農業というのは究極の自営業だと考えている。
「究極の」というのは、単にお金が儲かるという意味ではない。
もちろん生活していくだけのお金は必要だから、農業を生業として、ビジネスとして選ぶ以上、利益を出さなければならない。
だが、ここで農業を「究極の自営業」だと呼ぶのは、利益を出せるという理由からだけではない。
農業が自営業のなかでも抜群の安定性を獲得することができるから、農業は究極といえるのである。
自営業だというと「不安定」「高収入のときもあれば、収入がゼロに近いときもあるんだろう」というイメージがあるかもしれない。
一方で、自営業とは対照的なサラリーマンは安定して収入を得ることができるイメージがある。
だが、現実にはもはやサラリーマンは安定した身分ではない。
終身雇用、年功序列といった制度はほとんど壊滅的。将来的にもこのような典型的「日本型経営」が復活する可能性はない。企業が労働力を調整しやすいように派遣社員の比率はますます高まる。派遣社員は原則として雇用先で三年以内しか働くことができないのだから、技術が身につかず、取り替え可能なものとして扱われる。
正社員であろうが、会社が倒産してしまえばおしまいだ。サラリーマンは決して安定したものではない。
リストラされる不安に怯えながら、毎日満員電車に乗って、疲労困憊して帰宅する。帰宅しても、翌日仕事へ出かけるために、夕食を食べてすぐに眠る……
このような働きづめの生活では過労で倒れてしまう、将来性がないと考え、外資系企業でめちゃくちゃ働いていた私が新規就農を果たしたのは五〇歳のときだった。
生活を自由に管理することができる農業の魅力
自営業の農業の大きな特徴は、まず自由だということが挙げられる。「自由」という言い方が漠然としているのであれば、自律(自立)と言い換えてもいい。
人に決められた時間働き、人に決められた仕事をするのは自由ではない。
自分の生活は、自分の人生は自分で決めたい。
もっと人間らしい、ゆとりあれば余裕もある生活がしたい。
実際に農家になって、こんな贅沢で、理想的な生活を送れるようになった。
収益を上げようと思えば、収益を上げられる。収入を減らさずに、労働時間を減らすこともできる。余暇は旅行や読書を楽しむ。
まさに悠々自適である。
人に管理されるのではなく、生活を自分で管理するのは最高だ。
自分が仕事を管理する自営業の農家は、まさしく「経営者」なのである。
自分の都合で労働時間や、収益を決めることができる。私はこれを「自分都合」経営と呼んでいる。
「自分都合」の経営の具体例を一つ挙げよう。
二〇〇八年に私は第二ぶどう園を完全に壊した。これによって年間労働時間は1000時間減少させることができる。自分の最適だと思える労働時間を設定して、それに準じた規模へと経営を変えてしまうのだ。
収入は一〇%減る見込みだが、労働時間は三三%の削減となる。収益だけを追うのももちろん可能だが、自分の時間を確保して、収益の減少を最低限に抑えることを選ぶこともできる。
そして、このような経営を柔軟に変えることができる経営は、小規模でなければならない。不要に大きくせず、量を売るよりは、質の高いものを高く売るのが基本となる。
心の余裕が正の循環を生む
さて、私の田舎生活を概観すると、それは三つの部分に分解できる。
「専業農家としての経営」「趣味の園芸としての楽しい農業生活」「田舎暮らしを満喫する自由人生活」である。
そしてその三つが実はセットであるから楽しい人生を謳歌できているのだと思う。
はじめの「専業農家」の部分では本書の主要なテーマであり、また生活の基礎となる根幹部分なので効率を追求し、無駄を省き、ITを含めた高度の経営技術を駆使して生産性をあげている。
その結果、最小の時間で文化的な生活を成り立たせている。
次の「趣味の園芸」では、経済活動としての高効率農業のほかに、自由時間がたっぷりあるし、土地もあるから、趣味で作物を作ってもいる。
これは経済活動ではないから加工の仕方や食べ方の研究や、さらには専業農業のバックアップビジネスの開発の意図も少しはある。
この部分で我が家の地下室には家族二年分ぐらいの食料の在庫がある。
テレビで失業者が食事の炊き出しに列を作るのを見ていると、お金のために生きるライフスタイルがいかに脆弱な食環境にあるのかを知り、愕然とする。その意味では私のライフスタイルは心の安定と余裕で満たされている。
最後の「田舎暮らしを満喫する人生」の部分は、時間的には最大のパイの切れ端であるが、土地と地域に根ざした人のネットワークである。
農産物の余りをあげたり貰ったり、農機具や道具類、その他を貸したり借りたり、情報をもらったり提供したり、知恵を借りたり貸したり、そして趣味の時間を共有したり楽しんだりの人生そのものである。
この心の余裕が満たされているからこそ、専業の農業経営もまた本書で開示しているように上手くいく正の循環が成り立っていると思う。
大きな経営ではそのような余裕は生まれない。我が葡萄園スギヤマの経営上のこだわりを見ていただきたい。
葡萄園スギヤマにおける経営上のこだわり
1、農業専業でなるべく小規模な経営を行う(→高効率LISA)
2、農薬も化学肥料も使いつつ環境になるべく優しい農業を行う(→LISA)
3、補助金に頼らない(→経営の健全化、自立化)
4、無借金経営(→自己資本比率一〇〇%)
5、健康で文化的な生活は手放さない(→憲法第二五条)
6、他人の経営に学ぶが、真似はせず(→後塵は拝しない、トップランナーになる)
7、今日の私は昨日の私ではない。(→日々改善を怠らず、現状に留まらず)
8、自分が食べたい物を栽培する。(→作物を好きになる、好きなものを作る)
LISAというのは「農業経営に投入する資源を極力小さくしましょう」という意味があり、通常「低投入持続型農業」と訳される。しかしここで「投入」とあるのは、原則として農薬と化学肥料だけである。
つまり、安全安心に関する情緒的切り口での接近である。
が、農業経営にはその他の面でも改善の余地が多い。私は施設園芸主体の農家だから二重基準のそしりをまぬがれないが、だからこそ、総エネルギー・ベースと再生可能資源にこだわったLISAに取り組もうと決心した。
小さな経営が正の循環を起こした結果ゆえのこだわりが見えると思う。
私は小さな経営に基づいた農業の最適化を重ねることによって、日本の農業が無理な大規模化・効率化の道を歩んで挫折するのではなく、たくさんの人々が心豊かに暮らせる小規模経営の「楽しい農業・楽しい経営・楽しい人生」を実現させることを期待している。
本書はこのような豊かな生活モデルを目指し、農業をビジネスとして成り立たせるための方法を盛り込んだ。
1章は「収益率を高めるためには小規模経営が良い」「栽培面積を何倍も広げるよりも、付加価値をつけて販売価格を上げるほうが容易だし、利益も出る」「生産性を上げれば、収益を減らさずに労働時間を短縮できる」といった効率的な経営を営むにあたっての基本的な事柄を中心に書いた。2章では宅配業社の選択、資材管理のコツ、栽培記録管理など具体的・実際的な話題まで踏み込んでいる。また3章では、産業、ビジネスとしての農業のこれからを考え、後継者問題、これまで自分が蓄積してきたノウハウや技術をどう次世代に残していけばいいのかという技術移転の話に触れた。
私の地下室が食糧で満たされているように、みんながお金を追い求めるのではなく、結果として心豊かな人生、心豊かな余裕を、多くのお金を求めずとも手に入れる人生モデルを提供できないかと願っている。
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