| ウィリアム・ブライアント・ローガン[著] 屋代通子[訳] 3,200円+税 四六判 384頁 2022年4月刊行 ISBN978-4-8067-1633-4 古来、人間は、木を伐ることで樹木の無限の恵みを引き出し、利用してきた。 英国の沼沢地の萌芽更新による枝を使った石器時代の木道、 スペインの12世紀の手入れされたナラの林、 16世紀のタラ漁船のための木材づくり、 野焼きによって森を育んだ北アメリカの先住民、日本の里山萌芽林。 米国を代表する育樹家が、世界各地を旅し、 1万年にわたって人の暮らしと文化を支えてきた樹木と人間の伝承を掘り起こし、 現代によみがえらせる。 【各氏絶賛! ジョン・バロウズ賞受賞!】 ウィリアム・ブライアント・ローガンが思い描く世界――人と木とが協力して両者が潤う世界は、かつて存在していたし、いずれ取り戻せるかもしれない。そんな世界を思うと、心の底から喜びを感じ、希望があふれてくる ――ペーター・ヴォールレーベン(『樹木たちの知られざる生活』著者) 科学と文化に肉薄した本書に導かれると、わたしたちの心は豊かに膨らみ、もう一度、生きた世界と思いやりの交歓をしたくなる。ローガンはわたしたちにも、「頭と心と手と」そして木が一緒に働く暮らしを送る力があることを、思い出させてくれるのだ ――ロビン・ウォール・キマラー(『植物と叡智の守り人』『コケの自然誌』著者) ローガンの言葉は美しく、神聖で、それでいて実際的な知識に満ちている。世界各所で森林が危機に瀕している今、葉の生えたイトコともっと深く、親しく交わろうという彼の呼びかけはじつに時宜を得、しかも重要だ。ローガンは感情的に保護を叫ぶか人間中心に木を一方的に利用するかの二者択一を離れ、注意深くかつ適切に管理すれば、人間にも木々にもコミュニティにも活路が開けることを示している ――D.G.ハスケル(『木々は歌う』『ミクロの森』著者) 変化の激しい現代社会にともされた希望の光 ――B. カイザー(ネイチャー誌) 著者は詩人だ。彼の語るものがなべて豊かで驚きに満ちていることは折り紙つきだ ――D. ブラウニング(ニューヨークタイムズ書評) 人類の負っている負債と、知恵が失われることによる未来への恐れを心にとどめつつ、ローガンは植物と人、双方の系譜を、敬意と愛情をこめて語っている。そこに結実したのが、樹木が文化に果たしてきた大きな役割を美しい言葉で讃えた本書だ。木々はこれまでずっと人を癒し、潤し、滋養と安全な住まいを与えてくれた ――ブックリスト誌 |
ウィリアム・ブライアント・ローガン(William Bryant Logan)
ニューヨーク植物園で教鞭をとる。
これまで30 年間、木を相手に働いてきた。認定育樹家で、ニューヨーク市を拠点とする樹木管理の会社の創設者兼社長。
ガーデンライターズアソシエーションから数々の賞を受賞しており、「House Beautiful」「House and Garden」「Garden Design」などの雑誌の寄稿編集者、「ニューヨークタイムズ」のレギュラーのガーデンライターでもある。
国際樹芸学会International Society of Arboriculture(ISA)のニューヨーク州支部から2012 年のSenior Scholar 賞を、国際ISA からTrue Professional of Arboriculture 賞を受賞。本書で、最も優れたネイチャーライティングの著作に贈られるジョン・バロウズ賞を受賞。
著書に、『Oak』(『ドングリと文明』日経BP 社)、『Air』『Dirt』などがある。
屋代通子(やしろ・みちこ)
兵庫県西宮市生まれ。札幌市在住。出版社勤務を経て翻訳業。
主な訳書に『シャーマンの弟子になった民族植物学者の話 上・下』『虫と文明』『馬の自然誌』『外来種のウソ・ホントを科学する』『木々は歌う』(以上、築地書館)、『ナチュラル・ナビゲーション』『日常を探検に変える』(以上、紀伊國屋書店)、『数の発明』『ピダハン』『マリア・シビラ・メーリアン』(以上、みすず書房)など。
ニューヨークを救う木 ヤナギの再生
忘れられた言葉 木とともに生きる
記 憶 失われた技法
不格好な40本のプラタナス
助っ人を探す
ヒントはどこに?
新芽がなければ生きられない
踏みはずした木との関係
木との対話を始める
萌芽の地 木の行動に学ぶ
植物、海から陸へ
植物の誕生を促したもの
予備の芽
即興演奏する樹木たち 倒れた樹木に宿る生命
植物たちの旋律──6つの選択
周囲の世界に呼応する
年ふりた樹木の持つ力
枝分かれ(branching) ネットワークの中で生きる
高架下の雑木林(スパゲッティの森) 創造力のある生き物
石器時代の湿地の木道(レヴェルズにて) 萌芽枝の利用
異形の木々
萌芽枝で作られた石器時代の木道
ふたつの木道に使われた1万4000本の枝
街路の発明 同じ森を利用する
バ ネ 人の手が促す森の遷移
萌芽の森を保つ技
伐り取られたあとに咲く花々
萌芽林の連鎖
母なるハシバミ 食用・道具・家畜の餌
生け垣を建てる 生け垣の多様な生態系
工芸と科学
家畜のためのもの
囲いこみと生け垣
イングランドの生け垣には1000万の鳥のつがいが暮らす
手に負えるの? 頭と心と手を研ぎすます
侵入する植物たち 不屈のオウシュウニレ
妖精の庭のニレ
クローンで生き延びる
探究心旺盛な根
12世紀の森を歩く 手入れされたナラの林
てっぺんが丸められた巨木
萌芽の林
ボート材 16世紀のタラ漁船
木に枝を少しだけ残す──イピナバロのナラ
海底で発見されたバスクのクジラ漁船
バスクの船大工──バカラオ型の船を建造
森に合わせて船を設(つく)計り、船に合わせて森を作る
バカラオ型の船の工法
16世紀の工法を再現する
丘の周り 北スペインの渓谷で受け継がれる森の利用
バスク地方レイツァの街
生活を織りなす共有の森
トネリコの更新枝で羊を養う
斧で世界とわたり合う
共有地 複雑な仕組み
未来を記憶する 切って古木を生かす技
500歳のブナに手を入れる
どこをどう切るか
木々のリズム 耕せば木は余計に生えてくる
サバンナの一画、キリミの村
木々が教える伝統農法
森を酷使する
アフリカの大地を見誤った支援
木々に学ぶ支援のあり方
急斜面の農耕を支えるもの 木の葉の飼い葉
フィヨルドの垂直経済
夏の農場の楽しみ
樹木の利用が支えた古代の農場
木を切ると牧草が育つ
4000年続く木の葉の利用
光の楽器 ノルウェーの農民画家
厳しい斜面を農地に
春の訪れと畑仕事
いいスティックを作る カリフォルニア先住民の火入れの知恵
籠という文化
スティックをとるために火を放つ
野焼きによる豊かな恵み
火入れの禁止による木々の変化
籠作りにこめられた知恵
芽吹きの楽園 カリフォルニアのセコイアの森で
セコイアの妖精の環
巨木の陰で生きる
火で作られたセコイアの森
木が芽吹かないとき 人の手が産んだ800歳のダグラスファー
サーミ人のマツ 針葉樹を生活の糧に
木の実の収穫 野焼きで楽をする
流れ橋 日本の里山再生
遠野の川にかかる流れ橋
狛ネズミの神社
田んぼと里山
里山の危機
名作「平成狸合戦ぽんぽこ」と「となりのトトロ」
桜ヶ丘公園、ボランティアの活躍
トトロのふるさと基金
能登半島の炭焼き──「ハハソ」の再利用
森の中へ 岩手県の3つの試み──植樹林に里山の手法を生かす
木材の地産地消
森の手入れに一般の人をまきこむ
早池峰の神楽
きみといつまでも 個体とはいったい何だろう
ボランティアたち 木々は巧みに芽吹き、巧みに生きる
ごみの上にできた森
どんな手を使っても──最終処分場に生えた木々
ホワイトのヤナギの言うことには 新たな命の生まれるところ
訳者あとがき
引用文献
索引
わたしたちはニューヨーク市で、樹木の手入れを生業(なりわい)としている。今まで、目に触れた木を好きになれなかったことはまずないのだが、例外があるとすればおそらくこの木だ。マンハッタンの、たいそう美しくしつらえられたコミュニティ・ガーデンのど真ん中に鎮座していた。ほとんど幹だけになっていて、その太さはといえば水道管並み、ニューヨーク市のバスを、フロントグラスを下にして逆立ちさせたみたいにそびえていた。中はほぼ空洞で、何も入っていない円筒を、薄いベニヤ板ほどしかない健康な部分で取り囲んだようなものだった。幹のてっぺんや側面のそこここから、しおたれた小枝が突き出している。廃墟からにじみ出た生命の痕跡だ。
わたしたちが手入れを任される一年か二年前に、誰かが上部の枝をほとんど刈り払ってしまっていた。狙いは定かではないけれども、想像するに、幹の健康な部分があまりにも薄っぺらく、木のてっぺんがまるで紙の管にのっけた植木鉢よろしくぐらぐらしていて、今にも通りがかりの人に倒れかかりそうになっていたからだろう。またおそらく、刈り払われた枝のほとんどが、すでに枯死していたのかもしれない。幹のてっぺんは、近くにあるしっかりした木とケーブルでつないであった。
なぜこのヤナギは、ここで息も絶え絶えになっているのだろう──わたしたちは自問した。ヤナギといえば生命力の代名詞だ。倒れても必ず新芽を出す。嵐で折れた枝は、落ちたところに根を張り、あまつさえそこを新たなヤナギの林に変える。
サマセット・レヴェルズという、イングランド南西部に広がる泥炭地を含む平坦で広大な湿地にあるヤナギ林は、もう1000年も前からくる年もくる年も枝を刈りこまれてきた。これは萌芽更新と呼ばれる森林利用の手法で、季節になるたびに、ヤナギは新しくしなやかな枝をすっくと伸ばす。当地には今でも、このヤナギを使って美しいサーモン色の編み垣をこしらえる会社がいくつかある。経糸(たていと)と緯糸(よこいと)がきわめて密に編みこまれ、顕微鏡で見る紗織(しゃおり)のシャツさながらだ。
マサチューセッツ州とニューハンプシャー州では、アメリカ先住民がヤナギを焼いて、生えてきた若木を魚捕りの罠に使う。時として探求心旺盛なる冒険家たち──おおむね12歳未満──が、日照り続きで干上がりかけたよどみでそうした罠を掘り起こしてしまうことがあり、感嘆の声を上げることになる。ソローが出会ったアイルランド少年の二人組は、ダリー・チャンクと名づけた道具で魚を獲ろうとしていた。それは1.2メートルほどの長さのヤナギの新枝で、先端に馬の毛をわっかにしたものが取りつけられていた。身を休めている小ぶりなパイクにそっとわっかをかけると、無造作に引き上げる。ヤナギの竿はよくしない、獲物をしめあげるのだ。
こんな具合に、新芽を出すことにかけてはヤナギは樹木界のチャンピオンなのだが、今わたしたちの前に立つヤナギには、新芽がほとんど見当たらない。明らかに根が腐っているのだ。根ごと取り除く許可をとったほうがいいのでは?
ところがどっこい。このヤナギは名のある木だった。E・B・ホワイトが1949年、ホリデイ誌に寄せたエッセイ「Here Is New York」でこの木のことを書いているのだという。記事は、わたしのようにこの街を愛する者なら誰しも涙を誘われる内容だ。ニューヨークは決して一枚岩ではない、とホワイトは書いている。小さなご近所が密になって、もがきながらも何かを生み出そうとしている球体の集まりで、その一つひとつに個人商店がある。
クリーニング屋、食料雑貨商、小間物屋、靴の修理屋、新聞販売のスタンド、果物屋、そしてホワイトの時代にはまだ氷と石炭の売店もあった。街はどこからやってくる人でも、惜しみなく抱きしめる。人々はそれぞれに夢を抱き、構想を練り、あるいはカバンに計画を詰めてやってくる。800万の希望が織りなす場所なのだ。ホワイトは書いている。「詩は、小さな空間に多くを詰めこむ。そして音楽が加わり、その意味を高めるのだ」と。彼にとってニューヨーク市は壮大なる詩であり、名を成した者たちがうらぶれた者たちと、偉大な芸術がさもしい盗みと、豪商がジプシーの王者と袖すり合う場所だ。
記事の最後で、彼は当時としてはまだ目新しかった原子力による破壊について触れている。「雁の編隊ほどのちっぽけな飛行機が一飛びしただけで、この島の夢をたちまちにして無にしてしまえる。塔を焼き、橋を砕き、地下街をガス室に転じて幾百万の民を葬る」
この恐怖の前に、ホワイトは何を対峙させたか。
もうおわかりだろう。息も絶え絶えにくたびれはてたこのヤナギだ。ホワイトの手によれば、「長く風雪に耐え、多くのものが登り、ワイヤでなんとか支えられているけれども、この木を知る人々からはとても愛されている」。もしもこの木が朽ちることがあれば、市全体が崩壊するだろう、と彼は書く。この木が守られている限りは、ニューヨークは保たれる。
なるほど。
それならば。
わたしたちは力をつくして手入れをした。年に2度、盆栽並みに刈り込み、生きている枝はできうる限り陽に当てた。ヤナギに少しでも光が差すように、周辺の木々の枝を払った。根の部分が競合するほかの木々を遠ざけた。根にフミン酸やフルボ酸を与えた。さらに、支えのケーブルを3本増やした。1本はワイヤで、2本はもっと柔らかいポリプロピレン製。5年の間、わたしたちはなんとか安全に生きながらえさせた。
そしてある春の初め、コミュニティ・ガーデンを見まわっているときに、ケーブルが役に立たなくなっているのを見つけた。ヤナギは真っ二つに裂けてこそいなかったものの、ケーブルを渡した箇所で砕けていた。まるで焼き物が割れたかのように。わたしたちはすでにずっと前から、ヤナギに極力体重をかけないようにしていた。てっぺんを見るときには、近くのカエデの枝に結びつけたロープをよじ登って、空洞になった幹を調べたものだ。ヤナギ自体には、木質の部分はもはやほとんど残されていなかった。正直、磁器さながら
に薄く、やわだった。ほかの2本のケーブルを渡したところにもひびが入り始めていた。わたしたちは大いにためらいながらも、ヤナギを撤去する許可を求めた。
ガーデンの所有者たちも、最後にはそれしかないと認めてくれた。よく晴れた春の日、わたしたちはヤナギを倒した。幹の断面は、円形の額縁のようだった。枯れた2本の根は、すでに崩れかけている。だが驚くなかれ、グランドセントラル駅も、クライスラービルも、エンパイアステートビルも、掘りつくされたヤナギの根っことともに崩れ落ちはしなかった。ニューヨークタイムズ紙の記者が事態を嗅ぎつけ、偉大なヤナギに引導を渡すという役まわりを引き受けなければならなかった不運な連中と、わたしたちのことを記事にした。だが実際にはその反対に、手入れをするうちにわたしたちはヤナギに愛着を覚え始め、あたかもホスピスの職員のように、心をこめて木を安息へと導けたと感じていた。
安息などという言葉がヤナギにはとんと無縁であることを、わたしたちはまだ知らなかった。
木の残骸は大部分はチッパーにかけられ、マルチになった。枝をほんの数本、砕かずに残しておいた。若いひょろっとした枝を3本、ブルックリンはレッドフックの種苗場の隅に突き挿した。3本とも、箒の柄(え)くらいの長さだった。
別に害にはならないし、あくまでも記念として。
そのまま、ヤナギの枝を挿したことなどすっかり忘れていた。
その年の秋、わたしたちは種苗場の木の棚卸をした。
アメリカサイカチ 6本
ウィローオーク 2本
ケンタッキーコーヒーツリー 4本
サービスベリー 3本
あの隅っこにかたまっている、黄色い葉の細っこい木はなんだろう? あんなところにウィローオークがあったっけ? 似ているけれども……。黄麻布で根をくるんでいないし、鉢植えでもない。普段移植用に使っている土の中から直接生えているようだ。
なんてこった、あのヤナギか!
わたしはその隅っこに突進した。箒の柄は3本とも芽吹き、生き生きと葉を広げていた。死にかけていたなんてとんでもない! その時わたしが思い浮かべたのは、ドイツと英国で、無謀にもヤナギの枝を材料に大聖堂の縮尺模型を設計し、植えつけた、愛すべき連中のことだ。あの聖堂も芽吹いた。英国はサマセットのトーントンと、ドイツのアウエルシュテットに現物があって、見物することもできる。成長する建物を作るのは最高にいかしたアイディアだと感心したものだが、わたしたちのヤナギこそは、真の意味でよみがえった──植物の復活物語だ。
このヤナギに必要なのは、要は新しい根っこだけだったのだ。古い根を根こそぎとり払うことで、なんと不思議にも、必要な新しい根ができたのだ。木質部の表皮近くにある形成層の薄い細胞は、ラテン語趣味の植物学者に言わせれば、totipotent(トティポテント) ──つまり、分化全能性がある。マーベル・コミックのスタン・リーならば、もっとわかりやすく「全能キャラ(オールパワフル)」とでも呼ぶだろう。同じことだ。植物の形成層は何もないところから、植物のあらゆる部位を作り出すことができ、根でも形成可能だ。刈り取られたばかりの箒の柄<сiギは地面に植えられると、全能の形成層が「ふむふむ、このあたりに根が必要そうだな」とつぶやき、根を生やしたというわけだ。
期待を胸に、わたしたちはできかけの木立を見守ることにした。1年のうちに3本の枝は何本にも枝分かれし、よく生い茂った木々になっていた。5年後には、種苗場で一番高い木になっている。種苗場の家主が電話をかけてきて、ヤナギの葉が溝に詰まって困ると苦情をよこした。わたしたちは溝を浚い、てっぺんを刈り戻した。臆せずひるまず、ヤナギはその年のうちに切られた時点の丈を取り戻したばかりか、さらに45センチも上に伸びた。今では毎年のようにてっぺんを切り戻さなければならなくなっている。オフィスの窓から外を眺めると、10メートルもの高さになってなおも上に伸びながら、ヤナギはゆらゆらと揺らぎ、箒の柄はいまや電信柱ほどの太さになっている。
そんなこんなで、かの有名なヤナギは今現在もニューヨーク市を守っている。目下ブルックリン地区に引っ越しはしたけれども。
市のお役所仕事に困惑したり、マンハッタンが金持ちの島になりつつあるのを目の当たりにしたりすると、このヤナギを取引材料に使ってやろうかと思わないでもない。かの尊敬すべきE・B・ホワイトが言うように、ニューヨーク市の安寧と福祉がこの木にかかっているのだとしたら、市長に向かってどすを利かせ、「市長殿、例の木はわたしたちの手中にありますが」と迫ることだってできるだろう。
結局のところ、あのヤナギが死に絶えたら街も立ち行かなくなるのだから。
とはいえ、わたしたちとて輝ける都市圏の周縁でもがきつつ成長を続ける界隈の一部分ではある。わたしたちとて、ホワイトの想定するヤナギを、気持ちのどこかで信じたい。ヤナギの枝を折って魚を獲ることはできても、ゆすりたかりは所詮専門外だ。
それよりもいいことを思いついたのである。毎年、種苗場にあるホワイトのヤナギを刈り込むと、太さが直径6ミリほど、長さ60センチから1メートル20センチほどのまっすぐな枝が100本くらいとれる。これこそ、明日へつながる希望を形にしたものだ。枝で生け垣を編む代わりに、わたしたちは挿し木することにした。
どこに?
どこにでも。
ニューヨーク市のどこかに、わたしたちはヤナギの枝を植えていく。そのうちの何本が根づいて成長するだろう。正確なところはわからないが、少なくとも5パーセントは生き延びるだろう。つまり、毎年5本か6本のヤナギが増えるということだ。
目をしっかり開いて見ていてほしい。いつかそのうちの1本に、さらには2本目、3本目に、出会えるかもしれない。ヤナギはどこかで成長し、あなたを待っている。
母なる木の成長に伴い、新芽もたくさんとれるようになったら、わたしたちにも、小さくとも成長する聖堂を作れる日が来るだろう。
庭仕事をする人は誰でも(多分)知っているが、木は切るとそこから伸びてくる。ただし、いつでもそうなるわけではないし、どこを切っても必ず同じように生えてくるわけでもなく、木の種類(樹種)によって反応は違ってくる。
多年草は秋の終わり、地際ぎりぎりまで切り詰めてやる。すると春、新しい芽が生き生きと伸びてくる──はずだ。
ブルーベリーの栽培を始めた知人は、最初の収穫のあとの剪定を果樹の専門家に依頼したところ、あまりにも思い切りよくバチバチ枝が落とされていくのにハラハラし、同時に、自分には到底あそこまで切れなかった、と頼んで正解だったと感じ入ったそうだ。果樹は、一度実のついた枝には実をつけない、という記述をどこかで見た覚えがある……が、そうとわかっていても生きている(ように見える)枝を断つのは抵抗がある。
わたしのような素人は、枯れている(ように見える)茶色くなった枝先を切り落とすのがせいぜいだが、例えば秋も深まったバラ園で、てっぺんが切られ、数本の枝(それも枝先は断ち落とされて茎から10センチもないくらいまで切り詰められている)だけになってしまっている木々を見たことはないだろうか。あるいはまた、街路樹がほとんど丸裸に近いくらい刈り込まれているのを見たことはないだろうか。
ニセコの我が家の近所では、枝の1本すらなく、ほんとうに丸太棒になったシラカバが10本ほど、一列に植えられているのに出くわした。
バラ園や街路樹のその後は特段追跡しなかったが、丸太棒シラカバはどうなることかと推移を見守った。1年以上は沈黙していたように思う。やはりみんな立ち枯れてしまったかと思っていたら、すべてではないがそのうちの数本がいつしか芽吹き、枝から葉を出したのだった。数年たった今では、何事もなかったかのようにごく当たり前のシラカバらしく、夏には葉を繁らせ、秋になると落葉している。
こんなふうに、断たれた幹や枝、はたまた地中に残った根から芽吹いて再生することを、萌芽更新と呼ぶ、らしい。そして、顕微鏡的な知識によってではなく木々と対話を繰り返した経験によって樹木をよく知る人々は、萌芽更新という特質にあずかって、木から糧を得てきた。
本書(原題Sprout Land のsprout は名詞では新芽、動詞で芽吹くという意味になる)の著者であるウィリアム・ブライアント・ローガンは、知識と経験の両方から樹木をよく知る人である。日本ではよく「樹医」「樹木医」と訳されるarborist であり、その知識と経験とを駆使して樹木を管理する会社を運営している。公園の木や街路樹、個人住宅の庭木を手入れするだけでなく、苗木を植えこみに適するまで育てるナーサリー、種苗場も有しているから、日本でいう植木屋さんに近い仕事をしていると考えればそう的外れでもないだろう。
アメリカ西海岸、カリフォルニアのベイエリアで少年期を過ごし、現在は東部ニューヨークを拠点にしている。
その彼の会社がメトロポリタン美術館前の植栽管理を依頼されたとき、豊富だったはずの知識と経験が揺らいだことが、本書の出発点となる。見る影もなく刈り込まれたプラタナスは果たして再生し、夏には木漏れ日と葉の影が薔薇窓を思わせる日陰を地面に落とす木になるのだろうか──。
萌芽更新による再生を期待するしかない、と腹をくくったローガンは、この特性を生かした剪定手法を学べるところはないか、どこかにマニュアルがあるはずだ、と探し始める。だが合衆国内にそれを教えられる人は存在しなかった。そもそも萌芽更新による樹木の管理自体が、どうやらすでにすたれた手法らしかったのだ。
そんな中、萌芽更新を自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものとしているのはイングランドと聞き、大西洋を渡った旅のどこかの時点で、プラタナスの再生に関しては自信を取り戻していたことと思われる。それでもローガンは旅を止めなかった。萌芽更新する樹木の特性がなければ、木を原材料とするさまざまな産品を、人々が暮らしにこれほどまでに利用することはできなかったことに気づき、木々の利用が人類の歴史の礎の、少なくともひとつになっていると思い至ったから、そして行く先々で、「あそこではこんなことをやっているらしい」と耳寄りな情報を仕入れてしまい、自分の目で確かめずにはいられなかったからだ。
本書に触れるまで、林業というものは、手ごろな太さになった木を一定の間隔で切り、周期的に植林して補っていくものという漠然とした認識しかなかった。もちろん、育ちのよくない木を間引いたり、下草を刈ったり、日差しや風の通りがよくなるように枝を払ったりと、林そのものの管理が不可欠であることは知識として知らなかったわけではないが、要するに林業は、丸太を「採取」するものだと考えていたのだ。そのイメージがあったからか、原書で使われているharvest という語に「収穫」という日本語をあてるのに、当初抵抗を感じ、何かほかにいい訳語はないかと考えあぐねていた。自然の恵みをそのままいただくのが採取だとすれば、収穫という言葉には、自然の助けを借りて自分(たち)で作ったものを採るという含意がある。
だが読み進むうちに、萌芽更新した枝を刈り取る行為に充てる日本語には、「収穫」以外考えられなくなる。人々はかつて確かに、こういう材が欲しいという明確な意思をもって樹木に刃を入れ、芽吹いたものを収穫して念頭にあった用途に充てていたのだ。そのためにはどこをどう切ればいいのか、いつ切ればいいのか、そこまで育つには何年待てばいいのか、経験は蓄積され、世代を渡り、地域社会に継承されていった。ヨーロッパでも、アフリカでも、アジアでも──日本でも。
ローガンが発見したのは、20世紀前半まで世界中で営まれてきた、農林・畜産一体の生産方式が解体され、萌芽更新先駆地のヨーロッパでさえも、周期的に樹木を伐採し萌芽枝を収穫する林産業は、ごく細々とした個人的な営みを除けば、ほぼ失われていることだった。長らく人間の生活を支えた木質繊維が、燃料としての薪炭が、石油とその産物であるプラスティックにとってかわられ(とはいえ、石油もまた、大昔の植物ではあるけれども)、収穫までに5年、10年と要するテンポが、拡大再生産至上の20世紀後半の時間観念と折り合わなかったのは想像に難くない。
しかし時代は生物多様性と持続可能性の21世紀だ。そして、萌芽樹利用という究極の循環を手放すまいとする動きもまた、20世紀後半から静かに各地で進行していた。もちろん、SDGsという政策目標によってかろうじて支えられている側面もあるだろうし、技能の継承も課題ではあるだろう。けれどもローガンは旅の後半で、北欧や極東に着実に芽吹いているそうした動きを、衰退に抗う段階を越えて、具体的な手法として新たに蓄積されていきそうな営みを希望をもって見つめている。
木材がどのように使われ、それによって人類の文明が支えられてきたかを紐解いた本は数々あるけれども、芽吹くこと、切られてもなお、そこに人との対話が成立していれば木は芽を出して応えてくれることに着目した作品はきわめて珍しいのではないか。Arborist たるローガンの真骨頂だろう。
それにしても、樹木の、植物のなんとダイナミックなことだろう。
今はそんな教え方はしないのかもしれないが、訳者が小学生だった半世紀ほど前は、理科の授業で「動くのが動物で動かないのが植物」と教わった。だが本書を読むと、そんな思いこみは軽々と覆る。たまたま条件のいい場所に根づけば、根と主幹はその場を死守するかもしれない。それでも、わずかな日差しの変化や風向き、人間をはじめとする動物の介入、周囲の植物との競争などによって樹形は変わっていく。まして、水の乏しい場所、うっすらとしか土のない場所、日光のほとんど当たらない場所に着地してしまったなら、わずかな日光を、水を、土を求めて、根を伸ばし、枝を伸ばし、向きを変え、這い上る。切り詰められれば横に伸び、縦に伸びられないところでは地面を覆う。
石油製品の時代が静かに幕を下ろし、植物性素材とバイオマスエネルギーの時代を迎えようとするならば、すでに数千年も前から、植物の中の構造など見えなくても、人々がその活かし方を知り、与えようとしてくれる分だけを受け取って、一方で生育に手を貸していた歴史を、今一度見直してみるちょうどいい時機なのかもしれない。
本書のふたつのキーワードcoppice とpollard については本文中にも語源の説明があるが、一言でこれ、と置き換えられる日本語が見当たらず、訳出に苦慮した。木を伐採する行為についても言うが、そのようにして伐採された木そのものや、そうした木々の集まった林について言っている場合もある。林業の専門書というわけではないので、あまり日常から乖離した訳語を使うこともためらわれたため、同じ原語に対して幾通りもの訳し方をしている。
編集部を通じた萌芽更新に関する術語についての問い合わせに、伊藤哲さん、正木隆さん、山浦悠一さんなどに大変丁寧にご教授いただいたものの、訳者のこだわりから、ひょっとしたら専門的には不適切な表現となっている部分があるかもしれない。
また、本書には日本人も複数登場する。インターネットなどで確認できた方については漢字表記にすることができたが、確認しきれなかった方は、カタカナ表記とさせていただいた。バランスを欠く表記になってしまったことをお詫びしたい。
(中略)
今年の北海道はとりわけ雪が多い。それでも雪の下に見えている枝には、もう膨らみかけている芽がある。若い芽がこれだけ萌え出ようとしている大地ならば、この世界もそれほど悪いところではない、とソローのように思える春を迎えられることを祈りたい。
ニューヨークで樹木の管理を生業とする一人の育樹家・樹木医が、メトロポリタン美術館のプラタナスの管理を任されて、はたと首をかしげるところから本書は始まります。これまで出会ったことのない異様な樹形、これは一体どうやって剪定し、どう管理すればよいのだろう。その疑問の答えを探すなかで、著者は次々と世界中で古来から行われてきた樹木利用の方法「萌芽更新(ほうがこうしん)」に出会います。
いつ、どこを、どう切れば、どのような枝がどのくらい収穫できるのか。何に使うのか――柱にするのか、編み垣をつくるのか、船をつくるのかなど――によって、必要な枝の太さや本数も変わってきますが、それらはすべて伐採周期、伐採箇所などによって決まってきます。それらを古来から人間は樹木との対話のなかで見つけ、切って利用し、樹木は切られることで寿命を延ばしてきました。つまり、樹木の恵みは永遠に享受し続けることができるのです。
その樹木と人間の関係――20世紀前半まで世界中で営まれてきた、農林・畜産一体の生産方式は、近代林業が席巻するまで、石器時代から脈々と続いてきました。日本でも薪炭林をはじめ、里山で広く行われてきた技法です。
萌芽枝で編んだ石器時代の木道(2つの木道で1万4000本の枝)、16世紀、タラ漁船に合わせて森をつくり、森に合わせて船をつくったバスクの船大工、野焼きして大規模な山火事を防ぎながら森を育んだ北アメリカの先住民。著者は世界中を旅して1万年にわたって人の暮らしと文化を支えてきた樹木を収穫する技を再発見し、現代に蘇らせます。トトロのふるさと基金や都立桜ヶ丘公園での萌芽林再生活動、能登半島での薪炭林の復活、岩手県での森林業のあり方なども紹介されています。