| マルクス・ボクナー[著] シドラ房子[訳] 1,800円+税 A5判並製 192頁+カラー口絵4頁 2018年2月刊行 ISBN978-4-8067-1550-4 自然の恵みをていねいに引き出す多品種・有畜・小規模有機農家が語る、 小さくても強い農業で理想のライフスタイルを手に入れる方法。 古い伝統品種を選ぶ理由は、味の良さと肥料の節約。 家畜やミミズに土づくりを任せることで、環境に優しく手間もかからない。 手作りパンや加工品の直接販売が安心と信頼という付加価値を商品に与え、 難民から観光客まで開かれた農場経営を行うことで、 消費者や地域とつながりマーケティングも万全。 2017年、農業に関わるジャーナリズム作品としてサルスメディア賞にノミネートされた、 自然を守って稼ぐ、新しい農業のススメ。 |
マルクス・ボクナー(Markus Bogner)
ドイツ南部の高原に10 ヘクタールの農地を借り、夫婦で運営している。
有機栽培、ファームショップ経営、セミナーの開催など、持続的な農業を広めるため精力的に活動している。
シドラ房子(Fusako Sidrer)
新潟県生まれ、スイス在住。武蔵野音楽大学卒業。ドイツ文学翻訳家、音楽家。
主な訳書に『その一言が歴史を変えた』『元ドイツ情報局員が明かす心を見透かす技術』(CCC メディアハウス)、
『空の軌跡』(小学館)など多数。
プロローグに代えて 春の一日――種まきと植えつけから始まる
第1章 グッドライフとは?――ボーア農場をはじめた理由
高山牧場から見た文明社会/“孫の代”を見据えた農業
〈実践マニュアル1〉農園をやりくりするには
第2章 現在の農業はどのように機能しているか――規模拡大か消滅か
十分に物があれば、少なすぎることはない/食糧難と第三世界/農業界の実力者/消費者の声が聞こえない/実験室の種子――交配種の落とし穴/希望する性質と交配種
〈実践マニュアル2〉種子をつくる
第3章 僕らの特化は多様性
農産品の流通と連鎖/ハッピーエンドの牛乳物語/ファームショップ――パン、ジャム、幸福な家畜たち/消費者とつくる最良の製品/パーマカルチャー――人と自然の配慮に満ちたつきあい/知識を分かち合う
〈実践マニュアル3〉パンを焼く
第4章 世界人口、成長、尊厳――これらはどのように調和するか
人口は多すぎる?/2000平方メートルの耕作地/自然と経済の成長の違い/利子の問題/ジャガイモが旅に出るとき/カネはどのように働いているか/経済難民と人間の尊厳
〈実践マニュアル4〉農場で休暇を過ごす
第5章 グローバル耕作地――2000平方メートルで世界に食糧を供給する方法
小さな世界耕地/食糧難の農業大国/耕作者はミミズ/土をなつける/テラ・プレタ――熱帯雨林の奇跡
〈実践マニュアル5〉ミミズ箱で腐植土をつくる
〈実践マニュアル6〉テラ・プレタをつくる
第6章 肉の消費について
うちの家畜が人間のライバルとならない理由/食肉処理規制が与える影響
第7章 全世界の人口に十分な食糧はすでにある
賞味期限に潜む思惑/規格外野菜の行方/品質意識を育てる方法/食糧難とギャンブル
〈実践マニュアル7〉保存食づくりの基礎
〈実践マニュアル8〉ナメクジ除去剤の代わりにカエルを
第8章 世界農業報告――別の形態の農業について
世界農業報告への長い道のり/小農家と女性の活躍/自然と協働する小農家
〈実践マニュアル9〉菜園カレンダーにおける果樹の手入れのしかた
第9章 21世紀における投票
すべての力は国民に発する/買い物という投票権/地産地消
第10章 増加を求めず満足する――これまでのやりかたから新しいやりかたへ
幸福について/鶏小屋の誕生――重要なことがらに焦点を合わせる/持続性、または思いやりを持って世界とつきあう/信頼がすべて――ボーア農場は持続性の小切手/有機農法なら、すべてよし?/「少量化」で環境にプラス
〈実践マニュアル10〉庭で鶏を飼う
〈実践マニュアル11〉キュウリ――種子からピクルスまで
第11章 変化のための共通の道
もともとある解決法で新しい問題に対処/2つの地域戦略
〈実践マニュアル12〉驚くべきジャガイモ増殖
よりよい世界にするための六つのアイディア
エピローグに代えて 農場におけるある秋の日――目で見て収穫「成熟した!」
訳者あとがき
春の一日――種まきと植えつけから始まる
何もなければ
何も生じない
天空と大地で
このふたつのこと
ひとつは“する?”、もうひとつは“なる”
――ライガースフェルトのダニエル・セプコ(ドイツの詩人)
5月のある水曜日。妻と子どもたちとともに朝食をとる前に動物たちのようすを見にいく。戸外に出たとき目に入るものに圧倒されるのは、ほとんど毎日のことだ。
まずは、たくさんのハーブと花のある庭。この時間には、植物はすっかり朝露に覆われているけれど、朝日が射し込むとまもなく露は消え、いいにおいを放散し始める。その先には牧草地と池、円形の野菜畑と耕作地がある。耕作地は小さいが、これのおかげで今朝目覚めてからずっとひどい筋肉痛に悩まされている。けれども、こうして耕作地を眺めながら、きのう植えたジャガイモが秋には豊かな実りをもたらしてくれるだろうと思うと、筋肉痛のことなんてほとんど忘れてしまう。
庭の向こうにテーゲルン湖の一部が見え、対岸は連山のすぐふもとになっている。テーゲルン湖山脈のパノラマは、うちの玄関先から見渡すことができる。すでに朝日を受けて輝いている山頂もあれば、最初の光を待っているものもある。この時間は一種独特の静けさに満ちている。この静けさ、一日のまっさらな状態のにおいが感じられる、と錯覚することもある。そんなとき、じつはそれほど静かではないことに気がつく。数百、いや、おそらく数千を超える鳥たちによる朝のコンサート。鳥類の男性たちは、最高に美しい歌声でメス鳥に取り入ろうとしている。
カッコウの声を再び耳にしたのは1週間前。数年前から毎年やってくるカッコウに違いなかった。うちのカッコウは吃音があるので、たくさんの鳥のなかからでもその声は聞き分けられると思う。今年、カッコウ家族は越冬地から戻ってくるのが遅かった。遅すぎでなければいいのだが。ほかの渡り鳥が帰ってくるのは比較的早かったから、カッコウのメスが卵を産むのに適した場所が見つかってほしいものだ。
僕は家畜小屋に行き、まず鶏小屋の窓を開ける。鶏たちは待ってましたとばかりに戸外に走り出て、2羽の雄鶏がお礼の代わりに威勢のいい鳴き声をあげた。インディアン・ランナー種のアヒルも外に出て、まず池で水浴びしてからすぐにカタツムリ狩りを始めた。カタツムリは目下のところ彼らの大事な食糧だ。毎日のように卵を産むアヒルたちに、カタツムリは良質のタンパク質とカルシウムを提供してくれる。そのあとからゆっくりと池に向かうのは、子連れのガチョウ夫婦。誇り高き三児の親だ。7月には30羽以上の養子をもらうことになる。それまでは自由放牧だが、その後は牧草地の囲いのなかでの生活に慣れなくてはならない。
僕が次にするべきことは、豚、牛、鶏、馬のようすを確認すること。十分な飲み水があるか、囲いはきちんとしているか、といったことをチェックしてしまえば、コーヒーと朝食にありつける。子猫の世話は、子どもたちの登校前の日課なので、僕は何もすることがない。親猫もかわいがられて嬉しそうだ。
けれども、ゆっくりと朝食をとっている時間はない。寒の戻り――この地域では、5月でも相当に気温が下がることがある――が去ったいま、庭や耕作地の仕事は最高に忙しい。数週間前から温室または屋内で栽培してきた苗を、戸外の庭に植えなければならない。ほっそりとした若苗が最後の夜霜や思いがけない降雪にやられる可能性は、日を追うごとに減っていく。
きのうおよび今日の午後3時まではいわゆる根の日で、それから実の日に移行する。うちはデメーター(有機農業組合)加盟農家ではないけれど、惑星の星位を調べて、仕事の大部分をマリア・トゥーンの種まきカレンダー(ルドルフ・シュタイナーによって提唱されたバイオダイナミック農法を研究して作成された、天体の運行によって種まきや収穫の時期を見る暦)に従っておこなうようにしている。とくに重要なのは、植物および土壌におよぼす月の影響だ。根の日は、ニンジン、ビーツ、ジャガイモなど、根っこが中心となる植物に適した日だし、実の日はトマト、キュウリ、メロン、ズッキーニ、カボチャなど、果実を食用とする植物に適した日といえる。
そこで、きのうと今日の午後3時まではニンジンの種をまき、そのあとは冬のあいだ砂箱に貯蔵しておいたニンジンを野菜畑に植えた。つまり、去年の秋に収穫したニンジンを再び土に埋めたということだ。こうした仕事をするたびに、野菜の栽培について何の知識もないやつと思う人間もいるのではないか、と考えてしまう。だが、理由はいたって簡単で、食用に栽培するわけではない。ニンジンは2年目に初めて花をつけ、そこから来年の種まきに必要な種子が得られる。種子はいわばニンジンの果実なので、果実を収穫するほかの植物と同様に実の日である今日の午後と翌日に植える。果実を食用とする植物にしろ、果実を種子として次の種まきに使う植物にしろ、同じことがいえる。
実の日、根の日のほかには、葉の日と花の日がある。葉の日にはキャベツ、レタス、ホウレンソウ、パセリなどに最適だし、花の日にはすべての花のほか、ブロッコリーや数種の油糧種子に適している。
惑星の星位によっては無為に適する日もあるので、僕らはそれにも従っている。月のリズムで種まき、植苗、収穫などをしていると、ときどき皮肉なコメントをされることもある。それでも種まきカレンダーのおかげで、一度にたくさんの仕事を片づけなければ、という気持ちにならなくてすむ。というのも、とくにこの季節にはあらゆる植物を戸外に植えなければならないので、仕事は山のようにあるからだ。けれども、今日問題となるのは実の日の対象植物だけなので、仕事の山はかなり小さくなる。
とはいえ、時間的にはちょっときつい。明日も実の日ではあるけれど、ファームショップの準備をしなければならないから。早朝にパンを焼き、店内を整え、ケーキ類を焼き、パン用のスプレッドをつくる。毎週木曜の午後2時以降にお客さんが店を訪れて、僕らが数時間ないし数日、あるいは数カ月かけて用意したり調理したりしたものを購入していく。
子どもたちが帰ってきていっしょに昼食をとるまでに、ニンジンの種まきはかなり進んだ。うちの野菜畑では大部分が手仕事だ。ニンジンの種まきも純粋な手仕事で、まずは土を盛り上げて畝(うね)をつくり、小さな溝に種を置いてからすぐに土をかぶせる。ここ数日雨が降っていないので、ふだんは重い土がかさかさになっている。種まきが数列すむと、列間の土をマルチングする。マルチングとは、土に覆いをすることで、うちでは干し草を使う。それにより土壌の乾燥や浸食を防ぎ、大部分の雑草は芽生えとともに除去される。こうした仕事をするにあたって、家族揃っての食事はとても大きな意味を持つ。定時にとる休憩であるとともに、情報交換とコミュニケーションの場でもあるからだ。
昼食がすむと再び仕事を続け、残ったものをすべて植える。ガチョウやアヒルや牛たちの注意深い視線を受けながら。ときどき、鶏卵を保温中の孵卵器がすごく気になる。今日小さなヒヨコたちが生まれた。狭い殻を破って出てくるところを見るたびに感銘を受ける。黄色い産毛が乾燥すると、この小さな生物が数分前まで殻のなかに入っていたとは想像できないほどだ。
夕方に仕事は終わり、植物はみな庭や温室のそれぞれが属する場所におさまった。いまや、この仕事が秋まで豊かな実りをもたらしてくれることを願うばかりだ。じつのところ、実の日は果樹の剪定にもすごく適していて、とくにリンゴやナシの木にいい。花が咲き終わった直後の果実がまだ微小なうちに切るのがいちばんいいと僕は考えている。果樹の剪定というテーマを扱った書物の大部分は、冬に剪定することをすすめているが、その反応として果樹はたくさんの新しい枝を出す。花が咲き終わってから剪定すれば、樹木の力は果実に集中される。けれども、今日はどのみちそのための時間はない。
池のほとりのベンチで妻とともにコーヒーを飲みながら、一日の仕事を眺める。それから、つかのま体力を集中させて、明日のパン焼きデーにそなえてパン生地の準備をする。うちのパン生地の多くは夜の冷気のなかで発酵?する。それにより、とくにライ麦パンのような重い生地でも消化しやすくなる。午後6時ごろに生地の準備は終わり、パン焼き窯に薪をくべる。午前2時から3時のあいだに火を熾(おこ)すと、6時に最初のパンを焼くとき最適の温度になる。
一日の始まりと同じく、家畜小屋で一日は終わる。ガチョウ、アヒル、鶏たちが自主的に小屋に戻ってくるのは、動物たちの僕らへの日々の信頼証明のように思われる。ガチョウは遠くまで飛ぶことができるのに、毎日小屋に戻ってくる。おそらく、ここならキツネなどの天敵に襲われることはないと知っているのだろう。いまの僕の仕事は、小屋のなかの動物たちの世話。鶏とガチョウに餌をやり、鶏の巣から卵を集め、ヒヨコたちのようすを見る。すでにかえったのは18羽だが、数時間以内にその数は増えるだろう。この小さな生物は、最初の数日間は餌や水を必要としない。殻から出る前に卵黄?を吸収するので、その栄養で48時間もつからだ。
戸外では豚に餌を与える仕事が残っている。豚は牧草地で食物をとるので、ほんとうは餌をやる必要はない。けれども、古くなったパン、サラダの屑、野菜や果物の残りをいくらか与えることにより、僕が呼ぶとすぐに駆け寄ってくるようになる。行ってはいけない場所に行ってしまった場合などには、少量の餌によるトレーニングがとても役に立つ。あとは牛と馬のようすを見て、フェンスの状態を確認したら、今日の仕事は終わる。
適度な気温であれば、その後の時間を戸外で過ごす。自然を心に反映させながら……農民である僕らがそれなりに影響を与えた景色を……。これも一種の収穫といえるだろう。
10月半ばのある水曜日、ボーア農場を訪れた。その前の週にはドイツは暴風雨に見舞われ、北部では死者数名の犠牲が出たが、その日は夢のような快晴となった。“夢のような”という表現には、バイエルン州の景色の美しさも一役買っている。テーゲルン湖地区といえばリゾート地として知られ、ホリデーアパートやホテルがいたるところにある。
私はスイス中部に位置するツーク州に住んでいるので、ボーア農場のあるオーバーバイエルンまで車で5時間程度。ボーア農場では木曜から土曜までファーム喫茶とファームショップが開かれるため、水曜の午後は猫の手も借りたいほどの忙しさであるにもかかわらず、著者は快く時間をとってくれた。
まさに“百聞は一見にしかず”ともいえる体験。2ヘクタールの農場やファーム喫茶、家畜小屋などについては、本文にその成立過程を含めて詳しく描写されているが、著者に案内してもらい、じかに見てにおいを嗅ぐのは格別だ。とりわけ深い印象を与えたのは、働く豚だった。
豚が畑を耕すことは本文にも書かれているが、あんなふうに一日中土を掘り返しているとは想像もしなかった。電気牧柵で囲まれた耕地内で、8匹の豚が鼻を泥のなかに突っ込んでは前後に何度か動かす、という動作を延々とくり返している。土中に残っている植物の根っこや茎や穀粒を探しては食べているのだそうで、柵に囲まれた耕地の表面から20センチくらいがこのようにして徹底的に耕され、空気に触れる。豚はほんとうに一日中この作業を続けるという。そもそも豚は土を掘り起こして餌を探すために硬い鼻先を持っているわけだが、現在の産業国でこのように耕作に徹底利用されているのはきわめて珍しいといえるだろう。ボーア農場では、豚が働いてくれるおかげで耕運機を買う必要はないし、そのための電力を消費しないばかりか、自然の肥料も得られる。
著者の主眼は持続性にある。環境を損なわないどころか、土壌を豊かにする農業のやりかた。すべて手作業なので、面積あたりに生育する植物は機械を使用する場合より多く、生産性も高い。しかも、全農作物について種子づくりから収穫まで一貫しておこなっている。植物は環境に順応するので、すでに数世代を経た種子は、標高800メートルに位置するボーア農場の気候に合っているという。生産者のこだわりといえるかもしれない。
もちろん、この“こだわり”こそがそもそものきっかけとなったわけだが、幼い子どもを3人抱えながら、それまで管理していた酪農場をやめて小さな有機農場をゼロから、ほんとうに未経験の状態から始めるというのは、並はずれて強い信念があってのことだ。家族や地域の人々に高品質な食品を提供するとともに、地球をできるだけ良好な状態にしたいという著者の純粋な熱意は、本書を読んでくださった方々に伝わったことと思う。
だが、著者の望みはそれだけにとどまらない。大勢の人が同じ意識を持ち、それを行動に移せば、ほんとうに社会は変化すると考えている。そうした意味でも、日本語版の刊行を心から喜んでいるそうだ。読んでくださる方一人ひとりがとても重要だから。
その日はテーゲルン湖の近くにあるホテルに1泊し、翌日、著者がその設立に尽力したナチュラルチーズ製造所を訪れた。ガラス張りの窓をとおして製造プロセスが見えるようになっており、毎朝10時にガイド付きで見学もできる。私が訪れたのは9時過ぎだが、店内には買い物客の行列ができていた。それからテーゲルン湖の周囲をドライブし、午後はボーア農場のファーム喫茶で軽く食事をしてから帰途につくことにした。
お客さんの数は当然のことながら天気によってぜんぜん違うそうだが、その日は好天で、ほんとうに盛況だった。著者マルクスが不在なせいもあってか、いっときは喫茶コーナーもいっぱいだし、ファームショップでは店内に入れず外で順番を待つ人もいたほどだ。これでは「お客さんと突っ込んだ会話」をするどころではなさそうだが、ボーア農場はすでにかなり有名で、リピーターもたくさんいるのだろう。私が何より感激したのは、パンのおいしさだった。数種類のパンを食べたが、どれもスパイスがマイルドに効き、しっとりとして弾力がある。もう一度このパンを食べるために、往復10時間以上をかけて農場を訪れる価値はありそうだ。
帰宅した翌日にお礼のメールを送ったら、その日のうちに返事が届いた。そこには、訪問に対するお礼とともに、次のように書かれていた。
「本に書いたテーマが僕らにとってどれだけ重要なことか、理解してもらえたと思う。でも、じつは僕らだけでなく、地球上に住む人たち全員にとって重要であるべきだ」
日本には、著者が理想と考える小さな農家や、愛情をこめて家庭菜園の手入れをしている方々が多い。つまり、生産性が最も高く、大きな潜在力を持つということ。畑でとれた安心な食品を身近な人々に直接提供することを始めとして、保存食に加工して販売したり、喫茶コーナーで自家製のヘルシーな軽食を出したり……といった商売のアイディアが実現するかもしれない。それとともに、持続性のある農業にどれだけの付加価値があるかをたくさんの人たちにわかってもらえればと思う。
2016年秋にドイツ語版が出版されてからそれまでの1年間に、200件以上の問い合わせを受けたという。著者マルクスとマリア夫人はすでに豊富な知識と経験を持ち、大成功しているにもかかわらず、いまも勉強熱心で、機会があるたびにセミナー等に参加しているそうだ。他方では、自分たちの知識をできるだけ多くの人に伝授したいと強く願い、実習者の受け入れにも力を入れている。国民の幸福を重視するブータンも本書のなかで取り上げられているが、2018年にはブータンからの実習生滞在が予定されている。
マルクスは、某デパートのジャーマン・ウィークという催しに招待され、民族舞踊を伴奏するアコーディオン奏者として、4週間日本に滞在したことがあるという。おそらくお子さんが生まれる前だと思うが、民族衣装のレダーホーゼン姿で都内の電車を利用すれば、かならずドイツ語で話しかけてくる人がいる、と聞いてほんとうにそうしたところ、「Woher kommen Sie?(ご出身はどこですか)」と実際に話しかけられたそうだ。軽く雑談したのちにホテルの名前を告げると、その日本人男性は彼の腕を取ってホテルまで案内してくれた、と愉快そうに語った。
極東の国、日本からの反響を楽しみにしているそうだ。「本書を読んでくださった方一人ひとりの意識と行動が世界を変える」……これが、翻訳者である私と夫を心からもてなしてくれたマルクス・ボクナーからの、読者のみなさんへのメッセージだ。
2017年11月
ツーク州ハーム市(スイス連邦)にて シドラ房子
画一化された商品に慣らされた消費者に、本当の食べもののおいしさをわかってもらい、消費者と農家がともに良質な暮らしを送るためには、どのような農業経営を行うべきなのか。
本書には、大規模化が進む農業のトレンドに反して、自然の恵みをていねいに引き出す小規模有機農業経営を成功させた著者が見つけた、地球にも胃袋にも優しい農業と暮らしの方法が詰まっています。
自然のリズムを大切にした農業のやり方から、農家から地域と社会をよみがえらせる方法、世界の食料事情への深い考察まで、日本の農業の将来を考える上でも重要な一冊です。