| 清和研二+有賀恵一[著] 2,200円+税 A5判並製 224頁 2017年4月刊行 ISBN978-4-8067-1535-1 「雑木」と呼ばれてきた66種の樹木の、 森で生きる姿とその木を使った家具・建具から、 森の豊かな恵みを丁寧に引き出す暮らしを考える。 |
清和研二(せいわ・けんじ)
1954 年山形県櫛引村(現鶴岡市黒川)生まれ。月山山麓の川と田んぼで遊ぶ。
北海道大学農学部卒業。東北大学大学院農学研究科教授。
北海道林業試験場で広葉樹の芽生えの姿に感動して以来、樹の花の咲き方や種子の発芽、さらには種子の散布などについて観察を続けている。
近年は天然林の多種共存の不思議に魅せられ、その仕組みと恵みを研究している。趣味は焚き火。
著書に『多種共存の森』『樹は語る』(以上、築地書館)、編著・共著に『発芽生物学』『森の芽生えの生態学』(以上、文一総合出版)、『樹木生理生態学』『森林の科学』(以上、朝倉書店)、『日本樹木誌』(日本林業調査会)などがある。
有賀恵一(あるが・けいいち)
1950 年長野県伊那谷に建具職人の長男として生まれる。
高校時代は山形県の飯豊山の麓の巨木林の中にあった基督教独立学園で過ごす。
帰郷後、父の元で10 年間建具の修行を経て、有賀建具店を継ぐ。
今までムダだと言われてきた木や端材を使い、100 種以上の木を集め、数年間乾燥させたのち、多種多様な木の個性を生かして、家具・建具からキッチン、ドアまで家に関わる内装を手掛けている。
口絵
はじめに
水辺に生きる
カツラ/サワグルミ/ニレ/ケヤキ/カシワ
ハンノキ/オニグルミ/エノキ
大きな攪乱地で生きる
ヌルデ/カバ/ネムノキ/アカシデ
老熟した森で生きる
トチノキ/ハリギリ/ヤマザクラ/イタヤカエデ/ミズナラ
タモ/シナノキ/ナナカマド/ミズキ/ブナ
コシアブラ/ツバキ/ニガキ/アズキナシ/ハクウンボク
シウリザクラ/カクレミノ
森の隙間で生きる
コブシ/ホオノキ/マユミ/アサダ/キハダ
クワ/オノオレカンバ/ウルシ/エンジュ/ミズメ
サンショウ/ケンポナシ
里山で人と生きる
クヌギ/クリ/コナラ/ヤマナシ
つる
クズ/サルナシ/ヤマブドウ
針葉樹
サワラ/カラマツ/アカマツ/カヤ/イチイ
果樹
リンゴ/ナシ/カキ/ミカン/ウメ
外来種
メタセコイア/ニセアカシア/サルスベリ/チャンチン/スズカケノキ
ヒマラヤスギ/イチョウ/キリ
コラム
コラム1 共存の森 混じり合う樹々(清和)
コラム2 老熟林の風景 数の多い木と少ない木(清和)
コラム3 十把一絡げの雑木 燃料か紙か(清和)
コラム4 無残 巨木の森が単純林に(清和)
コラム5 尾鷲のヒノキ林 元祖日本の林業(清和)
コラム6 大好きな「神代木」(有賀)
コラム7 遷移に身を任す 人工林の崩壊と再生(清和)
コラム8 杢いろいろ(有賀)
コラム9 自生山スギ天然林 ブナと共存する森(清和)
コラム10 スギ林から広葉樹を産す 林業は安定した生態系で(清和)
コラム11 ブナ一本を使い尽くす 枝も捨てない、燃やさない(清和)
コラム12 役立たずの木を残す キツツキやムササビのため(清和)
コラム13 森林棄民 (清和)
コラム14 太い木は伐らない 木の実を動物たちに(清和)
コラム15 馬搬 優雅な立ち振る舞い(清和)
コラム16 成熟を促す抜き切り インターネット土場で極相を目指す(清和)
コラム17 草木塔 木の命を山の神にいただく(清和)
コラム18 「くだものうつわ」 果樹は二度おいしい(清和)
コラム19 製材と乾燥 (有賀)
コラム20 樹の命の輝き (清和)
あとがき
用語集
参考文献
森の樹々に想いを寄せる人たちは多い。奥地の森に分け入り巨木の前に立つ。めくれた樹皮の厚さに驚き、触れた幹の質量に圧倒される。見上げれば太い枝が緑の樹冠に吸い込まれている。
分厚い緑から漏れる陽の光は優しい。深い森で、何百年も生き続けてきた樹木に会うと、地球はずいぶんと美しい生き物、「樹木」を創り上げたものだと思う。
しかしながら、古来、巨樹は伐(き)られ続けてきた。神社仏閣や城郭を建てるため、巨木から順番に伐られてきた。青森三内(さんない)丸山の縄文遺跡の柱は直径一メートルを超えるクリが多用された。出雲大社の本殿には1.3メートルほどの柱を三本束ねた巨大な柱が使われていたらしい。法隆寺の中心柱は芯去り材の直径60センチのヒノキだ。多分、原木の直径は2メートルをゆうに超えていただろう。その後も巨木たちは伐り続けられ大伽藍(がらん)が造られていった。しかし、しだいに樹木への崇敬の念が薄れていき、巨木で造られた大建造物は、単なる権勢誇示に使われていった。したがって、戦(いくさ)のたびに焼かれた。
巨木は無尽蔵に出てくるものではない。針葉樹の天然林を伐り尽くし、奥山の広葉樹の巨木にまで手をつけたのはつい最近、第二次世界大戦後のことである。伐り尽くせるだけ伐ってはみたものの、日本には広葉樹で造られた大建造物が何か残っているだろうか。木工が大きな産業に育っただろうか。
一方、庶民は裏山の雑木を使った。家の周りに植えた木も使った。牛小屋も作業小屋も、母屋ももちろんすべて木でできていた。土台や柱、長押(なげし)は通直にしたが、梁は曲がったままの木を使った。屋根を縛るのも丈夫な細い枝を使った。囲炉裏や窓枠なども雑木だった。千歯扱(こ)きも鍬や鎌の柄なども、茶の間や台所の引き出しもそこに入れる茶碗や箸にもさまざまな種類の樹木を使った。材を薄く割り、つるを集め、籠を編んだ。繊維を取り衣類を織った。さまざまな種類の木々の特性を生かし、曲がった木も、細い木・枝も使った。したがって、木々の材質だけでなくその生態もよく知っていた。どこに生えているのか、伐っても萌芽再生するのか。伐り過ぎたらどうなるのか。今植えたらいつ使えるようになるのか。生活に欠かせないので、なくなっては困るからである。多分、裏山には巨木はなくとも多種多様な木々があった。薪(まき)を伐り炭を焼き、住食衣の多くを裏山の木々に頼って生きてきた。さまざまな日本の木工芸の発展は庶民の手工芸の延長であったのだ。
近年、奥地林も里山も、広葉樹の森から斧や鋸(のこぎり)、チェンソーの轟音(ごうおん)が消え去って久しい。ようやく、木々も少しずつ太りつつある。奥地のブナもミズナラも、里山のコナラやクヌギも少しだけ太くなってきた。今、再び、広葉樹資源の利用といったことがあちこちで聞こえ始めている。さて、どうしたものだろう。奥地林を伐り尽くしたときと同じ轍(てつ)を踏むわけにはいかない。
木で作られたモノは見て美しく触って心地よい。そして住んでも落ち着く。木の家を建て、木の家具・建具を揃えたい。そう思う人は多い。木々でできたものを身近に置くことは健康にもよさそうだし、なにより日々の生活が楽しくなる。しかし、木の良さがわかったので、欲しい分だけ木を伐るといった考えは安易に過ぎる。需要が増えたからといって、森を裸にしたり、太い木から伐っていくのは歴史を繰り返すだけだ。森の生態系にも地球環境にも良いはずがない。そんなことは小学生でも気づいているし、ほとんどの大人はわかったような気になっている。しかし、現代人は森から遠く離れて住んでいるため森で起きていることへの想像力?を失っている。
木々を使う人たちは木々が育った森の姿に想いを寄せる必要がある。この木はどこで生まれ、何年かかってここまで大きくなったのか? この木を伐った後、森はどう変わってしまうのか? 製材屋さんも家具・建具屋さんも、そして新しい家具を揃えた新婚さんも子どもにオモチャを与えた父さんも母さんも、心を巡らさなくてはいけない。森の歴史や、森でこれから起きるであろう出来事を想像しながら、木の製品を手にするのである。無垢の材の色合いを見るとき、樹冠一面に咲かせていたであろう花の色合いを思い浮かべる。そして、なめらかな木肌に触れるときは、軽やかに空を飛んでいくタネの姿を思い浮かべてみよう。小さな芽生えが地上に顔を出し、何十年、何百年もかけて大きくなっていく。その時間を、樹の来し方を思い浮かべること。これが、樹の命に敬意を払うことにつながるのである。本書は、樹々の美しさを、森で立っている姿と挽(ひ)かれた板の両方から想像できるようにと書いたものである。
我々庶民の生活はもっと木を使ったほうが「豊か」になるだろう。しかし、木を伐ることで裏山や奥地の天然林が再びみすぼらしくなるのはもうゴメンである。木を伐ることによってむしろ、森が充実したもの、健康なものになっていくことができれば、最高である。しかし、森が豊かになるような木の伐り方などあるのだろうか。そんなことは可能なのだろうか。
答えは存外簡単である。そのヒントを教えてくれたのが本書の共著者、有賀恵一さんである。有賀さんは100種以上の広葉樹を利用して家具や建具を作っている。無垢材としては見向きもされないシデ類・ウルシ・ヌルデなども使っている。ブドウやクズなどのつるも、役目を終えた果樹や街路樹までも利用している。普通は捨てられ燃やされているものまで大事にする。無垢材に挽き、長い間、野外で乾燥させる。辛抱強い下ごしらえがさまざまな樹種の利用を可能にしている。本書にはその秘訣が満載である。有賀さんは細い木や曲がった木も無駄にしない。ありとあらゆる木々の色合い、手触りを楽しんでいる。できあがった家具や建具にはさまざまな木々の色模様が溶け込んで豊かな風合いを醸し出している。まるで一つの森が現れたかのようである。
本来一つの森にはたくさんの樹種が共存している。世界中の自然林は放っておけばしだいに多くの樹種が混在するようになる。もちろん、種の数は熱帯林で多く、北方林では少ない。同じ東北でも太平洋側のブナ林では多くの樹種が混じり合うが、日本海側ではブナが優占し単調に見える。それでも、それなりに複雑に混じり合うのが自然の遷移の方向である。有賀さんは自然に逆らわない。それぞれの地域の自然が創った多様性を余すことなく、そして自在に使っている。
多種共存は森の摂理である。しかし、それに反して人間が単純な林を作ると大きな反作用が来ることが多い。たとえば、100種もの樹種が共存する天然の森を伐り、スギ、ヒノキ、カラマツ、アカマツ、トドマツなど特定の針葉樹だけを植えてみよう。一種だけでできている人工林を長い間放置すると、病虫害が大発生し、台風、豪雨、豪雪などでしばしば林全体が崩壊する。崩壊しないまでも、周囲の生態系には大きな悪影響を及ぼす。自然林が本来もつ治山、治水、水質浄化機能が大きく減退し人間の生活環境は悪化する。野生動物も住むところを追われる。このような単純林の機能劣化は、混み合いを放置した管理不足のせいではなく、生態系が単純化したことによるものだということを、近年の研究は示唆している。
森林は木が生えていれば良いものではない。今、多くの山地は壊れる寸前の不安定な生態系を抱えている。しかし、もし有賀さんのように多様な樹木に価値を認め、利用が進み、その個性に高い対価を払うことになれば、森の多様性を復元する原動力になるであろう。本書の主旨はここにある。多様な樹種の利用を進めることによって、多種共存の森を復元し、山間地に人が戻り、安定した収入を得て住み続けることができるようになればと願って書いたものである。
本書には66種の樹木について、それぞれの森での姿と家具・建具になったときの姿を絵と写真で紹介している。66の樹種は森の中での立ち姿が想像できるように、森の中のどんなところに住んでいるのかで分類した。水辺林、大きな攪乱(かくらん)地、老熟した森、森にできた小さな隙間(ギャップ)などである。また、人間が生育場所を決めている樹
種は別にした。たとえば里山で利用されることによって維持されてきた樹、人工林として植えられてきた針葉樹、外来種、さらに果樹などである。これまで板材としては利用されてこなかったツルも入れた。にぎやかな章立てとなった。
また、コラムとして、多種が混じり合うようになる天然林の仕組み、消滅した巨木林の残影、人工林の現状と未来、そして森を扱い樹を伐るときの心遣いなどを短く書いた。この辺のことをさらに詳しく知りたい方は拙著『多種共存の森』(2013)と『樹は語る』(2015)(いずれも築地書館)をご参考ください。
本書は清和と有賀の共著である。清和は樹木や森の生態について絵を添えながら書いた。有賀は家具・建具や材の写真とともに、木材の仕入れ・製材・乾燥から、地中に埋まっていた神代(じんだい)と呼ばれる材や材に出る杢(もく)について書いた。さらに、木を扱うときの想いも述べている。樹々の立ち姿と加工された板の姿の両方を見比べていただきたい。
清和研二
長野県・伊那谷の美しい景色の中に、有賀建具店の工房はあります。
半世紀にわたって100種類の樹を使って家具・建具をつくってきた有賀さんと、
北海道、東北の森で暮らし、樹木の生き様を研究してきた清和さんに、
これからの日本列島で、樹を育て、使っていく豊かな暮らしとは、どのようなものかをそれぞれ、語っていただきました。
読者が、清和先生と森に入って、樹を抱きしめたくなる本、有賀さんの伊那谷の工房を訪ね木製品に触れたくなる本を目指しました。
日本列島の森林の美しさと、一本一本の樹から森のめぐみをいただくことを、日々の暮らしの中で実感できる本になっていればと思います。