| 村尾行一[著] 2,700円+税 四六判並製 328頁 2017年4月刊行 ISBN978-4-8067-1537-5 半世紀以上にわたり、森林生態学、森林運営、国有林経営を研究し、 ドイツでも教鞭をとった著者による日本林業回生論。 ロマン主義思想とともに発展し、今や一大産業へと成長し、 世界をリードするドイツ森林運営の思想と、木材生産の実践、 ドイツ最高の頭脳が集まる人材育成・林学教育を解説。 それを踏まえて、21世紀の日本社会にふさわしい、 生産・流通の徹底的な情報化、乾燥管理、天然更新から焼畑林業までを提言する。 |
村尾行一(むらお・こういち)
1934年、大連市に生まれる。
東京大学農学部卒業、同大学院農学系研究科博士課程修了、農学博士、ミュンヘン大学経済学部留学。
国有林・林業経営研究所研究員、京都大学農学部助手、東京大学農学部助手、ミュンヘン大学林学部客員講師、
愛媛大学農学部教授を経て、現在愛媛大学客員教授。
著書に、単著『木材革命』(農山漁村文化協会)、編著『東濃檜物語』(都市文化社)
共著『これからの日本の森林づくり』(ナカニシヤ出版)がある。
序章 日本林業とドイツ林業
1 ドイツ林業とは何か
2 「ドイツ」とはどこだ
3 ドイツにも山岳林がある
4 日独林業の本質的違い
第1部 ドイツ林業の個性
第1章 ロマン主義の申し子
1 《自然》と《弁証法》を発見したロマン主義
2 文化論なくして林業論なし
第2章 「ガイアー革命」
1 生態学的林学の成立
2 ガイアー林業思想の要諦
3 不定形で、多様で、小規模な森林こそ最良
第3章 多機能林業論
1 林業とは一つの森林から多機能の同時発揮
2 林業の社会性重視と主要産業化
3 「社会的市場経済」の熱情的な擁護者
4 多様な事物の多様なままでの総体把握
第4章 森林機能計画制度
1 ディーテリヒ多機能林業論の制度化
2 バイエルン森林機能計画制度の骨子
3 「利用機能」の発揮はどの森林でも
第5章 「フリースタイル林業」
1 林業における資本主義の限界性
2 森林の多様性・動態性ゆえの「フリースタイル林業」
3 「育林は森の心で」
4 《経済》と《公益性》と《森林美学》と《保健休養》の自同律
第6章 「フォルスト」と「ヴァルト」
1 かつて「フォルスト」は森林とは別概念だった
2 「木材窮乏」がもたらした「フォルスト」の意味変化
3 「林業」から「森林業」へ――森林利用の発達
第7章 「持続可能原則」の揺らぎ
1 「持続可能原則」は発想のコペルニクス的転換ではない
2 「ヘルシンキ総指針」
第8章 ミュンヘン・チューリヒ同盟
1 スイス林業の大改革
2 日本に輸入された「近自然的河川工法」
3 アルプスの国・スイスにおける小私有林の意義
第9章 北ドイツへの宣教
1 「森林業」を題名にした「人間・森林系総論」
2 遅れた北ドイツ林業制度
第10章 「照査法」
1 徹底した現実重視の単木施業
2 照査法を大成したギュルノとビヨレイ
3 日本はクヌッヒェルの提言に学べ
第11章 「恒続林思想」
1 プロイセンでも生まれたミュンヘン・チューリヒ流林業思想
2 「恒続林」とは何か
3 「恒続林施業」はアカマツ林に特化した施業ではない
4 「恒続林施業」と森林美学
第2部 ドイツ林業前史
第1章 かつて森は魔界だった
1 森は恐怖の暗黒空間
2 林業人・山村民は賤民だった
第2章 絶対主義の財政基盤
1 木材依存型体制
2 自己否定する重商主義
第3章 「木材窮乏」が生んだ「持続可能な林業」原則
1 苦肉の策の「保続原則」
2 劣悪なドイツ林業従事者
3 成果なき人材養成策
第4章 コッタによるターラント森林アカデミー創立
1 《林学古典派》――「ゲーテ時代」の人びと
2 近代的林学高等学府の創立
3 《ターラント林学》の特性
第5章 伐期齢問題
1 林業における「伐期齢」の意義
2 自然的伐期齢説
3 工芸的伐期齢説
4 材積収穫最大伐期齢説
5 貨幣粗収穫最大伐期齢説
6 森林純収穫最大伐期齢説
7 土地純収穫最大伐期齢説
第6章 ユーダイヒ──ターラント林学の大成者
1 ユーダイヒ森林経理学
2 日本林業のモデル
第7章 「ノルマールヴァルト」(法正林)とは
1 「ノルマールヴァルト」とは
2 理念型か達成目標か
3 現実の多様性を捨象してのみ措定できる法正林思想
第8章 ターラント林学の限界性
1 林業の思弁的規律
2 排除の論理
3 「マスト林業」──豚と共にある林業
4 ターラント林学は過渡期の林学
第9章 ドイツ林業の地域的多様性
1 目標林形の設定
2 生産目標の設定
3 西南ドイツ林業の問題性
第3部 ドイツ人にとって森とは何か
第1章 森と都市
1 森あってこその近代都市
2 かつてのミュンヘン
3 森の中の都市、都市の中の森
4 都市林の改造
5 都市林の造成
第2章 都市林こそが森林業の精華
1 人と^の母子が一緒にお散歩
2 都市こそが森林に最も多くを、しかも最も強く求める
第3章 森で憩い、楽しむ
1 大工業都市だからこそ「市中の山居」
2 「氷雨でも森へ行くッ」
3 「森の幼稚園」
4 「市中の田舎暮らし」──クラインガルテン
5 「ウアラウプ」(有給休暇)の第一の行き先
第4章 森のウアラウプ
1 道路
2 森林立入権
3 宿泊施設
4 食事
5 国有林の役割
第4部 最高の頭脳が集まる森林業の人材育成
第1章 医師は一時に一人を救い、森林官は同時に万人を救う
1 憧れの職業
2 ムルナウにて
第2章 林業従事者の職種と職務
第3章 高等森林官の職務と養成課程
1 高等森林官の職務
2 高等森林官の養成課程
第4章 上級林業技師の職務と養成課程
1 高度な人材を求める新事態
2 林業大学校の履修課程
3 上級林業技師の主たる職務
第5章 林業士の職務と養成課程
1 ドイツ林業士の質
2 林業士の養成課程
3 作業士学校の主要履修科目
4 国家試験と主たる就職先
5 さらなる進路
第5部 日本林業再興への処方箋
第1章 過去の栄華が現在の禍根
1 「吾ガ咎ハ常ニ吾ガ内ニアリ」
2 未曾有の活況に惑乱した戦後林業
第2章 《外材時代》への誤った対応
1 外材輸入解禁問題
2 《優良材》という獣道への逃避
3 いわゆる「将来木」について
4 枝打ちの危険性
第3章 間伐と枝打ちの生態学
1 森林は隙間だらけ
2 林分総葉量一定の法則
3 間伐するなら集約的な「定性収入間伐」を
4 列状間伐は劣情間伐
5 《上層枝打ち》もありうる
第4章 乾燥の重要性──ヨーロッパ材が吉野まで来る理由
1 木材の良さは乾燥材なればこそ
2 伐採の機械化、運材と貯木の陸上化が乾燥工程を省略した
3 無乾燥材の致命的欠陥
第5章 東濃檜物語
1 東濃檜はなぜ天下一の銘柄材になれたのか
2 東濃檜はあくまでも「製品銘柄」
3 東濃檜の教訓
第6章 「分裂せる市場」構造
1 「貧困の価格」か「価格の貧困」か
2 流通の「蛸壺」化による「一物多価」現象
3 「多種目少量」を「少種目一括」に《変圧》できない流通
4 「そんなに材は集まらない!」
第7章 秋田の国有林で見たこと
1 秋田杉問題
2 実際の国有林は《分国有林》
3 「ノン・キャリア」組の難点
4 広域販売こそが要諦
5 ドイツ高等森林官の高い移動性
第8章 「盗伐問題」と「違法伐採」
1 入会とは何か
2 「林野官民有区分」の目的と実態
3 『夜明け前』悲劇
4 「国体」VS.「入会」
5 「違法伐採」・「合法木材」問題私論
第9章 木材栽培業から森林業へ──日本林業の発達的回生
1 日本林業起死回生策要綱
2 日本でも天然更新は容易
3 「焼畑林業」再考
4 有害動物≠フ林産物化
5 農業モデル化の弊害
6 梶本式立木乾燥法を起点とする乾燥システム
7 楽に伸びる国産材需要
8 日本森林業の主要産業化
9 里山私論
10 担い手の集団と担い手の養成
終章 「社会的市場経済」と森林業
1 「全ての国民に繁栄を」
2 なぜ「人間の顔を持つ資本主義」なのか
3 「社会的市場経済」に日本林業が学ぶもの
4 森林業は情報産業なのだ
あとがき──本書の思考様式的背景
1 ドイツ林業とは何か
「林業とは何か」で日本とドイツは、次元を異にするといってよいほど大きく違う。日本で林業というと、それは「木を伐って、その跡に木を植えて、またその木を伐る」ことだ。こうした林業をドイツでは「ホルツツフト」(木材栽培業)といって時代遅れの遺物とみなす。木材栽培業を超克することで誕生した近代ドイツ林業とは、第一に森林が具有する多くの機能を一つの単位森林(林分)から同時に発揮させることであり、第二にあくまでも自然の諸法則に則って森林を取り扱うことであり、第三にそれによって造成し育成される森林の形質と森林の利用の仕方とは極力自然に近いものである。以上要するにドイツでの林業とは「森林が持つ多機能の合自然的にして近自然的な利用」なのである。
このような林業概念の根底にある考えは森林を単なる樹木の集まりではなく、あくまでも生態系(エコシステム)とする認識である。だから林業とは人間社会と森林生態系との相互作用系といってよい。この相互作用系を換言すれば、人間(社会)を主体とし、森林(生態系)を環境とする大きな生態系=「人間―森林生態系」なのである。そして人間社会の基本的な構造と動態を考究するのが経済学(エコノミー)、生態系の基本的な構造と動態を考究するのが生態学(エコロジー)である。さらに人間社会も生態系も変動する。だから林業はすぐれて歴史的な営為である。そこで一八七八年(明治一一)にミュンヘン大学が生んだドイツ林学とその実践であるドイツ林業は経済学と生態学と歴史学を三本の柱とする。
また人間社会の森林に対するニーズも森林自体も多様かつ変動的だから、第一に林業を鋳型に嵌めること、林業をドグマで拘束すること、そして森林を一律に施業することを拒否する。その結果、例えば従来林業の大原則であった「木材収穫保続(持続可能な林業)原則」さえその影が薄まる。収穫保続は森林の生態学的健康の維持によって確保されるとするのだ。第二に林業の長期性のゆえの計画策定衝動、とりわけ長期計画策定衝動を抑制する。それは変動が余りにも大きいから人間にとって予測不可能な未来を、現時点の状況と価値観で予断してしまう危険と傲慢を犯すからだ。第三に同様の理由から林業に固定した目的を設定しないこと。第四に林業をあくまでも現場林業人の職務とし、《中央》が策定
した計画と指示に林業を服従させない。
かくして森林は小面積の混交林になる。施業も林木の一本一本をきめ細かく観察しながら丁寧に行う単木施業でもって林業が営まれる。材木伐採にしても、その時々の需要にマッチした林木であって、しかもその伐採が森林生態系に有益な、最低でも無害な林木を選木して行う。だから森林を何年生で伐採するかを定めない。また、木材収穫は連続的だから、最後の伐採を「主伐」とはせず、単に「終伐」とするし、間伐と択伐の区別も事実上なくなる。その結果、林業生産は時間的にも場所的にも分散して発生する多種目少量生産となる。これは森林の構造を「多状況柔軟即応態勢」型にすることでもある。
以上のことの論理必然的な帰結が「フリースタイル林業」なのである。このように従来の木材栽培業時代とは林業概念が大きく変化したので、その呼称も従来の「フォルストヴィルトシャフト」(「林業」)から、村尾が「森林業」と仮訳しておく「ヴァルトヴィルトシャフト」に改められた。
2 「ドイツ」とはどこだ
本書で「ドイツ」という時、それは狭義のドイツつまりドイツ連邦共和国のみを意味するのではなく、オーストリア、ドイツ系スイス、北イタリア(南チロル等)や今では東欧諸国に属する地域をも含んだ広くドイツ語圏全体を意味する。そして狭義のドイツ自体がすこぶる不均質なのだ。マイン川以南の南ドイツとマイン川以北の北ドイツとでは歴史・社会体質から言語・人情風俗まで異なる。とりわけミュンヘンを首しゅ邑ゆうとする南のバイエルンとベルリンを首邑とする東北のプロイセンとではまるで異国のようでさえある。「ドイツ人は几帳面で規則を守る」といった日本人が描くドイツ人像はプロイセン人に近い。バイエルン人は陽気で万事ルーズである。このようにドイツ連邦共和国という同一国家の中での顕著な相異がある一方、外国のオーストリアはバイエルンとまるで双子だ。ドイツ系スイスもバイエルンに近い。北イタリアはオーストリアのチロルとそっくりだ。
こうしたドイツ語圏の文化地理学的事情は林学・林業にも深く刻印されている。後述するカール・ガイアーからヨーゼフ・ケストラーにいたる不定形主義林業はミュンヘン気質ないし南ドイツ気風からこそ生まれえたといえよう。これに対して北ドイツの林業はおよそ異質なのだ。
3 ドイツにも山岳林がある
日本の林業人はドイツを平地だと思い込み、「だからあのような集約林業が営めて、しかもペイするのだ」という。しかしドイツには丘陵や山岳が少なくなく、さらには日本より高く急峻な箇所さえたくさんある。そして多くのドイツ林業は丘陵や山岳で営まれているのだ。
例えば北のハンブルクから南へ飛行機で飛んでみよう。ほんの暫くは平野だが、間もなくして窓の下には次から次へと丘陵、山塊、山脈が目に入ってくる。そしてオーバーバイエルンになると、それはもう立派に山国だ。首邑ミュンヘンは日本アルプスでいうと松本平に当たり、その南は広いアルプス前峰群が展開している。その先はアルプスの本体なのだ。それを越えるとすぐこれもまたアルプスの国チロルで、首邑インスブルックはさしずめ木曽谷の木曽福島といったところである。さらにその南には南チロルやドロミテの峨々たる巨大な山脈群が横たわっている。こうした高山の傾斜地こそが、近代ドイツ林業の典型である《ミュンヘン林学》を実践する集約型林業のホームグラウンドなのである。
4 日独林業の本質的違い
ドイツ林業と日本林業との本質的違いを地形等自然条件に求めてはいけない。それは、あくまでもプロの産業だが、日本林業は素人産業であるという一事に尽きる。ドイツの林業人は全員が体系的な職業教育制度で養成され、その成果が重い国家資格試験で認証された人びとである。したがって林業人の社会的・経済的評価が高い。それがまた多くの優秀な人材を林業に誘い入れる。日本では事情が全てその正反対だ。林業の職業教育は事実上存在しないから林業人の社会的・経済的評価も高くない。その結果、日本林業は質量両面での人材難に苦しんでいる。
こうした今の日本の事態はドイツでは近世的な人材問題だった。このような事態を打開したことで近代ドイツ林業は生成された。つまり近代林業を担うに相応しい人材の本格的育成によってはじめてドイツ近代林業は誕生し、成長して今では「森林業」にまで発達したのだ。とすれば日本林業の起死回生のために是が非でも為すべきことは、人材育成なのである。だから日本林業にとっての最大にして最重要な"設備投資"は人材育成なのだ。
そして森林業の経済論理は「社会的市場経済」である。これがいう「社会的」とは要するに「全国民の繁栄を」を基本目標とした「人間の顔を持つ資本主義」ということである。それはまた統制経済を忌避し、かつエトス(経済倫理)のある市場経済に最力点を置く。だから高性能の商品流通を具備することが森林業の一大要件なのである。これを換言すれば、森林業とは需要と供給との最適マッチングを実現する、膨大な情報を処理する産業であることを意味するのだ。
ドイツトウヒなどの針葉樹の途上国型一斉造林による、「森林栽培業」を大きく転換して、
森のめぐみをていねいに引き出す、「総合森林業」へ大変身を遂げたドイツ林業とドイツ林学。
現代ヨーロッパの、ベスト&ブライテストが集う人材育成の仕組みづくりこそ、その変身の鍵であったことを、ミュンヘン大学で教鞭をとったこともある著者が、生き生きと描きます。
19世紀、ドイツロマン主義運動が花開いた、ドイツの森と人間社会の歴史をひもとき、かつては、「卑しい職業」とドイツで蔑まれていた林業従事者が、最も人気と尊敬を集める職業に変わっていった様を描く本書は、将来の興隆する日本林業の姿を鮮やかに浮かび上がらせます。
スギ、ヒノキだけでなく、広葉樹を含めた美しい日本列島の森に関心を持つ市民と、森林育成、運営に関心を持つ実務家にとって示唆に富む内容になっています。