| 須賀丈+岡本透+丑丸敦史[著] 2,400円+税 四六判並製 272頁+カラー口絵8頁 2019年1月刊行 ISBN978-4-8067-1576-4 半自然草地は生態系にとって、なぜ重要なのか―― 近年、進展し、新たな注目をあびている半自然草地・草原研究 縄文から、 火入れ・放牧・草刈りなどによって 利用・管理・維持されてきた 半自然草地・草原の生態系、 日本列島の土壌の形成、自然景観の変遷を、 絵画・文書・考古学の最新知見、 フィールド調査をもとに、 草地研究の第一人者が明らかにする。 7年ぶりの増補版。 |
須賀丈(すか・たけし)
1965年大阪府生まれ。京都大学大学院農学研究科博士後期課程修了。
現在、長野県環境保全研究所主任研究員。専門は昆虫生態学、保全生物学。
『長野県版レッドデータブック動物編』の作成に参画。共編著『信州の草原―その歴史をさぐる』(ほおずき書籍)、
共著「日本列島における草原の歴史と草原の植物相・昆虫相」(『シリーズ日本列島の3万5千年―人と自然の環境史第2巻
野と原の環境史』所収、文一総合出版)、編集総括および分担執筆『長野県生物多様性概況報告書』(長野県環境保全研究所)などがある。
岡本透(おかもと・とおる)
1969年山口県生まれ。東京都立大学大学院理学研究科地理学専攻卒業。
現在、国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所関西支所グループ長。
共著に「動く大地―山並みの生いたち」(『雪山の生態学―東北の山と森から』所収、東海大学出版会)、
「土壌と土地利用―黒色土の由来」(『森の生態史―北上山地の景観とその成り立ち』所収、古今書院)、
「土壌に残された野火の歴史」(『信州の草原―その歴史をさぐる』所収、ほおずき書籍)などがある。
丑丸敦史(うしまる・あつし)
1970年群馬県生まれ。京都大学理学研究科修了学位取得。
京都大学生態学研究センターCOE特別研究員、総合地球環境学研究所非常勤研究員を経て、
現在、神戸大学人間発達環境学研究科教授。
共著に「花の性―両性花植物における自家和合性と自動的自家受粉の進化」
(『花生態学の最前線―美しさの進化的背景を探る』所収、文一総合出版)、
「花標に学ぶ送粉共生系」(『プラントミメティックス―植物に学ぶ』所収、株式会社 エヌ・ティー・エス)などがある。
序章 須賀丈
軽井沢は広大な草原だった
人間活動が維持してきた草原
「武蔵野」は美しい草原だった
里山に広がる草原
過去一万年の自然と人間のかかわりを根本から問い直す
本書のねらいと構成
第一章 日本列島の半自然草原 ひとが維持した氷期の遺産 須賀丈
明治から昭和初期の草原の記憶と今
日本の草原の減少と草原性生物の危機
日本列島・北東アジアの植生分布と人間活動
「文明の生態史観」とユーラシア・日本の草原
半自然草原とは
日本の半自然草原
日本列島の生物相の由来と人間活動
日本列島の草原性生物の由来
「草甸」を維持した自然の攪乱
ブローデルの歴史の三つの時間
草原利用の歴史的変化をどうとらえるか
野火・黒色土・微粒炭
阿蘇の植生史と人間活動の変化
「東国」の草原と人間活動の歴史
半自然草原の歴史と草原性チョウ類の分布
半自然草原の歴史と保全――生物文化多様性を考える
第二章 草原とひとびとの営みの歴史 堆積物と史料からひもとかれる「眺めのよかった」日本列島 岡本透
環境変動と花粉分析から復元された植生の変遷
最終氷期最盛期の植生
完新世の植生
植物珪酸体分析から復元される過去の植生
黒色土(黒ボク土)とは
黒色土にふくまれる微粒炭とその起源
微粒炭とブラックカーボンと地球環境問題
里山とは
半自然草原の誕生は縄文時代?
黒色土・微粒炭と縄文時代
弥生時代以降の草原
草原と牛馬の飼育
江戸時代の森林事情
正保国絵図に見る日本各地の山の状況
村絵図などに見る江戸時代の山の状況
絵画史料・文書史料に見る江戸時代の山の状況
幕末から明治にかけての山の風景
ひとの営みと草原――つかいながら守る
第三章 畦の上の草原 里草地 丑丸敦史
最も身近な草地――子どもの遊び場だった畦
畦上の半自然草地――里草地
水田と里草地、そこに暮らす植物の歴史
里草地の特徴
里草地に成立する植生とその多様性
棚田の里草地における多様な環境
棚田の環境傾度に対応した多様性の分布
里草地における希少植物種とその分布
農地の集約化と放棄による半自然草地における生物多様性の減少
圃場整備による里草地の危機
耕作放棄による里草地の危機
希少植物種の受難
里草地に暮らす動物たち
里草地のかわりはあるのか
水田生態系および里草地の保全
どのように里草地および水田生態系を守っていくのか
あとがき
増補にあたって
参考文献
索引
里山に広がる草原
この旅へのいざないとして、本書があつかうのは、次のような問題である。
草原の生態系は、今の日本で最も危機的な状態にある生態系のタイプのひとつである。絶滅のおそれのある種を掲載した レッドデータブックには、特に植物やチョウなどで草原に依存する種が多くあげられている。秋の七草のキキョウもそのひとつである。
しかし草原が日本の重要な生態系のひとつであるということ自体、あまり広く理解されていないかもしれない。たとえば日本の自然環境や生物の生態について書かれた本は多い。しかし日本の草原について書かれた本は最近まで少なかった。これはおそらく、日本列島の植生が、基本的にはさまざまなタイプの森林で構成されると考えられてきたことと関係があるのであろう。温暖で湿潤な今の気候条件のもとでは、ひとが手を加えなければ日本列島のほとんどの場所で植生は自然に森林へと移り変わる。
しかしそこにひとが手を加えたらどうであろうか。そもそも日本列島の自然は、氷期が終わって 縄文時代が始まって以来、ひとが手を加えつづけてきた自然である。最近では、生業(なりわい)のために人手の加えられたこのような景観を総称して「里山」ということが多い(養父志乃夫のいう「里地里山」とほぼ同じものである)。歴史をさかのぼれば、草原は長い時代にわたって「里山」のきわめて重要な要素であった。「里山」の草原は、ひとが適度に手を加えることによって保たれてきた植生である。このような草原を、 半自然草原という。後氷期の温暖・湿潤な気候のもとでは生息環境を失うことになったはずの植物や昆虫が、こうした人間活動によって、半自然草原に生きる場所をみいだしてきた。秋の七草もそのような半自然草原の植物である。近年、「里山」に手を入れて草原を利用する生活が失われ、半自然草原のほとんどが失われる結果になった。それは、氷期から生きのびてきた生物の逃避地が失われることでもある。
消えゆく日本の半自然草原を理解するためには、縄文時代に始まる後氷期の人間活動の歴史を理解しなければならない。それは「里山」を一万年の歴史の時間のなかにおいて理解することでもある。近年、この分野の研究は大きくすすみつつある。土壌などの堆積物中にふくまれる植物の微化石などから古い時代の植生変化が復元され、考古学や歴史学からも草原利用の歴史へのアプローチがなされるようになってきた。
そこからは、日本列島の自然と人間のかかわりの歴史についてのかつてのイメージをゆるがすような見方も現れている。たとえば後氷期の特にはじめ頃に、日本列島の各地で野火が多発していたことがわかってきた。そしてこの火災を、人間活動とむすびつける考え方も現れてきた。
過去一万年の自然と人間のかかわりを根本から問い直す
このような見方は、過去一万年の自然と人間とのかかわりの全体に対する見方を、根本から問い直すことにもつながっている。たとえばアメリカ大陸の 先住民も、森や草原に火を入れて生態系をつくりかえてきたことが近年わかってきた。 火入れは、植生を改変する最古の技術のひとつである。後氷期の陸上生態系の全体を、このような自然と人間の相互作用の場として理解する必要があるのかもしれない。
このような問題に分け入るには、草の茂みをかきわけるようにして、今残る草原の生態を調べ、過去の史料や考古学的証拠をつなぎあわせ、堆積物中のさまざまな微化石を数え上げなくてはならない。このような視点で見れば、ともすればみすごされてきた絵画史料や文書史料のなかにも多くの手がかりがある。この本は、そのようにして浮かびあがってくる過去の草原の姿と現在の草原の姿とのあいだに、橋を架ける試みである。
この橋を架ける上で、特に古い時代については土壌などの堆積物中の成分が手がかりになる。最近この分野の研究が大きな進展を見せている。日本列島の多くの場所で黒色土は 縄文時代に生成が始まったとされる。草原植生・火山灰・野火がこの土壌の生成に関係しているといわれている。堆積物中に残る花粉化石などの植生の痕跡や火災で生じた微細な 炭なども、そうした歴史を物語ってくれる。 植物珪酸体(けいさんたい)(プラントオパールまたはファイトリス)とよばれる植物の微化石も、その有力な手がかりになる。たとえばひとまとまりの半自然草原として日本最大のものが、九州の 阿蘇(あそ)地方に残っている。この草原が一万年以上の歴史をもつことが最近の研究でわかってきた。
農耕の開始以後には、「里山」のカヤ場などとして草原を維持し利用する営みがあった。歴史時代の文字史料などからもそうした歴史をうかがうことができる。今も残る草原の生態について考えるには、農業の開始以来の人間活動と草地との歴史的なかかわりを見る必要がある。それは田んぼのまわりにわずかに残った草地を守る方策についても、多くのことを教えてくれる。
田の畦の草地は、今も残る半自然草原のうちでも特に重要なもののひとつである。その一つひとつは小さいが、日本全体でその総面積を合計すると、阿蘇の草原よりもはるかに大きい。田の畦の植物の多様性は、草刈りの頻度や水分条件などの立地条件によって細かく影響を受ける。それは、自然の営みと人間の営みとがきめ細かくからみあう場である。しかしそこに生えている植物のなかにも、氷期の草原からの生き残りがある。そのような植物を保全することは、自然とひととがからみあう過去と未来を、今そこにある畦の現場でつなぐことでもある。
本書のねらいと構成
このようなことから、本書は以下三つの章で構成した。わたしが担当した第一章では、導入として日本列島の草原と人間活動の歴史を大きな構図としてとらえ、現状と未来について歴史をふまえて考えるための下絵を用意する。日本の人里の草地は氷期に広がった草原がその基になっており、後氷期の人間活動によって氷期由来の生物の逃避地として維持されてきた。このことを、その背景をもふくめた全体の見取り図のなかで示す。
岡本透による第二章では、古くから存在してきた草原とそこでの人間活動の歴史について、堆積物中にふくまれる花粉や炭などの種類と量の変遷、また考古学的・歴史学的な史料がどのようにそれを物語るのかがさらに具体的に描かれる。その歴史は約二万年前の最終氷期最盛期に始まる。そして縄文時代に始まる山野(さんや)の利用や里山的な景観の変遷がたどられ、歴史時代の絵画史料や文書史料もくわしく紹介される。
丑丸敦史(うしまるあつし)による第三章では、農地周辺の草地、特に畦の上の草地を中心とした「里草地(さとくさち)」があつかわれる。里草地の歴史は、約2000年前の水田稲作農耕の導入とともに始まる。そのような草地が歴史を経たのち今どのような状態にあるのかが、ここではくわしく検証される。草刈りの頻度や棚田(たなだ)のなかでの立地環境のちがいが植物の多様性にどのような影響をおよぼすのかが示され、またこれらの草地を今後どのように保全してゆくべきかについての議論が幅広い視点もまじえて展開される。
三つの章を通して、日本列島の半自然草原の歴史と現状が、大きな時空への旅と現場でのきめ細かい観察によってつながれることになる。生物地理学・生態学と考古学・歴史学、そして生物多様性の保全とを、このようにして、本書ではまだあまり類書にない視点でむすびつけることを試みた。日本の半自然草原を対象とした、総合的な歴史生態学・保全学にむけたささやかな一歩である。
花々の咲く草原をかきわけ、このはるかな旅をさっそく始めよう。
近代の初めから急増しつづけてきた日本の人口は、2008年をピークに減少に転じた。それを受けたさまざまな地域づくりの実践が各地でおこなわれている。地球環境への人間活動の影響が、すでに収容力の限界を超えたとの認識も広まりつつある。この危機への対応を、そうした地域づくりのなかで実現しようとする動きも目につくようになった。これらはおそらく歴史的にもひとつの転換点を示すものであり、現在を起点として、ここからの連鎖は長くつづく可能性がある。
その過程で、私たちの社会の自然との向き合い方にも転換を求められる側面があるであろう。過去に日本列島で生きたひとびとがどのように生物資源を利用し、結果として自然景観や生物相をどのような姿で維持し、推移させてきたかを振り返ることには、そのような面でも意味があるにちがいない。2013年には「阿蘇の草原の維持と持続的農業」や「静岡の茶草場農法」が世界農業遺産に認定されるなど、日本列島で生業を営むひとびとが伝統的におこなってきた草原維持の活動と、そのなかで育まれた文化の価値をあらためて認識させられる機会も増えている。
こうした転換点と時を同じくしたためでもあろうか、2012年の本書の初版刊行と前後して、日本列島の草地の歴史やその保全にかかわる優れた書籍や研究成果がさまざまな分野から相次いで刊行された。また以前から知られていた文献・資料のなかに、初版の時点では気づくことのできなかった重要性をもつものが存在することを、著者ら自身が知る機会にも恵まれた。市民や行政の取り組みにも初版以後に進展を見せたものがあった。
こうしたことから今回、現状に合わなくなった初版の記述をあらため、また初版にあった記述の誤りを修正した。新しい研究や実践の展開のうち、初版の内容にかかわる範囲で特に重要と考えたものを記述や参考文献に加えた。この分野の研究・実践はこれからもさらに展開していくと思われるが、本書がその足がかりのひとつになればさいわいである。
2018年夏の縄文展(国立博物館)をはじめ、今話題の縄文ですが、じつは阿蘇をはじめとする日本の草原・草地〈そうち〉は、縄文時代から火入れ・放牧・草刈りなど人の活動によって維持されてきたものであり、また日本列島に点在する黒色土は縄文人の野焼きの結果形成されたものだったことが、近年の研究で明らかになってきました。
本書では、そのような「半自然草原・草地」が時代を追ってどのように利用されたのか、そこにどのような生態系が成立していたのか、自然景観の変遷、現在残る最大の半自然草地である田の畦上の草地「里草地(さとくさち)」の生態系などを、考古学的証拠、土壌学、文書、絵画、フィールド調査などをもとに、この7年間の研究成果を盛りこんで、草地研究の第一人者3名が明らかにします。
秋の七草のキキョウやオミナエシなどが氷期に大陸の草原からやってきて、半自然草原・草地に生育し、水田耕作が始まると里草地にも移り住んでで生き延びてきたこと、その草地・草原の生態系が、今最も危機的な状況にあり、草地・草原に依存する植物やチョウなどの多くが絶滅の危機にあることなどをまじえ、過去に日本列島に生きた人々がどのように生物資源を利用し、自然景観や生物相をどのように維持してきたかを振り返ることは、これから私たちが自然とどのように向き合っていくかを考えるうえで、大きな意味があり、またタイムリーな1冊だと思います。