| ヘレナ・アトレー[著]三木直子[訳] 2,700円+税 四六判上製 344頁 2015年4月刊行 ISBN978-4-8067-1493-4 オレンジのふるさとであるヒマラヤ山麓の村から、 古代ローマ、ルネッサンス期フィレンツェのレモン庭園、シチリア島のブラッドオレンジ―― ゲーテの詩作から、イギリス海軍、香水産業まで。 ヨーロッパ文化に豊かな残響を届け続ける柑橘類の文明史をイタリアの明るい陽光のもとで香り高く描く。 巻末には、柑橘類にまつわる年代記やイタリアの見どころガイドなど30ページにおよぶ付録付き。 数々の受賞に輝くサンデータイムス・ベストセラー、待望の日本語版。 |
ヘレナ・アトレー(Helena Attlee)
イタリアを旅し、イタリアで働いた経験を足がかりに、イタリア史における柑橘類栽培の歴史や、
イタリアのガーデニング・庭園設計についての著書を多数出版、雑誌への寄稿も多い。
日本の庭園に関しても造詣が深く、2010 年には"The Gardens of Japan"を出版した。
イタリアをはじめとして、世界各地で歴史をふまえたガーデンツアーガイドを多数開催している。
三木直子(みき・なおこ)
東京生まれ。国際基督教大学教養学部語学科卒業。外資系広告代理店のテレビコマーシャル・プロデューサーを経て、1997 年に独立。
海外のアーティストと日本の企業を結ぶコーディネーターとして活躍するかたわら、テレビ番組の企画、
クリエイターのためのワークショップやスピリチュアル・ワークショップなどを手掛ける。
訳書に『[魂からの癒し]チャクラ・ヒーリング』(徳間書店)、
『マリファナはなぜ非合法なのか?』『コケの自然誌』『ミクロの森』『斧・熊・ロッキー山脈』『犬と人の生物学』『ネコ学入門』(以上、築地書館)、
『アンダーグラウンド』(春秋社)、『ココナッツオイル健康法』(WAVE 出版)、他多数。
序章 レモンの香り
第1章 奇妙な果実――ルネッサンス時代のトスカーナ州の柑橘類コレクターたち
コラム 教皇の食卓
第2章 黄金の林檎――分類学の大混乱
コラム アマルフィの一日
第3章 ヨーロッパで一番の日当たり――「恋人たちの青白い顔のような」シチリア島のレモン
コラム 抗壊血病薬
第4章 黄金の鉢いっぱいの苦いレモン――シチリア島西海岸のとてつもない富
コラム シチリア島のマーマレード作り
第5章 夕日に染まるオレンジ――エトナ山の陰にブラッド・オレンジあり
第6章 出来の悪い子――甘やかされたリグーリアのキノット
コラム ザガラの甘い香り
第7章 頑なな狂気――ガルダ湖畔のリモナイア
コラム イブレアのオレンジ合戦
第8章 緑の黄金――カラブリアと、世界一高価な柑橘類
第9章 比類なき収穫――リヴィエラ・デイ・チェドリで
訳者あとがき
巻末付録 柑橘類を知る情報ノート
柑橘類年代記
イタリアの見どころ
注釈
参考文献
索引
飛行機の切符が高すぎるものだから、イギリスから遥々イタリアまで行くのに、船や列車を使うのが当たり前だったときのことを私は覚えている。
いったんパリまで行ってしまえばあとは楽だった――そこからフィレンツェとローマまでは、
パラティーノという寝台列車が夜の間に運んでくれたからだ。私が初めてそうやって旅をしたのは35年以上前のことである。
夜が明ける頃、息苦しい寝台客車のカーテンの端から外を覗くと、列車はすでに国境を越えていた。
それはリグーリア海岸沿いのヴェンティミーリア近くのどこかで、駅のホームの脇にはレモンの木があった――深い色の葉と明るい色の果実、
背景には海があるだけ。その木々を、そしてそれらが周囲の景色に生命を吹きこみ、
いかにも英国的な私の目にそれがどれほど異国情緒たっぷりに映ったかを、私は一度として忘れたことがない。
そのときは知らなかったのだが、ヨーロッパ北部からの旅人は、昔からイタリアの柑橘類の木々にいたく感動したようだから、
私の反応もしごく当然のことだったのだ。寓話で有名な、デンマークの作家であり詩人だったハンス・クリスチャン・アンデルセンは、
1833年にイタリアを訪れたが、初めて柑橘類の果樹園を目にした彼の反応は、歓喜と嫉妬の入り混じったものだった。
それは今でも、もっと寒くてイタリアほどロマンチックでない国からの旅行者の心にイタリアが引き起こす感情だ。
「美しい海と、見渡す限りのオレンジとレモンの森を想像してみてくれ」と彼は友人に宛てて書いている。
「いたるところオレンジとレモンだらけだ。モクセイソウとアラセイトウはまるで雑草みたいに生えている。いやあまったく!
僕たちは北国で何と不公平な扱いを受けていることだろう、ここが、こここそが天国だよ」。
陽光あふれるイタリアの詩的なイメージは、第一次世界大戦後のイギリスではことのほか強烈だった。
兵士たちはピカルディやフランダースの凍りつくような塹壕から、
地中海と言うと思い浮かぶ官能的で快楽主義的なライフスタイルを夢に見ながら戻ってきたのである。
オズバート・シットウェルは、暗い戦争体験の解毒剤としてシチリア島を選び、その旅のことを、1925年に出版された
『Discursions on Travel, Art and Life〔随想――旅、芸術、人生〕』に書いている。その中ではオレンジが、
地中海地方について彼が愛したものすべての象徴として登場する。彼は言う。
「(オレンジが)育つところには、最高の気候と、この上なく美しいヨーロッパの建物がある」。
そして、列車がパレルモ近郊の、オレンジの果樹園を分けて進むと、彼はこう言っている。
「木の全体に、意匠があり、バランスがあり、幾何学的な意図とまとまり、そして無駄のない適切な色使いがあって、
ほとんど芸術作品と言うにふさわしい」。D・H・ロレンスは一度も兵役に服したことがなかったが、戦後の一時期、自らの意思で国外生活を送った。
「野蛮なる巡礼」と呼ぶその旅で、1920年から1922年までをシチリア島で過ごしたのである。
シチリア島の風景を官能的に描いた短編『太陽』の中で彼は、柑橘類の木とその果実を何度も何度も描いている。
憤りと鬱憤を抱えるアメリカ人の女主人公ジュリエットは裸で「暗いレモンの地下世界」をさまよい、生まれて初めて、自らの自由と官能を見出すのである。
初めてレモンを目にした数年後、私は学生としてイタリアに戻った。住むことに決めたシエナが位置するトスカーナ地方の冬は、
柑橘類の木々が通年屋外で育つには厳しすぎたけれど、街なかの邸宅の日当たりの良い中庭や、田舎の大きな別荘の正面にあるテラスに、
鉢植えのレモンが置かれているのをよく見かけた。冬、それらの鉢植えの姿が見えなくなるのは、専用の建物で、
リモナイアと呼ばれるレモン・ハウスに収容されたからだということを知った。
初め私は、イタリア人にとっては柑橘類の木など、イギリス人にとって林檎がそうであるように、ごく当たり前のものなのだろうと思っていた。
だが私のイタリア語が上達するにつれ、柑橘類の木と果実は、イタリア人の心象において特別な位置を占めているのだということに気づいた。
ガリレオが、それによって1632年に異端の咎で有罪判決を受けることになる『天文対話』を書いたとき、彼はオレンジを使って、
人間が周囲のものにつける値打ちがバラバラであることの不条理さを示してみせた。「宝石、銀、金を貴重なものとよび、
地や泥をまったく卑しいものとよぶこと以上に愚かなことが想像できるでしょうか」と彼は書いている。
「このような人びとは、もし地が宝石や貴金属ほどに稀少であったならば、小さな鉢にジャスミンを植え、またシナの蜜柑の種子を播き、
これが芽生え成長し、あんなに可愛い葉を出し、あんなに匂う花を咲かせ、またあんなにすばらしい実をみのらせるのを見るために、
ただそれに足りるだけの土をうるために、喜んで多くのダイアモンドとルビーと荷車4台の黄金とを費やさないような王侯はないだろうということに、
どうして思いつかないのでしょうか」
柑橘類に思いを残したまま、私は大学の最終年次のためイギリスに戻った。
イギリスでは、1925年にエウジェーニオ・モンターレ(20世紀のもっとも重要なイタリア詩人の一人)が発表した詩、
『I Limoni』が、私のイタリアへの郷愁をいっそう強くした。モンターレが描くレモンは、
ハンス・クリスチャン・アンデルセンを憤慨させたあのロマンチックな木々でもなければ、D・H・ロレンスが描く情熱的で官能的なシチリア島の風景でもない。
そうではなく、それは、轍が途切れた何ということのない荒れ地の一角や、憂鬱な冬の市街の道路脇にあったりする。
それでいてその花(イタリア語ではザガラと言う)の香りは、この上なく荒涼とした平凡な風景さえも変貌させるのだ。
そしてそれは、限りなく貴重でありながら、すべての人が自由に楽しめる。
モンターレは言う―― qui tocca anche a noi poveri la nostra parte di ricchezza/ ed e l’odore dei limoni ――
「さあ今度は我々貧乏人が富の分け前をいただく番だ/レモンの香りを」。
私は長い間、著述家として、また庭園を巡るツアーの案内役として、イタリアの上流階級の庭園を基盤に仕事をしてきた。
そしてそのおかげで、庭園を飾る木としての柑橘類の歴史を追求するのはたやすかったのだが、興味が深まるにつれて、そうした植木鉢の木々は、
物語のほんの一部にすぎないのだということに気づいた。イタリア半島南端のカラブリア州に広がるベルガモットの果樹園から、
雪を戴くアルプス山脈を背景に建つレモン・ハウスに至る旅の中で、私は、柑橘類の木々とその果実が、イタリアの政治的、
社会的な歴史において抜本的な役割を演じてきたこと、イタリアでももっとも貧しい土地の一部に大きな富をもたらしてきたことを知った。
庭園の甘やかされた種とは違い、そうした土地の木々は広々とした大地に育ち、古代中国で「木奴」と呼ばれたオレンジのように、
「休まず働いて一族に富をもたらし続けた」のである。
柑橘類の働きぶりを知るためには、トスカーナ州、ラツィオ州、ウンブリア州の居心地のいいヴィラ〔訳注:一般に、郊外にある戸建ての邸宅を指す〕や
宮殿の庭園を後にし、イタリア南部で商業用に栽培される果樹園の木々の間に足を踏み入れて、そこで働く人々に会わないわけにはいかなかった。
私は、メッシーナ海峡をシチリア島へと渡った。シチリア島の東部、エトナ山の麓では、世界最高のブラッドオレンジが栽培されている。
西へ進むと、パレルモの町と山地、そして海に挟まれた奇妙な山間地に、オレンジ、レモン、そしてマンダリンの木々があった。
シチリア島やイタリア南部の果樹園の多くは、人里離れた、本当に辺鄙なところにあって、外国人が訪れることはまれだし、人々は方言しか話さない。
そういうところのオレンジの果樹園ではペンナイフを持っていると便利だということを、私はすぐに覚えた。
なぜならオレンジは大抵木にしっかりとしがみついていて、茎の部分を枝先から切り取らないと、果皮が破れてしまうかもしれないからだ。
またオレンジは、決して果樹園で皮を剥いてはいけないということも学んだ。行わなくてはならないある儀式があって、
農夫たちがペンナイフを持ち歩くのはそれも理由の一つなのだ。まず、片手の手の平にオレンジを茎のほうを上にして載せる。
それから水平方向に、オレンジを真っ二つに切る。新鮮なオレンジに含まれるたっぷりの果汁がほとばしり、香りが空中に炸裂する。
農夫は上半分を伸び放題の下草の中に放り投げる――オレンジの果実は、果汁も甘みも下半分の、茎から一番遠いところに集中しているからだ。
それから農夫は実を一切れ切り取り、ナイフの腹に載せて差し出す。私はイタリア中のいたるところでこのささやかな儀式に参加したが、
それはいつでも不思議なほど心動かされるもので、その親密さを満喫した――昔、誰かが私のタバコに火を点けてくれるのが大好きだったように。
もぎたてのオレンジの味に敵うものなど何もない。
この本はどんな本か、と訊かれても、一言で答えるのは難しい。柑橘類の自然誌であり、自然科学の本であることは確かで、
レモンやオレンジというごくごく身近な植物とその果実について、ちょっとした物知りになれる。
だが、これは同時に歴史書であり、紀行文であり、旅のガイドでもある。エッセイ集として読んでも十分面白い。
訳していてこれほど楽しい本には、正直なところなかなか出会えない。
各章を訳しながら、北はオーストリアやスイスに近いガルダ湖畔やフランスと国境を接するイタリアン・リヴィエラから、フィレンツェやローマの街並み、
そして南はシチリア島やカラブリア州まで、私はいまだ訪れたことのないイタリアのあちらこちらを、著者とともに旅している気分だった。
地理的に、だけではない。ルネッサンス時代のフィレンツェにいたかと思えば、移住したユダヤ人によって最初の柑橘類が持ちこまれた1世紀のカラブリア、
アラブ人が侵攻した9世紀のシチリア島、アマルフィ・レモンが作物として定着した12世紀のサレルノ湾沿岸へと時代を遡り、
そうかと思えば、英国海軍が壊血病予防のためにシチリア島からレモンを買いつけるようになり、
続く柑橘類ブームがきっかけとなってマフィアが誕生した19世紀へ、そして伝統的な柑橘類産業を守り、改革し、
次代に引き継ごうと努力する人々が生きる現代のイタリアまで、著者は時代と空間を自在に行き来する。
その一章一章に描かれる物語の焦点や色調もさまざまだ。まるで、一枚また一枚、時代も主題も登場人物も違う、趣の異なった絵を見ているような気分にもなる。
それでいて読み終えてみれば、「柑橘類」という縦糸に、歴史や宗教や政治やサブカルチャー、おまけに料理のレシピまでを横糸にして織り上げた、
1枚の鮮やかなタペストリーを眺めているようでもある。そしてそこには、イタリアに対する著者の深い思いが織りこまれ、
単なる事実の記述にとどまらない情緒が感じられる。
本書の原題は『The Land Where Lemons Grow』という。レモンが育つ土地? 妙なタイトルだこと、と思ったこのフレーズが、
日本では 「君知るや南の国」として知られる一節であり、南の国とはイタリアのことだとわかったのは、本書を3分の1ほど読み進んだときだった。
耳にしたことのある方も多いのではないかと思うが、これは、イタリアを愛したドイツ人作家、ゲーテの小説『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』
に登場する詩の一部である。この小説はフランス人アンブロワーズ・トーマによって『ミニョン』という歌劇になり、
この詩は、主人公ヴィルヘルムに想いを寄せるサーカスの少女ミニョンが、故郷イタリアへの望郷をうたうアリアとなった。
ほかにもこの詩の歌曲は数十にのぼるといい、ベートーベン、シューベルト、シューマン、リスト、グノーほか、錚々たる作曲家たちが曲をつけている。
また、この詩の日本語訳も、堀内敬三訳、森鴎外訳をはじめ数多い。森鴎外の訳を紹介しておこう。
君知るや南の国
レモンの木は花咲き くらき林の中に
こがね色したる柑子は枝もたわわに実り
青き晴れたる空より しづやかに風吹き
ミルテの木はしづかに ラウレルの木は高く
雲にそびえて立てる国や 彼方へ
君とともに ゆかまし
この詩がこれほどに芸術家たちに愛され、日本でも親しまれたのはなぜなのか、本書の中で、ゲーテがいかにイタリアを愛していたかを知り、
その理由がわかった気がした。ゲーテは、イタリアを愛するあまり、イタリアの調香師ジョヴァンニ・マリーアがベルガモットの精油を使って創作した
「オー・デ・コロン」に布切れを浸して箱に入れ、その横で執筆した、と本書にはある。ゲーテだけではない。
ほかにも、モーパッサン、ディケンズ、D・H・ロレンス、アンデルセンといったヨーロッパの文豪たちが、
イタリアを旅した経験を愛おしそうにしたためた著書や手紙が紹介されている。森鴎外自身、アンデルセンがイタリアを舞台にして書いた『即興詩人』を、
10年という歳月をかけ、丹精込めて翻訳しているくらいだから、イタリアへの憧憬があったと考えても不思議はない。「君知るや南の国」という一節には、
そんな憧憬の想いが集約され、読む者の心にもそれが伝わるのではないだろうか。
著者のヘレナ・アトレーは英国人で、若いときからイタリア式庭園について学び、その文化と歴史について4冊の著作があるほか、
日本、ポルトガル、ウェールズ、カリブ海の庭園についても著書がある。インテリアデザインやガーデニング愛好者の雑誌への寄稿や国内外での講演のほか、
イタリアをはじめ世界各地の庭園を訪れるツアーを開催している。また大学で学術論文の書き方を教えるほか、
戸外でのライティング・ワークショップも指導している。数十年におよぶイタリアとの繋がりの中で彼女もまた、数々の先人文筆家と同様に、
イタリアを愛し、その文化や歴史に深い関心をもつようになったのだということは、この本を読めば明らかだ。
そしてそんな彼女が、「君知るや南の国」というゲーテの詩の一節をタイトルに選んだのも、実に納得できることである。
インターネットは翻訳者にとっては実に便利な道具で、画像を検索すれば大概の著名なランドマークは写真で見ることができるし、
グーグルマップのストリートビューを使えば、行ったこともない土地を仮想散策することもできる。
翻訳中、イタリアの通りの名前や建物が出てくるたびに地図上でその場所を確認するものだから、何度も、しばし仕事を忘れ、
遠いイタリアの地をうろうろするのに夢中になった。ガルダ湖の西岸を走る道路は仮想ドライブにぴったりだし、シチリア島パレルモの街の路地を辿り、
八百屋の店先に並ぶレモンを見ることだってできる。だがもちろん、コンピュータの画面のそのレモンに香りはない。
イタリアの日差しの暖かさも感じることはできない。
この本を読んで、旅心をくすぐられない人はいないのではないだろうか。イタリア旅行といえば、
美術館や遺跡を見てまわるだけでも時間はいくらあっても足りない。でもこの本は、レモンやオレンジというごくごく身近な果物を窓にして、
今までどこでも見たことがなかったイタリアを垣間見せてくれる。今度イタリアに行くときは、この本をガイドに、
かつてイタリアン・マフィアが園主だった柑橘園をそぞろ歩き、キノットの砂糖漬けをほおばり、世界一のブラッドオレンジの搾りたてジュースを飲み、
ベルガモットの香りを胸いっぱいに吸いこもう、と私は決めている。
2015年2月 三木直子