| D.G.ハスケル[著] 三木直子[訳] 2,800円+税 四六判上製 336頁 2013年7月刊行 ISBN978-4-8067-1459-0 ピュリッツァー賞 2013年最終候補作品 リード環境図書賞、全米アウトドア図書賞を受賞 “科学と詩の間にあるネイチャーライティングの新ジャンル” ――エドワード.O.ウィルソン(ハーバード大学名誉教授) アメリカ・テネシー州の原生林の中。 1uの地面を決めて、1年間通いつめた生物学者が描く、 森の生きものたちのめくるめく世界。 草花、樹木、菌類、カタツムリ、鳥、コヨーテ、風、雪、嵐、地震…… さまざまな生き物たちが織り成す小さな自然から見えてくる遺伝、進化、生態系、地球、そして森の真実。原生林の1uの地面から、深遠なる自然へと誘なう。 原書のウェブサイトhttps://theforestunseen.com/ 著者のブログ「Ramble」https://davidhaskell.wordpress.com/ |
デヴィッド・ジョージ・ハスケル(DavidG. Haskell)
米ユニバーシティ・オブ・ザ・サウス(University of the South)生物学教授。
オックスフォード大学で動物学の学士号、コーネル大学で生態学と進化生物学の博士号を取得。
調査や授業を通して、動物、特に野鳥と無脊椎動物の進化と保護について分析を行ない、多数の論文、科学と自然に関するエッセイや詩などの著書がある。
また、South Cumberland Regional Land Trustの理事として、この本の舞台であり、E. O. ウィルソンが「自然の大聖堂」と呼んだシェイクラグ・ホローの一部を、買収し、保護する運動を起ち上げ、指揮した。
テネシー州セワニー在住。妻のサラ・ヴァンスとともに小さな農場を営み、ヤギを育て、ゴートミルクを販売している。
Cudzoo Farmのウェブサイトでゴートミルク配合の石けんを購入することができる。
三木直子(みき・なおこ)
東京生まれ。国際基督教大学教養学部語学科卒業。
外資系広告代理店のテレビコマーシャル・プロデューサーを経て、1997年に独立。
海外のアーティストと日本の企業を結ぶコーディネーターとして活躍するかたわら、テレビ番組の企画、クリエイターのためのワークショップやスピリチュアル・ワークショップなどを手がける。
訳書に『ロフト』『モダン・ナチュラル』(E.T.Trevill)、『[魂からの癒し]チャクラ・ヒーリング』(徳間書店)、『マリファナはなぜ非合法なのか?』『コケの自然誌』(築地書館)、『アンダーグラウンド』(春秋社)、他多数。
チベット僧が二人、真鍮製のじょうごのようなものを手に持ち、テーブルの上にかがみこんでいる。じょうごの先端から、色のついた砂がテーブルの上にこぼれる。一筋一筋、細い砂の流れが、制作中の曼荼羅に線を描く。僧たちは円形のパターンの中心から、基本の形を示す白墨の線に沿って線を描き、何百という模様の細部を記憶に頼って埋めていく。
ブッダを象徴する蓮の花が中央に描かれ、そのまわりを、華麗な装飾が施された宮殿が囲む。宮殿の四つの門が開いた先の同心円状の輪はさまざまなシンボルと色彩で描かれ、それぞれが、悟りに至る道の一歩一歩を表わしている。この曼荼羅は数日かかって完成したあと、掃き集められ、集められた砂は水の流れに投げこまれる。
曼荼羅にはさまざまなレベルでの重要性がある─それを作るために要する集中力、複雑さと統一性のバランス、デザインに組みこまれた象徴性。だがそうした性質のどれも、曼荼羅制作の究極の目的ではない。曼荼羅は、人生という旅路を、宇宙を、そしてブッダの悟りを再現したものだ。この小さな、砂でできた円を通して、宇宙全体が見えるのである。
隣では、アメリカの大学生の一団がロープの後ろで押し合いへし合いし、曼荼羅の誕生をサギのように首を長くして見守っている。いつになくおとなしい。僧たちの作業に夢中になっているか、その生き様のあまりの異質さが、彼らから言葉を奪ったのだろう。
学生たちは、生態学で最初の実習授業の始まりに、曼荼羅を見学に来ている。このあと授業は近くの森に移り、そこで学生たちは地面に輪を投げて自分の曼荼羅を作る。午後の残りの時間を、森のコミュニティの仕組みの観察と、自分の輪の内側の土地の調査にあてるのだ。サンスクリット語である mandala という言葉には「コミュニティ」という意味がある。つまりチベット僧と学生たちは同じ作業をしているのだ─曼荼羅について沈思し、精神を磨く。だが類似点は言葉や象徴するものの一致よりも深いところにある。
森の生態系がもつ物語は、曼荼羅と同じくらいの面積の中にすべて存在している、と私は信じているのだ。実際、七里ぐつ〔履けば一足で七里をまたぐという、おとぎ話に登場する靴〕を履いて大陸の端から端まで飛び歩き、結局何も見つけられないよりも、小さな面積についてじっくりと考えるほうが、森の真実がより明らかに、鮮やかに姿を現わすのである。
極小のものの中に普遍的なものを探す、というのは、ほとんどの文化の底流にあるテーマである。チベットの曼荼羅は私たちの手本となる隠喩ではあるが、こうした作品を生み出す文脈は西欧の文化にも存在する。
ブレイクの詩、「無垢の予兆」ではもっと極端に、曼荼羅は一粒の砂や一輪の花にまで縮小されて、「一粒の砂にも世界を/一輪の野の花にも天国を見」〔『対訳ブレイク詩集』松島正一訳、岩波書店〕とある。ブレイクの願望は、キリスト教の瞑想の伝統にもっとも顕著に表われる、西欧的神秘主義にもとづいている。十字架のヨハネ、アッシジのフランチェスコ、ノリッチのジュリアン、迷宮、洞窟、あるいは小さなハシバミ〔ヘーゼルナッツ〕の実─そのいずれもが、究極の現実を経験するためのレンズの役割を果たすのだ。
本書は、チベットの曼荼羅やブレイクの詩、ノリッチのジュリアンのハシバミの実が投げかける課題に対する、一人の生物学者なりの答えだ。葉や岩や水という、小さな沈思の窓を通して、森全体を眺めることができるだろうか? テネシー州の山中の原生林が作る曼荼羅の中に、私はこの問いの答えを、あるいは答えの端緒を見つけようとした。 *─ノリッチのジュリアンは一四世紀のイングランドの神学者。キリスト教神秘主義の系統に属し、幻視にもとづいて書かれた『神の愛の十六の啓示』(Sixteen Revelations of Divine Love)で知られる。幻視の中で、神がハシバミほどの大きさのものを「世界」であるとして示したとされる。
森の曼荼羅は直径一メートルちょっとの円形で、チベット僧によって作られ、そして流れ去った曼荼羅と同じ大きさである。曼荼羅の場所を選ぶため、私は森の中をでたらめに歩き、腰かけるのにちょうどいい岩が見つかったところで足を止めた。その岩の前が曼荼羅になったのだ。それは私がそれまで一度も見たことのなかった場所で、そこで何が見つかるかは厳しい冬の衣の下に隠されていた。
その曼荼羅は、テネシー州南東部の、森に覆われた斜面にある。そこから斜面を一〇〇メートル上がったところに砂岩の高い断崖があって、それがカンバーランド台地の西端にあたる。地面はこの断崖から階段状に低くなり、平らな部分と急斜面が交互に、標高三三〇メートル下の谷底まで続く。曼荼羅は、一番高いところにある台地の岩と岩の間に抱かれている。
ここの斜面は、オーク、カエデ、アメリカシナノキ、ヒッコリー、ユリノキ、そのほか十数種におよぶ多様な落葉樹の成木にすっかり覆われている。林床には浸食される断崖から転がり落ちた岩が散らばっていて、ともすれば足をくじきそうだし、平坦な地面がまったくなく、波のようにうねる岩を腐葉土が覆っているだけの場所も多い。
傾斜が急で足場が悪い土地であることが、この森を護ったのだ。山を下りると、谷床の肥沃で平らな土地には、牧場や農地を作るためにじゃまになる岩が比較的少なく、初めはネイティブアメリカンによって、それから「旧世界」からの入植者によって伐り拓かれた。
一九世紀後半と二〇世紀初頭に山の斜面を開墾しようとした入植者も若干いたが、それは過酷で無益な努力だった。こうした自作農家は密造酒で副収入を得、それがこの山腹の「シェイクラグ・ホロー〔「ぼろ切れを振る谷」という意味〕」という名前にもなった。町の住民がぼろ切れを振って酒の密造者を呼びよせ、そのぼろ切れに金を包んで置いておく。すると数時間後、金が一瓶の強い酒に置き換わる。
農作に使われていた小さな空き地や蒸留酒製造所だったところも、今では再び森の一部になっているが、かつて伐採されたところは、積み上げられた岩、古いパイプ、錆びついた洗濯用たらい、それにタンポポの群生などでそれとわかる。
それ以外の森の大部分は、特に二〇世紀の初頭に、材木や燃料にするために伐採された。だが、近づきにくいこと、運、土地所有者の気まぐれのおかげで伐採を免れた小さいスポットもいくつかあって、曼荼羅があるのはそのうちの一つだ。一万五〇〇〇坪ほどの原生林が、何百万坪の森に囲まれているのだが、周囲の森も、過去に伐採されたことがあるとは言え今ではすっかり成長して、テネシー州山岳地帯の森に特徴的な、豊かな生態系と生物学的多様性の大部分を保っている。
原生林はごちゃごちゃしている。曼荼羅から目と鼻の先の距離に、五、六本、腐敗の段階もさまざまな倒木がある。腐りかけの倒木は、何千種類もの生き物、菌類、微生物の餌になる。木が倒れたあとには林冠に穴が開き、若い木の一群が幹の太い高樹齢の樹の隣に生え、さまざまな樹齢の木がモザイクのように並ぶという、原生林の二つめの特徴を作る。
曼荼羅のすぐ西に、幹の根元の直径が一メートルあるピグナット・ヒッコリーの木が生えており、その隣には、倒れたヒッコリーの巨木が残したギャップにカエデの若木がかたまって生えている。私が腰かける岩の後ろには中年のサトウカエデがあって、その幹は私の胴まわりくらいある。この森にはあらゆる樹齢の木が生えている。植物のコミュニティが歴史的持続性を保ってきた証拠だ。 (*─林床の暗い森林にできた、林床まで光が差しこむ隙間のこと。)
私は曼荼羅の隣の、上が平らになった砂岩に腰かける。曼荼羅にいるときの私のルールはシンプルだ─頻繁に来て、一年間観察すること。静かにして、干渉は最小限に抑えること。生き物を殺さない、曼荼羅から持ち出さない。曼荼羅を掘ったり、這って入ったりしない。せいぜい時折、気をつけて触れるだけにすること。
いつ行く、という決まったスケジュールはないが、毎週毎週、私は何度もここで観察することにした。
この本では、曼荼羅で起きることを、起きたままに伝えていく。
私たちの文化と自然界の断絶が大きくなりつつあるのを今日の博物学者が嘆く、というのはよくあることだ。こういう愚痴には、少なくともある部分、私も共感する。企業のロゴマーク二〇個と、この地方で一般的に見られる動植物二〇種の名前を訊かれると、私が教える大学一年生はいつも決まって、企業の名前はほぼ全部言えるが名前を言える動植物はゼロに近い。これは私たちの文化圏に暮らすほとんどの人が同じだろう。
だがこれは今に始まったことではない。現代生態学と分類学の始祖の一人、カルロス・リンナエウスは、一八世紀の同国スウェーデン人の植物学的な知識についてこう書いている─「視ようとする者も理解する者もほとんどいない。この、観察と知識の欠如によって、世界は多大な損失を蒙っている」。ずっとあとになって、アルド・レオポルドは、一九四〇年代の世の中についてこう書いた。「現代人は、間に入るたくさんの人や機械によって土地から隔てられている。土地と生きた関係をもっていないのだ……戸外に一日放り出してみるといい、そこがたまたまゴルフ場だったり『景勝地』だったりしない限り、ひどく退屈してしまうから」。どうやら、熟練した博物学者というものは昔から、自分の暮らす文化が、最後に残されたその土地とのわずかなつながりをあわや失いかけている、と感じていたらしい。
二人の言葉はともに共感するところではあるが、同時に私は、博物学者にとってはある意味、今という時代のほうがよい時代なのではないかと思っている。
生き物たちのコミュニティに対する関心は、ここ数十年、いやひょっとしたら数百年なかったほどの広がりと強さを見せている。生態系の未来に対する懸念は、米国内でも国際的にも政治的関心事の一つだ。人間の一世代より短い期間に、環境保護に関する活動、教育、科学は、とるに足りないものから最重要分野へと成長し、分断された人間と自然のつながりをいかに回復するかということが、教育改革者たちのお気に入りのテーマになった。こうした関心のすべてはおそらくこれまでにはなかったもので、心強く思う─リンナエウスやレオポルドの時代には、一般の人たちの心情も、政府も、人間以外の生き物の生態を学ぶことに興味を持たなかったのだから。
もちろん、近年の私たちの関心は、先人たちの無頓着が私たちに押しつけた環境問題による、必要に迫られてのことだという一面はある。だがまた、人間以外の生き物に対する偽りのない関心や彼らの幸福を気遣う気持ちも、その動機となっていると私は思う。
現代社会は、さまざまな方法で博物学者の気を散らし、障壁を作るが、同時に目を見張らんばかりにさまざまな、有用なツールを提供する。一八世紀に古典『セルボーンの博物誌』を書いたギルバート・ホワイトが、一連の正確な野外観察図鑑と、花の写真やカエルの鳴き声にアクセスできるコンピュータと、最新の研究論文データベースを持っていたならば、彼の詳細な自然観察はより豊かなものになり、知識人としての孤独感は小さくなって、より深い生態学的理解を得られたかもしれない。もちろんそうなれば彼の好奇心がネット上の人工的な世界で浪費された可能性もあるが、ここで言いたいのは、自然史に興味のある人にとって、かつてのどんな時代よりも今のほうが、助けてくれるものがたくさんあるということなのだ。
私はこうしたものを使って曼荼羅という森を探索した。そしてこの本が、自分なりの探索を始める人たちを勇気づけてくれることを願う。原生林のこの小さな一角を観察できた私は幸運だった。これは希少な、恵まれた経験だ─原生林は、米国東部の土地の一パーセントの半分にも満たないのである。
だが、世界の生態系への窓は原生林だけではない。実際、曼荼羅観察の成果の一つは、私たちがある場所を大事にすればそれが素晴らしい場所になるのであり、何か素晴らしいものをもたらしてくれる「手つかずの」場所を見つける必要はない、と気づいたことだ。庭園、都会の木々、空、野原、幼齢林、郊外に棲むスズメの群れ─すべてが曼荼羅なのだ。それらを綿密に観察するのは、太古の森を観察するのと同様に有意義なのである。
人はみなそれぞれのやり方で学ぶものだから、そうした曼荼羅の観察のしかたについて私が提案するのはおこがましいかもしれない。けれども、私が経験から学んだことのうち、やってみたいと思う人に伝える価値があると思うことが二つある。
まず、期待は持たずに出かけること。興奮したいとか、美、自然の猛威、悟り、奇跡などを期待して行けば、明晰な観察をじゃまし、思考は落ち着きを失って曇ってしまう。五感を積極的に開放しておくことだけを望むことだ。
二つめの忠告は、瞑想のやり方を真似て、繰り返し繰り返し、意識を今この瞬間に向けること。私たちの意識はひっきりなしに彷徨ってばかりいる。そうしたらそっと連れ戻そう。そして繰り返し繰り返し、自分が何を感じているかを詳細に追究する─音の特徴、その場所に触れた感じや匂い、視覚的な複雑性。これは難しいことではないが、はっきりと意図して行なうことが必要だ。
私たちの意識の内容そのものが、自然の歴史に関して重大なことを教えてくれる。ここから私たちは、「自然」というのが私たちとかけ離れたものではないことを学ぶ。私たち人間もまた動物─生態学的・進化論的に豊かな背景をもつ霊長類である。注意を向ければ、私たちの中のこの動物をいつでも観察することが可能なのだ─果物、肉、砂糖、塩などに強い興味を示したり、社会的序列や部族、人脈に執着したり、人間の肌、髪、体の形の美しさに魅了されたり、常に何かに知的な好奇心や野心を持ったりする、といったことを。
私たちはみな、原生林と同じように複雑で奥の深い物語をもった曼荼羅の住人なのだ。さらに素晴らしいのは、自分自身を見つめることと世界を見つめることは対立する概念ではないということだ─森を観察することで、私には私自身がより明瞭に見えるようになった。
自分自身を見つめることによって気づくことの一つは、自分を囲む世界との一体感だ。生物が形づくるコミュニティの自分以外のものに名前をつけ、理解し、味わいたいという欲求は、人間らしさの一部である。生きた曼荼羅を静かに観察することは、こうして私たちが受けついだものを再び発見し発展させる、その一つの方法なのである。
『コケの自然誌』に続き、幸運にも、ネイチャーライティングの秀作を訳す機会をいただいた。ちょうど本書の翻訳原稿があがったころ、二〇一三年のピュリッツァー賞の発表があり、受賞こそ逃したものの、本書は「一般ノンフィクション」部門の最終選考に残った三作品の一つである。ニューヨーク・タイムズ紙やウォール・ストリート・ジャーナル紙をはじめ、メディアによる評価も高い。これほど高い評価を受けるのはなぜなのだろう。 一平方メートルという、ほんの畳半畳ほどの広さの原生林をつぶさに観察することを通して、森羅万象の不思議に思いを馳せる─そのこと自体を、初め私はそれほど目新しいことと感じなかった。でもそれはおそらく、私が日本人であるからなのだ、と思い至った。私たち日本人はそもそも、小さきものを愛でることが好きだ。盆栽も、箱庭も、苔玉も、縮小された自然であり、世界である。大きくて複雑なもののエッセンスを、小さなものに見出す、という行為が日本人は大好きなのだ。だから、この一平方メートルの土地に、それが存在する森全体が、そしてその森が存在する世界全体が存在している、と考えることに、(少なくとも私は)何の不思議も感じない。
また日本には、春夏秋冬という四つの季節だけでなく、一年を二四の節気に分け、さらにそれを三つずつの「候」に分ける、「七十二候」と呼ばれる季節の呼び名がある。もともとは中国のものが日本に伝わり、江戸時代以降、日本の気候風土に合わせて改訂が加えられたという。七十二候の各名称は、そのころ、天候や自然界にどんなことが起きるかを短文で表わしたもの。たとえば太陽暦の三月二五日から二九日ごろは「桜始開(さくらはじめてひらく)」。五月五日から九日になれば「蛙始鳴(かえるはじめてなく)」。秋、一〇月一八日から二二日ごろまでは「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」。そして節気で言えば大寒の一月二五日から二九日は「水沢腹堅(みずさわあつくかたし)」といった具合だ。なんと美しい世界の捉え方だろう。七十二候の名称には俳句の季語になったものもある。季語が成立したのは平安時代だが、さらに古く、万葉集の時代から、日本の詩歌と季節は切っても切り離せないものだった。つまりそうやって日本人は、昔から季節に寄り添うようにして暮らしてきたのだ。
本書の舞台となるテネシー州の森も、冬は雪に閉ざされ、春は花々が咲き乱れ、夏はホタルやセミが飛び交い、秋には落ち葉が地面を覆う、四季折々の変化が豊かな土地であることが本書からわかる。著者はここで、一年間、まさに移ろう季節に寄り添うようにして、彼が「曼荼羅」と呼ぶ森の中の小宇宙を観察し、読者もまた、一年間の季節の移り変わりを追体験することになる。
この場所を曼荼羅と呼ぶこと、またタオイズムや禅に再三言及していることからは、著者が東洋思想の影響を受けていることが明らかだ。また彼の文章が非常に詩的で、文学的な隠喩をちりばめたものであることも、詩歌に季節を詠みこんできた日本人との共通点を思わせる。ネイチャーライティングというジャンルが成熟しているアメリカで本書を際立たせたのは、まさにこの東洋的な(そして私たちにとってはあまりにも自然なことに思える)視点だったのではないのだろうか。
四季の移ろいを書き記すだけならそれは歳時記であるが、本書が単なる「英語で書かれた歳時記」ではないのは、著者の観察を裏づける圧倒的な科学的知見による。「蛙始めて鳴く」と観察するだけではなくて、蛙は「なぜ」この頃に鳴きはじめるか、それを解き明かすのが本書なのだ。鳥の飛翔の秘密、ホタルが光るメカニズム、森の植物同士のコミュニケーション……。まるで、パソコンのスクリーンに映し出された森の写真の、一輪の花を(あるいは一匹の虫を)クリックしたら、それに関する膨大な情報を提供する別のページに飛んだかのように、私たちが普段ごく当たり前に目にしているものの裏に、じつはどれほどの奇跡が隠されているかを鮮やかに見せてくれる。楽しい驚きの連続である。だから本書の真の価値は、自然という大きなものを曼荼羅という小さなものに縮めて見せた、そのことにあるのではなく、小さな曼荼羅を通して読者に見せてくれる世界の深さ、広大さにあるのだと思う。
さらにその科学的知見や観察された事象の解釈は、現代の動植物学の先端を行く、ときに一般的な科学の常識を覆すものでもある。シカの減少を食い止めるために人間がとってきたさまざまな手段は、じつは自然な森のあり方に反する結果を招いたのではないか。菌根に関する最新の実験結果は、森の木にあっては「個体」という概念は幻想であることを示唆する─。自然において他と隔絶されたものは存在せず、あらゆるものが関係し合い、繋がり合っている、というのは、本書に繰り返し登場する主題だが、これは精神世界的な文脈で「ワンネス(oneness)」と呼ばれる概念に近い。
ニューヨーク・タイムズ紙はハスケルを「生物学者のように思考し、詩人のように書き、自然界に対する彼の偏見のない見方は、仮説主導型の科学者と言うよりもむしろ禅僧に近い」と評している。普段は動植物学にまったく無縁の読者、動植物に詳しい人、科学者、瞑想者、詩人─どんな人が、どんな異なった「前提」を持って本書を手に取っても、きっとそれぞれに刺激を与えられることと思う。