| 牧 輝弥[著] 1,800円+税 四六判 256頁 2021年11月刊行 ISBN978-4-8067-1627-3 大気圏では、多種多様な微生物が空を飛んで何千キロも旅をしている。 空は微生物であふれていることがわかってきた。 彼らは、どこからやってきて、人間にどんな影響を与えているのか。 気球や飛行機、ヘリコプターを使った独自の微生物採取手法を開発した著者が、 実験・研究の工夫、苦労、成功談などをおりまぜながら、 大気中の微生物の意外な移動の軌跡と、 彼らの気候や健康、食べ物、環境などへの影響を探る、 異色サイエンスノンフィクション。 ――― 2021/12/2(木)北陸朝日放送『HABスーパーJチャンネル』で 著者インタビューが放送されました。 |
牧 輝弥(まき・てるや)
1973年6月 京都生まれ
1996年3月 京都大学農学部水産学科卒業
1998年3月 京都大学大学院農学研究科応用生物科学専攻修士課程修了
2001年3月 京都大学大学院農学研究科応用生物科学専攻博士後期課程単位取得中退
2001年4月 生物系特定産業技術研究推進機構博士研究員
2002年3月 博士(農学)の学位取得
2002年4月 金沢大学工学部物質化学工学科助手
2008年4月 金沢大学理工研究域物質化学系准教授
2020年4月 近畿大学理工学部生命科学科教授
専門は、微生物生態学、バイオエアロゾル学。
砂漠や森林、都市などの空気中を漂う微生物(バイオエアロゾル)の種類を調べ、
これら大気微生物がどこまで飛んでいくのかを突き止めようとしている。
大気微生物が及ぼす健康、生態、気候への影響も調査し、社会貢献できればと考えている。
趣味は、絵画、シャドーボクシング、読書&映画鑑賞(おもにSF)で、いずれも研究活動に活かされてきた。
今や、趣味が先か、研究が先かといった感じだ。
はじめに
1 黄砂は微生物の空飛ぶ箱船
バイオエアロゾルとは?
タクラマカン砂漠へ。黄砂との出会い
バイオエアロゾルを採取するには
係留気球を使った高高度観測
バイオエアロゾルを見る
大気中の微生物はバチルスばかり
土壌から微生物が飛び上がる死のダンス
中国との共同研究体制
2 能登半島は日本海のアンテナ
何をもってして黄砂とするのか
黄砂を予測し捉える難しさ
能登には文化もエアロゾルもじかにやってくる
能登半島の上空は慌ただしい
日本海を渡ってくる黄砂は塩辛い
環境微生物の分析方法
海からのバイオエアロゾルの源はマイクロレイヤー
植物の表面はバイオエアロゾルの宝庫
3 雪山はエアロゾルの冷凍庫
北陸豪雪を利用したエアロゾル研究
立山連峰での積雪断面調査
超並列シーケンサーの登場
雪に含まれる微生物
雪山から太平洋へ
黄砂は極上の餌となる─船上培養実験
4 ヘリコプター観測はアルパインスタイル
極地法≠ゥらアルパインスタイル≠ヨ
ヘリコプター観測
ラーメン物質
5 健康被害から食文化へ─変化のストーリー
真菌も空を飛ぶ
真菌は悪い奴?
感染症にもご注意を!
中国の砂漠への出入り禁止
バイオエアロゾルはいい奴かも
食文化とバイオエアロゾル
誕生!そらなっとう
納豆文化の起源
6 日中韓蒙、ドラゴン
再び日中韓での観測へ。そして、モンゴルへ
ジャッカル式サンプラー
フィルターホルダーは弾丸
ゴビ砂漠の観測拠点
東アジアから集まった観測試料
ビッグデータはドライ≠ェお好き
バチルス再考
7 カビとキノコの森林バイオエアロゾル
ナウシカの世界が実在
キノコは面白い
雲をつくる微生物
森林から飛び立つ微生物へ
ラーメン物質の正体
8 シン・バイオエアロゾル研究
黄昏のバイオエアロゾル研究
都市部におけるヒトへの健康影響
都市部を飛びかう微生物
バイオエアロゾルは洞窟の色を変えるのか?
9 風の吹くまま、気の向くまま
おわりに
引用・参考文献
索引
空気中には、どのくらいの微生物が漂っているのだろうか? そもそも無色透明な空気は、微生物どころか、粒子すらそんなに含んでいるようには思えない。ただ、部屋の中に光が差しこみ、その光路の中に無数の埃(ほこり)が漂っているのを見たことがある人はいるだろう。この光の筋に満ちる埃こそが空気中を漂う粒子であり、その中に微生物も含まれる。
微生物≠ヘ、2〜10マイクロメートル程度の微小サイズの生物を言う。澄んで見える空気でも、微生物を含めた同サイズの埃を1リットルあたりに1000個くらい含んでいる。そのうち一割くらいが微生物なので、1リットルあたりに100個の微生物が身のまわりを漂っていることになる。一呼吸の吸引量を0.5リットルとすると、50個の微生物を吸引しているわけだ。ヒトは一日で約2万5000回(少なくとも)呼吸するので、一日あたり125万個の微生物を吸引している計算になる。
空気中を浮遊している微生物は、同体積の土壌や汚水に比べると希薄であるが、呼吸を通じてヒトの体に接触する機会は多い。鼻から吸引された空気は、鼻腔を通って肺に入りこむ。この過程で、鼻腔の毛(鼻毛)や鼻腔粘膜が、吸引された微生物を濾し取るフィルターの役割をする。これらのフィルターを通過した微生物が気管支や肺にまで到達してしまい、感染症や気道の炎症を引き起こすのである。
鼻毛や粘膜に捉えられた粒子は集積され、鼻腔内の垢鼻クソ≠ニなる。よって、鼻クソには多くの微生物が含まれているはずだ。鼻クソの一片で水を濁らせ、その濁った液中の微生物を染めて顕微鏡で見ると、視野いっぱいに微生物が確認された。さらに、鼻クソ液を寒天培地に塗って数日培養すると、無数の微生物コロニーが形成された。微生物は鼻の中で生きていることがわかる。時々鼻クソを食べている子どもを見かけるが、未知なる微生物を多量に摂取していることになるのでやめたほうがいいと、サイエンティフィックに思う。
ちなみに、これは私の鼻クソで、私が生活する東大阪の空気中を飛んでいた微生物であると思われる。ほかの街に住む知己に鼻クソを提供してもらって比較しようとしたが、断られた。皆、恥ずかしかったようだ。
鼻クソは微生物が凝集しているので過剰な例であるが、我々は、空気中の微生物と皮膚や粘膜を通じて常に接触していることになる。しかし意外なことに、空気中を浮遊する微生物を専門に研究した事例は未だ少ない。特に、野外や上空の大気を浮遊する微生物に関しては、自由に往来しているであろうと信じられていただけで、学術的に研究されるようになったのはこの15年くらいである。
一般的に微生物≠ニ聞くと、感染症や腐敗菌を思い浮かべ、負の側面が危惧されやすい。ちなみに、微生物には、細胞構造が単純な細菌≠竅Aカビや酵母などの真菌=Aミドリムシやミジンコなどのプランクトン(原生生物)≠ワでが含まれる。これだけ多様な微生物には危惧すべき有害種ももちろんいるが、中には我々の生活に欠かせないだけでなく、高等生物の進化に欠かせなかったものもいる。また、有害な微生物はすべて地球上から消えてしまえばよいということにもならない。矛盾しているようだが、有害な微生物種であっても、人や環境にとって有益な場合もある。
シアノバクテリアは、湖沼を緑色に染め悪臭を放ちアオコを引き起こし、毒性物質などを出して水道水を劣化させるので忌み嫌われている。一方で、30億年前に進化したシアノバクテリアは、はじめて光合成で酸素を産出してエネルギーを得るようになった生命体で、生息域を海全体に広げ、大量に酸素を大気に放出し、現在の大気に近い環境を整えたと言われている。環境中に増えた酸素は、海水中に溶けていた鉄を酸化し海底に沈降させた。この沈降した鉄が鉄鉱床を形成し、現在、鉄鉱石として鉄鋼の原料になっている。さらに、シアノバクテリアは、ほかの生物細胞内で葉緑体へと共生進化し、植物プランクトンを生み出す要因となった。植物プランクトンは長い年月消長を繰り返し、海底に沈降した細胞は、海底堆積物として数億年にわたって熟成され石油となって、現代社会を支える主要エネルギー源となっている。
さらに、大気中に増えた酸素(O2)は太陽光によってオゾン(O3)へと変じ、オゾンによって地上に降り注ぐ有害な紫外線が吸収され激減した。すると、酸素呼吸で効率よくエネルギーを利用できる大型生物が進化し、陸上へと進出するようになり、植物も陸上で根を張り繁茂するようになった。植物の根に生息する根粒(こんりゅう)菌は、大気中の生物に取りこまれにくい窒素を生物が利用しやすい硝酸へと変化させ、植物に欠かせない栄養を与えている。このほかにも物質代謝を共同で担う微生物群である菌根(きんこん)菌が植物の根圏(こんけん)に生息し、植物の成長を助けている。穀物であっても例外ではなく、菌根菌が減少すると穀物の収穫量も大きく減少してしまう。
アオコは臭いし問題ではあるが、シアノバクテリアがいなければ、今の地球環境はなかった。人の糞便も臭くて汚いが、これも腸内細菌の成れの果てであり、腸内細菌がいないと非常に困る。健康な人と疾患を抱える人とでは腸内細菌の種類の割合が明らかに異なる。健康な人の腸内細菌は消化の過程で有益な物質を生産し、宿主の体を健康にするだけでなく、精神的な安静をもたらしているらしい。腸内細菌が第二の脳とも言われる所以(ゆえん)だ。そのため、疾患を抱える人に、健康な人の腸内細菌をそのまま移植し、健康増進につなげようとする試みもある。植物だけでなく、人間も微生物とは切っても切れない関係にある。
これだけ微生物研究が進展してきたにもかかわらず、先述のとおり、大気中を浮遊する微生物についてはわからないことだらけなのである。土壌や水圏には微生物量が多いので、有用な、あるいは物質循環にかかわる微生物が多く生息しているだろうとイメージしやすい。また、土壌だと土をそのまま取り、海洋や湖沼だと水をすくうだけで、少なくとも試料を得ることができ、若手研究者であったり、研究室を立ち上げて間もなかったりしても研究を始めやすい。大気中を浮遊する微生物だと、その密度は希薄であり、微生物が含まれる空気中の粒子を試料≠ニして持ち帰る段階でさまざまな課題に突き当たる。こうした煩雑なハードルのため、大気微生物の研究は敬遠されてきたのかもしれない。
本書では、この15年で盛んになってきた大気微生物の研究について、著者自身の取り組みをまじえながら、エッセイ風に紹介した。
是非とも遠くて近い、近くて遠い、大気微生物の世界を味わっていただきたい。
なお、文中の敬称は略させていただいた。
バイオエアロゾルには、人の肌にふれたり人が吸引したりなどして、接触を避けて生活することが困難な微生物が含まれています。にもかかわらず、本格的な研究は最近になって盛んになり、膨大未知な微生物が大気中を浮遊していることがわかってきました。黄砂で長距離を運ばれる微生物は、感染症の伝播やアレルギー誘発によってヒトや動植物に健康被害を及ぼす一方、ヒトの健康に有用な納豆菌なども含まれ、太古の昔、食文化形成に役立っていたかもしれません。雲をつくる微生物は、降雨・降雪を調節しているだけでなく、太陽エネルギーの反射や蓄積にもかかわり、気候変化にかかわっている可能性が出てきました。バイオエアロゾルの影響は、悪くも良くもあるのです。まるで、人に良い面と悪い面があるのと同じで、バイオエアロゾルとつき合うにも、ある一面だけを見ては面白くありません。
大気微生物には、膨大未知な種類が含まれているのですが、大気で大部分(80パーセント)を占めるのはバチルスやクラドスポリウムなどの特定の種です。このように大気中ではメジャーな種(優占種)でも、環境中に落ちると増殖できず、海洋などではほかのマイナーな種が増える場合もあり、必ずしも空気中のメジャーな種だけを見ればよいわけではありません。反対に、健康被害や生態変化などの原因になる微生物が大気で運ばれているかもしれないと、バイオエアロゾルに含まれる微生物のデータベースから原因種を探し、マイナーな種であっても重点的に調べます。ですので、大気中ではマイナーな種が、研究者の心の中ではメジャーになることもあり、膨大未知な種のすべてを均等に扱うのが大切なのです。マイナーがメジャーになって脚光を浴びる人の社会に似ていますね。
この本は、私の研究室に所属して間もない学生が「大気中を浮遊する微生物」であるバイオエアロゾルを理解する手助けになればと思い、また広く一般の科学に興味のある方にも読んでいただきたいと考え執筆しました。ですので、専門的な部分を平易に説明したつもりです。微生物の生態を俯瞰し、良い悪いや、メジャー(優占)&マイナー(非優占)など人の視点で解釈しやすいように努めました。ただし、自然科学に関係のない突飛なエピソードや体験談から始まっている部分などもあり、変則的な構成になっています。理系の学問に壁を感じる人が、オヤっと関心を抱き、そのまま本題を読み進めてもらうのがねらいです。
じつは、本書執筆の構想を練っている際に、下書きのメモや図などを見せ、研究室の学生にどのように書くと面白いかと尋ねてみました。大半はあまり本を読まないからわからないという返事が無碍(むげ)に返ってくるばかりでした。そればかりか、中にはメモや図を見て、「この内容で読む人いるんですかね?」などと執筆の出鼻をくじくような意見もありました。この辛辣な意見を述べた学生は、卒業論文を書くにあたり、実験データの図が一枚しかないのに論文を仕上げたいと通常ではあり得ないことを私に無心してきた強者です。理系では、卒論でも10枚以上は図があるのが普通で、あまり理系の学問に熱心な学生とは言えません。しかし、これが私の心に火をつけました。このような学生でも興味をもってくれる本を書いてみようと思いました。
当初、バイオエアロゾルに関する専門的知見を教科書風にまとめるつもりだったのですが、多くの人に楽しく読んでもらえるように3点工夫しました。
@私が携わってきた研究の経験談を時系列に並べ、一緒に観測や調査に臨んでいる気持ちになるようにエッセイ風に記しました。専門的な知見を体系づけるのではなく経験談に則して述べました。
Aところどころのセクションで、研究に関連しなさそうなエピソードや映画、小説などで始めることで、研究活動そのものになじみのない方でも話に入りこんでいただけるのではないかと考えました。
B本文を読まなくても、図の写真や絵を見れば、バイオエアロゾル研究の雰囲気を味わってもらえるようにしました。ほとんどの図は本書用にオリジナルで作製したものです。
概ね出来上がった原稿を研究室の学生に読んでもらい、さまざまな意見を聞き、本文にフィードバックすることができました。中にはとても興味をもってくれ、筑波と秋芳洞の観測に是非参加したいと1名ずつ手をあげてくれました。「図一枚だけの卒論生」も、本文の言い回しなどが面白かったのか、本書に出てくる表現を自身のSNSで模倣してくれており、少しは読んでくれたようで嬉しくなりました。執筆にあたり、忌憚ない感想を述べてくれた学生たちには感謝しています。
もちろん、本書のコンテンツが多岐にわたり、研究の経験談が昇華され、独自性の強い納豆のような発酵臭を漂わせているのは、登場いただいた多くの研究者のおかげです。岩坂泰信先生や小林史尚先生から声がかからなければ、私がバイオエアロゾルの研究に携わることはなかったでしょう。微生物学を専門とする私が、大気科学や海洋学などにかかわる諸先生と交流することで、お互いゴールがわからないまま、偏西風に吹かれるかのようにバイオエアロゾル研究を進展させてきました。疫学や毒性学の先生に参加いただいたことで、漠然としていた健康影響が明確になり、バイオエアロゾル研究は趣味のレベルから社会的要請の高い研究へと発展しつつあります。それぞれの先生が関連する箇所では、内容についてお伺いしましたところ、温かくアドバイスや修正をいただき、専門外の私でもなんとか形にすることができました。私が関係する研究者は多岐にわたり、お名前をあげることができなかった方も多くいらっしゃいますが、これまでの交流に想いを馳せながら関連の箇所を執筆した次第です。今回書籍にまとめた数々の貴重な研究内容を育むことができたのは、関係者皆さまのおかげです。改めて謝意を述べさせていただきます。
大気微生物に限らず、フィールドに出て地道にデータをとるような、明日、明後日すぐに役に立たないような研究がじつは科学にとってとても大切なのですが、現在はそうした研究が行いにくくなっています。私が大気微生物の研究を続けるうえでもさまざまな苦難に見舞われたのですが、本書ではふれませんでした。現在、近畿大学で思う存分研究できていることを大変ありがたく思っています。
(中略)
本書を読まれた方が、部分的にでも内容に興味を抱き、バイオエアロゾル研究はじめ、大気研究、野外観測、室内実験などサイエンスに少しでも心を傾けてくださったなら研究者冥利につきます。
本書を手に取ってくださり、ありがとうございました。
昨今、土壌中や腸内の微生物の大きな働きにスポットがあたり、微生物が注目されています。
でも、大気微生物(バイオエアロゾル)の研究は始まったばかりです。
人は、ひと呼吸で50個、1日で125万個の微生物を吸っていることをご存じですか。
大気中は未知の微生物であふれていることがわかってきましたが、私たちが日々吸いこんでいる微生物の正体は、まだすべてが明らかにされているわけではありません。
それらはどこからやってきて、人の暮らしにどんな影響を与えているのでしょうか。
鼻クソや雪の中には空から降ってきた微生物だらけ。決して食べてはいけない。
能登半島の特産品「いしり」(魚醤)の旨味に、空飛ぶ微生物が関わっている?
微生物がいなければ雨は降らない。
モンゴル・中国の砂漠から、同じ黄砂を追いかけて、能登半島でキャッチ。
黄砂とともにやってくる微生物とは? それは海の栄養源になっている?
気球や小型飛行機、ヘリコプターを使って独自の微生物採取手法を開発するなど、実験・研究の工夫、苦労、成功談などをおりまぜながら、大気中の微生物の意外な移動の軌跡と、彼らの気候や健康、食べ物、環境などへの影響(良い面・悪い面)を探る異色のサイエンスノンフィクションです。
そして、まるで自分も中国やモンゴルの砂漠で気球をあげていたり、能登半島の上空をヘリコプターで飛んでいたり、富山県立山連峰の積雪を掘り進んでいたり、実際に調査に加わっているような気分が味わえます。