| 清和研二[著] 2,400円+税 四六判並製 272頁 2015年6月刊行 ISBN978-4-8067-1496-5 老樹が語る、いのちを繋ぐ木々の気持ち―― 森をつくる樹木は、さまざまな樹種の木々に囲まれてどのように暮らし、次世代を育てているのか。 発芽から芽生えの育ち、他の樹や病気との攻防、花を咲かせ花粉を運ばせ、種子を蒔く戦略まで、80点を超える緻密なイラストで紹介する。 長年にわたって北海道、東北の森で研究を続けてきた著者が語る、落葉広葉樹の生活史。 |
清和研二(せいわ・けんじ)
1954 年山形県櫛引村(現 鶴岡市黒川)生まれ。月山山麓の川と田んぼで遊ぶ。北海道大学農学部卒業。
北海道林業試験場で広葉樹の芽生えたばかりの姿に感動して以来、樹の花の咲き方や種子散布の精妙な仕組みに驚きながら観察を続けている。
近年は天然林の多種共存の不思議に魅せられ、戦後開拓の放棄田跡に天然林を模して木々を植えながら暮らしている。
趣味は焚き火、野生の食物の採取と栽培。現在、東北大学大学院農学研究科教授。
著書に『多種共存の森』(築地書館)、編著・共著に『発芽生物学』『森の芽生えの生態学』(文一総合出版)、
『樹木生理生態学』『森林の科学』(以上、朝倉書店)、『日本樹木誌』(日本林業調査会)などがある。
序章
もの言わぬ樹々
樹のきもち
知らないことの無慈悲さ
樹は語る
生育場所ごとに──本書の構成
第1章 水辺に生きる
ハルニレ──春楡
おおらかな樹形
開拓の目標
美しい季節に舞う
うごめく蛾の幼虫
河畔の一斉林
山腹に孤立する大木
いつ発芽するかは親木が決める
巨木は川辺になく都会にあり
イヌコリヤナギ──犬行李柳
山間地の風景
華やかな開花
お母さんのがんばり
瞬きする間もない種子の出現
綿毛は道先案内人
小さな種子でも素早く成長
オニグルミ──鬼胡桃
のびのびと育つ
雌花の後に雄花が咲く木と、雄花の後に雌花が咲く木
雌雄異株への途上か
種子を散布する者たち
鈍く光りはじめた箪笥
第2章 明るい攪乱跡地でひたむきに生きる
シラカンバ──白樺
水色の空と白い幹
科学的な天然林施業の第一歩
受粉のために群れる
風に乗って旅立つべらぼうな数の種子
明るいところだけで発芽
ハンディキャップの克服
三つ子の魂百まで──年をとっても自転車操業
ケヤマハンノキ──毛山榛の木
傷口の縫合
攪乱地を渡り歩く
茶花
温度センサーが発芽を後押し
根粒菌
紅葉する気なし
川を豊かに
第3章 老熟した森で生きる
イタヤカエデ──板屋楓
春先に勝負を賭ける
秋の光も利用する
一斉に葉を開く
小さい子から順番に
花を咲かせてから葉を開く
花の秘密
臨機応変
たくましい老木
ウワミズザクラ──上溝桜
滑稽な花
鳥に種子を運んでもらう
ジャンゼン─ コンネル仮説に気づく
親の下では生き延びることができない
親から離れてはじめて大きくなれる
温帯林も熱帯林と同じ仕組み
稚樹の平たい樹冠
春出した枝を秋に落とす
「もったいない」は森の常識
この世の春
諦観──森の摂理にあえて逆らわない
春の山に浮き立つ
トチノキ──栃の木
巨木の群れ
巨大な種子
3尺玉の花火
かなりの頑固者──同じ振る舞いを一生続ける
老木の時間
奥山の味
ミズキ──水木
身近な木
湧き出た白い雲
赤から黒に熟す果実
樹種の置き換わり──多種共存の始まり
局所適応
真上から降ってくる恐ろしい病気
親から離れてギャップを待つ
真っ先にスギ林に進入──種多様性回復の先鋒
原生林を思い浮かべる
ミズナラ──水楢
熊がへし折った枝
ドングリは夜運ばれる
ドングリにやさしいネズミとそうでないネズミ
ドングリが大きくなったワケ
株立ちと原発と
いざというときのために根に溜めこむ
異論──ギャップ種か
北の極相種
第4章 森の中の隙間で育つ
ホオノキ──朴の木
100年寝過ごさないように
香り渡る大輪の花
茜色と朱色の果実
元気に萌芽
ツルアジサイと友達
クリ──栗
尾根に集う
熊棚──熊を留め置く
白っぽい木
蜂も人も喜ぶ遅い開花
花粉を選ぶ昆虫たち
マルハナバチのおかげ
ネズミを使って「ギャップ」に堅果を運ばせる
楽天家のクリと忍耐のミズナラ
なぜ、野生種のクリは栽培種より小さいのだろう
牛小屋の柱
巨木のやさしさ
おわりに
参考文献
索引
もの言わぬ樹々
原始の香りを湛えた巨木の森が、きわめてわずかだが、まだ日本にも残されている。一歩足を踏み入れると太い老木が空を覆うようにそびえ立っている。
沢筋のトチノキ、ハルニレなどは直径が1メートルを優に超えている。緩やかな斜面を少し登っていくと、ミズナラやブナ、クリなどの巨木が迎えてくれる。
下層に樹々は少なく視界を遮るものはない。広々とした空間に太い幹が神殿のように立っている。
カモシカが立ち止まってクロモジの葉をつまんでいる。ツキノワグマがミズナラの太い枝に登りドングリを食べている。
オオアカゲラが立ち枯れたブナに穴を穿ち長い舌で虫を絡めとっている。巨木たちは、黙ってさまざまな生き物たちの営みを見守っているかのようである。
樹々は静かに佇んでいるように見える。しかし、毎日のように森に通い観察を続けると生き生きとした普段の姿が少しずつ見えてくる。
大きく成長した樹木は、地上20メートルの樹冠に花を咲かせている。そこは人間たちの知らない天上の世界である。樹々たちの花は不思議に満ちている。
花の形も色も、雄しべや雌しべの配置も、咲くタイミングもさまざまだ。少しでも多くの良質な花粉を虫や風に運ばせ、そして迎え入れようとしている。
葉を並べ替え、枝の位置を整え、太陽光の獲得に余念がない。どれもこれも立派な果実が実り健康な種子が1つでも多くできるようにという親木の気持ちが表れている。
その気持ちがえも言われぬ美しさを醸し出している。
樹々はものを言わない。しかし、何かを話したそうにしている。特に果実をたわわに実らせている親木を調べていると、そんな気がすることがある。
どうも、樹々は種子を遠くに飛び立たせたがっているようだ。風に乗せて、鳥に食べさせて、ネズミやリスに咥えさせて子供を旅立たせようとしている。
しかし、なぜだろう。なぜ、種子は散布されなければならないのだろう。なぜ、子供を遠くに行かせる必要があるのだろう。
樹のきもち
長い間、森に通い続けていると、樹々が日々の想いをそっと教えてくれる。ふっと、そんな気がすることがある。
子をもつ親どうし、心配ごとを話してくれる仲になったのかもしれない。やはり、親の想いは樹も人間も同じだ。
「子供は無事に生まれてくるのか」「すくすく育つだろうか」「ちゃんと大人になって伴侶と巡り会うことができるだろうか」。
心配のタネが尽きない親木たちが口々に語ってくれるのは、「子供たちのためにさまざまな準備をしている」ということだ。
樹木の子供は親から離れたときから天涯孤独である。たいていの野生動物は子供が独り立ちできるまで親が見守っている。
タヌキでもイノシシでも子供を大勢連れて家の前の放棄田を横切っている。アカゲラも幼鳥に飛び方を教えていた。
バッタリ鉢合わせした母熊は子熊を守ろうとしてすさまじい勢いで威嚇してきた。
しかし、樹木の親は種子が散布されたときを境に、子供に手を差し伸べることはできなくなる。無防備な小さい種子や芽生えに立ちはだかる障害は尋常ではない。
種子が発芽し芽生えが大きく育って父親や母親になれるのは何十万分の一か何百万分の一、いや樹種によっては何千万分の一かもしれない。
だからだろう、親木は少しでも子供が大きくなれるチャンスが増えるような仕掛けを種子の中に埋めこんでいる。小さな種子の中に将来の成功の素を仕込んでいるのである。
種子が「ちゃんと発芽できるところに散布されるように」「芽生えが大きく育つ場所に辿り着けるように」
「チャンスが巡ってきたら寝過ごすことなく発芽できるように」。小さな種子には親木の溢れんばかりの気持ちが詰まっている。
親の愛情が詰まった小さな缶詰のような種子を何十年も、時に何百年も辛抱強く作り続けるのが樹木の親なのである。
親のもとを飛び出し、発芽した小さな芽生えは、自力で大きくなろうとがんばっている。親にもらったさまざまな仕掛けを使って住みやすい場所に降り立ち、
発芽する。しかし、そこには虫やネズミが口を開けて待っている。恐ろしい病原菌もたくさんいる。親がもたせてくれた養分は少ない。
一人でどのように生き延びていくのであろうか。芽生えたちの必死な想いを伝えてみたい。一つひとつの樹種によってその生きざまは多様だ。
どんながんばりを見せるのか、小さな芽生えの気持ちを代弁してみたい。
知らないことの無慈悲さ
小さな種子が直径1メートルを超えるような巨木になるには気が遠くなるほどの年月がいる。膨大な種子のほんの一握りしか親木になれないが、
巨木になれるのは、そのまた数百分の一か数千分の一にも満たないだろう。巨木の存在そのものが奇跡なのだ。それを我々はいとも簡単に伐ってきた。
樹々の苦労など少しも知ろうとせず、人間の生活の豊かさだけを求めてきた。しかし、人間は少しも豊かになっていない。
伐った巨木を使い捨てにしたからである。その証拠にさまざまな太い広葉樹を利用した文化は、今の日本にはほとんど残っていない。
わずかに痕跡を残すだけだ。
日本中の天然林で巨木が抜き伐りされた。同時に、広い面積の天然林を伐り尽くす「皆伐」が行われた。その跡地は放置されることもあったが、
多くはスギやヒノキなどの針葉樹が植えられた。しかし、人工林は手入れもされず放置された。
その結果、環境を保全する機能を大きく低下させ、林業も大きく停滞した。日本全国の川沿いに見られた水辺林も河川改修でほとんどが消滅し、
生き物の少ない単調な風景になってしまった。長く守られてきた先人の遺産である天然林の略奪や木材生産の効率化を目指した生態系の単純化は
森林自体を大きく劣化させ、崩壊させつつある。ひいては、人間の生存環境をも脅かしている。
このへんの事情は拙著『多種共存の森──1000年続く森と林業の恵み』(築地書館、2013年)に詳しい。
このような豊かな森林の消失や劣化を樹々たちはどう見ていたのだろう。身近に押し寄せるチェーンソーの音に、
「少しでも長く生きて、たくさんの子孫を残したい」と思いながら伐られていったのは間違いないだろう。
「どうせ伐られるなら、分厚い無垢材の柱や家具、建具などになって、木材として長く生きていたい」と思ったかもしれない。
しかし人間は、樹々の想いをおもんぱかることもなく無造作に伐り、愛着もなく使い捨てにしてきた。樹々の言葉が人間に届くことはなかったのである。
このような傾向に歯止めがかからないのはなぜだろうといつも考えてきた。もっとも根本的な原因は「樹について何も知らない」ことだ。
特に広葉樹のことはその生活(生態)などはもちろん姿形すら知らないものが多い。知らないから相手に共感も愛着もなく無下に伐ることに躊躇しなかったのだ。
30年以上も前のことになるが、太いヤチダモの前で営林署(今は森林管理署)の職員が自慢げに説明してくれた。「中はガッポ(空洞)だ。鉈で叩けばわかる」。
その後、叩いた木の脇に生えている芽生えを指し「この芽生えは何だ」と質問してきた。それはヤチダモだった。
立っている木が高く売れるかどうかはわかるが次世代の更新には考えが及んでいなかったのである。
その頃の林業者の知識はスギやヒノキ、アカマツ、カラマツなどの造林木に偏っていた。種子の採取から育苗、造林、そして伐採、搬出、
その後の製材、製品化、流通などに詳しい人はいっぱいいた。しかし、広葉樹の生態や天然林の機能について知る人はきわめて少なかった。
今でもあまり変わっていないだろう。多分、「知らないこと」が無慈悲な伐採と不合理な単純林化を進めてきたもっとも大きな、そして根本的な要因なのであろう。
樹は語る
今、森を再生しようとする動きがある。単純化し劣化した林を本来の多様な森に戻そう、水辺林をもう1度蘇らせようというものである。
このような試みは世界中で始まっている。そのためには、どこから種が飛んでくるのか、どのような場所で種子が発芽し芽生えが大きくなるのか、
を知らなければならない。どうしたら、水や空気をきれいにし、洪水や渇水を防ぐといった、いわゆる「生態系機能」を取り戻すことができるのか。
生態系機能を維持することと末永く木材を収穫することは両立するのか。さらに多くの野生の生き物と共存していけるのか。
それらをすべて満たす答えを出すために世界中で試行錯誤が始まっている。この目標を達成するには数十年、数百年かかる。
しかし、今から始めないと、いつになっても生態系機能の高い「多種共存の森」、すなわち巨木の森は戻ってこない。
そのためにもまずは、「樹のことをよく知る」ことから始めなければならない。
本書は、「成熟した森における樹々の日々の生活をよく知ることが、ひいては森を再生し樹々の命に敬意を払うことに繋がる」と念じて書いたものである。
樹々の日々の生活を知り、樹の気持ちに共感してはじめて、人間の生活も豊かになるのである。樹々がいかに苦労して生き残り、大きくなろうとしているのかを、
もの言わぬ樹々に代わってお伝えしたい。もちろんそれだけではない。樹々の日々の生活それ自体が汲めども尽きぬ興味に満ちている。
もの言わぬ樹々の語る「言葉」に耳を澄ませてみたい。
生育場所ごとに──本書の構成
この本は、日本の落葉広葉樹林で普通に見られる12種の樹木の「日常の生活」を絵で写しとったものである。花が咲き果実が成熟し、種子が散布され発芽し、
芽生えが大きくなっていく過程を描いた。樹木の「繁殖生態」とか「生活史」とでもいえば学問的に聞こえるが、人間でいえば結婚から赤ん坊の誕生、
そして子供が小学校に入り成人するまでをスケッチしたものだ。奥地林で出会った老樹の姿も描いてみた。
本書は12種の樹木を4つの「ハビタット」に分けて記述した。ハビタットとは樹木の「生育場所」「生活場所」のことである。
樹木が好んで生育する場所といってもよい。必ずしも最適な生育場所ではなく、押しやられてそこにいる場合もあるが、いずれにしてもある種の樹木が
「普通に見られるような場所」のことである。四つのハビタットとは「水辺林」「大きな撹乱地」「老熟した森林」「小さなギャップ」である。
「水辺林」に生育する樹木は洪水など河川特有の頻繁な撹乱に依存して更新する。水分の多い水辺環境に特に適応した樹種である。
「大きな撹乱地」に侵入する樹種は、山火事や地すべりなど大きな撹乱の後に更新する。
森林の植生遷移の初期段階に見られるのでパイオニア種とか遷移初期種と呼ばれる。同種で一斉林を作りやすい。
しかし、しだいに耐陰性の高い遷移後期種に置き換わっていき、「老熟して安定した森林」になっていく。
そこで更新する樹木は暗い森の中でも更新できる比較的耐陰性の高い樹種である。植生遷移の後期に更新してくるので遷移後期種とか極相種と呼ばれる。
さらに、成熟した森林では老木が枯れたり倒れたりし、森の中にぽっかり空いた明るい隙間、「ギャップ」ができることがある。ギャップができてはじめて更
新する樹木もある。
しかし、森の中で実際に観察していると、特定のハビタットだけに見られるようなものは少ない。
広く複数のハビタットにまたがって生育している樹木のほうが多い。本書では、主として見られる生育場所で分けた。
それもあまり人の手の入っていない老熟林や自然河川の観察結果から判断した。
普段、読者がよく分け入る里山とはかなりイメージが違うかもしれないのでご容赦願いたい。本書では、なるべく成熟した自然本来の姿をお伝えしたい。
先述したとおり、本書は私が自分の目で見てきた樹木の普段の生活、つまり生態的な特徴を「図譜」にしてまとめたものである。
北海道林業試験場や東北大学大学院農学研究科の生物共生科学研究室(分野)で研究したものを主体に書いた。
もちろん林業試験場で研究室の先輩を手伝ったり、教えていただいたりした際の知見も多く含まれている。
大学では多くの学生さんや同僚たちと一緒に研究したものである。本書では、ハビタットで樹種を分けてあるが、好きな樹からページをめくっていただきたい。