜園で晴耕雨読を楽しみたい人から、農ビジネスの承継を考えている人までの参考書となれば良いと思う。
50歳で脱サラ&就農、「ムリ」せず働きやりがいのある農業を実現した百姓が、78歳で農業経営を辞め、そして現在、83歳でリタイアメントライフを満喫中。 どうやってそれを叶えたのか、引退後はどんな暮らしを送っているのかを包み隠さず語る、究極の終農・終活本です。 外資系半導体販売部を率いていたサラリーマン時代、「このライフスタイルを続けたら、定年前に過労死する!」と悟り脱サラした著者は、自然と親しむ農業で暮らしたいと宮崎県綾町に移住しました。 農業は素人でしたが観光農園で収益を上げ、海外の団体ツアーも受け入れるほどに大成功。 会社員として得た経験と考え方が、農業経営でもその後の暮らしの中でも生きています。 プロの小規模家族農家、家庭菜園で晴耕雨読を楽しみたい人から、農ビジネスの承継を考えている人まで、幅広くお楽しみいただけます。