大学に入って間もなく、先輩に箱根・湯河原の野生ザルを見に連れていってもらった。奥湯河原のバス停から自動車道路を歩き、広河原から右に折れ曲がって藤木川に沿った山道を歩いていくと、木々に囲まれ隠れるように天昭山神社がある。奥湯河原から約1時間の行程である。そこは無人ではなく、堂守りをしている年寄り夫婦がいた。
おじいさんが神社の裏山でサルの餌づけをした。餌づいてから餌をやる場所を少しずつ移して、およそ3、4年かかって境内まで引っぱってきたようだ。1959(昭和34)年のことである。
ぼくらは境内のカエデの木のそばにテントを張らさせてもらって、サルの調査・観察をした。雨の日にはお堂の中に泊まらせてもらった。
サルたちは毎日出てくることもあれば、出てこないこともあった。また、出てきてもわずか4、5頭だけなんていう日もあった。出てこない時は山を歩きまわった。予想していたところでうまくサルに出合えた時の喜びは、何物にも代えがたいものがあった。
サルたちを見ていると、その表情や行動が知り合いや友人に似ていたりするので、それぞれに名前をつけた。すると、観察するのが楽しくなった。これを、個体識別法という。日本で始まった方法だ。それまでは、ペットではあるまいし、サルたち1頭1頭に名前をつけて識別して観察するなどということは考えもされなかった。
サル山から帰る電車の中では、〇〇はどうしてケガをしたのだろうか? △△の産んだコドモの性別は何だったのだろうか? どうして〇△の姿は見えなかったのだろうか? 次のボスは誰がなるのだろうか?などと、毎回、たくさんの知りたいことだらけであった。
面白さに魅かれて、ここには年間200日のサル観察を目指して通った。
さらに、下北半島から屋久島までの日本各地のニホンザルを観察し、台湾のタイワンザル、インドネシアの各島々のサルを調査・観察したり、アフリカのチンパンジーを追いながらキイロヒヒやサバンナモンキーを観察したり、さらには中国のキンシコウを調査することで、それまで薄ぼんやりとしか見えていなかったことが、しだいに形をもってぼくなりに見えるようになってきた。
天昭山野猿公園餌場は、神社前から下の藤木川の河原に下ろされ、1977年には給餌が中止された。今でも年に何回かは足を向けているが、サルの気配はなく、草木が生い茂り、ここがサルの餌場であったことを知る人はほとんどいない。
ぼくは、今は丹沢山麓を週1回くらいの割合で歩いて、サルを含む動物観察をしているが、続けているうちに見えなかったものが見えてくる。それは、尾根道で初めて目にした草花であったり、これまで自分が気がつかなかった物や事柄である。それらに気がつくと、大発見したような気持ちになる。
また何よりも、ぼくの考えや書いたことに、耳を塞ぎたくなるような意見を言ってくれる友人たちに恵まれたことである。彼らがぼくの眼を開いてくれた。さらに、専門学校や大学で学生たちに授業をしたり、学生の答案を採点するようになって学生に教えられることが多くなったからかもしれない。
自分では霊長類の社会生態学が専門だと思っていたが、もう、四半世紀にわたって専門学校や大学で動物行動学を教える羽目になっている。授業のタイトルは動物行動学だが、ある時は頭骨を学生に見せて二足歩行や立体視のことを話したり、またある時はテンやタヌキの糞の分析をして動物たちの生態について話をしている。
サルの話がどうしても多くなり、学生たちに話をしていて、思わず「何だこの行動は! ヒトの行動と同じではないか!」とか「サルではこうなのに、なぜ、ヒトでは異なるんだ!」とか「サルではこうなのに、どうして他の哺乳類では見られないのか?」などと考えることが多くなった。
本書では、授業で話していて学生たちが興味をもって聞いてくれた内容を取り上げた。というよりも、ぼくがいつの間にか熱くなって話す内容の項目を取り上げた。
ぼくはヒトと同じくらい、サルを含む動物たちを多く見てきているつもりだ。最近ニュースになる子どもの虐待や子殺し、ドメスティック・バイオレンス、あるいは幼女誘拐・殺しやダイエットなどを取り上げて、サルや他の動物たちの行動や生態と対照させ、これらの問題について考えてみた。
最近の動物研究者は、社会に対して語ることが少なくなっている。それは、E・O・ウィルソンが『社会生物学』の中で、昆虫のデータからヒトの行動や社会まで言及したことによるだろう。
その反作用のように、日本では、動物の行動や社会・生態の研究をヒトの行動や社会に置き換えて考えることが少なくなった。しかし、一方では生理・生化学実験でラットやブタを使って、ネズミでOKだからヒトでもOKだとすることが当たり前になっている。
ぼくは本書で、あえてサルを含む動物の行動、生態、社会から、ヒトを考えている。
それは、こと行動学や社会学に関しては、あまりにもヒトだけが他のサルや動物たちとは違うと考えるヒトの思い上がりを強く感じるからである。
ヒトは、この小さな地球という惑星の中で進化してきた動物である。他の動物と同じような行動がヒトでも見られるのは、ヒトはサルやあるいは他の哺乳類とも共通した遺伝子のいくつかをもって同じように進化してきた動物だと考えるからである。
そのため、言いすぎと思われる部分もあるかもしれないが、あえて問題を投げかけていると思って読んでいただきたい。
最後に、写真を提供してくださった皆様に感謝します。イラストは教え子の戸谷諭美さんが描いてくれました。丹沢を歩いていて、道に迷った彼女らを捜し歩いた日のことが、つい昨日のように思い出されます。
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