| トーマス・シーリー[著] 小山重郎[訳] 2,400円+税 四六判上製 192頁+カラー口絵8頁 2016年5月刊行 ISBN978-4-8067-1515-3 古代より、ハチミツを採るために、人類はミツバチを追いかけてきた。 そこで、今回、ミツバチ研究の第一人者のシーリー教授が、 ミツバチを追いかける「ハチ狩り」を、老若男女が楽しめるスポーツとして現代によみがえらせた、そのノウハウを大公開。 ミツバチに魅了され、ハチ達と40年遊びつくした著者が、ハチ狩りの面白さと醍醐味をあますことなく伝える。 各章末のコラムでミツバチの生態を詳しく解説。 |
トーマス・D・シーリー(Thomas D. Seeley)
1952 年生まれ。米国ダートマス大学卒業後、ハーバード大学でミツバチの研究により博士号を取得。現在コーネル大学生物学教授。
野生ミツバチの社会行動に関する生態学研究の世界的第一人者。ミツバチの尻振りダンスを発見し、
ノーベル賞を受賞したミツバチ行動学者、フォン・フリッシュ教授の孫弟子にあたる。
著書に『ミツバチの生態学』(文一総合出版1989)、『ミツバチの知恵』(青土社1998)、『ミツバチの会議』(築地書館 2013)などがある。
コハナバチ科の新種のハチ Neocorynurella seeleyi は著者にちなんで命名された。
小山重郎(こやま・じゅうろう)
1933 年生まれ。東北大学大学院理学研究科で「コブアシヒメイエバエの群飛に関する生態学的研究」を行い、1972 年に理学博士の学位を取得。
1961 年より秋田県農業試験場、沖縄県農業試験場、農林水産省九州農業試験場、同省四国農業試験場、
同省蚕糸・昆虫農業技術研究所を歴任し、アワヨトウ、ニカメイガ、ウリミバエなどの害虫防除研究に従事し、1991 年に退職。
主な著訳書に『よみがえれ黄金(クガニー)の島──ミカンコミバエ根絶の記録』(筑摩書房)、
『530 億匹の闘い──ウリミバエ根絶の歴史』、『昆虫飛翔のメカニズムと進化』、『IPM 総論』、
『昆虫と害虫──害虫防除の歴史と社会』、『母なる自然があなたを殺そうとしている』(以上、築地書館)、
『害虫はなぜ生まれたのか──農薬以前から有機農業まで』(東海大学出版会)がある。
まえがき
第1章 ハチ狩りとは
ヘンリー・ソローとハチ狩り
ハチ狩人になる
はじめてのハチ狩り
小さな友達を追って生物学の部屋1
生物学の部屋1 野生のミツバチの群れの数
第2章 ハチ狩りの道具
ハチ箱
その他の必需品
あると便利なもの
生物学の部屋2 砂糖蜜にアニスのエキスで匂いをつける理由
第3章 ハチ狩りのシーズン
シーズンの始まりと終わり
流蜜の前後が狙い目
生物学の部屋3 流蜜のピークに起こること
第4章 ハチの飛翔ルートを確かめる
狩りのスタート
キャッチ&リリース
飛び立つのを待つ
方向を見定める
生物学の部屋4 巣の仲間を呼び寄せる方法
第5章 巣までの距離
不在時間を測る
不在時間と距離の関係
私のビギナーズラック
ハチ狩人修業の道
移動、移動、また移動
生物学の部屋5 ミツバチの飛ぶ速さ
第6章 ハチ道をたどる
ハチの木に到達できるか
逆方向に飛ぶハチ達
ハチ達と知恵比べ
スマートなやり方
生物学の部屋6 ルートの見つけ方
第7章 ハチの木を探せ!
あらゆるところを見る
1時間か、それとも3年か
ドローンを投入
3年ぶりの発見
ハチ狩りに失敗する時
生物学の部屋7 ミツバチ達のすみかの探し方
第8章 ハチの木を奪ってはならない
二つのものが奪われる
価値ある野生のミツバチ
生存者は繁栄する
生物学の部屋8 野生のミツバチの群れを手に入れる方法
索引
写真一覧
訳者あとがき
ミツバチの人気は、ここ数十年間うなぎ上りである。そこで今こそ、この素晴らしい生き物を楽しみとする人々のために、
養蜂以外の第2の道が提供されるべき時である。この本の主題は「ハチ狩り」と呼ばれる野外スポーツである。
「養蜂家」は彼らが提供する巣箱の中に棲むミツバチの群れを管理するのに対して、「ハチ狩人」は木の空洞やミツバチが選んだ他の場所に棲む群れを探しだす。
ハチ狩人は群れを探すために、まず野生のミツバチを花の上で捕まえることから始める。
それにはハチ達を、アニス[セリ科の植物]のうっとりするような匂いをつけた砂糖蜜の小さな宝物に餌付けする。
次に、ハチ狩人はハチ達が巣に向かって飛ぶ経路から彼らの秘密の巣への方角を見定める。
そして、砂糖蜜の餌をハチ達と共に次第に動かして、彼らが家に飛ぶ方向──ハチ道をたどっていく。最後に、ハチ達の秘密のすみかに焦点を合わせる。
そこは木の空洞や古い建物、あるいは捨てられた巣箱だ。
これは、全て特別な技術のいるもののように思われる。そのため、人はミツバチ狩りが自分にもできるものだろうか?
と疑うにちがいない。答えはイエス。ミツバチ狩りの成功のためには、世界中の真に魅惑的な他のゲームと同様に、面倒な道具がいらない。
しかし、ある特別な技は必要である。
この本は、ミツバチ狩りのための簡単な道具を手に入れ、技術を組み立てる方法の手引書である。
ハチ狩りは、簡単なスポーツではないが、自然の中で時を過ごすのを楽しむ人であれば、
根気と決断力が磨かれて、その上、宝探しのスリルを存分に味わうことができる。
ビーラインニング[ハチの追跡]としても知られるハチ狩りは、ヨーロッパ、北アメリカ、中東、そしてアフリカで広く行われてきた。
実際、それは人類の歴史と同じ位に古くからある「追跡」である。
狩猟採集民として現在まで生きてきた人類は、ミツバチの巣を探し、群れと蜜を奪って食料としてきた。
おそらく、野生のミツバチを追跡し、その巣を見つける方法について最も早く記述しているものは、
西暦1世紀、ローマ時代の農場主と農業について書いた著者によるものだろう。
著者は、ハチの養殖についてのこの本の中で、春にハチを捕まえ、彼らに蜜を与え、
そして彼らが「群れが隠れている場所」に帰っていくのを追跡するために1匹1匹放すまでを、楽しく述べている。
ヨーロッパの中では、ハチ狩りは特に東ロシアとハンガリーのような深い森のある地域で一般的に行われていた。
そこでは空洞のある木で養蜂をするにあたって、まずハチ狩りが必要であった。
森の養蜂家は1匹以上のハチを捕らえるためにさまざまな種類のハチわな──例えば、隙間に動かせる扉をつけ、
栓でしまる小さい開口部のある牛の角──を使い、その内側にはハチミツをぬりつけ、それから一時に1匹ずつ彼らを放し、
彼らが木の空洞にある巣に帰るのを追った。発見者は彼の所有権をその木の幹に刻みつけ、ハチの巣孔に到達するために、
木の幹に1つの窓を開け、定期的にその木に登り、いくらかのハチの巣板[蜜蝋で作られた6角形の巣房の集まり]を集めた。
北アメリカでもミツバチが1600年代のはじめにヨーロッパから導入されたあと、ハチ狩りが普及した。
北アメリカのハチ狩人は、野生の群れを見つけるために、ヨーロッパで何世紀も行われてきたのと同じ方法を用いた。
しかし、彼らは、見つけた群れから繰り返しハチミツを収穫することはあまりなく、その代わりに、
彼らはハチによって占められた木、「ハチの木」を切り倒してハチの巣を盗むので、しばしば群れを殺した。
ヨーロッパと北アメリカの両方で、1500年代から1900年代にかけて、養蜂場に置かれた巣箱による養蜂が次第に普及するにつれて、
ハチ狩りの重要性は次第に減った。はじめの頃の巣箱は、ミツバチが巣を作った空洞の木を切って、丸太のまま養蜂家が住居のそばに持ってきたものだった。
のちに、群れはこれらの丸太の巣箱から籠(ワラを編んで作った、丸屋根状の巣箱)あるいは単純な箱形の巣箱に入れられた。
1800年代後半に、養蜂家は彼らのハチを、取りはずせる木枠を入れた巣箱で飼い始めた。
この木枠は手際よくハチの巣板を支え、彼らの群れを綿密に管理できるようにした。
取りはずせる木枠の巣箱の発明によって、ハチ燻煙器[煙を出してハチをおとなしくさせる道具]、
採蜜用遠心分離機[巣板を壊さずにハチミツを分離する道具]やその他の現代的養蜂用具と共に、
養蜂場の巣箱の中の群れは管理できるようになり、野山の木々の間に散らばっている群れを狩るよりも、ハチミツを得るのがはるかに簡単になった。
そこで、今では、ハチの木を見つけたハチ狩人は、ハチの木を「奪って」切り倒し、ハチの巣を取り出すために大鎚で楔を打ち込み、
ハチミツで満たされた巣板を切り出す必要はなくなった。彼は黄白色の巣板で満たしたバケツを重そうに持つかわりに、
別の種類の甘い獲物を持ち帰ることができる。その「獲物」とは、日当たりのよい野原に座り、餌付け場から巣に帰ろうと飛び立つミツバチを見つめて、
彼らの謎のすみかを発見するために空の道をたどるという素晴らしい「思い出」である。
ハチを傷つけないで残すハチ狩りは、極めて楽しいハイキングの1つである。狩りは最も古い人間の活動の1つである。
そして、野生動物を狩ることは、ごく最近まで1つの素晴らしく価値のある人間の性質であったにちがいない。
私がハチ狩りに行く時、獲物を追跡するスリルを確かに感ずる。実際、ハチ道をたどってさまざまな冒険をしたあと、
森に棲むハチの群れに近づき、遂に木の巣の中に飛び込むハチの翅のきらめきを見つけた時、
私はいつも成功……大勝利の舞い上がるような感覚を経験する!そのあと、私は自分の家に向かう。
私は、ハチの木を傷つけず、ハチの群れを邪魔することなく残したために、その日でかける時よりもハチミツを多く持っているわけではない。
「やった!」の瞬間の目もくらむような歓声のあと、長引くかんばしい成功の感覚と共に、より静かな、しかし同じように楽しい感覚がジーンと来る。
それは、ハチを傷つけなかったことへの満足感である。
ハチ狩人は、野生のミツバチが隠れ棲む家を発見する最高潮の喜びの感覚だけでなく、他の報酬も楽しむ。
その1つは、巣箱を作る木工細工、地図とコンパス[方位磁石]を照らし合わせる面白さ、ハチの木を見つける野外運動、
そして、これまで誰もできなかったことが、うまくできたという喜びである。もう1つの報酬は、仲間に奉仕し、
調和の中で共に働くように進化した生き物を見つめることからくる、穏やかで平和な感覚である。
全ての養蜂家は溢れるほどの巣箱を開け、数千の住人──1匹の女王、彼女の娘たち(働きバチ)、
と息子たち(雄バチ)──が共に平和に生きているのを見る時にこの感覚を味わう。ハチ狩人もまた、ハチ達の調和のとれた統一性を感じる。
そして同様に、野生バチが巣板の上で並んで動かずに止まって、彼が提供した砂糖蜜を飲んでいるのを観察する時、静かな満足を感ずる。
彼らは豊富な餌を前にして、押しのけたり、争ったりすることはない。彼は砂糖蜜に、
はじめは一握りの数の餌採りバチを導くが、最初のハチが、ハチ狩人が提供した贈り物を収穫するのを助けてもらうために巣の仲間を募集すると、
この僅かな数のハチが、1時間余りで、しばしば数十から数百匹に増える。この小さい昆虫が、草の種よりも小さい脳を持ちながら、どのようにして、
それほど効果的に助け合うことができるのだろうか?
そして、彼らの家とハチ狩人の餌場の間の1.6キロメートル以上もの丘と平地を横切って行ったり来たりする時に、彼らは、なぜ迷わないのだろうか?
ハチ狩りをする誰もが、じかにハチ達の努力を見ることができる。それは神秘的であり、特に彼らの交信と航行能力は驚くべき自然の賜物である。
ハチ狩りに行く者への最大の報酬は、帽子に止まった1匹のハチを見つめ、この驚くべき6本脚の美しいものが、私たちの惑星に花を咲かせ実りをもたらすのを、
ゆっくり考えられることである。また、他の者にとって、ミツバチの野生の群れを狩ることの最大の喜びは、
身体と精神の両面でわずらわしい物事へのこだわりから逃れられる素晴らしい方法だということである。
ある週末の朝、野の花に満ちた日当たりのよい野原にいて、餌から飛び去るハチ達を目で追いかけ、彼らが間もなく帰ってくる姿を思い浮かべる時、
日頃の仕事や、その他の個人的なストレス、よい事も悪い事も大事な事も取るに足らない事も容易に忘れられる。
なぜならば、この惑星の上で、最も驚くべき生き物であるハチが全注意力を鷲掴みにするからだ。
人々の頭の中にあるミツバチについての懸念は、これらの魅惑的な昆虫は小さく可愛いけれども、人に猛烈なパンチを浴びせるということであろう。
そこで、ハチ狩りの間に刺される危険があるのではないかと疑われるにちがいない。
ハチ狩人が砂糖蜜の餌を見張り、観察する間、ハチ達は彼のまわりでブンブンいうであろう。
これは、このスポーツの初心者をおびえさせるだろうが、私はハチが餌採りをしている間には刺される危険はないと強く述べることができる。
ハチ達は彼らに無料のランチを振る舞う人間に対して、全く友好的である。彼らは、もし天敵のスズメバチに襲われた時には、これを排除しようと戦うだろう。
しかしハチ達はハチ狩人を刺すいかなる理由も持っていない。そして、私は約40年のハチ狩りの中で1度も刺されたことがない。
折り畳みの椅子のひじかけの上で休んでいる1匹のハチの上にむきだしの腕をおろすとか、
顔の近くを飛んでいるハチをピシャリと叩くというような不注意なことをした時にのみ人は刺される。
初心者にとってそれは信じられないように見えるだろうが、そういうことさえなければ、実際上ハチ狩りの間に刺される危険はない。
ハチ狩りについて最初に強調すべき、もう1つの常識がある。これは男性と女性の両方にとって同じように楽しく、ふさわしいスポーツだということである。
この本の中ではハチ狩人を「彼」と呼ぶが、これは単に読みやすいようにしているだけである。
それ故、この本の「彼」、「彼に」、「彼の」はまた「彼女」、「彼女に」、「彼女の」を含むものである。
この本は、ハチ狩りスポーツへの案内であると同時に、私は会うことはできなかったが、ミツバチの野生の群れをいかにして見つけるかを教えてくれた、
一人の紳士に対する私の感謝の気持ちをあらわすものである。その技によって、
ミツバチが自然の中でいかに生きているかについての私の科学的研究は大いに助けられた。
その人はジョージ・H・エドゲル(1887─1954)である。彼はハーバード大学の教授で、ボストンのファインアート美術館の館長であり、
建築学の歴史に関する3つの画期的著作の著者である。これらは全て素晴らしい業績である。
けれども、私の彼に対する感謝は、むしろ控えめに行われた著作に対するものである。
彼は『ハチ狩人』と題したハチ狩りについての小さい本を晩年の1949年に出版した。彼はその時まで、ハチ狩人としておよそ50回の夏を過ごし、
1954年に亡くなったわずか2年後に、私が生まれた。だから、当然、彼と私は別々に仕事をした。
しかしもし同じ時代に生きていたら、きっと一緒に仕事をしたことであろう。
私たちは共にニューイングランドとニューヨークの木の繁った丘でハチ狩りをして、幾ダースものハチの木を見つけた。
私たちはまた共に、ハチ狩りについて小さい本を書くことによって、この技術について学んだことを分かち合ってきた。彼が万年筆で最後の修正をし、
『ハチ狩人』のタイプされた原稿を私が見たということは、奇跡である。
ところで、この原稿はコーネル大学のマン図書館の地下特別収蔵庫の中に保管されている。最後に、私は極めて特別な『ハチ狩人』の本を持っている。
これは、エドゲル博士が1950年頃にカール・フォン・フリッシュ[オーストリアの動物行動学者]が有名なミツバチの尻振りダンスを解読したすぐ後に、
彼に与えたものである。このダンスは餌採りに成功したハチが巣箱に戻って彼女の餌採り仲間に、
甘い蜜や新鮮な花粉を持つ花をどこで見つけたらいいかを教える行動である。
この特別な本の最初の頁には、エドゲル博士が次のような献辞を書いている。
「カール・フォン・フリッシュ博士へ。1人のアマチュアからの偉大な科学者への尊敬をもって。G・H・エドゲル」。
フォン・フリッシュ教授は彼の死の少し前の1982年に、1番弟子のマルティン・リンダウアー教授[ドイツの動物行動学者で、この本の著者の師]に
この本を手渡し、教授はその後、2002年に私にこの本をくれた。私はおそらく2022年に、これをコーネル大学の図書館にあずけ、
マン図書館の特別収集物の一部となるであろう。そうすれば、オーストリア─ドイツ─アメリカと世界をめぐったこの『ハチ狩人』の本は、
愛すべき「幼虫時代」であるエドゲルの記した原稿のそばで最も快適に落ち着くことだろう。
エドゲルによる『ハチ狩人』と、本書の他に、ハチ狩りの活動を述べたさまざまな本がある。
あるものは、ジェームズ・クーパーによる『樫の穴』(1848)と、クリストファー・ブラントによる『ハチ狩人』(1966)のような小説である。
これらの物語本には、いかにハチ狩りが行われるかについて極めて単純な記述がある。
それはおそらくハチ狩りについての、また聞きか孫引きだからであろう。この主題のノンフィクションは沢山あり、
その中にはジョセフィーヌ・モースによる『ハチ道を追って』(1931)、アンドリュー・J・スミスによる『アパラチア年代記』(2010)がある。
また、決してハチ狩りに行ったことのない人々によって書かれたものにも悩まされる。彼らが述べた方法に従っても誰もハチの木を見つけることはできない。
一方、実際にハチを狩り、ハチの木を見つけた著者によって書かれた数多くの本がある。
その中にはジョン・S・バロウズによる『鳥とハチ』(1875)、ジョン・R・ロッカードによる『ハチ狩り』(1908)、
ジョージ・H・エドゲルによる『ハチ狩人』(1949)、そして、ロバート・E・ドノバンによる『野生ハチを狩る』(1980)がある。
私の本はこのグループに入る。なぜなら、ニューヨークとニューイングランド、さらにタイのジャングルに覆われた山地のようなはるかな土地での、
さまざまな場所におけるほぼ40年にわたるハチ狩りの経験に基づいているからである。何年もかけて、私はミツバチの50以上の野生の群れを追跡してきた。
ベテランのハチ狩人によって書かれた小さい本のキラ星のような群れの中で、私の本が、
頼りになる「ハウツー[手引き]」本にとどまらず「ハウカム[どうして?]」本であることによって明るく輝くことを望みたい。
言いかえれば、ハチ狩りの方法を述べる他に、各章の終わりの「生物学の部屋」の中で、ミツバチがハチ狩人を彼らの家まで案内する時の、
めざましい行動の技について、生物学者たちが学んだことを報告しよう。つまり、私はハチ狩りを行うにあたっての「いかに」と「なぜ」を示したい。
ニューヨーク州イサカ
トム・シーリー
セイヨウミツバチはヨーロッパとアフリカが原産であるが、人工的な巣箱による養蜂がはじまってからは、
人の手によってユーラシア大陸全域と南北アメリカに広がった。従って、この本が扱っている北アメリカの野生のセイヨウミツバチは、
導入後、野外に逃れたハチが野生化したものである。
人類は、はじめ野生のミツバチの狩りをしてハチミツを得ていたが、やがてもっと容易に蜜を得られる養蜂の技術を手に入れ、
野外でのハチ狩りは廃れていった。それは、動物の家畜化によって皮や肉を得るための狩りが廃れていったことと同じである。
しかし、今でも動物の狩りは一種のスポーツとして地方に残っている。
著者のシーリー氏は、野生のミツバチにおいても、この狩りを復活させたいと考えて、この本を書いた。
この本の最初に出てくるハチ狩りをしたヘンリー・デイビッド・ソローは、
1817年にアメリカ、マサチューセッツ州コンコードに生まれ、ハーバード大学を出たあと、郷里にもどり文筆家となった。
彼は当時のアメリカの文明生活に疑問を持ち、
1845年にコンコードから2、3キロはなれた森の中のウォールデン湖(本書ではウォールデンポンド)のほとりに小屋を建て、
2年2ヶ月の間、自然の中で極めて簡素な生活を送った。その記録は1854年に『森の生活』(飯田実訳:岩波書店)にまとめられ、多くの人に読まれた。
ソローは生態学と自然保護運動のアメリカにおける先駆者としても高く評価されており、著者は彼から大きい影響を受けているように思われる。
シーリー氏は、アメリカのニューヨーク州イサカに住み、小学校3年生のとき学校に来た養蜂家の話を聞いて以来、ミツバチに関心を持ち、
高校生のときに将来はミツバチを研究する生物学者になろうと考えるようになった。そしてドイツのミツバチ学者であるリンダウアー教授の指導も受けながら、
40年以上も研究して世界的に著名なミツバチ行動学者になった人である。そのリンダウアー教授は、ミツバチの尻振りダンスを発見し、
ノーベル賞を受賞したオーストリアのミツバチ行動学者フォン・フリッシュ教授の弟子である。
したがってシーリー氏は、フォン・フリッシュ教授の孫弟子にあたる、根っからのミツバチ学者である。
シーリー氏の著書は日本ですでに3冊、『ミツバチの生態学』(大谷剛訳:文一総合出版)、『ミツバチの知恵』(長野敬・松香光夫訳:青土社)、
『ミツバチの会議』(片岡夏実訳:築地書館)が翻訳されている。
シーリー氏は、はじめ野生のミツバチの巣が野外でどれくらいの密度で存在するのかという研究上の興味から、ハチ狩りをはじめたのであったが、
苦労してハチの棲む木を見つけた時の、天にも昇るような喜びから、しだいに、その魅力にのめりこんでいった。
そして、40年余りの間に、アーノットの森での28個の巣をはじめ、それ以外のアメリカ東部の諸州やヨーロッパの国々でハチ狩りを続けた。
その結果、ミツバチの巣のための適当な木のある場所で、適切な時期に試みるならば、誰にでもハチ狩りをすることができると考えて、
このハチ狩りの手引書を書いたのである。もっとも、彼のような大学の研究者で比較的自由な時間があり、
アーノットの森のようなよいフィールドを近くに持った人でなければハチ狩りは難しいことかもしれない。
ハチ狩りのイメージを得るには、日本の、愛知県、岐阜県、長野県などで行われている「スガレ追い」がよいだろう。
「スガレ」とはクロスズメバチのことで、このハチは土の中に巣を作るが、その幼虫と蛹は煮付けたり、ご飯に炊き込んだりして珍重される。
しかし、土中の巣は見つけにくい。そこで働きバチがガの幼虫などを捕まえて肉団子にして巣に持ち帰る習性を利用する。
そのために、カエルの肉などに白い真綿を縛り付けてハチに与え、その真綿を目印にして林間を飛んで帰るハチを追跡して巣を発見するのである。
巣は煙で燻してハチをおとなしくした上で掘り出す。
ミツバチの場合には、本書で詳しく述べているように、花に蜜を集めに来た餌採りバチをハチ箱で捕まえて砂糖蜜を与え、
このハチが巣に戻るのを追って木の空洞などに作られた見つけにくい巣に到達するが、いずれも虫の行動を利用した採集法である。
ただ、シーリー氏のハチ狩りは、ハチミツを奪うのが目的ではなく、その追跡の過程を楽しみ、発見したミツバチの巣は敬意をもって見守られる。
これは、釣り人のキャッチ&リリースにも似た境地であろう。
ハチ狩りの方法は人類が試行錯誤の結果で到達したものであろうが、著者はそこにミツバチ行動学の知識を加えて、
これをより効果的な方法へと改良している。本書では、こうした知識が、「砂糖蜜にアニスエキスの匂いをつけるのはなぜか」、
「流蜜の時期を避けるのはなぜか」、「ハチはどのようにして仲間に餌の場所を知らせるのか」、「ハチはどのようにして目標を見つけるのか」、
「ミツバチはどんな形の巣穴を好むか」などについて「生物学の部屋」の中で詳しく述べられている。
それでは、著者の方法を使って日本でハチ狩りができるのであろうか。
日本の山林には在来種のニホンミツバチが棲んでいる。このミツバチの最初の記録は『日本書紀』にあり、江戸時代には養蜂が盛んに行われた。
しかし、セイヨウミツバチのような「ハチ狩り」の記録は見当たらない。明治10年頃に、アメリカ経由でセイヨウミツバチの養蜂が導入されて広がり、
ニホンミツバチの養蜂はあまり行われなくなったが、最近では、なかば趣味的なニホンミツバチの飼育が行われるようになっている。
私は今、仙台市北西部の丘陵地に近いマンションに住んでいるが、
1昨年、4月に近所を散歩している時に雑木林の間にニホンミツバチの巣箱が2、3個置いてあるのに気がついた。
入り口からは、セイヨウミツバチよりは体色が黒い成虫がしきりに出入りしていた。
それから1ヶ月後の5月に、マンションの立体駐車場の隅に1万匹ほどのニホンミツバチの分蜂群があらわれて、大騒ぎになった。
このハチは1晩ここで過ごしたあと、住人が刺されると危険だという管理者の判断で、防除業者によって殺虫剤を吹きかけられ、
電気掃除機で吸いとられてしまった。業者の話によれば、蜂の防除は、多くはスズメバチの巣の処分だが、
1年に1回ぐらいは、こうしたミツバチの分蜂群の処分も頼まれるという。
同じ年の9月に、今度は友人の紹介で、宮城県大衡村にあるニホンミツバチの巣箱を見に行った。
ここでも雑木林のそばに巣箱が置いてあったが、その近くの太い栗の木の根元ちかくの穴に、野生のニホンミツバチが多数出入りしていた。
ここでは適当な巣箱を置いておくと分蜂群が中に入るという。
ニホンミツバチはセイヨウミツバチにくらべて分蜂が頻繁に起こり、巣箱に定住しにくいが、病害虫に強く、生活力は旺盛である。
仙台のような都市の近くでも、意外に多数棲息しているようである。
したがって、ハチ箱による追跡をしなくとも、空の巣箱を置いて、分蜂群が入るのを待つのがよいであろう。
もしうまくハチが巣箱に入らなかったり、逃げたりした場合には、巣箱の条件をいろいろと変えてみるというゲームの楽しみもある。
ハチミツは9月頃に1回収穫されるが、さまざまな種類の花の蜜が混じっているので「百花蜜」と呼ばれ、独特の風味がある。
このように趣味と実益をかねて、野生のニホンミツバチをペットのように飼って楽しむのが、日本流の「野生ミツバチとの遊び方」ではなかろうか。
この本は、ハチ狩りについての手引書にとどまらず、野生のミツバチの巣を温存すべきであることについて最後の章で強調している。
その理由の1つは、野生の群れの持っている遺伝的多様性である。
家畜化されたセイヨウミツバチにはミツバチへギイタダニの媒介によるチヂレバネウイルスのような病気が発生しやすいが、
野生の群れは遺伝的多様性を持っているため、これに抵抗する個体群が発達してくる。この問題はミツバチにとどまるものではないであろう。
人類は多くの野生の動植物を栽培化し、その栽培面積を拡大し、野生生物の棲める領域を狭めてきた。
その結果、栽培動植物は一見繁栄しているように見えるが、その遺伝的多様性が低いため、病害虫などによる被害が増大している。
将来、役に立つ遺伝的資源としての野生の個体群の保全が大切であることを、著者はミツバチを例にして説いているものと思う。
訳語について、養蜂に関するものは、『養蜂技術指導手引書』(みつばち協議会)に従ったが、ハチ狩りについては、日本で行われていないことから、
「ハチの木」、「ハチ箱」、「ハチ道」等の用語は、訳者が勝手に造語した。もし、もっと適切な用語がふさわしいと思われる読者がおられたら、
ぜひご教示いただきたい。また、あまり一般的でない用語には[ ]内に簡単な解説を付した。引用文献は一般読者には入手しがたいと思い省略した。
2016年4月
小山重郎