| 小林朋道[著] 1,600円+税 四六判並製 216頁 2017年5月刊行 ISBN978-4-8067-1538-2 ヤドカリたちが貝殻争奪戦を繰り広げ、 飛べなくなったコウモリは涙の飛翔大特訓、 ヤギは犬を威嚇して、 コバヤシ教授はモモンガの森のゼミ合宿で、 まさかの失敗を繰り返す 自然豊かな大学を舞台に起こる 動物と人間をめぐる事件の数々を 人間動物行動学の視点で描く。 |
小林朋道(こばやし・ともみち)
1958年岡山県生まれ。
岡山大学理学部生物学科卒業。京都大学で理学博士取得。
岡山県で高等学校に勤務後、2001年鳥取環境大学講師、2005年教授。
2015年より公立鳥取環境大学に名称変更。
専門は動物行動学、人間比較行動学。
著書に『絵でわかる動物の行動と心理』(講談社)、
『利己的遺伝子から見た人間』(PHP 研究所)、
『ヒトの脳にはクセがある』『ヒト、動物に会う』(以上、新潮社)、
『なぜヤギは、車好きなのか?』(朝日新聞出版)、
『先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!』
『先生、シマリスがヘビの頭をかじっています!』
『先生、子リスたちがイタチを攻撃しています!』
『先生、カエルが脱皮してその皮を食べています!』
『先生、キジがヤギに縄張り宣言しています!』
『先生、モモンガの風呂に入ってください!』
『先生、大型野獣がキャンパスに侵入しました!』
『先生、ワラジムシが取っ組みあいのケンカをしています!』
『先生、洞窟でコウモリとアナグマが同居しています!』
『先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています!』(以上、築地書館)など。
これまで、ヒトも含めた哺乳類、鳥類、両生類などの行動を、動物の生存や繁殖にどのように役立つかという視点から調べてきた。
現在は、ヒトと自然の精神的なつながりについての研究や、水辺や森の絶滅危惧動物の保全活動に取り組んでいる。
中国山地の山あいで、幼いころから野生生物たちとふれあいながら育ち、気がつくとそのまま大人になっていた。
1日のうち少しでも野生生物との“交流”をもたないと体調が悪くなる。
自分では虚弱体質の理論派だと思っているが、学生たちからは体力だのみの現場派だと言われている。
ブログ「ほっと行動学」http://koba-t.blogspot.jp/
はじめに
ホンヤドカリは自分の体の大きさを知っている!?
洞窟に落ちていたキクガシラコウモリの子どもを育てた話
ヤギの認知世界、イヌの認知世界
草を食べるか動物を食べるか……それが問題だ
帰ってきたカスミサンショウウオ
大学林につくった人工池で3年後に起こったこと
また飛べるようにならなきゃ野生にもどれないんだぞ!
心を鬼にした涙のコウモリ大特訓
大学前の交差点でアナグマの家族と出合った話
N先生は見ていた!
オーストラリアのフルーツコウモリ
国を超えて相互理解を深める貴重な時間をもったのだ
モモンガの棲む森でのゼミ合宿と巣箱の話
私が一時的に“悟り”を開いた日
今、2017年2月だ。
今年の冬は私にしてはめずらしく体調が悪くなかったので、この「はじめに」もちょっと前向きな内容になりそうだ。
「はじめに」ということでもあるし、今年のはじめ、つまり、1月のある出来事からお話ししよう。それは名づけて「私が一時的に“悟り”を開いた日」とでも言えばよいだろうか。
正月休み明けの最初の日、その日は火曜日だった。でも私の脳は、じつにけしからんことに、休み明けの日は月曜日だ、と思っていたらしく、「今日は講義はない(会議もない)、たまりにたまった仕事を片付けよう」と、デスクワークに集中していた。
そしたら午後3時ごろ、研究室のドアを叩く音がし、動物好きのTくんが入ってきた。そして言うのだ。
「先生、講義、どうなっているのですか。みんな、待っていますよ」
少々あわてた様子に見えるTくんの言動を冷静に見聞きした私は、持ち前の、回転の早い脳で状況を判断し、慎重に(恐る恐る、とも言う)聞いてみたのだ。
「えー、その、なんだ、………今日は何曜日だね?」
するとTくんが、(遠慮というものを知らないのだろうか)はっきり答えたのだ。
「今日は火曜日です」
それからのことはちょっと覚えていない。思い出したくない。「そっとしておいて」………みたいな。
ただし、これだけははっきり言っておきたい。確かに私は講義に遅れた。でも遅れたけど、しっかりと講義はやりきって研究室に帰ってきた。そして、ゲジゲジとヤマトシロアリとホンヤドカリとオカヤドカリとハツカネズミと簡単に会話をして(この点についてはあとでまたお話しする)心の平静を取りもどして、再びデスクワークに取りかかったのだ。
そして、次の火曜日のことである。私くらいになると一度失敗したことは、それ以後は、ほとんど繰り返すことはない。講義があることをしっかりと認識し、その準備をしたのだ。
さて、準備のなかには前の講義で受講生(160人くらい)が書いた感想・質問用紙を一枚一枚チェックする(答えが必要なものをピックアップする)作業があった。その作業のときであった。私はある用紙に書かれていた文章に目が釘づけになった。そこにはこう書かれていた。
「授業には遅れず来てください。ワクワクして待っているので」(そのあとに続けて、「フォーカル・ジストニアは社会不安性障害の一つですか」とも書かれてあった)
ジストニアについては知っていたが、それはさておき、その文章の前にある、「ワクワクして待っているので」………なんとも心憎い殺し文句!
私は準備を急いで終わらせ、授業開始10分前に勇んで講義室へ向かったのだ。
ところがだ。講義室への道すがら、私は再び、心憎い殺し文句に出合うことになるのだ。
私は生来、“整理”ということが苦手であり、そういうこともあって、授業で必要と思われるものをすべてカゴ(スーパーに置いてあるあのカゴである)に入れて持っていく。
その日は結構カゴが重くなり、いかにも、重〜〜〜い、という感じで廊下を歩いていたのだろう。
すると後ろから来た学生(私の記憶のなかにない学生だった)が声をかけてくれたのだ。
「先生、こんにちは。荷物、持ちましょうか!」
「ああっ、いや、どうもありがとう」と答えた私のその心は、とても晴れやかだった。そして、ほどなく、これまで60年近く生きてきた人間として、一つの“悟り”のようなものが、すっきりと、静かに脳に浮かび上がってくるのを感じたのだ。
私は、授業が始まってから、質問への答えをしゃべりながら、さっき感じた“悟り”のようなものについて話したくなった。そのきっかけになった出来事とともに。
話の内容は、かいつまんで言えば次のようなことだ。
「人生は大きな苦と小さな喜びの連続だ。そしてそのなかで、人はどう生きるべきか?について、みなさんも一度は考えたことがあるだろう。
私は今日、二つの出来事に遭遇し、まー、悟ったね。人生は複雑だけれど、でも要は簡単だ。………(ここで“二つの出来事”を紹介した)………。
苦しいときは仕方がないけれど、可能なときには相手と自分がうれしさを感じられることをすればいい。人生のなかでそれをできるだけ多くやって、死ねばいいんだ(ちなみに、このような生き方は、動物行動学的知見から考えたとき、生存・繁殖に有利な生き方とおおむね一致する)」
さて、唐突で恐縮だが、ここで場面は一転し、ゲジゲジとヤマトシロアリとホンヤドカリとオカヤドカリとハツカネズミの話になる。
私が、大学のなかで何か特別緊張した時間をもったときなど、研究室にもどって私の心を癒やしてくれる、冒頭でちょっと紹介した動物たちの話だ。
まずはゲジゲジの話からだ。
ゲジゲジ? なんでそんな嫌な虫の話からなの、と思ってはいけない。一度、ゲジゲジと正面から、心を開いて向き合ってみよう。きっと、見えてくるものがあるはずだ。少なくともゲジゲジの正面から見た顔が(アタリマエジャ)。
昨年の11月の終わりだった。
一匹の小さいゲジゲジ(正式和名はゲジ)が、本棚の前でじっと静かに立っていた(座っていた? よくわからない)。いかにも寒そうだった。
そうそう、言うのを忘れていたが、わが公立鳥取環境大学は、昨年9月に、実験研究棟が完成し、環境学部の実験系の教員(私もその一人)の研究室は、もとの教育研究棟から実験研究棟に移されたのだ(私の引っ越しは、もう、大〜〜〜変だった。二度ほど死んだ)。
つまりとても新しい研究室になったというわけなのだが、そこへ、小さなゲジが入ってきて心細そうに、寒そうにしていたというわけだ。
こんなとき、みなさんならどうされるだろうか。
少なくとも私には、「出て行ってね」とは口が裂けても言えなかった。
とりあえず、喉が渇いているにちがいないと思い(何せ、新しい部屋だ。ゲジが飲める水などなかったにちがいない)、ティッシュペーパーに水を含ませて口のところに持っていってやった。
もちろん私の推察に狂いはない。ゲジはティッシュペーパーにかじりついた。
そうなると次は餌と棲みかのことを考えてやろうというのが親心というものだろう。
私は金魚の餌と、引っ越しで持ってきた石(石だ)を、ティッシュペーパーにかじりついているゲジのそばに置いてやった。
ちなみに、その石は、「先生!シリーズ」第一巻に出てくる「化石に棲むアリ」で語られている石だ。木の枝が化石化してくっついている石のなかに、なんとアリが巣をつくっていたという感動的な話だったが、その石は、10年の年月を経て(引っ越しがなかったら部屋の書類の山のなかに埋まったままだっただろう)、新しい研究室に運ばれてきていたのだ。
その後、ゲジは私の研究室で、少なくとも日中は石の下でリラックスして暮らしている。春になったら外へ出してやろうと思っている。
ここにも、「可能なときには相手と自分がうれしさを感じられることをすればいい」という悟りの精神がしっかり息づいている。
次はヤマトシロアリだ(家を破壊するイエシロアリとは違う)。
ヤマトシロアリは、私が、学生実験などで使ったりする動物で、もうつきあいは10年以上になる。
いろいろとお世話になっている動物でもあるし、その生態や行動はとても奥が深い動物でもあるのでもっともっと理解を深めようと、さらには、彼らを対象にした今以上によりよい実験を考案しようと、研究室に置いて日夜、交流を続けているのだ。
シロアリがつくる“蟻道”にもいろいろ興味をそそられ、飼育用の容器のなかに蟻道をつくらせている(つくらせるにはちょっとコツがある)のだが、最近、驚いたのは、彼らが、飼育容器の隙間から、なんと中空に(!)15センチ近い高さの蟻道をつくったことだ。
おそらく口から出す粘液で砂の粒を固めてつくっているのだろうが、何がきっかけになって中空へ(!)のばしはじめるのだろうか。
「オレよー、広いところが好きだから。みんな、一緒にやってくれるか?」
………みたいなコミュニケーションがあったのだろうか。
もちろん私は、彼らの道づくりをじゃまなどせず、その空中回廊の成長を毎日見て、しばしの思索にひたっている。ここでも、「相手と自分がうれしさを感じられることをすればいい」という悟りを実践しているのだ。
次はホンヤドカリとオカヤドカリだ。
これらの動物は、本文で登場するので詳しいことは省略するが、ホンヤドカリは海水が入った水槽のなかで、オカヤドカリは、砂や板が敷かれた容器のなかで、それぞれ、独特の行動を見せて私の心を元気づけてくれるのだ。
今、ヤドカリを対象にして調べてみたいと思っていることをちょっとだけお話ししたい。
それは、ヤドカリたちの「認知世界」についてだ。
われわれホモ・サピエンスは、今、読者のみなさんが周囲を見わたしたり、今日あった出来事を思い出したりしたときに感じる認知世界のなかで生きている。では、ヤドカリたちはどんな世界のなかで生きているのだろうか。ヤドカリたちは、自分たちが背負っている貝殻や、仲間(同種のヤドカリ)のことをどんなふうに感じて生きているのだろうか。自分の貝殻より、仲間が背負っている貝殻がほしくなったりすることはあるのだろうか(それは貝殻の何を見てそう感じるのだろうか)、何度も出合う相手のことを別々にちゃんと覚えて生活しているのだろうか(これを個体識別という)………みたいな。
ヤドカリたちは、そんなことを感じさせてくれる、また、そういったことを調べたいなと思わせてくれる動物なのである。
最後はハツカネズミだ。
ハツカネズミもゲジと同じく、昨年の暮れ(12月)に、新しい研究室に入ってきた。
気温が急に下がった日だ。
ゲジもそうだったが、ハツカネズミも“大人”ではなく、“青年”だった。
どこから入ってきたのかわからない。
最初は部屋のなかを逃げまわっていたが、そのうち私の人柄がわかってきたのか、怖がる様子もなく私の近くを徘徊するようになった。
寒い野外に放り出すのも忍びなく、最初は自宅に連れて帰るつもりでいたが、いろいろ考えて、研究室で春まで面倒を見ることにした。
なかなかかわいいネズミで、デスクワークをしていてふと目を上げると、その子があどけない目でこちらを見ているではないか。このチビネズミのためにバナナやチーズまで買ってくるようになってしまった。
結局、12月から翌年、つまり今年の1月まで世話をして、暖冬だったので春を待たず大学の裏山に放してやった(基本的には、野生の鳥獣の飼育には、都道府県などの関係機関からの許可が必要なのだ)。
人家に侵入して住みつくこともあるが、基本は里山の草地などで暮らすネズミであり、大学の裏山でしっかり生きていくだろう。アカネズミたちと共存して。
元気でね!
さて、悟りの話にもどろう。
悟りと言えば、仏陀だろう。
ところで、仏陀によって開かれた仏教をはじめとしたインド哲学の思想のなかには、「輪廻転生」がある。死は終わりではなく、次は別な生命体としてこの世に生まれ変わってくるという考えだ。
この考えによれば、私は、現在、ホモ・サピエンスとして生きているが、死後はゲジとして生まれ生きていくかもしれない。いや、ひょっとしたら海のなかでホンヤドカリとして生きるかもしれない。かなり塩辛い環境だろう。いやいや、ひょっとしたらハツカネズミという可能性だってなくはない。そのとき、現在の私のような、動物にやさしいホモ・サピエンスに出合えるだろうか(まー、“私”には、正直、会いたくないような気もするが)。
一方、私が学生に話した“悟り”は、
「苦しいときは仕方がないけれど、可能なときには相手と自分がうれしさを感じられることをすればいい。人生のなかでそれをできるだけ多くやって、死ねばいいんだ」
だった。そういう生き方をしたほうが、結局、自分の充実感や成長も大きいではないか。
私は輪廻転生は信じない。でも動物たちの多くが意識をもつことは(“意識”といってもホモ・サピエンスの意識の感じとは同じではないが)確かだと思っている。
そして、私の最近の価値観は、もちろん「人」が一番大切だが、人以外の動物の“うれしさ”も含めて自分の生き方を考えて生きたい、という方向に、今まで以上に傾いている。
つまり、「………可能なときには相手と自分がうれしさを感じられることをすればいい。
………」の“相手”を人以外の動物にも広げたいということだ。
もちろん世界では、飢餓や紛争によって命を落としている人がたくさんいる。そしてそのことも承知のうえで、そう思っている。というか、だからこそ、よけいにそう思うのかもしれない。
最後に、私のゼミで最近起こった、人と動物をめぐるちょっとした事件を(こんな楽しさを味わえることに感謝しながら、また、生物への思いを通して私ができることに思いをめぐらせながら)、お話しして終わりにしたい。
今、四年生(この本が出版されるころには卒業しているはず)のYbくんが、何を思ったのか「ヘビを飼いたい」と言い出した。そして、ヘビのことにかけてはちょっと詳しい二年生のWくんにアドバイスを求めたらしい。
Wくんは、そのころキャンパス北の大学林で捕獲し家で飼育していたシマヘビを、Yb先輩のために提供することになったらしい(もちろんWくんはほかにもいろいろなヘビや小動物を飼育していた。そして、Wくんは、動物の飼育が………確かにうまい!)。そしてシマヘビの“引き渡し”は、ゼミ室で粛々と行なわれ、その後シマヘビは、WくんによるYbくんへの実地飼育研修もかねて、ゼミ室にしばらく置かれることになったらしい。
事件が起きたのはそれから一週間ほどたったころだっただろうか。
次ページのような衝撃のニュースがゼミ生のLINE(私も入っている)を駆けめぐった。
ほーっ、名前は「しまちゃん」と言うのか………そんなことはどうでもいい!
これはまずい。
それがまず一番に私が思ったことだ。
もしヘビがゼミ室から外へ出て、廊下をニョロニョロ這っているときにヒトと出合ったら………。小さいとはいえ1メートルは超えるヘビだ。
それでなくても何かと私に関係する動物たちが問題を引き起こしている昨今だ(ほんとうは昨今だけではなくて大学創立からず―っとだけど)。それに、ゼミ室であろうが、廊下であろうが、基本的には乾燥した環境下で、しまちゃんはそんなには長くは生きられない。
学生も私もゼミ室を探しまわった。でも、しまちゃんの姿を発見することはできなかった。そして、日一日と時は過ぎ、二週間近く過ぎたころだった(正直なところ私はもう、しまちゃんは逝ってしまったのではないかと思っていた)。再びニュースがLINEを駆けめぐった。
「しまちゃんが見つかりました!」
教育研究棟の二階と三階の踊り場の手すりに巻きついていたという(踊り場でポールダンスでもしたかったのかもしれない)。
見つけたのはYbくんと仲のよいSeくんだった。
ただし、「よかった、よかった!」の言葉がLINE上を躍るなか、私はいつものとおり冷静だった。
大事なことは、もうこういうことを繰り返さないことだ。Ybくんに、「どこが悪かったのかしっかり原因を見つけて、今後、こんなことが繰り返されないように」と、ビシッと諭すように言ったのだった。
しかしだ。世の中、何が起こるかわからないものだ。
その数日後、出勤し仕事を始めようとしていた私の研究室を、隣の研究室のT先生が訪ねてこられて、言われたのだ。
「廊下にヘビがいたのですが、先生のところのヘビではないですか」
こういうことだったらしい。
二階に研究室があるK先生が一階の廊下を歩いていたら、一匹のヘビがニョロニョロと這っていたらしい。K先生は勇敢にもそのヘビを確保し、倉庫のなかのバケツに入れ、(急ぎの用事があったのだろう)T先生にあとをまかせて研究室にもどられた。その際、小林が怪しい、ということになったのだろう。
その話を聞いたとき私が瞬間に思ったことは、………Ybくんの飼育容器の管理にまた抜けがあり、しまちゃんが脱出したのではないか。あれだけ言ったのに………だった。
でもその直後、ヘビに近づいた私は、それが「しまちゃん」ではないことを確信した。なぜならそれはシマヘビではなくアオダイショウだったからである。それも、とてもなじみのある顔のように見えた。
そう、それは私が実験用に研究室で飼育しているヘビのアオちゃんだったのだ。
そして心に固く誓ったのだった。このことはけっして、けっして学生たちには、特にYbくんには知られてはならないと。
悟りの境地からはまだかなり離れたところにいるようだ。
動物たちは(ヒトに負けないくらい)、しばしばわれわれを前向きに元気にしてくれる。われわれのよい面を引き出してくれる。そうしてそんな前向きな時間を人生のなかで増やしていけばよいと思うのだ。
読者のみなさんが、本書のなかで(間接的にではあるかもしれないが)動物たちとふれあい、前向きに元気になっていただけたら、そして少しでも動物たちやヒトの特性に興味をもっていただけたらと思う。
読んでいただいてありがとうございます。
2017年2月24日
小林朋道
本作が11作目となる『先生!』シリーズ。
小学生からシニアまで幅広い読者層をもつシリーズですが、いちばんの魅力は、コバヤシ教授の生き物と学生たちへの温かい目線です。
同時に、コバヤシ教授の脳がスルドク反応する、動物たちの何気ない行動の意味についての深い洞察に唸らせられます。
どの巻から読んでも油断ならない楽しさがある本シリーズをご堪能ください。
本書で活躍する動物:子ぎつね、ゲジゲジ、ヤギ、コウモリ、アナグマ、モモンガ、ヤドカリほか
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10巻刊行記念プレゼントキャンペーンにたくさんのご応募ありがとうございました。
クイズの問題と解答は、こちらでご覧いただけます。