| ロビン・オサリバン[著] 浜本隆三、藤原崇、星野玲奈[訳] 3,600円+税 四六判 468頁 2022年5月刊行 ISBN978-4-8067-1636-5 高騰する化学肥料や、地球に負荷をかけない農業の在り方が注目される中で、 過去70年の米国のオーガニックの歴史をまとめた。 自然食品や有機農の虚像と実像、有機認証制度の発展や、 反体制運動としてのオーガニック、アマゾンが買収した有機スーパーチェーンなど、 農業者も、消費者もハッピーなオーガニックの在り方を描き、 これからの日本の自然食の在り方を浮き彫りにするタイムリーな1冊。 【主な内容】 化学肥料と農薬なしでの農業 自然に寄り添う暮らしとオーガニック 自給自足と全粒粉 農薬と農務省 オーガニック・デトックス ファーマーズマーケット ベジタリアン エコラベル 他 巻末の注につきまして、以下の通り掲載漏れがありましたので、お詫びして掲載いたします。 https://www.tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/hon-imgs/1636a.pdf |
ロビン・オサリバン(Robin O'Sullivan)
ダートマス大学宗教学課程卒業。サザン・メイン大学大学院修士課程、およびテキサス大学大学院博士課程修了、Ph.D(アメリカ研究)。
現在、アラバマ州立トロイ大学歴史哲学部専任講師。
アメリカ史、アメリカ現代史、アメリカ文化史、アメリカ環境史などの講義を担当。
アメリカ文化史、環境史、農業史、文化地理学、ポピュラーカルチャー、食品研究、社会運動論などの分野に関心を寄せながら、
アメリカ研究学会、環境史学会などで研究活動を行なっている。
2015年に初の単著となる本書をカンザス大学出版局より刊行。学会誌などに書評が掲載されて話題を呼んだ。
浜本隆三(はまもと・りゅうぞう)
1979年、京都府生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。
同大学大学院アメリカ研究科(現グローバル・スタディーズ研究科)博士後期課程単位取得満期退学。
現在、甲南大学文学部英語英米文学科専任講師。専門は19世紀アメリカの文学と文化。
ASLE-Japan/ 文学・環境学会およびエコクリティシズム研究学会会員。
著書に『クー・クラックス・クラン』(平凡社新書、2016年)、『アメリカの排外主義』(平凡社新書、2019 年)、
単訳書にバーナビー・コンラッドV世『アブサンの文化史:禁断の酒の二百年』(白水社、2016 年)、
共訳書にヴィクトリア・ヴァントック『ジェット・セックス:スチュワーデスの歴史とアメリカ的「女性らしさ」の形成』(明石書店、2018年)などがある。
藤原崇(ふじわら・たかし)
1979年、兵庫県生まれ。同志社大学文学部英文学科卒業。
同大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
同志社大学、近畿大学等で非常勤講師を勤め、2018年度より摂南大学国際学部専任講師。専門は英語学。
共訳書にフレッド・ミニック『ウイスキー・ウーマン:バーボン、スコッチ、アイリッシュ・ウイスキーと女性たちの知られざる歴史』(明石書店、2021 年)、
リチャード・フォス『空と宇宙の食事の歴史物語:気球、旅客機からスペースシャトルまで』(原書房、2022年)などがある。
星野玲奈(ほしの・れいな)
関西学院大学文学部英文学科卒業。ミシガン州立大学大学院アメリカ研究プログラム修士課程修了。
同志社大学大学院アメリカ研究科(現グローバル・スタディーズ研究科)博士後期課程単位取得満期退学。
企業内TOEIC 研修や実務翻訳に携わる。現在、バンコク在住。
はじめに
オーガニックを捉えなおす
社会運動としてのオーガニック
「オーガニック」とは何か?
第1章 オーガニックは「土」に着目することで始まった(1940〜50年代)
J・I・ロデイルの確信と戦略
オーガニックの芽吹き
オーガニック雑誌の創刊
オーガニックの教科書『ペイ・ダート』
ヘンリー・ソローと自給自足
「暮らしの学校」創設と『緑の革命』
劣化が進む土壌肥沃度
小説家ブロムフィールドと農場
科学的根拠の欠如
邁進するロデイル
殺虫剤、土壌改良剤の普及
オーガニック信者と懐疑派
第2章 『沈黙の春』・カウンターカルチャーからエコロジー運動へ(1960〜70年代)
レイチェル・カーソン『沈黙の春』の波紋
カウンターカルチャーとオーガニック
ロデイルの信奉者たち
ニアリング夫妻の自給自足生活
広がりを見せるオーガニック農業
DDTからエコロジーへ
アメリカ初のオーガニック認証プログラム
オーガニック食品への関心の高まり
オーガニック運動の転換期
第3章 ビジネスと社会運動(1970〜80年代)
オーガニック食品への批判
オーガニック食材のブランド化
自営農家と農本主義
オーガニックフルーツを食べるセレブたち
オーガニック食品の広告戦略
オーガニックに消極的な米国農務省
オーガニック企業の出現
リンゴとがん
第4章 本物/軽薄─認証と慣習化(1990年代以後)
有機食品生産法がもたらした混乱
新しいタイプのオーガニック農家たち
環境保護主義とオーガニック
オーガニックは本当に地球に優しいか?
ロカヴォア運動の広まり
巨大企業の農業ビジネス参入
オーガニックの魂の消失
「本物」のオーガニック
第5章 ビッグ・バッド・オーガニック─健康志向と商業化
オーガニック食品の栄養価
オーガニック食品と不健康なアメリカ人
遺伝子組み換え食品の登場
数多のオーガニックブランドを所有する巨大企業
乳幼児とオーガニック製品
オーガニック・ラベルへの過信
オーガニックの牛乳をめぐる騒動
オーガニック食品の栄養価への疑問
オーガニックにまつわる矛盾
ロデイル家の影響力
第6章 美味しい革命─高級化と大衆化
誰でも買えるオーガニック食品
オーガニック食品を買う理由
真の自然主義者、ロハシアン、ニュー・ラグジュアリ
ホールフーズマーケットの台頭
広がる購買者層
製品の購入は投票である
オーガニック市場の先行き
オーガニックは続いていく
訳者あとがき
注
参考文献
索引
本書はAmerican Organic: A Cultural History of Farming, Gardening, Shopping, and Eatingの邦訳書である。原書はカンザス大学出版局(University Press of Kansas)より2015年に刊行された。
原著者のロビン・オサリバン(Robin O'Sullivan)氏はアメリカ南部、アラバマ州にあるトロイ大学歴史学科の専任講師で、大学ではアメリカ現代史、アメリカ文化史、アメリカ環境史などの講義を担当している。
本書は現代オーガニックの史的展開を詳説した本邦初の一般書である。有機農法に関する文献は、その理念や思想を論じたものから、実践方法や現状報告にいたるまで、すでに数多くの書籍が世に出ている。その一方で、有機農法の裾野の広がりを網羅しながら、その歴史的、文化的、経済的な発展の過程を整理し、体系化して論じた文献はこれが初めてといえよう。
本書は原題が示す通り、アメリカを主な対象としており、ヨーロッパや日本については射程外となる。しかし、本論では英国土壌協会、インドのインドール式処理法から日本人農家の福岡正信まで、幅広い系譜をたどりながら現代オーガニックの発展過程を描き出している。
現在、オーガニック商品の市場規模は、世界で10兆円を超えるまでに膨らんでいる。2015年、国連サミットで「SDGs=持続可能な開発目標」が採択されて、食をめぐる持続可能性(サステイナビリティ)は地球全体の課題となるなか、オーガニックに対する関心もさらに高まりつつある。だがオーガニックは、その黎明期からいつも好意的に受け入れられてきたわけではなかった。オーガニック農法には、つねに栄養詐欺やぼったくりといった疑惑、あるいは生産性が落ちるために食糧不足や飢餓を招くといった批判がつきまとった。
そもそも、オーガニック食材がそれ以外の食品よりも優れた栄養価をもつという定説はない。また残留農薬の懸念についても、研究者によって考えはさまざまで、見解は一致していない。このような批判的な視座に立つと、オーガニックは科学的、合理的な根拠に基づく食の優越性を示すものではなく、受け手の感覚的、心理的な印象に基づく食の志向ということになる。
この魅惑的だが捉えにくくもあるオーガニックが、どのように発展し、いかにして10兆円規模の市場を切り開いてきたのか。さまざまな社会関係や利害関係に揉まれながら、オーガニックが現在の状況に到るまでの、その歴史的、文化史的な変遷を本書は解き明かしている。
それでは、各章の内容について簡単に紹介しておこう。1章では、1940年代から50年代、アメリカでオーガニック運動を始めたJ・I・ロデイルの貢献に着目する。とくにロデイルが影響を受けた有機農法を概観しながら、彼がいかに先達の知恵を総合し、オーガニック農法をどのように定義して、大きな運動へと発展させていったのか詳述する。
ロデイルはオーガニック実践者というよりも、出版業を立ち上げて、数々の雑誌と書籍の刊行を通してオーガニックの普及に尽力した企業家であった。慣行の農家ではなくより良い食に関心のある一般市民に向けて、難解で手間のかかる有機農法を分かりやすく解説し、また誌上に情報交換の場を設けて、オーガニックの芽を大樹へと育て上げた。
その一方で、オーガニックには萌芽期から疑念や批判がつきまとった。ロデイルは自然のやり方で自然を模倣した農業を強調する一方、オーガニック食品とその農法の有意性を示す科学的根拠を模索して、批判と対峙するために腐心した。大戦後、化学肥料や除草剤、殺虫剤の普及により、世界の農産物の収量は著しく増加していた。慣行農家には、オーガニック農法はあまりにも的外れで、取るに足らない存在に思われていた。
第2章では、オーガニックが広く社会に浸透する1960〜70年代の状況を概観する。ベトナム反戦運動などがアメリカを揺るがしていたこの時代、レイチェル・カーソンの化学汚染を告発した『沈黙の春』が社会に大きな衝撃をもたらして、環境問題が人類の抱える課題として広く認識されるようになった。オーガニックは自給自足の生活をする対抗文化の活動家やヒッピーらと共存しながら、しだいに裾野を広げていった。健康食品店や自然食品店、生活協同組合が各地に出現し、環境に優しい食べ物への関心が高まった。
オーガニックが社会で存在感を示しはじめ、有機栽培の食料に対する需要が供給量を上回ると、オーガニックの偽装表示が横行し、消費者のあいだには不信感が募った。こうした事態を受けて、1970年はじめ、オーガニック農産物であることを示す、認証プログラムが各地で始まる。ロデイルも「食品詐欺師」に注意するよう消費者に訴えたが、他方では「オーガニック食品カルトの教祖」と揶揄されていた。
第3章では、1970〜80年代にかけて、対抗的な食の運動であったオーガニックに大企業が関心を示し始めて、オーガニックが市場ビジネスに取り込まれていく過程を追う。この時代、オーガニックには相変わらず批判が付きまとっていた。米国栄養学会はオーガニック食品には特別な栄養価や治癒力はないと断じ、農務長官のアール・バッツは小規模農家を締め出す方針を継承していた。
一方で、オーガニックというブランディングの地歩が固まったのもこの時代であった。社会問題が巣くう都市と、清貧な農村という対立の構図は、健全な田舎風情という幻想を生み出し、アメリカの西部開拓の歴史に根差した独立自営農民が高潔さの見本としてもてはやされた。日本でも人気の高かったテレビドラマ・シリーズ「大草原の小さな家」の世界である。オーガニックはこのような農本主義の神話と結びつき、田舎の素朴な家族経営の農場というイメージがオーガニック製品を売り込もうとする企業の広告戦略に巧みに取り込まれていった。ちょうど経済不況や原油高が慣行農家を苦しめていた時代、利益を見込んで有機農法に鞍替えする農家も出始めた。
第4章では1990年代から今日にかけて、オーガニック認証制度の普及と、それがもたらした余波について追っている。1990年以後、認証制度の画一化が進展していくと、オーガニック市場には将来性を見込んだ新たな資金が流れ込み、ロデイルが夢見た「黄金の土」のゴールドラッシュが現実のものとなった。その一方で、有機とは何かをめぐる議論は、本来の思想に根差した「本物(ディープ)」のオーガニックと利益優先の「浅薄(シャロウ)」なオーガニックとの区別へと展開した。この章では、本物のオーガニックの事例として、日系三世の桃農家デイヴィッド・マス・マスモトを含む4名の有名な農家を紹介している。
有機食品の市場が拡大すると、オーガニックは生産性を最大限に高めて効率的に事業を展開することで利益を上げようとする、規模の論理や市場の論理に巻き込まれていく。数千キロも離れた産地から、大陸を横断して消費者の元へと届けられる有機食品が、果たして本当に地球環境に優しい農法の産物と言えるのか、企業の理屈に飲み込まれたオーガニックをめぐり議論が巻き起こる。地域に根差した食を大切にして、地産地消を掲げる「ロカヴォエ」が新しい食の運動として広まったのもこの時代であった。
第5章では、オーガニック食品の消費者に注目し、商品購入の動機について分析を行っている。健康への関心の高まりを受けて、パッケージ食品には栄養成分表示が義務づけられ、低カロリーや減塩を特徴とする機能性食品や、基礎的な栄養を補う栄養補助食品が登場した。この食品に特定の性質を付与するという点に注目した企業が、オーガニックをマーケティングのツールに取り入れようと試みる。ハインツ、セレッシャル・グループ、ストーニーフィールドといったオーガニック商品を扱う大企業が、地球に優しい農業を掲げて消費者の倫理観に訴えたり、病気への不安を駆り立てたりするマーケティングを巧みに用いながら、市場にオーガニックを売り込んでいった。
第6章では、大衆化がすすむオーガニック市場の現状を捉えたうえで、この市場の今後の展望について検討する。オーガニックの消費者は、初期の研究では世帯年収7000ドル以上の高所得白人層と分析されていたが、今日では黒人やヒスパニックにも購買層が広がり、低所得層向けの食料支援品にもオーガニックの選択肢を含むところが出始めている。オーガニック製品の消費は、人種や年収、社会階層とは無関係に拡大しているのである。
ホールフーズマーケットは、オーガニックの大衆化を成功へと導いたもっとも影響力のあった企業であった。大衆化の進展によって、オーガニックのチョコレートバーやオーガニックのビールが登場し、いずれはオーガニックのジャンク・フードまで出現するのではないかとの懸念もある。本書ではオーガニック市場の拡大を俯瞰しつつ、オーガニック食品の需要の中核を担う「真の自然主義者」層や、健康で持続可能な生活を目指す「ロハス」と呼ばれる潮流、またちょっとした贅沢品を楽しむ「ニュー・ラグジュアリ」といった消費行動から、大衆化したオーガニックの消費行動を分析している。
以上、各章の内容を概説したが、オサリバン氏が「はじめに」で記している通り、本書では章をまたいで複数の論点が並走し、話題も多岐にわたるため、議論の全体像を把握することは容易ではない。オーガニックの歴史には、さまざまな力学関係が絡み合う。いずれの話題も興味深く、かつ重要であるため、それらを網羅しながら系統立てて説明するのは至難の業である。だがオサリバン氏は、それを本書で見事にやってのけた。
なお、オサリバン氏はオーガニックを推奨したり、あるいは批判したりする、特定の立場から本書を執筆しているわけではない。学者として中立の立場を守り、学問的な探求心に基づき、オーガニックについて研究している。この点はとくに強調しておく必要がある。
さて、オーガニックの歴史が複雑である理由は、誤解を恐れずに言えば、オーガニックにはそれを構成する本質が存在しない、という点に起因しているからといえるのではないだろうか。オーガニックの運動は、当初は慣行農業、合理化や効率化、科学主義、産業資本主義といった文明社会に対抗する文化的文脈に根差していた。他方では、地球環境や自然に優しい農法、身体にも優しい食品といった文脈にも軸足があった。
だが、認証制度がオーガニックに定義を持ち込んだことで、有機農法の理念や理想、感覚的な経験と勘は、合理的かつ理性的な法的枠組みへと組み替えられていった。オーガニックは、もはや自然に学びながら経験を重ねた玄人にのみ許される農法ではなく、画一的な基準を順守しさえすれば、容易に取り組むことができる農法となった。
質へのこだわりが法的な枠組みに取って替わり、オーガニックの意味するものが本質的に入れ替わったということは、オーガニックを構成する普遍的な本質は存在しない、ということになる。それでも消費者がオーガニックに魅了される理由は、自然の恵みである農産物に人為的な付加価値を与える余地を、オーガニックが見出したからといえるのではないだろうか。
美食家のブリア=サヴァランに言わせれば、食は体を表し、食は国の運命をも左右する。食とは不思議なもので、豪華な皿に目を奪われても、馴染みの味に勝るものはない。味の好みは、理性ではなく感性に根差している。その感性が宿る原型から大きく逸れることなく、商品の品質の優位性を示すことは難しい。ここに、オーガニックの商品市場が開けた要因があるといえる。
オーガニックには時間軸が重要な役割を果たしている。オーガニック認証は、優れた品質を保証するものではなく、その品質を「物語る」ものである。消費者は、その生産過程を評価し、口にする人の健康や地球環境になんらかの良い影響が及ぶことを期待して購入する。それゆえ、オーガニック製品の付加価値とは、その製品の時間軸上に広がる文脈にあり、消費者はその物語を買っているものといえるだろう。
本書の翻訳のきっかけは、私(浜本)が担当する大学の演習授業で、学生と視聴したドキュメンタリー・フィルム『フード・インク』(ロバート・ケナー監督、2010年)に衝撃を受けたことにたどられる。アメリカの食に忍び寄る危機に迫ったこのドキュメンタリーを見ながら、日本の食について学生が行なったリサーチの報告を聞くなかで、これまで楽観視していた日本の食についても、きちんと向き合って考えてみたいと思うようになった。
学生時代、私は台所のない間借りで下宿し、食事はもっぱら牛丼屋などの外食に頼り、食費を削るためにドッグフードにマヨネーズをかけて食べていたこともあるほど、食には無頓着であった。だが、二児の父になったいま、子どもには良いものを食べさせたいと思うようになり、近所の産直市場に出向くことが、家族で過ごす休日の定番となった。それでも、野菜に鮮度は求めるが、オーガニックなどの栽培方法にまではこだわってこなかった。
オーガニックについて、私個人の見解を述べると、慣行の農産品よりも何かしら優れた点があり、残留農薬の心配がなく、環境にも優しい育てられ方をした、理想の農産品という印象をもっている。それでも、これまでとくにオーガニックの農産物を積極的に選んでこなかった理由を考えると、学生時代からの貧乏性が抜けきっておらず、価格重視で商品を選んでいる点、有機野菜という選択肢が身近な小売店の商品棚には少ない(か、それを意識していない)点、価格に見合った質や効果が見込めるのかわからない点、といったものが思い当たるが、なかでももっとも大きな要因は、慣行農業の農産品でも満足しているからという点にあると内省している。おそらく一般的な消費者の感覚も、これに近いのではないだろうか。
しかしいま、世界の食をめぐる環境は大きな岐路に差し掛かかりつつある。2020年5月、EUは「Farm to Fork(農場から食卓まで)戦略」を発表し、2030年までに有機農業を25%に拡大し、化学農薬の使用等を50%減らすという目標を発表した。同年2月には、米国も2050年までに農業生産に起因する環境負荷を半減させる「農業イノベーションアジェンダ」を打ち出すなど、持続可能な食料生産システムへの関心は世界的な潮流となりつつある。
この世界の潮流を受けて、日本の農林水産省も2021年5月、2050年までに有機農業の農地面積を25%に拡大することなどを含む、「みどりの食料システム戦略」を発表した。現在、日本の有機農業の農地比率は0.5%程度で、それを今後30年で25%にまで拡大させるという目標設定は、なかなか挑戦的である。
ほかにも、農林水産業のCO2ゼロエミッション化や化学農薬の使用量を50%低減するといった、14項目の野心的な目標が並び、具体的な数値が盛り込まれた、これまでにない大胆な計画と評価されている。
この挑戦的な数値目標は、日本の有機農業の現状に対する農水省の認識や、国内農業の今後に対する同省の危機感の表れと受け取れる。有機食品がより身近な選択肢になることは歓迎される一方、この計画には気になる点も指摘されている。たとえば、ゲノム編集や遺伝子組み換え技術に肯定的な姿勢や、一部の企業が生産手段を掌握することへの懸念のある高度なIT技術の農業への導入、あるいは安全性や環境への影響が未知のRNA農薬(害虫の遺伝子を操作する次世代農薬)の使用などである。見方によっては、農業に抜本的なイノベーションを導入するための、布石としての意味合いが強いのではとも受け取れる目標である。
農水省と農協が、手を取り合って農薬や殺虫剤を手放し、堆肥づくりを奨励しはじめるということなのだろうか。そうでなければ、この計画が謳う有機農地を25%に拡大し、化学農薬を50%削減するというかつてない目標は、どのように達成されるのであろうか。冷静になって考えると、むしろ不気味にも思えてくる。有機農地の拡大という目標達成のために、数値ばかりを追うことになれば、有機農業に対する信頼自体が揺らぎかねない。日本の有機認証を担うJAS制度が、新しい農業技術とどう向き合うのか、注視していく必要がある。
2019年より世界を震撼させた新型コロナウイルス(COVID-19)とは、いわば科学と文明の「防波堤」を越えて自然界から現代社会に流れ込んできた、人獣共通感染症のウイルスである。これまでも、これからも人類は、こうしたウイルスとは共存していかなければならない。そしてこうしたウイルスは、有畜農業と切り離された工場型畜産業と無縁ではないことも知っておくべきだろう。人類の意のままにはならない自然を相手にした農業は、つねにこのような不確定要素と向き合いながら、折り合いをつけ、我われの豊かな食生活を支えてくれている。これには、有機や慣行の別なく、ただ感謝の念しかない。いま我われに必要なのは、この「当たり前」だと思っている豊かな食生活をいかに守っていくのか、考える点にあるのではないだろうか。
たとえば本書では、商品の選択は「投票」行動と同じだと紹介している(その限界も指摘されてはいる)。消費者の消費行動には、農業政策や農法について意志表示をする力がある。我われは食の実情を知り、考え、小さな声を上げて、我われ自身の、そして未来の世代の、豊かで安全な食を守っていかなければならない。食を取り巻く状況は、決して楽観できるものではない。本書が日本の食の未来を考えるための、ささやかな一助になれば訳者冥利に尽きる。(後略)