| コンラッド・タットマン[著] 黒沢令子[訳] 3,600円+税 A5判上製 408頁 2018年10月刊行 ISBN978-4-8067-1569-6 日本人は、生物学、気候、地理、地質学などのさまざまな要因の中で、 どのように自然を利用してきたのか。 地質時代の列島の形成、人類がこの地に根づいた原初の狩猟採集時代から、 農業の発達と大陸の政治体制の導入、 律令時代から幕藩体制への政治的変革と民衆の森林管理、 そして欧米列強の影響を受けて迎えた産業社会の中で、 常に変化を続けてきた日本人の環境観。 数万年に及ぶその変遷を、人口の増減や生態系への影響、 世界規模での資源利用に関する詳細な資料をもとに、 欧米で日本研究を長年リードしてきた著者が世界で初めて描く。 日本の林政史に詳しい熊崎実氏(筑波大学名誉教授)の解説も収録。 ●バードリサーチのブロクで紹介されました。(2019/1/2) |
コンラッド・タットマン(Conrad Totman)
アメリカ・イェール大学名誉教授。専門は日本近世史。日本の環境史の西洋における権威者として著名。
著書に『日本人はどのように森をつくってきたのか』(築地書館、1992 年)、Early Modern Japan and A History of Japan(第3 版)など。
黒沢令子(くろさわ・れいこ)
専門は鳥類生態学。米国コネチカット・カレッジで動物学修士、北海道大学で地球環境学博士を修得。現在は、(NPO)バードリサーチの研究員の傍ら、翻訳に携わる。
訳書に『フィンチの嘴』(早川書房、1995年、共訳)、『動物行動の観察入門──計画から解析まで』(白揚社、2015 年)、『落葉樹林の進化史──恐竜時代から続く生態系の物語』(築地書館、2016 年)、『種子──人類の歴史をつくった植物の華麗な戦略』(白揚社、2017 年)など。
はじめに
序章
第1章 日本の地理
地形的特徴
日本列島の生い立ち
先史時代の地質学
日本列島の歴史
地球上の所在地
四季を生む地理的要因
日本列島周辺の海流
南北に長い日本列島
人間の影響
第2章 狩猟採集社会――紀元前五500年頃まで
環境的背景――気候変動
海峡と海水面
気温と降水量
最初の渡来人
縄文時代
縄文時代の始まり
人口変動の地域差
遺物で解く社会と文化の謎
まとめ
【付録】気温と海水面の変化率(1万8000〜6500年前)
第3章 粗放農耕社会前期――紀元600年まで
農業の始まり
狩猟採集社会と農耕社会の比較
農耕社会の前期と後期
稲作――技術と土地利用の進歩
稲作――その規模
農耕初期の特徴
概説
縄文時代の農業
弥生時代――大陸から伝わった農業
背景と起源
社会文化的な謎
拡大する社会――古墳時代まで
後期弥生社会
古墳時代
環境に及ぼした影響(600年まで)
まとめ
第4章 粗放農耕社会後期――600〜1250年
森林伐採――木材と農地のために
木材の生産とその後の森林
農地開発
中央支配の成立(600〜850年)
帝都の建設
新しい建築様式
農村の支配と搾取
中央集権体制の確立
律令制が環境に及ぼした影響
畿内が受けた影響
畿内政権の版図について
後期律令時代(850〜1250年)
畿内政権内の変化
支配層と生産者(農民)の関係の変化
生産者の組織と農業経営の変化
律令時代後期のできごとが環境に及ぼした影響
農業の回復
中央と地方の関係の変化
都市化――鎌倉と平泉
まとめ
第5章 集約農耕社会前期――1250〜1650年
地理
支配層――政治的混乱と再統一(1250〜1650年)
両頭政治の末期(1250〜1330年)
戦乱の時代(1330〜1550年)
再統一の時代(1550〜1650年)
生産者人口――規模と複雑さの増加
人間と感染症の関係
支配層と生産者の関係
生産者の組織と営み
農業技術の動向
肥料について
灌漑用水の管理
特筆すべき新作物
技術の変化が社会と環境に及ぼした影響
森林伐採の影響
農業の集約化が及ぼす影響
その他の影響
まとめ
第6章 集約農耕社会後期――1650〜1890年
支配層――安定した政治、崩壊、方向転換
幕藩体制とその限界
欧米列強の脅威(1790〜1860年)
政治的変革(1860〜90年)
生産者人口――増加、安定低迷、変動
人間と病原体の関係
支配層と生産者の関係
生産者の組織と慣行
科学技術の動向
鉱山開発
林業
漁業
農業
まとめ
第7章 帝国主義下の産業社会――1890〜1945年
日本の産業時代を読み解く予備知識
地球規模の資源基盤
「詰め込み・積み上げ」状態について
1890年を開始年とすることについて
時代カテゴリーとしての「帝国主義時代の産業主義」
「国家」対「支配層」
国事――産業化と国家
国内政治
外交関係
社会と経済
人口
商業と産業
都市と農村の社会
科学技術と環境
鉱業
製造業
漁業
農業
林業
まとめ
第8章 資本家中心の産業社会――1945年〜現代
社会経済史の概要
復興期(1945〜55年)
経済の高度成長期(1955〜85年)
高度成長期以後(1985〜2010年)
人口の推移
人口推定
都市化
人口増加の要因
物質消費
空間の利用
その他の物質消費
技術と環境
鉱業
製造業
漁業
農業
林業
まとめ
終わりに
解説 熊崎 実(筑波大学名誉教授)
参考文献
脚注
索引
人間と環境の関係で特に重要な要因は、地球上の位置、古地理学的遺産、気候、それに起因する生物群集、環境に及ぼす人間社会の影響の特徴と規模である。本書の構成はこうした要因に基づいている。
第1章では、日本列島の歴史で、地理的条件(地形、地質、気候、生物)が果たした役割を論じる。人間が生態系を改変する以前の列島は、青々とした森に覆われていた。したがって、列島の環境変化は、主に森林がその他の土地利用に徐々に取って代わられることでもたらされたとみることができる。その過程で生じた植生の変化は、つい数十年前でも、遠洋、沿岸、内陸の各漁業や動物全般などにみられる変化よりも際立っていただけでなく、より記録が充実している。そこで、本書はこの森林植生の変化に重点を置いているが、他にも哺乳類や魚類、微生物に関する貴重な研究も多少あり、本書の内容を充実させてくれるので、後半で取り上げた。
第2章より先では、日本列島の人間社会が漁労を含めた狩猟採集社会から農耕社会、さらに産業社会へ発展していく過程を論じる。社会形態を示すこの3つの用語は、人間が生活に必要なエネルギーなどの物質を入手するために利用する本質的に異なる3つの技術を表している。狩猟採集社会では基本的に生活に必要なものは身の回りの生態系から手に入れ、農耕社会では周辺の生態系を操作し、「自然」の生物相を犠牲にして好ましい動植物を育てる。
一方、産業社会では、地球全体が合法的な収奪対象とみなされている。この社会では、主に生物界が数百万年にわたり蓄積してきた化石燃料を消費することで、科学技術が許す限り、一人当たりのエネルギー循環率を高めている。この社会の構成員は地元地域だけでなく、地球全体を適切な資源の供給源と考えている。第7章と第8章でみるように、地球全体を資源の供給源とみなすようになった結果、産業社会と環境の相互作用を考察する手段として、「民族国家」が不適切になってしまった。しかし、最近の数十年を除けば、日本列島の環境史を論じる手段として、問題はないと思われる。
日本では狩猟(漁労を含む)採集社会は数千年続いたが、その規模や特性、環境に及ぼした影響に関するデータは極めて少ない。そこで、長い期間ではあるが、1つの章にまとめた。一方、農耕社会は19世紀末までの2500年ほどに過ぎないが、狩猟採集社会と比べると、格段に記録が多いので、4つの章を割り当てた。
農耕社会の後に続く産業社会は日本列島ではわずか100年余りに過ぎないが、記録は豊富にある。さらに、産業社会の特質は一言でいえば、化石燃料の消費と世界中の資源供給源への依存だが、その特質が生物の多様性や適応力、生物量や生産力の低下や減少という現在の地球生態系が直面している問題をもたらしている。そこで、期間は短いが、日本の産業社会には2つの章を割り当てた。なお、「終わりに」では本書で述べたことを概観し、現在の状況と将来の見通しを考えてみる。
本書はこのような構成になっているが、普遍的な問題が2つあるので、ここでそれを取り上げておく。一つは、社会の形態が狩猟採集から農耕、さらに産業社会へと移行する過程で、もう一つはこの3つの分類そのものに関することである。狩猟採集、農耕、産業の各社会は名称や時代が示すほど明確に区別できるものではないからだ。
狩猟採集から農耕社会、そして産業社会へ移行する際には、いずれの社会でも必ず学習や適応という苦労を経験する。移行には革新を必要とする部分もあるが、隣人と遠方の他人とを問わず、他の人が開発した技術を取り入れたり、手を加えたりするだけですむ。しかし、世界中の人々が「遠方の」新しい技術を学んだり、利用したりできる条件に恵まれているというわけではない。近隣の集団の間では、意図するかしないかは別にして、利便性が高いような新しい技術や発明品はすぐに一般化するが、ジャングルの奥地やツンドラ地帯、離島に居住している集団はこうした技術やその利用法を知るまでに時間がかかることが多い。
日本の場合は社会の移行に、「遠方の異邦人」が重要な役割を果たした。農耕社会への移行には朝鮮半島−中国−満州地域〔訳注:現在の中国東北部を指す。原著に倣い本書では満州と記す〕の人々が、産業社会への移行には主に欧米の人々が深く関わっている。いずれの場合も、東アジアの大陸の沿岸から離れた位置にある日本の地理的条件が新しい技術に触れる時期や過程に影響を及ぼしている。
狩猟採集社会、農耕社会、産業社会という3つの分類には曖昧さが残るが、日本列島に最初に住み着いた人たちは身の回りの自然から食べられるものを手に入れて暮らしていた狩猟採集民で、その社会は何千年にもわたり続いた。しかし、こうした人たちは食料の供給量を増やす手段や、食料を保存する方法を編み出し、その結果、人口が増加すると共に、社会も複雑になっていった。
植物だけでなく、少数ではあるが動物にも品種の改良を行ない、食料をはじめとする生活必需品の生産量の拡大と供給源の確保を図った。こうした品種改良の試みも、初めのうちは狩猟採集民の暮らしや食事を補うだけに過ぎなかったが、3000年から2500年前頃になると、朝鮮半島から経由も含めて移民が日本列島へ渡来し、高度に発達した農耕技術をもたらし始める。そして、2500年から2000年前頃までには、農作物の栽培が少なくとも西日本では主要な食料の供給源として定着した。
「農耕」という用語は厳密には、畑を耕すことを意味するが、一般的には人間が主に食料を生産するために生態系を操作する産業化以前の社会形態を表す。この広義の農耕には作物の栽培だけでなく、家畜の飼育や果樹栽培も含まれる。しかし、家畜の飼育は日本の農耕社会ではそれほど盛んではなかった。果樹栽培の方が重要な役割を果たしていたのだ。とはいえ、農業の主役になったのは畑作であった。この農業形態は一九世紀の中頃まで2500年ほど続いた。
そして、1890年までには、日本の農耕社会は第三段階の「産業社会」に移行する。それ以前の社会形態と産業社会を区別する基本的な特徴は、@人間に起因する一人当たりのエネルギー循環率の著しい上昇と、A資源利用のグローバル化である。
こうした産業社会の特徴については、もう少し説明しておいた方がいいだろう。まず、人間がもたらしたエネルギー循環の驚くべき加速だが、これはいわゆる「化石燃料」(とりわけ、石炭、石油、天然ガス)を利用することによって初めて可能となった。そのエネルギー量は、現在の生物相から取り出せるエネルギー量とは比べものにならないほど膨大なものである。こうした「新しい」エネルギー資源を活用すると共に、物理化学を駆使して、日本も(他の産業社会と同様に)さらに水力や原子力などのエネルギー資源を開発した。こうしたエネルギー資源と新しい科学や工業技術を用いて、日本は生態系をほぼ全面的に利用する能力を急速に伸ばし、生態系にかかる負担を何倍にも増大させたのである。その結果、生態系の他の生物が利用できる空間や他の資源が、相対的に減少してしまった。さらに、化石燃料などを入手したり利用したりする過程で、生態系をかつてないほど汚染したり、乱したりするような副産物が大量に生み出されたのだ。
二つ目の資源利用のグローバル化だが、日本人は最初から大陸の民族と接触を持っていた。しかし、数千年にわたる狩猟採集時代の間は、こうした接触は日常生活で頻繁にあったことではなく、地域の資源基盤を補うまでには至らなかった。農耕社会になると、大陸との接触は大幅に増えたが、影響を与えたのはエリート階級の生活だけで、贅沢品や情報、政治上の混乱をもたらしたに過ぎなかった。
さらに、日本列島内部では、西南部の農耕社会と東北部の狩猟採集社会の間で複雑な民族的接触がみられた。こうした接触では狩猟採集民が苦難や被害を被ることが多く、しだいに領地を失っていった。一方、狩猟採集民が農耕民に与えた影響はわずかばかりで、征服と入植によって資源を直接利用できる地域を開拓した場合以外には、資源基盤を増加させることはできなかった。
日本が農耕社会に入った数百年の間に、国内の交通の発達や交易の増加に伴い、こうした地域的な接触は拡大の一途をたどる。こうした交通や交易の発達は、上層の支配階級が統治する安定した社会を背景にして生じたのである。上層の支配階級は当然のことながら、自己の権益を守り、こうした地域の資源供給源の拡大で自分たちにもたらされる利益が最大になるように、社会を揺るがしかねない争いに介入して、不満分子を黙らせ、社会の秩序を維持することに努めていた。
一方、産業社会になると、「資源供給源」は社会の利益を適切に管理する能力のある監督機関の力の及ぶ範囲をはるかに超えて、急速に拡大していくが、その代わり、今度は政府と会社(法人)とを問わず、当事者たちの自己の権益と力関係によって結果が決まるという競合的な相互作用が関わるようになる。
そこで、日本も他の産業社会と同様に、エネルギーやその他の資源に対する需要の急激な増加によって、地球規模の相互作用に巻き込まれることになった。すべての産業社会が巻き込まれているので、資源をめぐる競争は熾烈さを増し、社会間の相互作用はかつてない規模や多様さ、複雑さ、困難さをみせている。
したがって、日本の歴史の特徴を一言で述べると、狩猟採集、農耕、産業社会という3つの基本的段階を経ていくことだといえる。しかし、こうした基本的な段階の中には、さらに「下位段階」が認められることが本書を読み進めていくうちにわかるだろう。
狩猟採集社会はほとんど記録が残っていない長い「先土器」文化期から、比較的短い「土器」文化期まで(およそ1万5000年間)続いていた。しかし、農耕社会に入った2500年の間にも、日本は「粗放農業」を行なっていた「散開農耕民」時代と、人口密度が高くなった「集約農業」時代(1250年頃以後)という2つの時代を経ていく。そして、最後に日本は100年ほどの産業社会を迎えるが、ここでも、政府主導の開発が優先的に推し進められた感のある初期段階と、第二次世界大戦後(1945年以後)の歴史的過程や結果の形成に産業界の行動方針が重要な役割を果たしたように思える最近の段階を経ている。
さらに、農耕社会と産業社会がそれぞれに経験した2つの時代にも、人口の増加と生態系にかかる負担の増加の時期がみられる。しかし、こうした増加の時期の後には「安定期」が訪れ、人口が安定して、資源の利用率の伸びが止まったり、下がったりするようにみえる。
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人類が生態系に過度の負担をかけた結果であるが、地球規模で急速に崩壊している生態系(生物多様性の減少など)を目の当たりにしている現代の私たちにとって、歴史的にみて重要な問いは、過去数千年にわたり、人間が生態系とどのような形で相互作用してきたのか、そして、どのようにして現在の状況に至ったのか、ということである。
日本史に限らず、歴史の研究において、このような環境の現状を目の当たりにすると、もっと適した基準を用いてもう一度、この2つの問いに答えを出せるような新しい解釈を編み出す必要性をひしひしと感じる。本書はそうした試みの一つである。